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別離

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集
 今年もまた、桜の季節がやってくる。
 差し込む日差しは暖かく、外は新緑の様相を見せ始め、わたくしの名前とは正反対の、
命に満ちた光景が広がる。
 こんな日は、誰よりも大切なあの方と、ただ静かに寄り添っていたい。
 日差しを目一杯浴びながら、うたた寝をするあの方の顔を、ただ眺めていたい。
 ……でも、あなたはもう、わたくしの隣にはいませんね。
 春の陽気は、確かに周りの空気を暖めてくれる。
 だけど、わたくしの隣はとても寒い。体ではなく、心が凍えそうになってしまう。
 あぁ、だんな様……どうしてあなたはここにいないのですか?
「殺生石ぃー、ご主人様明日帰ってくるんだよっ。あと少しだからがんばって……あっ、お姉様!
そっちはほこりが溜まってるから駄目ぇー」
 散らかり放題の部屋で、蛋白石が掃除機を持って歩き回る。
 そしてわたくしは……右手にはほこり取り。頭に手を当てれば、白い三角巾がしっかりと巻かれている。
 背後では、ほこりまみれになった電気石が、床を転がる始末。
 あぁ、だんな様……こんな季節はずれの里帰り、早く終わらせてくださいませ。

          ◆

『ごめんね、ちょっと用事があって実家に帰らないといけないんだ。1週間ぐらいでもドルから、
留守番よろしくね』
 そう言い残して旅立ったのは1週間前。
 わたくし達ならば安心して留守を任せられる。そういう期待をかけられていたのだと思う。
 そうとなれば、だんな様の期待に添うよう、この家を命に代えて守るつもりだった。
 だけど、だんな様が出た日の夜は、春だというのにやたらと冷え込んだ。
 寝るという風習がないわたくしにとって、それは一晩中寒さに耐えなければならないということに繋がる。
 こたつもすでに片づけられ、普段寝ないのが災いし、寒さしのぎに被る自分の布団もない状況。
 こんな時は、いつもだんな様の布団に潜り込んで……そう思い、だんな様の部屋に入る。
「……当然、ですよね」
 だんな様の部屋は暗く、誰もいない。
 ただそれだけだ。昼間学校に出ている時と同じ、一時の空白のようなもの。
 だけど、それが1週間も続くというのは、これまで経験したこともなかった。
 いつだって、だんな様はすぐ帰ってきて、皆の夕食を作ってくれる。
 疲れた顔を浮かべて夕食を食べ、電気石を膝に乗せての団らん。
 ――1週間だけの、空白じゃないか。
 自分にそう言い聞かせているのに、どうしてこんなにも、体は冷えるのだろう。
 そんなことを思い、部屋の扉を閉める。
 別に、寂しがってなど……いない、はず。

 1週間があまりにも長く感じられるようになったのは、3日目を過ぎた頃からだった。
 毎日のように夜の冷え込みは続き、最近は冬物の着物を出して、日中も着込んでいる。
 その姿を、食卓を共に囲む蛋白石と電気石は、不思議そうな顔で見つめてくる。そうだろう、
本来ならこんなものがいらないほど、暖かいはずなのだから。
「殺生石、もしかして冷え性なの?」
「いいえ」
「そ、そうなんだ」
 極力いつも通り応えたつもりだが、なぜか困ったような表情を見せ、それ以上問いつめることなく
食事を続ける蛋白石。
 だが、電気石の視線は、未だわたくしの顔を見つめてくる。
「寂しい?」
 あまりにも唐突に、そんなことを尋ねてくる。
「そんなはずないでしょう。わずか1週間ではありませんか」
 今思えば、そう言って安心しようとしているのは、わたくしの方だった。
 そのときにはもう認めていたはずだ。長すぎる1週間の空白。
 どれだけ、だんな様の存在が、自分の中で大きかったのか。
「……気分が優れません。少し休んできます」
「え、ご飯はどうするの?」
「お任せします。それでは」

 寂しいなんて、思っているはずない。
 そのはずなのに、今夜もわたくしはだんな様の部屋を覗く。
 相変わらず、冷たい部屋。夜の冷気のせいか、それとも別の何かのせいか。
 この、いくら着込んでも収まらない寒気は、一体何なのだろう。

          ◆

 だんな様の帰宅を明日に控えた夜。
 やはり、わたくしはだんな様の部屋の前に来ていた。
 昼間はだんな様が帰ってくるのに備えて部屋の掃除をし、二人の食事はペリドットに来てもらい、
作ってもらった。
 とてもではないが、今のままではまともな料理も作れそうにない。それほど心が、弱っている。
 こんな弱い自分を、誰にも見せるわけにはいかない。例え、だんな様であっても極力避けたいほどなのに。
 だけど、もうわたくしの心は限界だ。だんな様には申し訳ないと思いつつ、部屋へと足を踏み入れる。
 畳のきしむ音。いつもだんな様がここに寝ていたら、寝返りを打つたびにこの音が聞こえる。
 わたくしが立ち止まると、たちまち部屋から音は消える。ここにいるべき人は、明日にならないと会えない。
 ――寒い。
 口から漏れる息が白くなっているように感じてしまうほど、わたくしの体は震えている。
「だんな、様……」
 愛しい方のことを思い、部屋を見渡す。
 そして目に付くのは、布団が収められている押し入れ。
 あの中に、だんな様がいつも眠っている布団が入っている。
 だんな様が、いつも抱きかかえるようにして眠る掛け布団。だんな様の体が横たわっている、
敷き布団。
 気付けば、部屋の真ん中にその布団を敷いていた。本来寝るべき人は、ここにはいないのに。
 ……その上に座るだけで、ほんの少し体が温まるような、そんな感覚を覚える。
 掛け布団を被ってみたらどうだろうか……先ほどよりも、ぬくもりが強くなったように感じられる。
 そして何より、わずかにだんな様の気配が残るこの布団が、今はあまりにも心地よい。
 布団に頬をすり寄せるだけで、少しずつ弱った心が、癒されていく。
 ――こんな情けない姿、誰にも見せられない。
 それを理解しているのに、布団から浮かぶだんな様の虚像に甘えることを、やめることが出来ない。
 こうしているだけで、ほんの少しだけ寂しさをごまかせるのだから。
 やめられるわけがない……早く、一刻も早く、だんな様に帰ってきてもらいたいのに。
 今宵は、あまりにも長すぎます。

 たかが1週間。されど1週間。
 その程度の時間で、わたくしは今、どれだけ自身が弱くなったかを知らされた。
 こんなにわたくしを弱くしたあの方は、あまりにも罪なお方。
「ご主人様、今駅に着いたんだって。もう少しで帰ってくるねっ」
 今駅に着いたということは、あと10分ほどでだんな様の顔を見ることが出来そうだ。
 ――さて、どういった歓迎をして差し上げましょうか。
 どこかから流れてきた桜の花びらを見つめながら、そんなことを考えていた。
「蛋白石、今夜の夕食はどうしましょうか」
「え、晩ご飯? んーとぉ……ご主人様疲れてるかもしれないから、何か元気になるものがいいなぁ。
私も手伝うよ?」
「……そうですね、そうしましょうか。主様には元気でいてもらわなければ困りますから」
 後ろに座る蛋白石に、笑顔を向ける。
「特に今夜は……ふふふ」

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