当ページでは、本組織が利用している施設や土地について紹介しています。

1.神室島(Kamuro island)

扶桑本土から南に位置する。
JTF109が拠点とする神室島エリアの中核となる島。

+ 神室島史
~古代~
古くは扶桑神話、扶桑書記にもその存在が認められる。
神室の先住民が文字を持たなかった事と、1760年代の戦乱による焼失によって公式の記録がほとんど残っていない。

神室島の様子を伺い知ることができる貴重な資料として知られているのは1567年、北西洋からの西回り航路を開拓したイタリカ騎士団の提督・カッシーニの手記である。

「赤道付近の暴風に押し流された我々は小さな島へとたどり着いた。
そこでは伝統的な暮らしをする人々が主に魚を狩猟して暮らしている。人々は温厚で、漂着した我々に対しても快く物資を提供してくれた。一部の建物の様子は当方見聞記における東洋の島国の様子に似ている」

当時の扶桑では既に狩猟中心から農耕中心に移り変わって久しく、この手記の内容は神室島の生活を物語る貴重な資料と見られている。

古くから神室島には魚人(うおと)と呼ばれる先住民が暮らしていた。彼らは伝統的に魚の狩猟で生活しており、また魚を神として祀っていた。

1566年、扶桑本土の使者が島に上陸し、神室島と扶桑との交易が始まった。当時の扶桑では神室島で生産される安価で良質な海塩は非常に重宝された。
1602年、神室大社が建立され、防人が赴くようになるなど魚人との関係はさらに深いものとなり、その後も密接な関係が続くことになる。
このころの神室島の様子はすべてカッシーニの手記とわずかに戦火をまぬかれた文書でしかわかっておらず諸説ある。
~近代~
1886年、ファーニケスの捕鯨船が2度にわたって神室島に接近、現地人や海賊らに拿捕されたために小規模紛争が勃発。あわやと言う局面を回避すべく扶桑本国が調停に奔走し、戦闘行為を扇動・支援した豪族を処断することでその場を収め、国防意識の高まりとともに正式に神室島を扶桑国の領土とした。

1916年、扶桑海軍の艦隊が神室島に移ったのを皮切りに、海上交通機関の発達も相まって軍人、民間人ともに保養地として人気を博す。

1930年、神室飛行場が開港。小型機による訓練が始まった。

1940年に始まった8年戦争においては、神室飛行場の近辺に被害が出たものの神室大社やその他の歴史的建造物の大部分が被害を受けずに済んだ。

~八年戦争終戦後~

終戦後、早くから観光都市として栄え、また軍関連の施設が多く残り、人々の憩いの場として終戦直後から民間船舶による航路が開設された。

1951年、島の東側の港が拡大。太平洋航路の停泊地として港はにぎわい、神室島は一大観光、軍事、貿易拠点として賑わいを見せる。

1962年、神室島飛行場が神室国際空港として新たに開港。新しいターミナルや滑走路の延長により外国人観光客の取り込みに成功。神室島発展の一助となる。
    特に魚人の先住民の生活様式や建築を古くから政策として保護してきたため、外国人観光客に人気の観光地として名を馳せて久しい。

1993年、扶桑エアシステムの成立に伴い滑走路を延長、増設し、増える交通需要に対応するため新たに空港新線を建設した。
    その後、順調に発展を続ける中、2001年に扶桑国防軍の海軍第3艦隊及び空軍第86飛行隊が神室島を拠点として国防軍の成立と同時に活動開始。

2014年、リュドスカヤ首都で起きた地下鉄爆破テロを受けて編成された多国籍統合任務部隊の環太平洋における太平洋指揮拠点能力及びJTF109の移転が決定し現在に至る。





島の全景。(2017年9月15日空撮時)
+ 詳細

港湾部の拡大。

生活に必要な物資の供給も充実しつつある。

神室国際空港


スタジアムや象徴のタワーなど、様々な観光施設も整ってきている。

一攫千金を目論む若者が集まり野望と夢が渦巻く一角。

出生率の増加により教育機関も増えた。

長い赴任で疲れた兵士たちを癒やす施設と言われているが・・・

島の治安を維持する正義の味方。
屈強な兵士でさえもこの島の中では彼らには逆らえないのだ。

都市・海岸・山・港湾と様々な風景が凝縮されたこの島は映画のロケ地としても人気が高く
こういった看板が建てられるほど。

2.彦神室島(Hiko-Kamuro island)


神室島が民間向けに開発されてきたのに対し、防衛の中心として軍の施設や基地が面積の多くを占める。
空軍基地付近に位置する地域最高峰の山、ケツ・マンジャロは見るものを圧倒する。その名は誤解されやすいが、原住民たちの言葉で女神の丘という意味だ。

ナカ・マンジャロ(Nakto-Manjuarro)

現地の言葉で女神の密林を意味する、古くから扶桑軍の射爆場として利用されてきた島。深い森林と岩がちな土壌が形成する独特の地形が不思議な雰囲気を醸し出す。

結野天満宮(ketsuno-tenmangu shrine)

神室島が扶桑領となった後、円滑な統治を目論んだ当時の総督の主導により現地の神々を祀り慰めるために建立された。それによってもともと類話の多かった原住民族の神話が扶桑神道の系譜に合流する論説が加速した。
神室島に基地を置く軍人が国籍・宗教問わずヘリコプターを用いて登頂し集団で地域の平和と航海の安全を祈願しに初詣に訪れることが慣例となっている。

グレートスーハーナカ・マンジャロ(Great sauf-hauf Nakto-Manjuarro)

JTF109部隊が配置されるにあたって新たに建設された人工島と要塞。高空・中空・低空あらゆるエリアに対する強力な防空網を形成し、攻略する者の対応力と勇気が試される。有事にはその防空網が頼もしい味方となる。

3.姫神室郡島(Hime-Kamuro islands)

マスドライバー基地やロケット発射台を擁し、宇宙開発の最先端を行く姫神室宇宙センターが最大の特徴。
碁盤の目状に建設された姫神室市街や西端に位置する姫神室スピードウェイも訪れた者の興味をそそる。
巨大な砲台様のモニュメントは実際に兵器として運用可能との噂もあるが・・・?


姫神室市街(Female Kamuro city)

宇宙開発に携わる企業のオフィスやそこに勤める職員と家族の住宅が広がる。陸上演習の舞台となることもあるが神室本島の街に比べ道幅が狭く入り組んだ道路が特徴的で緻密な車両運転テクニックを要求される。
また姫神室市の長は大のサッカーファンで自ら立ち上げたクラブを国内リーグ3部に昇格させた経営のプロフェッショナル。

神室海浜公園(Kamuro seaside park)

姫神室中学校から浜に抜ける一本道の間に存在する公園。市民の憩いの場として人気が高い。
一説によればクラゲに刺されて海に入るのが怖くなってしまった息子が水浴びできるようにと地元の有力者が作らせたと言われている。

焦土島(Scorched island)

この地域一帯が扶桑領に組み込まれたことに反発した現地勢力・魚人・過激な扶桑人の一派・海賊らが結託し反乱が起きた。
その際に反乱軍の拠点となっていたのがこの無人島であり、扶桑海軍の新鋭艦による苛烈な艦砲射撃に晒された上掃討戦では扶桑側がファーニケスより提供を受けた新兵器・回転式機関砲(いわゆるガトリング砲)を投入するなど、凄惨な実験場と化した。
現在は軍の管轄下にあり、無人機用の滑走路が整備され最新型誘導弾を搭載した車両が配備されるなど実戦を想定した試験が行われている。JTFのエース部隊でも攻略は至難を極め、それと同時に地域の強固な防空網の一端を担っている。

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最終更新:2022年01月08日 02:50