目が覚めた。時刻は、草木も眠る丑三つ時。田舎特有の漆黒の闇が周囲に満ち、物音一つしなかった。
ふと、喉の渇きを覚える。このまま朝まで我慢しようかとも思ったが、一度自覚してしまった渇きは情け容赦なく攻め立て、刻一刻と欲求の度合いを増してくる。何度か寝返りを打ち、しばらく水への渇望と戦っていたが諦めた。
ゆっくりと立ち上がり、襖にそっと手を掛けた。立て付けが悪いので、なるだけ音を立てないよう慎重に動かす。
きしきしと軋む階段を静かに、爪先立って降りていく。
台所へ向かう途中の廊下で、何か聞こえた。こんな時間に何事か。
泥棒かとも思ったが、この雛見沢で盗みを働く人も、わざわざ雛見沢へ盗みに来る者もいるわけがなく、すぐに打ち消した。
音を辿って家の中をしばらく彷徨う。源は叔父夫婦の寝室だった。
変に声を掛けて起こしても、烈火のごとく怒られるだけだ。
下手をすれば暴力へと発展する。引き返そうかと決めかけた時、襖が細く開いているのに気付いた。
別に大したことは無いだろうと思いつつ、そっと覗く。そこで――。
叔父夫婦が居た。眠ってはいなかった。
裸の二人は繋がっていた。犬のように四つん這いになった叔母の尻を掴み、腰を叩きつけるようにして振っている叔父の背中が見えた。
互いに言葉を交わすことも無く、ただ自分たちの行動に没頭している。
快楽を貪り尽そうとする、理性を無くした二匹の鬼の姿だった。
予想だにしなかった光景に、息を呑む。
慌てて踵を返そうとした時、片手が襖に当たり大きな音をたてた。
「誰ね!?」
叔父が動きを止め、振り返る。いい所で邪魔をされた為か、只ならぬ形相だ。
このまま自室へ逃げ帰ろうかとも思ったが、恐怖に足が竦んで動かない。
「誰ね言うとるがね!?」
重ねて問われて観念した。
「…ぼ、僕です。悟史です……」
「なんね、悟史ね」
叔父は叔母の身体から離れた。叔母が一声呻いた。
「…喉が、そう喉が渇いちゃって、それで…水を……」
乾燥した為か、声帯がへばり付いて開かない。声が掠れる。
「起こしてごめんなさい、もう寝ます」
自分は何も見ていない。そういう事にして逃げようとした、が。
「まあ、ちょっと待ちぃね」
そう言いながら叔父が大股で歩み寄って来る。大事な部分を隠すこともしない。
電灯に照らされぬめぬめと光る男根は、とぐろを巻いた蛇のような威圧感を放つ。
襖が大きくガラッと開かれた。
「ひっ!!!」
「そないに驚かんでもええがね」
叔父は悟史の反応を面白そうに眺めながら、ニヤニヤ笑っている。 
「ちょっと来い。」
悟史の二の腕を鷲掴みにし、有無を言わさず部屋に引き込む。
「あんた、どしたん?」
叔母が髪の乱れを直しながら問う。こちらは上掛けで裸体を隠している。
「いやな、こいつももうええ歳なんやし、ちょいと『お勉強』をさせてやろうかと思ぉてな」
布団に向かって、乱暴に転された。
「勉強って、あんたまさか?」
「そうや、社会勉強やね。大人んなってから、こいつが困らんようにしてやらんとね」
叔父のニヤニヤ笑いが一層広がる。
「子供の将来を考えんのも、親の大事な役目やし」
親のつもりなんか、これっぽっちもないくせに。放り出され、布団に両手をついた姿勢のまま悟史は思う。
叔父と叔母が何について話しているのかは、さっぱりだった。でも分かる。
どうせロクなことじゃない。
「悟史、何しよんね。早ぅ脱がんね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。脱ぐって何を?
ぽかんとした表情で、叔父を見上げる。
「何を呆けた顔しとんな。服じゃ、服を脱がんね」
「えっ?」
何でそうなるのかが分からない。
相変わらず動こうとしない悟史の様子に叔父は焦れ、パジャマのボタンに手を掛けた。荒々しく外されていくボタンをただ呆然としながら見守る。
だが流石に上衣を脱がされ、ズボンに手が掛かった所で悟史が暴れ始めた。
舌打ちの音がしたと思ったら、左の頬に衝撃が来た。叔父の平手打ちで部屋の隅まで飛ばされた。
「ったく、手ぇの掛かるこっちゃ」
打撃の衝撃に意識が遠のく。荒々しい仕草で、下着ごとズボンが下ろされる。煌々と灯された電灯の下に、悟史の細い肢体が晒された。
「ほぅ。顔に似合わず、なかなかえぇもん持ってるん」
布団の上まで引き摺って来られ、大の字にさせられた。
蛍光灯の光が眩しくて、目を開けていられない。
「ちょっと、あんた」
咎めるような口調ながらも、叔母も興味津々に覗き込んでくる。
「どぉや、大したもんやんな?」
自分が苦心して釣り上げた大物を自慢するような口振りだった。
「じゃけど折角の持ちもんが縮こまってもうて、台無しやんね。お前、ちょいと舐めてやれや」
「そんな。こんな子供のなんて」
叔母は躊躇う様子を見せるが、右手は悟史の股間へと伸びていく。
「ええから、早よぅやれ」
叔父に強要されて仕方なく、そんな言い訳を自分なりに見つけたようだ。
痛みと恐怖で、負け犬の尻尾のように縮んでしまった悟史自身を、やんわりと握り込む。
「ひっ!」
それまで浮遊していた悟史の意識が戻る。
反射的に半身を起こし、手を振り払おうとしたが駄目だった。いつの間にか悟史の頭の上に移動していた叔父が、両手を掴み押さえ付ける。痛くない程度に体重をかけられ、床に縫い付けられたように動かせない。
「心配せぇでも、なーんも、痛いことは無いがね。気持ち良ぉて止められんぐらいやんな」
叔父の下卑た笑いが顔に降り注ぐ。獣臭い息がかかる。発作的に暴れたら、頬を張られた。口の中が切れ、鉄の味が広がる。
「ったく、このダラズがっ!!」
その間も叔母の手は止まらず、泣いた赤子を宥めるような優しさで悟史の股間を刺激していた。袋にも手を添え、やわやわと揉んでいる。萎縮していた器官が、徐々に緩んで戻ってくる。さらには元より大きくなり始める。
「いやだ、やめて」
痛さと恥ずかしさと悔しさとに、涙が溢れるのを止められない。
「おい」
叔父からの指示に、叔母が動いた。悟史自身に舌を這わせる。丁寧に舐めながら、唾液をたっぷり塗り付ける。ゆっくりと先端を口に含み、舌を絡めて吸い上げる。
「もうやめてください。お願いします」
抑え切れない涙が零れ、こめかみを伝って敷布に染み込む。
「どうね。わしが仕込んだだけあって、なかなかのもんやろ」
窄めた口の粘膜で刺激を与える。叔母の頭が上下する度、えもいわれぬ快感が背骨を駆け上がる。
くちゃくちゃと湿った音が室内に響き、より一層猥雑な雰囲気を盛り上げる。
初めての感覚を耐え忍ぶのに精一杯で、悟史にはもう抵抗する意志も無い。
叔父は悟史の手を放し、悟史の乳首を摘んだ。指で挟み、摺り合わせる。爪で軽く引っ掻き、弾く。
「あっ…はぁ……いやだ…やめて…んっ……くださ…い……お願い…で…すから……」
甘い嗚咽を堪えながらの嘆願は、叔父の情欲を燃やしこそすれ、冷ます事はできなかった。
少女のような顔で頬を紅潮し、変声前の可憐な声で哀願する様は、叔父にとっては媚びているのとかわりは無い。股間の怒張の張りが増す。
「もうえぇやろ」
それを合図に、叔母の動きが加速する。
「…いや…だ……やめてっ……あぅ……もう…もう……出る…出…るっ!!」
悟史の身体がバネのように伸び上がる。全身が痙攣する。
叔母の喉が鳴った。悟史が放出したものを嚥下している。最後の一滴まで逃すまいとするように吸い付き、啜り上げる。
叔父は、幼児に用を足させるような姿勢で抱え上げた叔母を、悟史の顔の前に据えた。
よく見えるようにと、手で陰毛を掻き分け秘部を割る。
初めて見るソレは、何だか別種の生き物のようで、人体の一部とは思えなかった。
「えぇか、ここが女陰ね」
叔父は人差し指を出し入れし始める。既にたっぷりと蜜を溢れ出していて、簡単に指の付け根までを銜え込む。
中指が加わり、愛液を掻き出すように捏ね繰りまわす。叔母が声を上げ、身を捩る。
「ここが、ク○ト○ス。女が一番悦ぶ所なんね」
そう言いながら、今度は小さな突起を親指で刺激し始めた。叔母の腰が動き、内腿がひくついている。
「ほれ、お前も触ってみんね」
未だ射精の余韻に呆然としていた悟史の手を叔父は取り、叔母の秘部へと導いた。
言われるがまま、指で刺激し、手を動かす。叔母の動きが大きくなる。
「あんた、早く……」
叔母が口の端からよだれを垂らしながら、哀願している。
「なんね、もうかいね。まあ、先刻が途中までやったからな」
叔父は叔母の前に回り、両足を掬い上げた。自分自身に手を沿えた。
「ええか、悟史。よぉう見とれよ」
ゆっくりと腰を沈める。悟史の目の前で、男根がずぶずぶと沈んでいく。叔母が応えるように嬌声を上げる。
「これが本番や」
腰を前後に動かし、出し入れを繰り返す。時々円を描くような動作も加わる。叔母の腰も、叔父の動きに 合わせるように蠢いている。あまりの近さに滴が顔に飛んでくる気がした。
その内、二人は悟史の存在を忘れたかの如く、自分たちの動きに集中し始めた。叔父が叔母の唇を吸い
唾液を注ぎ込めば、叔母は叔父の肩に噛み付き歯形を付ける。
「あ、あんた…もう、もう、いくー……」
「ええぞ、ほれ、いてまえ。」
叔父の動きが加速し、湿っぽい音が大きくなる。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ」
叔母の両脚が、叔父の腰を逃がすまいとするように絡み付き、締め上げる。
二匹の鬼は、頂点を目指し突っ走る。誰にも邪魔されず、唯、走る。
そして――。
事が終わると、それまで互いに求め合っていた事が嘘のようにあっけなく、二人は離れた。
別々に自分の後始末をしていた時、叔父が気付いた。
「ほう、お前もしたいんね?」
初めは、自分に言われている言葉だとは気付かなかった。
叔父に呼ばれて叔母も来ると、ほう、と溜め息を吐いた。
「特等席であんだけ見せ付けられっちゃ、仕方ないんね」
叔父に掴まれ気付いた。悟史は勃起していた。自分ではそんなつもりは無かったのに…。
「このままじゃ可愛そうやんね。おい」
顎で指図され、叔母は悟史に跨った。悟史自身が叔母に飲み込まれていく。
「ひっ!!!」
叔母に喰われる、そう思った。鬼と化した叔母に大事な所からバリバリと。
内はどろどろと熱かった。溶鉱炉を連想した。甘い快楽に脳髄が痺れた。ウツボカズラを思い出した。
鉄をも熔かす高熱と、捕らえた虫を喰う消化液で溶かされると思った。だが、熔解したのは理性だった。
こんな事をしてはいけない、抵抗しなければいけないと頭では理解しているのに、身体は動かなかった。
叔母が上下運動を始めると、余計に考えられなくなる。
悲しかった。悔しかった。でも気持ち良かった。
一刻も早く止めて欲しいと思いながら、もっと長く感じていたいと思う自分もいた。
初めての悟史が直ぐに達しそうになると、叔母は察知し動きを止める。少し静まると、また駆り立てようと動き出す。その繰り返し。
「…もう…もう、許して……お願い……」
何をどう許して欲しいのか自分でもわからぬまま、そう口にしていた。
とにかく現状を何とかして欲しかった。
「まあ、もうちょいと待ちぃね」
欲情に染まった叔父の声が嘲笑う。
悟史は新しい抵抗を感じた。叔母の中が狭くなったようで、肉一枚隔てて何だか硬い物が当たる気がする。
飛びそうな意識に霞む目で見ると、叔母のすぐ後ろに叔父の姿があった。叔母の背中にぴったりと貼り付くようにし、叔母の腰を抱きかかえ二人の動きに同調するように揺らしている。叔母の快楽も増したようだ。
このまま逝けば自分まで鬼の眷属にへと堕ちてしまう。背筋の凍る恐怖に駆られながらも、それもイイとも思ってしまう。肉の悦楽に浸り続けられるなら、何処までも堕ちていきたい。そう願ってしまう。
三人三様の悦びの声を上げ、ともに鬼国へと疾駆する。各々がそれぞれの頂を目指し、駆け上る。
三匹の鬼は歓喜の雄叫びを上げた。



チュンチュンと雀が呑気に歌い、遊んでいる。カーテンの隙間から陽光が差し込む。
朝が来た。全ての罪を白日の下に曝そうする、日が昇った。
闇の眷属たる鬼を追い払おうと眩い光を放しつつ。
白光から逃れるように布団の中に潜り込む。まだもう少しこのままで……。
願いも空しく目覚ましが鳴る。反射的にけたたましく鳴り響くアラームを止める。
ココカラデタクナイ。ズットココニイタイ。
息を潜め、じっと外の様子を伺う。己に害を成す存在がいない事を確認する。
そろそろと布団から這い出し、恐る恐るカーテンを引き開ける。
朝日が目に入り、視神経を焼かれる。熱い。焼け爛れた全身から煙が立ち昇る。
熱い。熱い。熱い。
現実に起こるはずのない現象を体感していた。
昨夜、鬼へと変わり果てた自身が審判を下され、火焙りに処せられる。
昨夜見た夢とも、目覚めた後の現の事とも判別のつかぬまま、焼かれ、焦げ、熔けていく。
落ち着け、落ち着くんだ。COOLになるんだ、北条悟史。
僕は昨日の自分と何も変わっていない。鬼になんかなっていない。
だから、日に焼かれる事なんて起こるわけがない。しっかりしろ、悟史。
自分で自身を抱くようにし、何とか気持ちを落ち着けようとする。
全身に冷や汗が浮かび、震えが止まらない。
気持ちをしっかり持て。こんな状態じゃ、いつかはバレルぞ。バレル? 誰に? 何を?
――昨日の事に決まっているじゃないか。
もう一人の自分が唇の両端を吊り上げながら、囁く。
――昨夜の痴態が皆にバレてもいいのか? 叔父と叔母にいいように弄ばれて、悦び乱れた事をバレてもいいのか?
イヤダ。アンナコト、ダレニモシラレタクナイ。……デモ、ミンナッテ、ダレ?……
――皆は皆。魅音やレナや梨花ちゃん、学校の皆。
ダメダ、ダメダ。シラレチャダメダ。
――それに。
ソレニ?
――それに沙都子。
サトコ?
一瞬、誰の名前か分からなかった。どうしても思い出せなかった。否、思い出したくなかった。
――お前の妹の沙都子だよ。
サトコ…サトコ?…サトコ!!!
――そう、あの沙都子。どう思うだろうな、昨夜、お前が何をしたかを知ったら?
ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ、ダメダ……
――なら、どうする? 
……ナカッタ。ナニモナカッタ。ユウベナンテ、ナカッタ。キノウナンテ、ナカッタ。
――あれだけ感じて喜んでいたクセに。
カンジテナンテナイ! ヨロコンデナンテナイ! 
ウルサイ、キエロ!! キエロ!! キエロ!!!
くすくす嫌味な哂いを浮かべながら、もう一人の悟史は消えていった。
そうだ。誰にも知られてはいけない。特に沙都子には……。
だから、無かった事にする。僕は何も知らない。何も覚えていない。
自己暗示をかけるように繰り返す。呪文のように口の中で唱える。
ナニモシラナイ。ナニモオボエテイナイ。
昨夜は何も無かった。なら、どうする?
いつも通りに行動しなければ。そう、昨日と同じように学校へ行かなければいけない。
慌てて時計を見る。あれだけ長い時間、悩んで苦しんだはずなのに、目覚めてから
5分と経っていなかった。ほっと溜め息を吐きながら、決意を込めて立ち上がる。
僕は守らなくてはならない。昨日までと同じ毎日を。
何も変わってなんかない。昨日と同じ、今日も同じ、明日も同じ。
布団をあげる。パジャマを脱ぐ。制服を着る。時間割を合わせ、教科書、ノート、その他を鞄に詰め込む。
鞄を玄関に置き、洗面所へ向かう。やればできる。いつも通りの日常を送れる。
少し自信が出てきた時、汚れ物を抱えた叔母と鉢合わせした。心臓が飛び跳ねる。反動で口から飛び出しそうだ。
「…お、おはようございます」
いつもの挨拶。でも、目は逸らしたまま。
「おはよう」
叔母もいつもと同じに応えた。ほっと胸を撫で下ろし、入れ違いに洗面所へ入ろうとした。擦れ違い様、
「昨日は良かったわよ。今晩もいらっしゃい」
熱い息と一緒に、そう耳元に吹き掛けて行った。
空間が凍る。
イマ、ナンテ、イッタ? キノウハ、ヨカッタ? ソノアトハ?
コンバンモ? コンバンッテ!?
少しずつ積み上げていった日常が、一瞬で崩れ去る。
コンバンモ!?!?!?
世界が回る。視界がどんどん狭まり、暗くなる。
ダメダ。ダメダ。ダメダ。シッカリシロ。キヲ、ツヨク、モテ。
壁に手をつき、倒れかかった身体を支える。こんな事じゃ駄目だ。
これ位で気を失いかけるなんて情けない。
自分を叱咤激励する為に、冷水で顔を洗う。まだ桜も咲かない早春の水は冷たく、清く、厳しく、自分の内の汚れも、迷いも、弱さも、全て洗い流してくれるようだった。
指先も鼻も頬も冷たさで感覚が無くなるまで顔を洗った後、昨夜の垢を削ぎ落とす様に手荒くタオルで顔を拭いていた時だった。
背後に人の気配を感じた。
「…にぃにぃ……」
沙都子の微かな呼び掛けに、肩が大きくぶれる。
ナニモシラナイ。ナニモオボエテイナイ。
静かに息を吸い、吐く。出来るだけのんびりとして見えるように、ゆっくり振り返る。
微笑え。いつも通り、微笑うんだ。強張る頬をどうにか笑いの形に歪める。
「おはよう、沙都子」 
どうにか普段通りの声で言えた。
「おはようございます、にぃにぃ」
沙都子も力なく微笑う。その目が、頭を撫でてくれと求めている。
何気なく、手を伸ばした悟史だったが、触れる直前で止まる。
昨日、この手は何をした? この手で叔母に何をした?
――こんな汚れた手で、大事な妹の頭に触れてもいいのか?
いつの間にか、もう一人の自分が戻って来ていた。 
――そんなふしだらな手で触ると、妹も穢れるんじゃないのか?
「……にぃにぃ?」
なかなか撫でて貰えず、不安になった沙都子が問いかける。
大丈夫だ。先刻、あれだけ洗った。一所懸命、洗った。石鹸もちゃんと使った。沙都子が汚れる事なんてない。
沙都子の頭にそっと手を乗せ、宥める様にゆっくり撫でた。
「さぁ、沙都子も早く顔を洗って」
嬉しそうな沙都子を急き立て、位置を換わる。素直に洗顔を始める沙都子を見て、安心する。大丈夫、バレてない。
珍しく朝食が用意されている食卓を見て、沙都子が怪訝な表情をした時には危なかったが、何とか誤魔化せた。
このまま家に居続けると何時かボロが出そうで怖い。少し時刻は早かったが家を出た。
どろどろした家の空気を肺から全て吐き出す。冷え切った外気を胸一杯に吸い込む。それだけでも身体の内側から洗われる気がする。
「何をしてますの? にぃにぃ、早く行きましょう」
「今、行くよ」
先に行きかけていた沙都子が振り返り、呼び掛ける。家から一歩外に出ただけで、沙都子にも力が湧いて来るようだ。
大丈夫。この雛見沢の清澄な空気がある限り、いつでも僕はきれいになれる。汚れや穢れを祓ってくれる。
いつもの僕に戻って、がんばれる。そう、がんばらなくちゃ……。

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最終更新:2008年02月24日 11:38