今日、私は、私の教え子を三人失いました。

私は雛見沢分校の教師として、今日まで幾人もの子供達を導いてきました。
しかし、他人を――しかも無二の友人を――その手に掛けるような教え子を育ててしまったことは、すなわち私の教育が間違っていたことに他なりません。
私は子供達に、なによりも「他人への優しさ」を説いたつもりでした。
自分のことだけを考えず、仲間と喜びを分かち合える優しい人間であれ――それは何にも増して美しいことであり、人が生きていく上で一番大事なことだと思っていました。
それも今となっては、虚しく感じられてなりません。私の信念は、三人の教え子の死と同時に葬られたのです。
私の教えが正しければ、彼らが悲しい末路を辿らずに済んだはずなのに。私が未熟であったがゆえに、彼らを救えなかった。

彼らの訃報を聞いた時、張り裂けんばかりの慟哭がまず私を襲いました。涙は止めどなく流れ、職員室で嗚き咽びました。
その後なんとか校長先生に支えていただき、クラスにいる子供達に三人のことを伝えました。皆突然のことに動揺し、混乱しました。
中でも北条さんは、見る者全てが哀れに思えるほど泣き崩れ、慰める古手さんとともに早退させることにしました。
彼らは幼い彼女達にとって、かけがえのない友人達でした。それを失った痛みは、私以上のものでしょう。

そして今――時刻は既に夕方五時を回っていますが――校内に残っているのは私だけです。
窓の外は既に朱色に染まっていました。裏山の方からは、ひぐらしの鳴き声が合唱のように澄んだ音色を響かせています。
昨日までならば、この美しい風景も一日の終わりを告げるような、穏やかに心癒されるものであったでしょう。

けれど、今の私には、遠くで鳴いているひぐらしの声が、物悲しく思えてなりません。
虚しさ――この胸を覆っている虚しさが、私の世界から彩りを消してしまったのです。見える世界は灰色であり、耳に入ってくるどんな音色も、もはや心をときめかすことはないでしょう。

それでも。
それでも、今日の事態を招いてしまった私は、虚しさを超えて語らねばならないことがあると気付いたのです。

彼らの悲劇と私は関わりがあったことを、包み隠さず明らかにしなければならないのです。
そのために、私は今、自分の机でこの手記を書いています。
長々とここまで書き連ねているのは、これを読んでくださっているあなたに、まず今日なにがあったのかを知っていただき、その上で今の私の率直な気持ちを知っていただきたかったからです。
また、この拙い手記をなぜ私が書かねばならないのかという、もっともな疑問もお有りでしょう。
その疑問は、これから私が記す内容を御覧になり、読み終えた頃にはお分かりになられるのではないでしょうか。

ここには「私の世界」があります。私が生きた世界を知ることで、少しでも『彼』の名誉を回復する手助けになればと思います。

そうです――ここで本当に私が語りたいのは、私自身のことでは無いのです。私が本当に伝えたいのは――『彼』すなわち、前原圭一くんのことなのです。

彼がどんな人間であったのか、彼は私とどういう関係だったのか、私は彼のことをどう思っていたのか。
それを明らかにすることで、彼らを襲った悲劇の謎を解き明かす一つの手がかりになればと思います。

これを読んだあなた。どうか前原くんのことを忘れないでください。そして――許してあげて下さい。

――それだけが、私の望みです。

 知恵 留美子

 (以下は知恵本人が書き足したと思われる走り書き。前後の文と直接関係あるかは不明)

 ・善い人間は、よしんば暗い衝動に動かされても、正しい道を忘れてはいないもの…

 ・神の愛の恩寵も呪われろ。希望も呪わしい。信仰も呪わしい。とりわけ呪わしいのは…
  (注:この一文のみ乱暴に書きなぐられており、後半は判読が極めて困難)

 ・死こそは願わしく、生は厭わしい…
  (注:この一文付近に、知恵本人のものと思われる血痕が多数)




鬼畜王K1 ─Apocrypha─<外典>





   (メフィストーフェレス)
  契約をなさい。そうしたら近いうちに、
  私の術を面白くごらんにいれましょう。
  どんな人間でも見た事のないようなやつを提供しますよ。

   (ファウスト)
  君のようなしがない悪魔が、何を見せてくれる気やら。
  およそ崇高な努力にいそしむ人間の精神が、
  君たちなどに理解されたためしがあるのかね。

    ゲーテ『ファウスト』第一部より


彼――前原圭一くんと初めて出会ったのは、今から一ヶ月以上前。五月晴れが広がっていたのを思い出します。
東京から雛見沢に引っ越してきた彼は、御両親と一緒に、次の日から通うことになる分校の見学に来ていました。
「圭一、どうだ?この学校に馴染めそうか?」
「――ああ。父さん、母さん。俺、ここが気に入ったよ。ここなら――生まれ変われそうな気がする」
彼は御両親に、そう言って微笑んでいました。
――とても、朗らかな笑顔で。
その後、御両親は校舎を見学された後、お帰りになられました。校長先生も、興宮の学校へ教育委員会の方々との会合に出かけられました。
私と前原くんは、明日からの学校生活について話し合うため、職員室へ向かいました。
「…というスケジュールで、学習計画を立てたいと思います。よろしいですか、前原く…ん?」

――その時、彼は急に俯き、涙を浮かべていたのです。

「ど、どうしたんですか?どこか、具合でも悪くなったんですか?」
「…いえ、違うんです、先生…。ただ…思い出したんです」
「思い出した?…何をです?」
「…昔のことです。俺のやってしまったことを、急に思い出してしまって…。
俺はどうしようもないクズだった。取り返しの付かないことをした。なのに、ここで…この雛見沢で、本当にやり直せるんだろうか。
過去のあやまちから…目を背けて、逃げているだけなんじゃないかって」
彼はそう言って、顔を両手で覆いながら泣きじゃくっていました。

――彼の過去を、私は断片的ですが、転校時の資料から知っていました。東京で起きたという、モデルガンによる連続襲撃事件。
しかし、彼は良心の持ち主でした。自首したことが何よりの証であり――流れる涙は、過去の過ちを悔いているからに他なりません。

「――もう、そういう行いはしないと、心に誓ったのでしょう?ならば、それでいいのです」
私は彼の肩に手を置きつつ言いました。
「誰しも、過去のあやまちはあるものです。やり直したいこと、悔やんでも悔やみきれない失敗――でも、人間は過去に遡れません。
その代わりに、現在と未来があります。過去のあやまちを繰り返さぬように生きる――それが何よりの罪滅しでしょう?」
「…先生」
「前原くん。あなたはさっき、『ここなら生まれ変われそうな気がする』と御両親に伝えたばかりじゃありませんか。
その言葉通りなのです。この雛見沢で、新しく生まれ変わること。かつての前原くんを超えて、新しく素晴らしい人間として成長すること。
…そのために、あなたはこの雛見沢に来たんです。そして、私は、何よりもそれを願う者です。先生は誰よりも前原くんを信じます」

――この時の私は、慈しみの感情でいっぱいでした。彼を救いたいという気持ちでしか動いていませんでした。
――彼を思わず抱き締めてしまったのは、そういう気持ちの表れからでした。

「…先生…!せんせぇ…!うっく…く…くぅ…」
「大丈夫ですよ、前原くん。さぁ、もう涙を拭いて…」
「く…く…うっく…くくっ…っくっく…」
「…前原、くん…?」

「くくっ…くくく…くくくくくくくははははははははははッ!!!」

――突然の高笑いとともに、私は座っていたソファーに押し倒されたのです。

×  ×  ×

 (ファウスト)
私は目もくらむほどの体験に身をゆだねたいのだ、
悩みに満ちた享楽や、恋に盲(めし)いた憎悪や、気も晴れるほどの腹立などに。

   ゲーテ『ファウスト』第一部より


「きゃあッ!!…ま、前原くんッ!!何を!?」
「くっくっくっくっく…まったく、呆れた先生だな。清楚なフリをしながら、初対面の生徒に抱きついてくるような淫乱だったとは。
…いや、そんな気はうすうすしてたけどな。あんたの目を見た時に分かった。…満足出来ていない目だ」
「な…何を言い出すんですッ!!?早く手をどきなさい…っく…」

「あんたは満足してない。今の状況に…今の自分に。まだまだ若くて情熱的だが、そのエネルギーをぶつけるには、この村は少々のんびりし過ぎてる。
野心はある。自信もある。だが、それを理解してくれる人は少ない。何より…張り合いが無いんだろ。人生に、な」
「――ッ」

両腕をねじ伏せられ、身動きも取れない私でしたが、彼の声だけは明瞭に聞こえました。
声を張り上げようと思えば出来たのでしょう。ですが――不思議なことに、その時の私は、彼の言葉を漏らさず聞き取ろうとしていたのです。
そして、彼の微笑と、その目に囚われていたのです。――深く、心の底を見通すような、彼の目に。
「辺鄙な村の一教師で終わる――それもまた、一つの生き方だろう。それはそれでいいと、自分を抑えることも出来る。
だが、本当にあんたはそれでいいのか?――違う世界を知り、違う人生の楽しみを、生き方を知ること。
自分の知らない世界を、誰かに教えてもらうこと。そういう気持ちを…捨ててはいないんだろ」
「…私、は」

恐怖を感じました。――それは、身の危険という意味ではありません。私の心を暴かれている――その洞察力、その言葉の魔力に。
そう、魔力――彼の言葉には魔力が備わっているようでした。さらに、彼の柔らかな微笑が、ある種の神聖さをも感じさせました。

彼は私の顎をくいと持ち上げ、顔を近付けて言いました。
「知恵留美子。あんたは何者だ」
「…私は、雛見沢分校の――」
「いいや…違うね。その前に――『女』だろう。あんたは一人の女だ。美しい女――」

そう言って唇を歪めて笑う彼の顔を見て、私はある存在に思いが至ったのです。
「自分を偽るな、知恵留美子。あんたは刺激を求めてる。退屈な日常を変える存在を。自分を満足させてくれる存在を。
ふふふ…『女』が満足するのに一番ふさわしい存在はだな、それは間違いなく――」
彼を――前原圭一を形容するのにふさわしい言葉。それは――

「…悪魔…」

慄然とした声で私が呟いたのを見て、彼は一瞬ポカンとした表情となりましたが――すぐに笑い出しました。
「ハハハハハッ!!『悪魔』か、そりゃあいいッ!!…ククッ、そうだな…確かに『悪魔』だ。
この世に飽きた学問の人を、めくるめく官能の世界に誘う――
『常に悪を欲して、しかも常に善を成す、あの力の一部。常に否定するところの霊』
――そう、まさに俺はそういう者だ」
自分はメフィストーフェレス――彼はそう言ったのです。悪魔という形容を、恐れない。悪を成す事に、ためらいもない。
「だがな、知恵――悪魔であると同時に、俺は一人の『男』なんだよ。…それを今から、味わわせてやろう」
私はもはや身体が動きませんでした。全身からは力が抜け、怯えるどころか、身を任せるような思いすらありました。
「もう俺無しでは生きられない身体にしてやろう。言わば、これは契約だ。
――前原圭一という悪魔と取り交わす契約。
――必要なのは、知恵――お前そのものだ…!」

この悪魔に魅入られてしまったからには、逃れる術はなく。
――天使のように甘く、優しい、悪魔の口付けに、私は脳の芯までとろけそうな恍惚を覚えました。

×  ×  ×

女たち自身が、そのあらゆる個人的な虚栄心の裏に、
やはりまた非個人的な軽蔑を抱いている――<女>というものに対して。――

   フリードリッヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』「第四章 箴言と間奏曲」より


蹂躙される唇は唾液にまみれ、彼の舌と私の舌が絡まり合い。
服の上から胸を撫でられ、乳房が形を変える度に、私は甲高い声をあげて。
彼の舌は口から首筋へとぬめりながら動き、ぬるい吐息が私の肌に染み込むようで。
私の反応を楽しむ彼の笑み――玩具の様に弄びつつ、優しく優しく私を慈しむ。

「はぁ…んぅ…ひぁ…!」
「いいぞ、知恵…お前の唇、お前の肌。今までのどんな女より、最高だ」
「今まで…あぁ…どれだけの…人、と…こんな、んんっ…ことを…?」
「知りたいか?なら教えてやる…本当の『過去』を」

彼が犯してきた、本当の罪。モデルガン連続襲撃事件は隠れ蓑、その裏にある、前原君の真の過去。
何人もの女性を、その手に抱いて、弄んだこと。
でも、それは『罪』ではないという。なぜならば――
「俺は悔いていない。楽しかったぜ、どんな女とヤるのも。罪悪感などありえない、むしろ――もっと抱いていたい。女を、な」

「あなたは、おかしい」
「おかしい、だって?」
「何人もの女性に、酷いことをしておきながら、罪を感じないのですか」
「ともに快楽を尽くした、それのどこが非道なんだ」
「あなたが犯した女性たちは、心の底からあなたに服従していたとは思えない」
「服従していたさ。何度も俺に貫かれながら、あいつらはさらに俺を求めてきた――それがあいつらの本性だった。
俺は手助けしただけさ――本来の女の淫らさを、引きずり出してやっただけ。
それは俺の愛情に基づくことだ。――俺は愛した、全ての女を。そして愛された、全ての女に」
「信じない、私は乱れたりなどしない。淫らなことなど、望まない。あなたは私に屈しない…」
「それも言葉の上だけだ、倫理観などすぐに吹き飛ぶ。肉体が支配され、次いで心も変わる。お前が生まれ変わる瞬間を、見てやるよ」

彼が下着の中に手を入れて、私の秘部を責め始める。
他人に初めて触れられるそこは、異常なほどの熱を帯び、羞恥心と屈辱感で、私の心もズタズタにされそうで。
でもその一方で、彼の指がもたらす快楽で身を捩り、はしたなく喘ぎ声を叫ぶ私もいて。
それを上から見降ろす彼の顔は、ますます狂った笑みに彩られていく。

「ふぁぁッ!!…んんん、駄目ぇッ」
「嘘をつくなよ知恵、気持ち良くて仕方が無いんだろ」
「違う、違うッ!私は…はぁうッ、ひぁっ、んんはあぁぁッ!!」
「まだ指一本でこれだから、二本ならどうなるか…なッ!?」
「ひああぁぁぁッ!駄目、そんなに、あぁァあああッ!!」
「いいぞ、その反応だッ!!快楽、女の快楽、それが分かってきただろッ」
「やぁ…あんんんッ!!こんな、こんなこと…」
「頭で考えるのはもう止せ…。いや、止めさせてやるよ。知恵が『女』だってところ、直接見てやろう」

彼はその言葉とともに、私の下着をずらして、『そこ』に口付けた。
唇が触れた瞬間、私は今まで以上に、痺れるような刺激を身体に覚えた。
彼が舌を使ってさらに責め立て、その度に嬌声を上げ、身を震わせる。
――もう、耐えられない。身体が――いや、心も。

「あぁッ!!駄目、もう、駄目ぇ…」
「…くっくっく、そろそろイキそうか、知恵?なら存分にイっていいぞ、思う存分に」
「いや、こんなの、うあぁッ!!…くっ、来る、なにか来ちゃうのぉ…ッ」
「それでいい、そのままイっちまえ、知恵ッ!!」

彼の舌と指が、私の秘裂の中で蠢いて。
耐えようという最後の心が、思いが、頭の中にあったけれど。
それすらも――絶叫のような嬌声と、凄まじい恍惚感で、塗りつぶされた。
一瞬意識が途切れ、ソファーの上からずり落ちそうになった私は――彼の腕の中で抱きとめられていた。

胸と腕の温もりは、天使のようでもあり――唇を吊り上げたその笑みは、悪魔のよう。
いや、その両方なのだろう。天使は天使でも――堕天使。
ルシファーであり、メフィストーフェレスでもある前原くん。
そんな彼に、私は堕とされてしまっている――身も心も。
今まで、この純潔そのものだった私を、一瞬で変えてしまった彼。
私の本心は?偽りの無い、本心はどう言っている?

前原くんを――もっと知りたい。この子は、彼は何者?どこから来て、どこへ行くの?
あなたは、私を――どこへ導こうというの?
欲しい、その答えを。この先を、知りたい――そう思ってしまった。


<続く>

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最終更新:2008年02月17日 22:52