眠れぬ夜に2の続きです。


 屋根を叩きつけるけたたましい雨音で目が覚めた。…いつの間に眠っていたんだろう? はらりと落ちるお腹にかけられたタオルケットと、二つの枕。
 寝ぼけ眼でカーテンの隙間から外を見ればまるで私の心情を表すかのようにどんよりとした黒い雲が空一面に広がり、
バケツを引っくり返したように雨がざんざんと降り続いている。天候に好き嫌いはないけれど、
滅入っている時に雨天というのは暗い気持ちを増長させるような気がする。…こういうのは気持ちの問題なんだとは思うけど。
 雨のせいで少し気温が下がっているためか、全身がぶるると震えた。どんな時だって隣にいて私に温もりを伝えてくれている沙都子は…いない。
「……沙都子?」
 ぼそりと愛する人の名を呼んでもいつもの快活な返事はなく、代わりに降り続ける雨の音がザンザンと答えるだけ。
「沙都子…どこにいるのですか?」
 きょろきょろと辺りを見回しても愛しい気配を感じる事が出来ない。防災倉庫に住居スペースを用いただけの小さな家、
どこに沙都子がいるか分かるはずなのに、この全ての音を遮断する程の勢いで降る雨が私の感覚を鈍らせている気がした。
 ――寂しい。激しい雨音に包まれているとまるでこの世界には私だけしか存在していないような錯覚が生まれる。
一人でいる事がこんなにも寂しかったなんて思いもしなかった…いや、きっと沙都子と一緒にいる事が当たり前で日常的過ぎたから、
一緒にいる前の当たり前が当たり前でなくなっただけの事。二人で分け合える温もりを覚えてしまってからはもう、
私は今の当たり前を離そうとはしない。決して何があっても自分から手放す事なんてしないだろう。
例え沙都子が私を手放そうとしても縋りついてだって柔らかな温もりを逃がさない。それが優しい沙都子から私への同情の意だったとしても。
 布団から抜け出してもう一つの部屋へ行こうと起き上がるも、どことなく身体に倦怠感を感じる。これも雨のせいだろうか?
 今日はいつもとどこか調子がおかしい気がする、…大体沙都子が私を置いてどこかに行くことなんて結ばれる以前は当然、
結ばれてからだって何度となくあったはずなのに何故今日に限ってこんなに心細くなっているんだろう? 私はこんなに弱い人間だったんだろうか?
「あら梨花、起きましたの?」
 襖が開き外の豪雨とは打って変わってからりと晴れた笑顔を見せる沙都子が寄ってきた。戻ってきた様子を見る限りだと特に変わったところは見られない。
一体私を置いてどこに――
「どこに…いってたのですかっ!?」
「雨が降ってきたので慌てて洗濯物を取り込んできただけですわよ?」
 ほらこれ、と両手に抱えたたくさんの洗濯物たちを見せてくれる。奥底にある闇から生まれた感情の波が決壊してしまわぬようにと、
喉の奥から遡って来る熱い塊を飲み込んでしまったのが悪いのか、無意識的に語尾が強まり詰問するように問いかけてしまう。
そんな私に少し訝しげに応える沙都子の表情は、ほんの些細なものだとしても心の隙間に冷たい風を運んでくる。
「ボクを……一人に、しないで…ほしいのです……」
「梨花?」
「一人は寂しいのです…っ」
 やっぱりダメだ。言葉で伝えれば端的なものばかりをぶつけて、沙都子を困らせてしまうような事しか言えない自分が情けなくて悔しい。
想いを口に出した途端、それがきっかけとなったのかボロボロと両の目から涙が零れ落ちる。泣くほど悲しいものでもなければ、
沙都子の表情を曇らせてまで答えてもらうようなものでもないというのに何故こんな事に酷く敏感に、そして臆病になってしまっているのか。
「りっ梨花ぁ…!? なっ、ど…どうしたんですの?」
 突然の出来事に驚き、慌てて私に寄り添ってくれる沙都子が空気と共に纏う甘い匂いが嗅覚を刺激して、それと同時に胸が切なくきゅんと鳴く。
 以前よりもっともっと沙都子が好きで、好きになればなるほどそれに反比例するように弱くなっている事、沙都子がいないと何も出来なくなってしまっている事、
それがほんの一瞬で明らかになってしまった事、全てが涙として止め処なく溢れ出てくる。
 雨が空から降り落ちて地面に消えていくように、私の涙がぽろぽろ零れる度に俯いた先にある手の甲や、皺だらけになった服の色を変えて消えていく。
「…ふ、ぅ…ッ…く…」
「…雨の音が怖かったんですの? 一人にしてごめんなさい、ですわ」
 言葉無くして泣く私の頭を両手で抱えた沙都子は自身の胸に、優しくポフッ埋める。私より少し発育のいい胸の柔らかさ、雨の日なのにも香る太陽の匂いと
沙都子の匂いに包まれる。
 与えられる優しさに甘えてみてもいいだろうか? 不安定な気持ちを落ち着かせてくれる温かさに涙を零す速さを増すのだけど、
一つ涙が瞳から零れる度にゆっくりとそして確実に私の心に巣食い捕らえていた心に生まれてしまった闇が晴れていくような気がした。
「梨花……」
 頭を抱える沙都子が愛しむようにちゅ、ちゅと私の頭に口付けを落とす。少し癖のもふっとした色素の薄い髪が耳にさわさわ触れてなんだかくすぐったい。
 やはり少しでも離れていたのが原因だったのか、沙都子に触れられていると言葉に出来ない不安が消えて、
さっきまではひんやりとしていた自分の身体も段々と熱く熱を帯び始める―……熱く…?
「…ぅ、ん…ッッ!?」
 ――ドクッ
 一つ心臓が跳ねたと思ったら突然身体の血が燃えるように熱く滾り、息が出来ないくらいに心臓がドクドクと早鐘を打つ。
何事かと原因を思っても頭は上手く稼動してくれず、一心不乱に呼吸をしようとただただ息が洩れるだけ。
「…か、はぁ…はっ…?」
「梨花…?」
 心配そうに覗き込む沙都子の顔が近づくと鼓動は更に速まり、身体は急激に体温を上げていく。
さっきまでは少し肌寒かったくらいなのに軽く汗が滲むほど熱く火照っている。いくら最近触れ合っていないからって、
ほんの少し沙都子に触れられただけでこんなに身体が熱く悶えるなんて、一体?
「大丈夫ですの梨花、顔色が少し悪いですわよ」
 そっとおでこに這わす沙都子の手はいつだって柔らかな温かさを持っているというのに、
今はそれすらも少し冷たいと感じるくらいに身体が熱い。
 手だけではよくわからないのか、自身のおでこを私のおでこにあててくる。
コツ、と小さな音を立てて真面目な顔で私を見つめる沙都子の瞳が私を捉えて離さない。
ただ見つめられているだけだというのに私の体温は益々上がっていくような感じがした。
それにどうだろう…沙都子が私に今触れている部分はまるで火傷をするかのように熱く感じる。
 普段は私よりも沙都子の方が少し体温が高いため、私がいつも沙都子に触れると
「梨花の手は冷たくて気持ちいいですわ」なんて言われるくらいなのに。
「ど、どうですか沙都子…?」
 沙都子の一挙一動に全ての意識が集中しないようにしどろもどろになりながら問いかける。
「うーん…? いつもの梨花より心なしかお熱があるように感じますわね…」
「お熱、ですか…」
「ひょっとしたら圭一さんたちと遊びまわって疲れてしまったのかもしれませんわね!」
 触れ合っていたおでこをゆっくりと離すと乱れた前髪をさらさら撫でてくれる。
不安げな私を励ますように普段より一段と明るい声で言葉を返してくる沙都子は、
今降ってる豪雨をも晴れ渡らせてくれると思えるくらいの太陽のような笑顔をにこっと向け、
そしてすぐにそれを打ち消すような申し訳なさそうな顔を見せた。
「みぃ…? どうしたのですか沙都子」
「ごめんなさいね梨花…最近私の体調が悪いのを気遣って色々と梨花が世話を焼いてくれたおかげで、
私はとても嬉しかったのですけど梨花には少し疲れを溜めさせてしまってたのかもしれませんわ」
「沙都子…」
 降り注ぐ雨の音とは別にどこからか規則的に水が滴る音が聞こえる。
雨が地面を叩きつけるのとは異なる少し高めの音は、
決して悪いわけではない自分を責めてしまっている沙都子に声をかけられずにいる私を責め立てているようにも感じた。
「―ですから、今日の梨花はゆっくりして下さって構いませんわよ!」
「え?」
「私の方は梨花の熱心な看病のおかげですっかり良くなりましたもの、今日は疲れていますでしょうしゆっくりしていてくださいませ」
「でも沙都子――」
「さあさ、そうと決まったらのんびりはしていられませんわね。今日は精力のつくものでも作りましょうかしら?
 あ、確か監督が患者さんに頂いたなんて言っていた山芋がありましたわね、あれもいいですし…って
梨花ぁ~何をぼーっとしてますの、少しでも体力回復ですわよ!」
「え、あ…ちょ、沙都―…」
 私の返答を聞くより速く、押入れから敷き布団を出し改めて布団に寝かせ始める。
 さっき昼寝をしたばかりで眠気というものはあまりないと抗議しても、
布団に入って目を瞑っていれば嫌でも眠気は襲ってきますわと言い含められてしまえばもう抗う余地はない。
「何かあったらすぐに言うんですのよ、私に遠慮は必要ありませんのですから」
「はい、なのです…」
 そう告げるとそそくさと洗濯物をまとめ始め、取り込んだばかりの洗い立てのエプロンを首にかけると台所へと進んでいった。
 私はというと、沙都子の為すがままというか為されるがまま布団に追いやられてしまい、生き生きとした背中の行方を見守るだけ。
沙都子の看病自体は辛いとも思わなかったし、自分の身体に負担をかけているだなんて感じた事もなかった。
けれど確かに言われてみれば疲れているのかもしれない、そうじゃなかったらさっきみたいな醜態を晒すなんて事はなかったと思うし、
それにこんなにも身体がだるいとも思わないだろう。
 大した事をしていないと思ってはいても、実際沙都子の体調が悪いときは肉体的にというよりかは精神的に疲れが溜まっていたのかもしれない。
おかげで今、沙都子は元気になってくれているし久しぶりに手料理を披露してくれることとなっているんだし、結果的には問題はないだろう。
 まだ残暑が厳しいとは言え夕方にもなれば風が冷たい。畳の上で寝ていても特に問題はなかったのだけれど、
折角沙都子が私のために敷いてくれた布団なんだし、夕食が出来るまでまた少し眠るとしよう。
 そうしたらきっと身体の異変も少しは落ち着くだろうし、落ち着いたら一週間ぶりにまた沙都子の事を可愛がってあげたい。
今日には無理かもしれない、でも近いうちにはきっと前のような毎晩愛し合える日が戻ってくるのだから、
それまでには自分の体調不良をどうにかしなくてはいけない。沙都子に心配をかけさせないためにも眠るとしようではないか。
 お米を研ぐ音、水の流れる音、お湯が煮だつ音、小気味よく聞こえる包丁の音、そのどれもが心地よく私を包み眠りに誘ってくれた。



 今思えば…それがいけなかったのだろうか?
 カチコチと時を刻む音が響く深夜。何度も眠りに入ろうと努力するも自然に瞼が開いてしまう。
諦めて月明かりで時計を見ようとも月には薄っすらと雲がかかっていて、はっきりと明確な時刻を知る事が出来ない。
短針の場所がかろうじて見えた場所は位置的に3時くらいだろう。
 隣から規則的に聞こえてくるのは沙都子の寝息。私の方を向いて寝ているからかかるその息が少しくすぐったく感じる。
「思ったより熟睡しちゃったからかしら…」
 天井に向かって吐く溜息、聞こえるか聞こえないかの声で数時間前の自分の行動を振り返る。
 羽入の力でだかなんだか忘れたけど大空をふらふらと頼りなく飛んでいる、という夢を見ていた時に満面の笑顔の沙都子に起こされた。
おぼつかないもののそれなりに気分よく眠っていた(飛んでいた)のに起こされたものだから、現実で何が起こってるのかイマイチ
理解するのに時間がかかったけれど、どうやら沙都子が腕によりをかけて作ってくれたもの…らしい。
 そろそろガタが来始めた小さなテーブルの上には所狭しと並んだたくさんのお皿。それを彩るものは精力のつくものばかりだった。
入江からおすそわけしてもらった山芋、それに生卵や納豆やオクラなどのぬるぬるとしたもの、更には買い物に出たときに
村のみんなからもらった食物の中に入っていたウナギまで見事に食卓を飾った。
 久しぶりに料理をした沙都子は「少し腕が鈍りましたわね」と少し苦笑気味だったが、一緒に暮らし始めた頃…
つまり一年前よりかは大分上達していると思える。それでも沙都子が言うにはウナギのタレがまだ少し煮詰まっていないから味が薄いだの、
少し焦がしてしまって似つかわしくない匂いがするだの、どこから沸いてくるんだろうかと思える勢いで言葉がマシンガンのように降り注ぐ。
 言われなければ分からない程だし、もしそうだとしてもそれはそれとして美味しく頂けるとは思うけど、
こういうのは気にしてしまったらどうしようもないものだろう。沙都子もプライドは高い方だから
失敗には何かしらの言い訳をつけてしまう癖がある。それもまた沙都子らしくて可愛らしく思い、
留まる気配のない上ずった声で矢継ぎ早に紡がれる言い訳をBGMに愛情たっぷりの手料理を食した。
 もしかして…それがいけなかったのだろうか?
「さっきも私同じ事思ったような気がするわね…?」
 両腕を布団から抜き出して頭の後ろで組み敷いてみた。予想以外に沙都子との距離が近すぎて腕を回すだけというのに、
もそもそと動いてしまったためか沙都子が軽く身じろぎをする。
「うん…? 梨花…? 」
 普段の聞く少しハスキーな沙都子の声よりもトーンが心なしか低い寝ぼけた声で話しかけられる。…起こしちゃったかな。
「…みー」
「暑かったら、言って…ください、まし…」
 むにゃむにゃと形容しても問題はないと思われる言葉を吐き、また眠りにつく沙都子は少し私から身体を離した。
腕を回すのに少し不便なだけだった温もりが失われ、身体の半分がスースーする。
 全く自分勝手なものだな、と軽く鼻を鳴らして笑う。
 沙都子から与えられる温もりが失われ、私に熱を与えるものなんて何もないはずなのに身体が何だか熱く感じる。
「風邪…かしら?」
 回した腕の片割れを額に当ててみるも特に熱があるようには感じない、けれど確かに私の身体の奥底から熱い何かがどくどくと脈打っている感じがある。
「久しぶりに豪勢な食事だったから、食べ過ぎてしまったのかしらね。沙都子が腕によりをかけて作ってくれた――」
 そこまで口にしてはっと気づく。私が食べたものは何だったか。
 入江から貰った山芋、産みたてを貰ったという生卵、買ったばかりの新鮮な納豆やオクラ、それに村の人から貰ったウナギ。
その他にも色々なものがあったけれど、全てそれに共通するものは…「精力剤として一般家庭で並ぶもの」。
「え、嘘でしょ…?」
 ふと頭の奥で、胸の奥でそれが何かを訴えた。
 この不思議な感じは忘れようもないくらいに、何度も何度も何年にも渡り私の身体にまとわりついていた覚えがある。
 そして、この感じを与えてくれる対象はどの世界でも当然沙都子しかいない。しかしそれは報われない思いを抱いていた
今いる世界ではない頃の話。
 身も心も満ち足りている今、何が悲しくてこんな真夜中に身体が性感を求め始めなきゃならないのか。…と自問自答するも、当然の事ながら答えはない。
「私にどうしろっていうのよ…!」
 現状を受け入れられないうろたえる心とは裏腹に、身体はそれに気づいてしまってからというもの留まる事無く体温を上げて刺激を欲し始めていた。
心臓がばくばくと鳴り、普段よりも速く脈を打つと自然に息も上がる。はあはあと息も絶え絶えになっている私を客観的に考えると、これではまるで―
「この間の沙都子のようじゃないのよ…」
 軽い酸欠でくらくらしながら思い返す。あの夜の沙都子は凄かった。「遊んであげる」と意気込んで沙都子を徹底的に攻め続けた。
もう何がなんだかよく分からない感じで、正直何回イッたのかすら数え切れない程。いつも以上に絡み付いてくる沙都子の中は
なんとも言えない心地よさがあった、と一週間前の事がリアルな感じで思い出せる自分が恐ろしい。
 いつもイヤイヤと言いながら求めてくる沙都子も虐めがいがあって、とても好きなのだけれど
あの日のような自分で自分を慰めてしまうくらいの性欲が盛んな沙都子も風情があっていい。
 …そう、自分で自分を慰めてしまうくらいの――。
「…あ」
 どくどくと血液が流れる音が聞こえるくらい興奮している私に、天啓が閃いた。
「ここ何年と全くご無沙汰だったからすっかり忘れてたわ、…そうよ自家発電したらいいのよね」
 何度も繰り返した日々の中で私を唯一満たしてくれていた瞬間、それは沙都子を想い自身に指を走らせていた時。
自らの手で与える刺激に自分の意志とは全く関係なく翻弄される身体は、何度も裏切られて擦り切れた心を持った私が「
希望の見えない世界」という海に投げ出されて波に揉まれているような感覚と重なって、報われない沙都子への恋心を消化するために
没頭してある種の現実逃避にもなっていた。
 乱れ狂う沙都子を抱いたあの夜、不意に触れてしまった自分の秘部から生まれてきた快感を身体が思い出しブルルと震える。
 考えてみれば私が沙都子に触れることはあっても、沙都子が私に触れたことなんてない。自慰だって沙都子がいない時にしかしていなかったし、
この世界になってからは自慰する必要もなかった。だって私の欲求を沙都子が全て受け止めてくれていたから。
 心も身体も満ち足りている、だなんて嘘だったのだ。沙都子を攻めるだけで十分だと思っていた私の身体は
どうやら物足りていなかったらしい。…だって私の身体は今、こんなにも快感を求めているのだから。



眠れぬ夜に4?に続きます。

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最終更新:2007年12月21日 22:55