眠れぬ夜にの続きです。



「なななっ…なんですのー!?」
「……ん…どうしたの、ですか……?」
 鳥のさえずりをかき消す勢いで耳に飛び込んできたのは沙都子の慌てふためく声。
まるで私たちのようにくっついて離れたがらない瞼をこじ開けると、眩い朝日が目に痛い。
 沙都子の狼狽の理由を知るためにどことなく重い身体をゆっくりと起こすと、ツンと鼻の奥にくる刺激臭。
…これは血の匂いだ。
 突然生臭い話で申し訳ないのだが私はこの鉄の匂いというものが好きだったりする。
古来から女性は何かと血液との付き合いは多く、月経もそうだが破瓜や出産の時も出血がある。
月経と呼ばれる女性特有の生理現象は、その名称の通り毎月訪れるのだから男性よりも血に対する抵抗は少ないと思う。
それに以前破瓜の際に沙都子の秘所から流れ出た血液を舐めてからというもの、一度それを覚えてしまってからは敏感に血の匂いに反応してしまうようになっていた。
「り、梨花ぁ~……」
「…沙都子、これは……」
 ぼやける視界から目を凝らして見つめると、今にも泣きそうな声をあげる沙都子の秘所から溢れるドス黒い…血。
辺りを見渡せば布団はまるで殺人事件が起こったかのような惨状で、呆然とこの光景を眺めていたけれど
我に返ればくっついて寝ていた私にも沙都子の血が身体のそこかしこにこびりついている。
…これはこれで非常に扇情的だと思うのは私の歪んだ性癖のせいではないだろう多分。
「ど、どうしましょう…!?」
「みー…どうしようもこうしようもないのです、沙都子準備はありますか?」
「じゅ、準備…?」
「はいなのです。誰かにきっとこういう事が来ると教えてもらったりはしていないのですか?」
「?? …何の事ですの?」
「…何も知らないのですか、沙都子?」
「え、ええ…」
 きょとんと涙目で首をかしげる沙都子の様子からして、
どうやら男女の性行為HOW TOを教えてもらった割には初潮が来る、
という性行為よりも先に教えなくてはいけないだろう事柄は全く知らないようだった。
「みぃ…それは予想外だったのです」
「何がですの?」
「こっちの話なのですよ、にぱー☆」
 ――とは言え結果的に言えば私が全て教えてあげる事になるのだし問題は何一つないのだけど♪
 予想もしなかったタナボタ状況に浸る私を訝しげに見つめる沙都子は、顔面蒼白でこれはこれで可愛らしい。
…う、うるさいわね! 沙都子は何をやっても可愛いんだから仕方ないでしょ。別に惚れた弱味とかなんかじゃないんだから!
「梨花…どうしましたの?」
「みー! まずこの血を洗い流さないといけないのです。昨日の残り湯がまだありますからそれで身体を洗ってくるのですよ」
「…でも、梨花はどうしますの?」
 ちらりと私の身体に付いている血痕を見つめる。こんな自分の一大事の時なのにも私の事を心配してくれる沙都子…なんて優しい子なのかしら!
「ボ、ボクは先にお布団の方をどうにかしますです、血液はぬるま湯で洗うと落ちやすいのです」
 ちなみに念のため言っておくけど私はまだ初潮なんてものは一度も経験した事がないため、
この予備知識は羽入からの受け売りだったりする。
「あら、それでしたら一緒にお風呂に向かった方が早いですわね」
「みー☆ 朝から沙都子は入浴シーンをボクに見られるなんてかわいそかわいそなのです♪」
「そう思うんでしたら見ないでくださいましー!」
「みーみーみー☆」
 そんなこんなで鳥のさえずりなんて何のその、
スプラッタよろしくな血まみれの私たちはどたばたじゃれ合いながら浴室へ向かっていったのだった。



 ――身体が重い。
 今朝梨花に教えてもらって初めて知ったのだけど、これはどうやら「生理」というもので大人の身体になるために体内が準備をするという事らしい。
ここ数日なんとなく身体の調子がおかしく感じたのもひょっとしたらそれが原因なのかもしれないと、レナさんや魅音さんに教えてもらった。
 初めての「生理」を初潮と呼ぶようで、それが訪れるのは人それぞれ個人差があるらしい。背の高い人や少しふっくらとした体型の人は
一般的に早くくると言われているそうで、私はどうやら同年代の子達よりも発育が早い方らしい。…確かに梨花と比べてみれば…その、まあ…少し胸とかは…その……あの…。
 ……体調が悪くなるのは人それぞれ千差万別で、今現在の私は腰とお腹に鈍痛が走り、頭もなんだかぼんやりと靄がかかっているようで、
あまり鮮明に物事を捉えられない事から私の状態は結構重い方になるらしい。話によると吐いたり貧血のあまり動けなかったりするくらい酷い人もいるらしく、
そう考えるとこうやって何とか授業を聞いてられる私は重い方とは言えまだマシな方なのかもと少し安堵した。
 だからと言って体調が優れないという事実は拭い去る事が出来るわけではなく、身を案じて先生に保健室で休むように言われたのだが断固としてその申し出を断った。
授業に遅れを取りたくないなんて立派な事を言ったものの、実際のところ調子が悪い時は心細く休み時間になれば様子を見に来てくれる、
と分かってはいても授業時間であるほんの数十分ですら、梨花の傍から離れて一人でいるのがとても寂しかったから、なんて恥ずかしくて言えない。
 そして保健室への誘いを断って教室にいる現在、正直授業の内容は頭に入ってくる気配はなく、
隣にいる梨花は終始不安げな表情で私を見つめているため、却って梨花を心配させる羽目になってしまった。
大丈夫ですわと上っ面だけの言葉を投げかけるしかない自分の判断ミスを、悔やむ気持ちと申し訳ない気持ちで自己嫌悪に陥っていた。
 机に身体を突っ伏した時に流れた髪の透き間からちらりと梨花を覗き見る。細いラインで描かれる輪郭や日光に当たっていても透き通るような白い肌、
近づくとパサパサと音が聞こえるくらいの長い睫毛、漆黒の吸い込まれるような瞳、薄く色づく唇、何もかもが綺麗で、愛しい。
 いつもなら緩やかに弧を描いて存在するはずの眉毛の頭は少し中心に寄っている。眉間に皺を寄せながら私の身を案じている、
そんな梨花を見ているとその表情が生まれる根源が私である事が嬉しい反面、あの日私を救ってくれたあの花のような笑顔が見れないのが少し寂しくもある。…なんて自分勝手なんだろうとは思うけれど。
 伏せている上半身を起こして梨花を安心させようとするも下腹部には鈍痛が、腰には言葉に出来ないだるさが纏ってなかなかいうことをきいてくれない。ひょっとして腰がだるいのは
昨日我を忘れて梨花を求めてしまったからかもしれない、と昨夜の出来事を思い返して少し体温があがった気がした。
 生理の期間というものもまた人それぞれ個人差があり、3日で終わる人もいれば1週間続く人もいるそうだ。私は今日が1日目、とするならば最悪一週間はこんなに辛い思いを我慢しなくてはいけないという事か、
ああ…考えるだけでも嫌気が差す。
 この生理痛とやらを男の人が味合わうと痛みに耐えられないらしい。それなのに偉ぶる男の人なんて…思えば私のお母さんを泣かせたのも男の人が悪いんだ、
きっとお母さんをたぶらかす男の人がいなければ何も問題はなかったんだ、最初の「お父さん」がお母さんが泣かせたりしなければ、にーにーだってあんな事をせずに済んで、
いなくならなかったのではないだろうか。
 どす黒い内なる思考が私を覆い始めた頃、頬が柔らかく包まれる。この優しさの持ち主は愛してやまない梨花のもの。
 少し顔をあげて梨花を見ると相変わらず眉間には皺が寄りがちだけれど、励ますためにいつもの笑顔を振りまいてくれた。
 あぁ……なんて馬鹿馬鹿しいことを考えていたんだろうか、もしそれが現実なのだとしたら今私は梨花の隣にいないかもしれない。
寧ろ梨花が私の隣にいてくれないかもしれない。好きな人に、梨花に想いが伝わってこんなに毎日が幸せなのに、それ以上を望むなんて
…なんて馬鹿げているんだろう。私の幸せは梨花が私の傍にいてくれる事、ただそれだけなのに。自分の浅はかで自分よがりな考えにうんざりする。
 黒い思いを断ち切るかのようにブルブルと頭を振ると、遠くの席にいる圭一さんと目が合った。どうやらレナさんと魅音さんが取り組んでいる問題が終わるのを待っているようだった。
体調の悪さを気遣ってくれてはいても、冗談交じりに心配しておどけて来てくれるのが圭一さんらしくて、そんな不器用なところがにーにーを思い出させてくれる。
いつもはそれで元気な自分を取り戻せていたのだけれど、何でだろう? 今日はそんな圭一さんの気遣いにすらイラついてしまう。
 そしてそれは圭一さんだけではなく、休み時間での富田や岡村の騒いでる声がいつもなら気にならないはずなのに、今日はやたらと癇に障る。
他のクラスメイトが後ろの方でドタバタやっている振動が、ただでさえ痛む下腹部と腰部に刺激を与えて苛つきは更に増す。今日は何もかもが私を不快にさせるためのもののように思えて面白くない。
気分もなんだか滅入ってる気がする。
 もしこれも生理からくる現象であり、梨花の言う「大人になるための準備」なんだというのなら、私は大人になんてならなくてもいい。
 どんなに自分を励まそうとしても心がざわついて落ち着かない。こんな時は誰の目も気にせず梨花と手を繋いで一緒にくっついていれば安心出来るのに―…。



 私より先に沙都子が初潮を迎える―それは過去の世界から判断して想定内の範囲だったから特に問題はなかった。
 沙都子の生理痛が重い方だというのも何度目かの世界で知っていた事だったし、今私が存在している世界のように
沙都子とは「恋人関係」になっていなかった世界では、私はただそれを気遣うだけの関係だったから何も問題はなかったのだ。
 それなのに私と沙都子が肉体関係をも築いている恋人関係であるこの世界は、前提時点で想定外であるためループの世界と全く同じ、
または相似しているところはあるけれど前提が前提なだけに過去の経験を生かす事はなかなか難しい。
 それでもなお過去に縋って考えるとするなら迎える季節が少しずれていたというくらいが挙げられる。
 あともう一つ、一番重要な事。それは――私の欲求不満が積もりに積もっているという事、それが一番の問題であった。



 リーリーと遠くで鈴虫の鳴く音をかき消すように衣擦れの音が聞こえた。音のする方を見れば沙都子が一間の布団に包まってすやすやと寝息を立てて寝ている。
今夜はお腹も出すほど暴れて寝てないので布団をかけ直す必要はない、そう分かっているのについお節介に似た世話を焼いてしまうのは、かけがえのない沙都子だから。
薄く口を開き息を漏らして眠っている沙都子の幸せそうな寝顔を見つめ、うっすらと雲がかっている月の光を浴びながら掛け布団の上に一つ、ほんの小さな溜息をつく。
 初日の朝を除いて沙都子の精神状態は明らかに不安定だった。幾度となく見てきた沙都子の状態異常の中で今回のは特別酷く、少しでも思い通りに事が進まないと語尾が
刺々しくなったり物に当たったりと少し乱暴な節も見えた。かと思えば、ほんの些細な事に対して過敏に反応し大した事でもないのに怯えたりする。
それは月経の際に起こるホルモンバランスの崩れから寄るものらしく、そういう事もあるんだと以前羽入から聞いていたし、今回の件でレナや魅音が教えてくれたのもあってかさほど気にしてはいない。
けれどいくらどうしようもない事とは言え、沙都子がまるで雛見沢症候群発症に近い状態になっているのを間近で見ているのは正直辛かった。
 よくよく数えてみれば沙都子が初潮を迎えてから今日で5日目、日数的にもそろそろ生理痛も落ち着いてきてもいい頃ではないのだろうか? …こういう時自分が経験していない事があると
私自身で判断を下せず少し歯痒い。ましてや他の何にも変えられない沙都子の事となれば尚更だった。
 そして沙都子を思えば思うほど不謹慎だとは頭で分かっていても身体が疼いてしまうのもまた事実だった。
身体の調子が悪い沙都子の動きはいつもより淑やかで、生まれて初めての経験なので通常時とは違う
下着事情に今ひとつ慣れていないため、普段とはまた違う雰囲気を醸し出しそれがまた私の心を駆り立てる。
 先日の乱れた沙都子に当てられてからというもの身体の疼きが奥底で燻っていて、
どうにかしなくてはと思ってはいても現状の沙都子に相手をしてもらうのは無理に近いというのは明確だった。
今日に至るまでは迫れば沙都子だって受け入れてくれたからそれに甘んじていたところもあったが、
女性特有の痛みにぐったりしながら毎日を過ごしている沙都子を見ればそんな事出来るはずもない。
 …それに大体生理中ってそういう事をシてもいいのかすらわからない。経験した事ないし。
 話によると生理期間は通常なら最長でも一週間そこららしい、だとしたらあと数日の辛抱だし我慢出来ない状態でもない。
昼間は学校に居るんだから意識が沙都子にだけ集中しないようにする事も出来るし、夜は夜でこれもまたホルモンのバランスというものが関係してか沙都子はいつもより早く寝てしまうので、
自分もそれに倣って寝て誤魔化すしかないだろう。
 例えどんなに自分が性欲に苛まれようが沙都子の身体に無理をさせるのだけは嫌だから、私が堪える事で全てが丸く収まるのであればそれを望むより他はないのだ。
「…その代わり、元気になったら凄いんだからね…」
「ん…梨花…ぁ……?」
 不意打ちで声をかけられ身体が反射的にびくっと跳ねる。――もしかして聞かれていた!?
「み、…みぃー…沙都子、どうしましたですか?」
「もぅ…まだ起きてるんですの? 早く眠った方が…よろし、い…ですわ……ょ」
「…みーごめんなのです、もう寝ることにしますです」
 寝返りをうった際に少し覚醒しただけなのか、寝ぼけた声でニ、三言葉を交わすとまた規則正しい寝息が聞こえ始めた。
この様子なら何も聞こえてなかったようね…ちょっと声が上ずってしまったわ。
 少し癖のあるもふもふとした沙都子の髪を一房手にして軽く口付ける。シャンプーの匂いと一緒に仄かに香る沙都子の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
 カーテンの隙間から見えていた月がカーテンの奥に隠れてしまっている。もう夜も大分更けた。早く寝ないと明日の朝が辛いから寝る事にしよう。
 起こしていた上半身を布団の中にするりと潜り込ませる。またあの日みたいな血の海に巻き込まれないように、
生理期間中は各自の布団で寝る事になったため潜り込んだ布団には私一人分だけの体温しかない。
ハタからしてみれば他愛もない小さな日常との違いが、沙都子に触れられない寂しさを益々増幅させて心に僅かながらの闇を作る。
その闇に囚われないように一生懸命目を瞑る。
 ――大丈夫、あと数日の辛抱だからそれまで私は耐えられる。と、何度も何度も繰り返し心の中で叫び続けては怯えてしまう。
 その不安を紛らわせてくれるかのように、すっと隣から伸びてきたぬくぬくした小さな手を握り締めて眠りにつくのだった。



 からっと晴れた日曜日。部活メンバーで集まる話もなく平凡な休日なので宿題をしたり、溜まった洗濯物を片付けたり何があるか分からないでございましょう?
 という沙都子の言葉で部屋の片づけを手伝わされる羽目になったりと、一人では気が進まずついつい先延ばしにしてしまう事も、私とは逆の性質持ちの沙都子と
一緒にこなしてそれなりに充実した時間を過ごしていた。
 午後には最近沙都子の体調が悪かったせいもあり二人一緒に買い物に出かけていなかったため、天気もいいことだし久しぶりに手を繋いで買い物に出かけた。
二人で貰ったお駄賃の飴を頬張りながら行き同様に手を繋ぎながら家へ戻る途中、普段は自転車で通り過ぎていた横道を見つけた沙都子がぺかーっといい笑顔を向けて私に言う。
「少し寄り道していきません?」
 キラキラと輝く大きな瞳に見つめられては断れるはずもなく、二つ返事で了承し未開拓であろう山道をざくざく進む。
買出しに出てこれなかった理由が、沙都子の体調不良だったため村の人たちがみな気を揉んで心配していたのもあり、
二人仲良く買い物している姿を見れば栄養をしっかりつけんと、とあれやこれやと手に持たされて気づけば通常の買い物の量よりも遥かに超える買い物量となってしまった。
 自転車ではなく徒歩での行き帰りなので少なからず体力は消耗しているはず、
更にこの体格に合わないだろうと言わんばかりのぱんぱんに膨れた買い物袋なんて何のその、そんなものはお構いなしにと沙都子は先を急ぐ。
「いつ何時何があるか分かりませんわっ、どんなところにでもトラップを仕掛けるようにしておきませんと。それにはまず地形を知ることからしなくてはいけませんものね!」
 あの時、山狗達にトラップを存分に仕掛けたのがよっぽど気持ちよかったのか、それともまた私が狙われた時救ってくれるよう備えているのか、
念入りにチェックをしながら進んで行く。女の子らしい線で描かれた沙都子の背中に頼りがいを垣間見ると、袋の重みが少し指に食い込んできていたとしても不思議と堪えきれると思える元気を与えてくれる気がした。
 …そういえば沙都子のトラップワークって番犬にスカウトされていたんだっけ、どう考えてもM属性の沙都子が人をトラップに陥れて悦ぶっていうそのギャップがまたいいわよねぇ。
「んみゅぅ」
 ―そんな善からぬ事を考えたのを悟られたのかトン、という衝撃と共に鼻への刺激が不意に口からついた変な言葉と同時に生まれる。
「あらあらこれは…」
「ど…どうしたのですか沙都子…」
「梨花ぁ~思いもよらないところに出てきてしまいましたわよ?」
「みぃ?」
 ガサッと大きな音を立てて草木を掻き分け立ち止まる沙都子の肩越しから景色を覗き込めば、そこには見慣れた人影が3つに少し離れて1つ。
それらはというと圭一を中心に左右の腕を引っ張り取り合う薗崎姉妹、それを見守るレナという図式である。
 圭一達もまさかこの獣道に迷い込んで? なんて考えは一瞬で吹き飛び、辺りを見れば見慣れた景色…ここはダム工事現場へと向かう道。
どうやら沙都子と一緒に歩いてきた獣道はここへ繋がる近道だった様子。100年とちょっとこの雛見沢で生活してるけどこれは新発見だわ…
この調子の沙都子なら他の近道でも探し出してしまいそうね。
「…こんなところで何やってるんですか、沙都子と梨花ちゃま」
「ボク達はたまたまこの道を進んだら詩ぃ達がいただけなのですよ」
「それに"こんなところ"にいるねーねー達は一体何をなさってるんですの?」
「はう…これからレナの宝探しに魅ぃちゃんや圭一くんが付き合ってくれる約束だったんだけど…」
 訝しげに問いかける沙都子へのレナの返答を待たずして、まるで大岡裁きのような絵図で拮抗している魅音が声を荒げて言い放つ。
「この…っ詩音が突然どこからともなく現れてきたってわけー!!」
「もう、圭ちゃんもたまにはお姉やレナさんだけじゃなくて私にも付き合ってくださいよー」
「いでっでででで!! おいお前ら! オレが引きちぎれてもいいのかよッ!? ちょ、詩音も腕に胸とか…ああっレナそんな目でオレを見るなぁー!!!!」
 ―と、言う事で私たち部活メンバーは話の流れでダム工事現場でありゴミ山…改め、レナの隠れ家にいる。
 とある世界で発症したレナに会うためにここへ来た事があったけれど、中に入った事はなく外見とは裏腹に
あまり広くない車内へこの度初めて入り込んだのだが、ところどころにレナが手直しした箇所があったり、
おそらく家から持ってきたものだろうものがあったりとこれはなかなか快適空間かもしれない。
 レナが言うには扉を閉めれば大体の音は遮断できるそうで、何か考え事をしたい時はここに来るんだ、
なんて少し苦笑しながら私たちに伝える仕草は一瞬あの事件を思い出してしまった。
けれど今の世界はみんながみんなをちゃんと信頼している素晴らしい世界。そんなレナを見て必要以上に圭一と魅音、
そして詩音は騒ぎ立てる。…きっと大丈夫、そう信じてる。
 そして沙都子はというと、レナの作った秘密基地がよっぽどお気に入りなのか「大好きな」圭一達が遊んでいても目もくれず、
車内を色々と詮索している。まるで犬が尻尾を振っておもちゃで遊んでいるようにも見えて可愛い。
「どうしたのですか、沙都子」
「え、あぁ…ちょっとにーにーの事を思い出したりしてまして…」
 声をかけられ我に返ったのか、少し頬を赤らめて答える沙都子からなんとなく哀愁を感じる。
「悟史の事をですか?」
「えぇ…、よくにーにーと一緒に隠れ家のようなものを作って過ごした事がありまして」
「…そうなのですか?」
「あら梨花には言った事ありませんでしたっけ?」
 自慢ではないが沙都子の事なら私に聞けと自負出来るくらいの沙都子マニア。
そんじょそこらの一般人では考えられないくらいの時間を(私一人だけど)共に過ごしているのだから、
知らない事を探す事の方が難しい。
 …つまりこうも理屈ぶっている私が何を言いたいのかというと、そんなものが存在していたなんて初耳だと…"知らなかった"という事。
 確かに悟史が沙都子の横にいる頃は私の知らない事があったって、不思議ではなく至極当たり前の事なんだから初めて聞くのは当然だ。
けれど伊達に100年とちょっとの期間沙都子の傍に一緒にいたわけではない、恋人という関係になれないものならば出来るだけ沙都子にとって
特別な存在でありたいと、さり気なく詮索をしたりもした。だから"普通に"沙都子の友達であり親友である状態なら知らない事も長い年月を
一緒に過ごして知ったものだってある。沙都子自身どうしてそんな事まで知っているんですの? と疑問を持たざるをえないくらいの情報、
例えばちょっと隠れたところにあるホクロの位置とかそういう類のものだって知っていたから、沙都子に関しては解らないものはないと
驕りがあったというのに――その驕りで掬われた私の足元はぐらぐらと不安定に歪み私を暗闇へと誘い始める。
「わ…、ぁ、ボ、ボクは沙都子と一緒に住む前の事はあまり分からないのですよ…」
「それもそうですわね、ごめんなさいですわ梨花」
 私の言葉を受けてか、少し眉間に皺を寄せて申し訳なさそうにフッと笑顔を向ける沙都子の顔はなんだかとても儚く、
悟史の事を思い出して生まれただろう郷愁に近い感情が、陰り始めた日差しの影と重なってどこか寂しげだった。
 その様子を俯いた顔を上げる事もなく、肩から流れ落ちた髪の隙間から受け止めるだけだった私の中で今日の買い物で消えかけていた心の闇がまた、
心の奥の奥の底の方でむっくりと頭をもたげ始めた気がした――その時だった。
「おーい、沙都子に梨花ちゃん! 雲行きが怪しくなってきたから解散するって話になってるんだけどどうするよー?」
 コンコンと車体をノックしながら閉ざされた世界の外から少し篭った声が降ってくる、この声は圭一だ。
声の主の言葉通り車の窓から覗いて見れば、いつの間にやら空には雨雲が広がりつつあった。
「圭一の言う通りにして、そろそろ出ましょうなのです」
「そうですわね、買い物したものが濡れてしまっては困りますし」
 身体を起こしてちょっと固いドアの取っ手を軽く握る。
 圭一が今声をかけてくれなかったら、私はどうなっていたんだろう? もう過ぎ去ってしまったものに対してフツフツと湧き上がる黒い、嫉妬という醜い感情を沙都子にぶつけていた…
いやきっとそれ以前に重苦しい空気に包まれて、沙都子にいらん気を遣わせてしまう羽目になっていたかもしれない。
 100年「生」を繰り返して、擦り切れて壊れそうだった私の希望であり、叶うわけないって見捨てていた捨てきれない感情。凍らせて眠らせていたソレは私が今存在し続けるこの世界で
思いも寄らない形で実ったものだから、感情をもてあます事が度々あり、どう処理したらいいものか解らない事が多かった。
 言葉で言ったら私のこの性格の事だ、沙都子は全然悪くないのにきっと語気を荒げてぶつけてしまうに違いない。上手く言い逃れる言葉回しや大人たちに可愛がられる言葉回し、
そういうものはループの世界で幾度となく学んできたから素直に言葉に出来たとしても、自分の感情というものを相手にはっきりと口に出す機会に恵まれたのは本当にここ数ヶ月の間のため、
相手に上手く伝えられるかが微妙なところ。それに怯える私はいつからかその思いを、お互いがお互いの身体を求める行為中の攻めの手が代価として沙都子へぶつけるようになっていた。
 行為中の沙都子は快感にのまれながら私のいう事を何でも聞いてくれる、恥ずかしながらだけどなんでも従順に従ってくれる、だからどんなに意地汚い醜い感情だって受け入れてくれる。
例え私以外の誰とも口を利くな、なんて無理難題を言ってのけたってきっと受け入れてくれると思う。身体全体で私を受け止めてくれる沙都子に私は身体全体を使って与える、
それが普通であり当たり前になっていたから沙都子の身体が本調子でないだろう今、ぶつけるものがなく自分の中でただ膨らむだけの黒い感情を言葉で伝えていたら、
通常よりもっとひどい事になっていたと思う。
 正直魅音も相当な空気を読めない人間だと思うが、圭一も魅音ほどまでいかなくてもそれなりに空気を読めない男だと思う。
だが魅音にしろ圭一にしろその少し鈍感であっけらかんとしたところが、魅力でありそれに救われる人もいるのだから不思議なものだ。
今、こうしてその無神経さに助けられているのだから。
 少し息を止め、力を篭めて開けたドアの先には雲間から見える霞んだ夕焼けを背に、大好きな仲間たちが勢ぞろいで私たちを迎えてくれた。
その表情はとても穏やかで私と沙都子の間に一瞬生まれた不穏な何かも、さらりと拭い去ってくれたような気がした。
 圭一達の提案通りにまた明日、と口にして別れた私たちはいつも通りに手を繋ぎ歩いて家路と辿り着く。
 広くない台所に二人入るのは窮屈なため日々のお礼にと、買い物したものを沙都子が冷蔵庫にしまってくれたのだが、
それを畳の上に寝転がりながら見守る私の身体はなんだかだるく感じられた。
 久しぶりの買い物で拭い去れたと思っていた黒い感情はあの一瞬で私の心を覆ってしまい、未だぐるぐると渦を巻いている気がする。
 私は一体何に怯えているのだろう? 私には沙都子がいて、仲間がいて毎日を鮮やかに彩ってくれる。それだけで充分じゃないか。
今日だって突然ではあったけれどみんなに会えて楽しかった。だから不安に駆られる事なんて一切ない。
 今日の様子からみて沙都子の体調は快復傾向に向かっている、私がどれだけ寂しかったかを
沙都子の身体に直接与えられるようになるのも時間の問題だ。また私だけしか見れない沙都子の可愛らしい声や表情を存分に楽しめる。
 そう自分を励ましてみても根拠のない不安がその言葉を無に変えてしまう。
 今日は一体どうしたというのか。台所から聞こえる少し音程の外れた沙都子の鼻歌が遠くに聞こえる――。



眠れぬ夜に3に続きます

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最終更新:2007年12月21日 22:52