さよならは冗長に


(後篇)


久しぶりに嗅ぐ欲望の匂いは、やはり栗の花の香りがした。

迷いの消えた圭一の行動は、思春期の少年らしく直接的なものだった。
襟元から手を入れて直に私の胸を掴み、その感触を愉しむ。直ぐに両手が乳房を覆い、這うように指が動くのを感じた。
私も襟をはだけて圭一の手を自由にさせる。加減を知らない圭一の愛撫は相変わらず痛みが伴うが、その荒々しさにすら胸が熱くなってしまう。
愛撫が一段落すると、圭一は乳首を口に含んで転がし始めた。頭を抱えると、夢中になって吸い続ける。
「んっ、圭一・・・。もう少し、優しく・・・」
胸元に目を向けると、圭一の顔。息を吸うために口を離す度に、唾液で濡れた私の乳首が鈍く光る。
「すげぇ、羽入の胸・・・。柔らかくて、温かくて・・・」
思うように私の胸を動かす圭一が、正直な感想を漏らす。やはり桜色の突起が気になるのか、指は常に乳首の側にあった。
もう片方の手が私の腰の辺りに伸びる。緋袴を脱がせたいのだろうか、結び目が乱暴に掴まれた。
が、それから圭一の指はせわしなく動いたものの、結び目を解くには至らなかった。
無理もない、最近では和服を身に着ける人自体が少ないのだ。圭一だって着付けのイロハも知らないだろう。
「あぅ・・・。ここはこう解くのですよ・・・」
指を結び目に絡めて、静かに戒めを解く。腰周りが軽くなり、立てば今にも袴がずれ落ちそうになる。
「い、いいのか・・・」
不安げな圭一の問いに、私は無言で頷いて答える。圭一の手が腰にかかり、袴の端を掴んだ。
するすると私の袴は腿を、脹脛を、そして足首を通り抜け、畳の上に落ちる。冷えていた素足にかかる圭一の手が、とても温かかった。
「う、うわっ」
袴が取り去られたその部分を見ていた圭一が絶句した。・・・無理もない、文字通り私のその部分は一糸纏わぬ姿だったのだから。
「見るのは、初めてですか・・・?」
「あ、当たり前だろ。こ、こんな風になっているなんて・・・」
圭一がこっそり持っているビニ本でも、女性の部分は暈されるか黒塗りで隠されているはずだ。初めて見る女性器を、圭一はしばらく凝視していた。
「ボクだけこんな格好じゃ恥ずかしいのです。圭一も、ボクに全部見せて欲しいのです」
若干の恥ずかしさもあって、私は圭一にも自分と同じ格好になることを要求した。
戸惑いながら圭一が自分の服を脱いでゆく。セーターとTシャツが取り払われると無駄肉の付いていない胸板が、ジーンズが脱ぎ捨てられると引き締まった太腿が顕になる。
最後に残ったトランクスは、前がはちきれそうなばかりに突っ張っていた。
「・・・」
顔を真っ赤にして圭一が最後の一枚を脱ぎ捨てる。布でその部分がずり下げられ、離れると同時にぴょん、と跳ねた。
「あぅあぅ、これが圭一のなのですね」
僅かに包皮で覆われたその部分は、天井を向いて雄雄しく反り返っていた。先端の部分が赤く染まり、これから起こるであろう未知の経験に震えているようでもあった。
私は上体を起こして圭一の股間に顔を近づけ、その部分に手で触れた。
「つっ!羽入っ!」
「圭一の、大きくなっているのです」
「や、やめ、そんな、汚いッ!!」 
まるで女の子が言うような台詞で圭一は私に拒絶を伝えるが、腰を引こうとはしない。本当は、この先の快感を待ち望んでいるのだ。
くすりと笑い、圭一を見上げて私は最も敏感な鈴口の部分を指先で摘んだ。
その瞬間、圭一の顔色が変わった。
「つあッ!駄目だ、羽入っ!!」
瞬間。私の手の平に生温かい液体が迸った。目をその部分に向ければ、白い液体が間断なく噴き出している。
あ、イったんだ。
それは私の手で達してくれたという証拠。私が男を満足させられる存在であることの確証。
射精を終え、圭一は脱力して畳に膝を付く。息を荒げる圭一の顔は無力な子供のようで、可愛らしさすら感じてしまう。
私は指を汚した欲望の残滓を口に含むと、噎せかえるようなその香りを胸いっぱいに吸い込んだ・・・。



自分で出した時よりも遙かに強い脱力感に、俺は立つことが出来ず膝を屈した。
羽入の冷たい指に刺激された瞬間、あまりの気持ちよさに全てを出してしまった。脈打つ俺自身から飛び出た液体が羽入の指を、顔を白く汚す。
俺は両手を支えに腰を付くと、息を求めて天を仰いだ。自分でするのとは全然違い、相手が居ることで得られる満足感が全身を支配している。
途端に、強烈な眠気が襲ってきた。射精に伴う脱力のせいで、わずかに意識が遠のく。
「う、あぁっ!」
それを引き戻したのは、俺自身に再び与えられた刺激だった。敏感な部分を、指とは違う柔らかい何かで撫でられたのだ。
視線を戻す。するとそこには俺自身に顔を近づけ、精液でぬめった部分に舌を這わせる羽入が居た。
「嬉しいのです・・・。圭一は、ボクで気持ち良くなってくれたのですね」
俺の視線に気づくと、白濁にまみれた指で竿の部分を扱き、もう片方の手で、袋の部分を包み込む。
「ぐ・・・。あっ、あぁっ・・・!」
硬さを失う暇もなく、俺の分身は新たな刺激を求めていきり立った。その反応に満足気な顔をして、羽入が更に動きを強める。
刺激に弱い部分を的確に押さえ、俺を高みに導いていく・・・。
「圭一の、また大きくなったのです。」
言葉と共に、敏感な部分が何かで覆われた。舌が踊り、強く吸われる感触がある。
「や、やめっ!羽入ッッ!!汚い・・・ッ!!」
「んんっ・・・。む・・・。圭一のに、汚いとこなんて・・・。ないのですよ・・・」
羽入が俺自身を口で含んでいた。舌が、歯が、口腔が、俺自身を包み込んでいく。
まるで快楽の壺の中に放り込まれて、俺自身が解かされる。そんな妄想に囚われてしまう。
「うううっ、あ、ああぁ、羽入・・・!」
俺はおとがいを反らすと、手で羽入の頭を押さえた。更なる刺激を求めるためか、それとも程度を弱めるためなのか自分自身でも分からない。
それに、羽入は敏感に反応した。分身への刺激が弱くなり、羽入が矯声を上げる。
見ると、俺の手は羽入の角の部分を押さえていた。無意識の行動だったが、羽入は角に触られることに、悦びを感じているようだ。
自分にされているように、角を軽く扱く。
「はぁっ、あああああっ!」
同時に、羽入が高く悦びの声を上げた。そうか、ここが羽入の性感帯なんだ・・・。
高まる射精感と同時に、俺は羽入の角への刺激を強めていった。それはまるで自分の分身を扱いて絶頂へ到ろうとする、夜の営みの再現。
「くっ、羽入っ!いい、いいぞっ!!」
「あぅ、あぅ、あぅぅ・・・!け、圭一ぃ。ボ、ボクもき、気持ちよくて・・・」
「だ、だめだ。イク、イクぞっ!羽入の口で、俺・・・!!」
「ボクも、ボクもイきたい・・・!圭一、もっと、もっとボクの角を、いじめて!いじめてぇっ!!」
最後に向けて、一層扱きを早くする。すると、俺の指が羽入の角にある欠けたような部分を抉った。
「は、あ、あぅぅぅぅっっッッ!!けえ、い、ちぃ・・・」
びくりと全身を振るわせて羽入が脱力する。同時に羽入の歯が俺の雁首の部分を刺激した。
「う、うおおっ!!羽入ッッッ!!」
羽入の口の中が、俺の欲望で満たされる。一度目よりも激しい迸りが吹き出し、凄まじい快感が俺の脳髄を突き抜ける。
「あ、あぅっ・・・。圭一の、圭一の・・・んぐ、んっ、んぐっ」
絶頂感の中に居る羽入だったが、しっかりと俺の欲望を喉に送る。それでも飲みきれない俺の液体が口から零れ、畳の上に落ちていった。

「・・・圭一の、どろどろするのです」
口の中に残っていた白濁液を飲み干し、羽入が俺自身から口を離す。まだ、粘り気が残っているのか、しきりに口がもごもごしている。
「ぜ、全部飲んじまったのか・・・。その、臭くないか?」
「あぅ。圭一の匂いがたっぷりだったのですよ。ちょっと、むせちゃいました」
最後にごくり、と喉を鳴らして、羽入が微笑む。無理をしているのか、目にはうっすらと涙が光っていた。
「羽入、俺のために・・・」
女性に尽くされるということがこんなにも愛しいなんて、初めて知った。俺は羽入を引き上げるようにして胸元に引き寄せると、その唇にキスをした。
「ん・・・。圭一」
どうしようもなく羽入が欲しくて、奪うように唇を求める。それに答えて羽入も強く、強く唇を吸う。
ぴったりと俺と羽入の体が寄り添い、お互いの体温を直に感じ合う。
「あ・・・」
「圭一、元気すぎるのです。あぅ」
だから、心地よい羽入の肌に体が反応する。二回達したというのにまだ足りないのだ。羽入の全てを知りたいと、俺の体が求めているのだ。
「羽入、俺」
お前を抱きたいと告げようとした瞬間に、胸を軽く突かれた。流石に疲れているのか、上体が畳の上に仰向けになる。
煌々と灯る蛍光灯が瞼に映る。その光を遮るかのように、羽入が馬乗りのようにしてぬっと姿を現した。
「圭一は、じっとしていて欲しいのです」
羽入はお尻を俺の腰の上に動かし、十分に硬くなった俺自身を手で包んだ。相変わらず羽入の手は気持ちよくて、触れられただけで達しそうになる。
わずかに腰を浮かして、羽入は俺自身を自分の真ん中、根元の部分へと導いていった。
コツ、コツと敏感な部分が柔らかい部分に触れる度、夢見ていた初体験が現実のものになるのだという緊張が走る。
「怖がらなくても、いいのですよ」
こわばった顔をしていたのか、羽入が俺にリラックスするように声をかける。返事をするが上ずった声になり、何を言ったのかも定かではない。
だって次の瞬間、俺自身は今までとは全く違う感触に包まれていたのだから・・・。
「んあ、あ、ああっ・・・」
ずぶずぶと何かにめり込んでいく様な感覚が、全身を包んだ。羽入の中に身も心も埋めてゆくという表現が相応しい、内面という内面が重なった気分だ。
何度もねじ込むように、羽入は俺の腰の上で踊った。大きいとはいえない体に、そそり立った男の欲望は辛いのか、時折表情が歪む。
「く、む、無理するなッ!痛いんだろ・・・?」
「だ、大丈夫なのです。体を引き裂かれる痛みに比べたら、これくらい・・・」
健気にも、羽入は俺の手に指を絡めて体重を更にかけてきた。徐々に俺自身が羽入に飲み込まれ、気がつけばいつの間にか全て埋没していた。
万力で締め付けられるような刺激が俺自身に走る。敏感な部分だけじゃなくて、全体がその刺激で覆われているのだ。
「け、圭一。動いてほしいのです。ボクで気持ちよくなって欲しいのです」
裸身に長い髪を乱し、羽入が俺を求める。年下の少女であるはずなのに、この成熟した女性のような仕草。たまらない・・・ッ!!
「羽入ッッ!!」
俺は思い切り腰を上下に動かした。最初から強く突き上げられ、羽入がもう一度俺の上で、踊る。
「け、圭一っ!圭一ぃっ!!」
何度も突き上げていると、逆に上から来る別の動きがあった。羽入も俺を求めているのか、自ら腰を打ち付けてきたのだ。
「うっ、うあっ、うあぁッ!羽入、す、すげえっ!!」
「あぅ、あぅっ!ああぅぅッッ!!圭一の、圭一のが大きく、なってぇ・・・」
バラバラだった俺たちの腰の動きが、数を重ねるたびに拍子を合わせて一つになってゆく。シンクロするごとに快感が二乗、三乗されていき、邪魔な思考が薄れてゆく。
いつしか、俺たちはお互いを求めて抱き合う形になっていた。俺は上体を起こし、羽入は首に両手を、腰に両足を回して必死にしがみ付いている。
「くうっ、羽入、羽入っ、羽入っ!羽入ぅぅッ!!」
「圭一、圭一っ。圭一ぃぃぃっ!!」
名前を呼び合い、より深く繋がる為に激しく腰を打ち付けあう。羽入の嬌声はまるで媚薬のように俺の脳髄を刺激し、底なしの欲求を与える。
「羽入、好きだ。俺、羽入が、好きだ・・・っ!
「ボクも、ボクも圭一が、好きです。好きなのですッッ!」
いつまでも続くことを願う恋人達の時間。しかし、終わりというものは確実に訪れてしまう。
「ふ、ふああぁっ!あぅ、あぁぁうぅぅっ!!」
絶頂の直前、羽入の角を口に含む。コンプレックスに感じているこの角も、自分を悦ばせるためのスパイスだと知った羽入が敏感に反応した。
「う、うおおおっ!羽入、俺、もう・・・!」
「ああっ、圭一、イクのですね。ボクで、イッてくれるのですね・・・!!」
「ああ、俺、羽入でイク、イクぞっ!!」
「ボ、ボクももうすぐ、あ、あ、ああああああああっっ!!」
全身を震えさせて、羽入が頂点に達した。ほぼ同時に俺も最後となる迸りを羽入の中に放つ。
愛しい女性の中を自らの欲望で満たすということは、最高の幸せ。
力尽きるまで俺は羽入の体を抱きしめ、離れなければいけないその温もりを、記憶の中に刻み込んでいた。



暖かい炬燵の布団に包まれ、私達は並んで寝転んでいた。
時折視線が合わさると、お互い恥ずかしそうに目を伏せる。
さっきまで力強く私を抱いていたはずの圭一の腕は思ったよりも細くて、まるで違う人に抱かれていたような錯覚すら覚える。
しかし体に残る口付けの後と、女性の部分に走る甘い痺れが、先程までの情事が夢ではないことを教えてくれた。
そう、これは現実。私が望んでいた願いが叶った喜ぶべき現実のはずだった。
だが、喜びも現実ならば、後に待っている私の消滅も待ち受ける残酷な現実なのだ。
「羽入・・・?」
圭一が私の顔を覗き込んで怪訝な顔をする。
いつの間にか私の瞳は濡れていた。どうして、最後の最期で私の願いは叶ったというのに、どうして私は泣いているのだろうか。
理由は分かっている。分かっているけれども、改めて考えてしまうとまた辛くなるから考えたくないのだ。
別れたくないのだ。圭一と、私の愛しい人とさよならをすることが嫌でたまらないのだ。
なんということだろう。未練を断ち切るために思いを遂げたというのに、抱かれてみてますます圭一への想いが募ってしまったのではないか・・・!!
「け、圭一ぃ。圭一ぃ。う、うああ、うああああぁぁぁぁ・・・」
堰を切ったように、私の瞳から涙が溢れ出した。
圭一が好きだ。圭一が好きだ。圭一が、大好きだ・・・!
その圭一の前から消えないといけないというのは、なんと悲しいのか。
かつて私が愛したあの人にもここまでの感情は抱いたことがない。見えなくとも、話せなくとも、圭一を見ていた時間はあまりにも長かったのだ。
濃密な時間が生み出した恋心は、私の想像以上に育っていたのだ。
「別れたくない、圭一と離れたくないのです。うっ、ううっ。ひっく・・・!」
子供のように、私は泣きじゃくった。圭一はそんな私を黙って見ていたが、一頻り泣いた後の私を胸に抱いてくれた。
「俺だって、羽入と離れたくない。順番が逆になっちまったけど、俺、羽入のことが好きだから」
言葉と共に強く抱きしめられる。この抱擁が失われるのが惜しくて、私も圭一の背中に手を回した。
「ごめんなさいなのです。圭一」
しかし、いつまでも甘い夢に浸っているわけにはいかない。圭一に告げなければいけない言葉が残っているのだ。
「圭一、ボクがいなくなったら、ボクを忘れてほしいのです」
「えっ・・・!?」
圭一が驚愕に目を見開く。一生の思い出となる初めての経験を終えた直後に告げられた別離の言葉、無理もない。
「ボクが『転校』したら、みんなといつものとおりに部活をして、笑って、楽しんで下さい。そして、ボクの、古手羽入の全てを忘れてください」
「な、何でそういうことを言うんだよッ!俺にとって、羽入は!!」
「それが一番良い事なのです。ボクにとっても、圭一にとっても、みんなにとっても」
何のことはない、本来在るべきでない異質のものの退場。私の存在が消えても、圭一たちには私が居なかったあの日々に戻るだけの話だ。
「忘れる前に一度、ボクのためにシュークリームを食べて欲しいのです。それだけでボクは、幸せなのですよ・・・」
私が元の存在に戻った時には、直ぐに圭一の許へ行こう。圭一は私の最後のお願いを叶えてくれるのだろうか。
いや、必ず叶えてくれるだろう。言葉が終わらない内から声を殺して泣いている圭一ならば、心に深く刻まれているに違いない。
ああ、私は残酷だ。圭一を深い悲しみに突き落としてしまうというのに、圭一が私のことで悲しんでくれている姿に悦びを感じているのだから・・・。



翌日の昼下がり、私は知恵の住む学校近くのアパートを尋ねていた。
「何もない部屋ですが、まぁ、上がって下さい」
日曜日にも関わらず、自分の都合で来訪の電話を架けた私を、知恵はいつもどおりの飄々とした笑顔で迎えてくれた。黒のタートルネックに茶色のロングスカートといった出で立ちで、知恵らしく落ち着いた格好である。
「寒かったでしょう?今ストーブを焚きますから」
言葉通り、知恵の部屋はテーブルといくつかの棚以外はほとんど何もない殺風景な部屋だった。生活感の感じられない、まるで私自身の存在のような部屋。
その中で、棚の上に置かれている十字架と数冊の聖書が目に付く。知恵は基督教徒なのだろうか、オヤシロさま信仰が根付いている雛見沢では珍しいことだ。
「はい、チャーィです。温かい内に飲んで下さいね」
リビングの食卓に着くと、甘く、良い匂いのするミルクティーが運ばれる。寒くなってから知恵がよく飲んでいるインドの紅茶だ。
「どうしたんですか?お休みの日に先生に用事だなんて。何か、あったのですか?」
半分ほど飲んだところで、知恵が来訪の目的を尋ねてきた。私の雰囲気から察したのか、何時になく真剣な眼差しである。
知恵は良い教師だ。生徒の変化には敏感だし、それに対応しようという心意気もある。
・・・惜しむらくは解決に繋がるまでの力が無いということか。まぁ、私が抱えている問題を解決出来る人間などいないのだけれども。
「知恵。これを読んで欲しいのです」
「ん?何ですかこれは・・・?」
私は鞄から書類を取り出して知恵に手渡した。
内容はあって無いようなもの、問題は書類を読む時点で使う私の『力』だ。読むということに集中しようとしている人間の脳に直接働きかけ、さもそれが完璧な書類であろうと思いこませる一種の催眠術。
この世界に受肉して、『転校』する際も使った手だ。あの時も知恵を欺くことに成功し、私は違和感なくクラスに溶け込むことが出来たのだ。
知恵が険しい顔で書類を覗き込む。彼女が読んでいるのはセブンスマートのチラシだが、その脳裏には何が映っているのだろうか。
「羽入さん」
読み終わって、知恵が私の顔を覗き込む。
怒っていた。そう、表情はにっこりとしているが、背後から妖気にも近い怒気が立ち上っている。
まるでカレーを馬鹿にされたその時のように・・・ッ!!
「これは一体どういうつもりですか?私に電話したのは、スパゲティ麺大安売りのチラシを見せるためだけだったというのですかッ!!」
どん、とチラシがテーブルの上に叩き付けられる。馬鹿な、私の催眠術が、効いていない・・・?
「あの時もそうでしたね、転校してきた時も。書類の代わりに見せられたのは、営林署からの広報でしたね。校長先生は騙せても、私は騙されないんですよ・・・」
「な・・・!知恵は気づいていたのですか!?」
「私も教師になる前は色々ありましてね・・・。催眠術のイロハもかじったことはあるのですよ、だからあなたの力は効きません」
「何、ですって・・・」
「転校してくるということは、何かしらの事情があるということ。私はその理由を深くは問いません。他人には知られたくない理由があるのかもしれないからです」
知恵が遠い目をして語る。まるで自分も理由のある転校をしたことがあるかのように。
「だから、あなたを受け入れることを拒まなかった。そんなリスクを冒してまでこの学校にくる理由があなたにはあると思ったからなのです」
そうだった。私は梨花を、部活のみんなを、雛見沢を、そして圭一を救うためにこの学校に『転校』してきたのだった。
強い意志で、今度こそ運命を打ち破ると言う決意で望んだあの時。私は何としても梨花と圭一の傍で戦いたかった。
だから絶対に『転校』してくる必要があった。催眠術による書類偽造という不正手段に訴えてでも。
「それなのに、今度は転校ですか?羽入さんに何があったのかは分かりません。羽入さんが学校に居辛くなったというならば、私にも責任があるのかもしれない。しかし、また不正な手段で転校するなんて、そんな卑怯な手を二度も許すほど、私は甘くありませんよ!」
正論だった。
教師という立場では、生徒の不正は揺るすべかざること。知恵の怒る理由は充分に分かる。
しかし、私の場合は違う。必然である消滅を他のクラスメイトに納得させる最良の手段と言うことで、『転校』という別離を絵に描いたのだ。
私は宇宙人です。もう、地上にいるエネルギーがありません。だから消滅します。さようなら。
事実を告げれば私は精神病院行きだ。だからこういう形を取ろうと思ったのに・・・。
「どうせ、知恵には分からないのです」
「なっ・・・!羽入さん!!」
投げ遣りな言葉が口から漏れる。
皆殺しにされた世界で梨花が暴言を吐いた気分が良く分かってしまった。自分には全て分かっているのに、それを説明できないのに、無理解な反応を示す周囲の人間。
ああ、疎ましいったらありはしない。もう、どうにでもなれという気分だった。
「ボクだって、『転校』なんてしたくない。この世界が愛しい。梨花が、部活の、クラスのみんなが、雛見沢のみんなが大好きなのです!」
「・・・・・・」
「好きな食べ物も、この風景も、村で起こる全ての出来事も大好きです!好きな人だって出来ました!!・・・誰が好き好んでこの世界から消えようと思うもんか!!」
椅子から立ち上がり、知恵に迸る感情をぶつける。まるで自らの演説に酔う独裁者のように、私は思いの丈をぶちまけていた。
「でも仕方ないのです!ボクにはもう力が無いのです!!この世界がこんなに愛しいのに、ボクに残された時間は無いのです!!」
「知恵は余命告知を受けた事がありますか!?ボクはそんな気分なのですよ!死を待つだけの末期患者。消滅が間近に迫っているのに何をすることも出来ない!嫌だ。嫌だああああぁぁぁ・・・!!」
全てを吐き出した私は、嗚咽して食卓に手を付いた。涙が零れ落ち、卓上を濡らす。
「・・・落ち着きましたか」
私の嗚咽が止まるまで、知恵は口を挟まずに居てくれた。先程までの怒気は掻き消えて、悲しみと慈しみを含んだ目で私を見つめている。
「はい、ごめんなさいなのです、知恵」
深く溜め息を付き、私は椅子に座り直した。溜め込んだ感情を吐き出したためか、不思議と気分は落ち着いていた。
「・・・その、羽入さんが病気か何かで、ここに留まる事が出来ないというのは分かりました。それは、どうにもならない事ですか?」
「居るだけで、留まろうというだけで力を失うのです。今、こうしているだけでもきついのです」
「薬か、栄養の付く物は無いのですか?」
「あれば、もう使っているのです。莫大な力を得る物を取るか、それともボクの力を底上げするかしかないのです」
自分でも馬鹿なことを言っていると思う。どんな食品・薬品でも私の力の補充には及ばないというのに。
「なるほど、そうですか。・・・似ていますね」
だが、知恵はその言葉に敏感に反応した。まるで同じような事を知っているかのように。
「私の古い友人の妹さんに、同じような事がありました。その人は特殊な血筋の方でして、自分の力が弱くなると、自我を保てなくなると言う病を抱えていたのです」
「・・・病気ですか、ボクのとは違うケースなのです」
「まぁまぁ、話は最後まで聞いて下さい。その妹さんがある日、発病してしまったのです。友人はあらゆる方法を試したのですが、結局病気は最終段階にまで発症してしまったのです」
最終段階まで発症というのは、まるで雛見沢症候群のようだ。私はわずかに興味を抱き、知恵の話を最後まで聞くことにした。
「その病気を押さえるには、妹さんの力を元に戻す必要がありました」
遠い昔を懐かしむかのように、知恵の目が細くなる。きっと、知恵の目の前にはその時の光景が浮かんでいるのだろう。
「実は、妹さんの力が弱まったのは、その友人が瀕死の重傷を負った時に自分の力を分け与えたためだったからです。つまり、妹さんを直す鍵は友人自身という、近いから見つかりにくい盲点にあった訳なのです」

何か、知恵の話に何かが引っかかる。近いから、当たり前にあるから見つかりにくい物・・・。

「まあ、結論としては友人が妹さんに力を返して、自力で重症を治したので、両方とも助かったのですけどね。私も少しは骨を折ったんですよ。分け与えたエネルギーを一時的にせよ空にするのは危険な賭だったのですから・・・」

あ、あ、あ、あああああっ!!
どん、とテーブルを叩いて、私は立ち上がった。
近くにある。分け与えたエネルギー。
「ど、どうしたんですか、羽入さん?」
「ち、知恵っ!ありがとう、本当にありがとうございますなのですっ!!転校は止めなのです!!心配を掛けてごめんなさいなのですッ!!!」
「は、はぁ・・・。それは、どうも」
「急用を思い出したのですっ!し、失礼するのです!お邪魔したのですッッ!!」
私は文字通り風のような早さで知恵に頭を下げると、踵を潰したままで玄関から飛び出した。
行かなければならない。盲点であったあの場所にある、あの品物を手に入れなければならないのだ・・・!!

「思い当たることがあったようですね。あれで良かったのですか?」
「くすくす、ごめんなさいね、知恵。あなたを巻き込んでしまって」
「可愛い生徒のためですから。こんなことくらいお茶の子です」
「それに私も入っているのかしら」
「勿論です。どんなになっても、どんな姿になったとしても、私の生徒は生徒に変わりないのですから。」
「・・・ありがとう、知恵。こんな性悪な人間になってしまったけど、私はあなたの生徒であったことを誇りに思うわ」
「私の方こそ。生徒が誇りに思ってくれること、それが教師としての最高の喜びなのですから・・・」



「あら、遅かったわね。先にやっているわよ。」
古手神社の祭具殿の中で、ワイングラスを片手にした性悪な魔女は待っていた。
もう一方の手に握られているのは、古ぼけた木箱。しばらく前に梨花の手によって封印された古手神社の秘宝、『フワラズの勾玉』が入った木箱だ。
「・・・ッ、梨花ぁぁぁ・・・」
感情の高ぶりに、梨花ではない存在であることを知りながら、いつもの調子で呼びかけてしまう。
その反応も楽しいのか、ベルンカステルはくすくすと笑いながらグラスに口付けをしている。
「最初から知っていたのですね!ボクが作った『フワラズの勾玉』。それでボクの力が補充出来るって・・・!!」
知恵の話があるまで忘れていた。人と人を強制的に結びつけるこの秘宝に込めた私の力は、それはそれは強力なもので、私の体を現世に留めるのには充分なものだったのだ。
その時間は、最低でも通常の人間の寿命ほどはある。力だけは有り余っていた昔の自分に感謝感激だ。
「そんなに怒らないでよ」
文字通り角を突き立てて怒る私に対し、魔女は何処までもクールだった。ひらりと祭壇から降りると、私に木箱を投げ渡す。
胸元で受け止めたそれには、中身を見なくても強い力が込められていていることが感じられた。
「私は最初から答えを言っていたんだから」
「え、答え・・・?」
急に答えを言っていたと言われても、思い浮かばない。それらしき言葉を聞いていただろうか?
「『ベルンカステルには早すぎる』」
「あ・・・」
「『杯を空にすると言うことは、それまでの終わりとこれからの始まり』ということ。この二つの言葉を組み合わせたらどうなるか。おつむの弱いあなたでも流石にわかるでしょ?」
そういえば最初、ベルンカステルはそんな言葉で私を煙に巻いていたはず。この言葉に答えが隠されていたとでもいうのか、私はベルンカステルがワインの銘柄ということを考えてから、慎重に答えを探った。
「お酒には早すぎる。そしてお酒が無くなるのは終わりと始まり、あっ!!」
「・・・さよならには早いということ。古典のハードボイルドを読んでいたら、直ぐに分かると思ったのだけどね、くすくす」
本を読んだ方が良いと言っていたのはそういうことだったのか。
だが、やはりこの魔女は性悪だ。ハードボイルドなんて、普通の女の子は読まないジャンルなのに。
「ふふ、スリルがあって良かったでしょ」
「こ、この、梨花はぁ・・・!ボクがどんな気持ちで・・・!!」
「結果オーライじゃない、圭一とヤレたんだから。三回も出させるなんて羨ましいわねぇ・・・」
一気に顔が紅に染まる。おのれ、私達の情事を高い所から見ていたというのか。
「くすくす。怒らない、怒らない。ほら、圭一が神社の前に来ているわよ」
「えっ!?」
私は思わず振り向いた。無論、ここは祭具殿なので外の様子は見えないが、圭一が境内に入っていこうとする気配を感じる。
「久しぶりに会えて楽しかったわ。幸せにね、羽入」
背後に、消え入りそうな声が聞こえた。祭壇の方向に振り向き直すと、さっきまでそこにいたベルンカステルの姿は無い。
「あ、ああっ?り、梨花?梨花ぁッ!?」
完全にベルンカステルの、いや、梨花の気配は消えていた。何度も祭具殿の中を見渡すが、影も形も無い。
いきなり過ぎる。もっと話したかった。憎まれ口ばかり叩かれたけど、梨花を見ても分かるように、あれは梨花の照れ隠しなのだ。
そうでなければ、私の元に現れて、私がこの世界に留まる方法を教えてくれることなんてあるものか・・・。
宮澤賢治の小説に出てくる転校生のように強烈な印象を残して去っていった彼女。もう一人の梨花。
私は彼女との再会が出来るだけ早く訪れる事を祈って、祭具殿を後にした。

「あっ、羽入!」
神社の境内に、圭一は居た。
駆け寄ってくるその手には、エンジェル・モートの紙袋。中には沢山のシュークリームが詰められていた。
「どうしたのですか、こんなに、沢山・・・」
あまりの量に目を丸くする。半端な量では無い、百個はあるかないか、そんな勢いだ。
「ほら、昨日羽入は『ボクのためにシュークリームを食べて下さい』って言っていただろ?」
情事の後にそうお願いしたのは覚えている。しかし、それはあくまで圭一だけへのお願いだったはずだ。
「俺、考えたんだけど。こういうのって、二人で食べた方が楽しいと思うんだ。羽入が自分の事を忘れて欲しいといった気持ちは分かるけど、俺、羽入の事忘れたくないから」
「け、圭一・・・」
「だからさ、転校するまで一緒に食べていこうぜ。ほら、いっぱいあるから梨花ちゃんや沙都子とも食えるぜ。あ、そうそう。勿論レナや魅音と詩音も一緒だぜ。最後まで、良い思い出を作って行きたいんだ」
胸が熱くなる。
私は圭一を悲しませないためにあのお願いをしたのに、圭一はそれでも私を忘れず、最後まで楽しい記憶を作ることを選択してくれたのだ。
この人を好きになって、結ばれて良かった。
「ありがとうなのです。圭一」
圭一の体を抱きしめる。愛しい人、もう話すものか。勾玉で得た力が失われる限り、私はあなたの傍にいることを誓おう。
「羽入・・・」
圭一も私を抱きしめ返す。紙袋が落ちるのも構わず、強く抱きしめられた。
「俺、手紙書くから、電話もするから。羽入のこと忘れない。どこへ羽入が行っても、俺、必ず会いに行くから。羽入を、誰よりも愛しているから・・・」
「圭一、嬉しいのです」
その覚悟は尊いもの。転校しなくなったことを私が告げれば、どんな顔をするのだろうか。
願わくば、満面の笑みを見せて欲しいものだ。
「実はですね、圭一・・・」
圭一を安堵させるべく、笑顔で転校の中止を告げようとする。その瞬間、意外な声に私の発言は遮られてしまった。
「みぃ~☆こんなところにシュークリームなのです~♪」
ざっ、と砂利を擦る音と共に、シュークリーム入りの紙袋が消えた。
視線の先には制服姿の梨花が、嬉しそうにこちらを見つめている。
「げっ、梨花ちゃん!?」
電気が走ったかのように、私と圭一の体が離れる。それを見て梨花はくすくすと笑うと、「わーぃ、今日はご馳走なのです~☆」と走り去ってしまった。
「あぁっ!?ま、待ってくれ梨花ちゃん!それは俺達の・・・!!」
圭一が紙袋を奪い返すべく、駆け出す。
だが、おかしい。梨花は今日の夕方まで沙都子と詩音の家に居るはずだ。
その時、振り向いた梨花が私を見て意地悪く笑った。こ、こいつはまさか・・・!
「みぃ~♪圭一も羽入も捕まえてごらんなさいなのです~☆」
くそぅ、性悪魔女め。なんだかんだ言っても、あんたは私にちょっかいを出したいだけではないか。
さっきのさよならは何だったのかと思う。これではまるで冗長なさよなら、居座りに等しい。
でも、まだ彼女と話すことが出来るのだと思うと嬉しい。舞台で言えばアンコールに応えてくれて、私好みの演技をしてくれたようなものだ。
私は一歩踏み出した。これから圭一と待つ日々を始めるため、そして、今しか味わえないこの瞬間を楽しむため。

「あうあうあぅ~!シュークリームにはまだ早すぎるのですよ~!!」


<終わり>

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最終更新:2007年11月21日 21:56