雛見沢の新興別荘地として開発が進む一角に、最も早く完成した邸宅がある。
村中によくある日本家屋とは違い、近代建築の粋を凝らしたモダンな建物。通称『前原屋敷』と呼ばれる、私のクラスメイト前原圭一君の住む家だ。
正門から入って広い玄関ポーチに着くと、私は扉の横に備え付けられた呼び鈴を鳴らした。
「はい、前原です。」
呼び鈴から声がして、びくりと体が動く。
インターホンといっただろうか、この電話とは違う機械を通した声というものには未だ慣れない。
私は気を取り直して声の主に自分の名前を告げた。
「おおっ、レナちゃん!鍵は開いているからどうぞ、どうぞ!」
圭一君に似てはいるが、もう少し重みのある声が楽しげに響く。私をここに呼び出した圭一君のお父さん、前原伊知郎さんのものだ。
お邪魔しまぁ~す☆と、扉を開けて玄関へと入る。扉を閉めるのと同時に、ドタドタと家の奥から足音が聞こえた。
「いやぁ~。ウェルカム!ようこそレナちゃん!ささっ、入って入って!!」
満面の笑みを浮かべて、圭一君のお父さんが私を出迎える。一歩間違えれば、胡散臭いペテン師に見えるような人だ。
「はぅ~、こんにちはおじさま。いつもお世話になっています。お邪魔しま~す。」
こちらも負けじと笑顔を浮かべ、靴を脱いで家の中に上がる。
圭一君の家は借家住まいの私のそれとは違い、内装も洒落ていて、まるで都会のマンションのようだ。
貧乏性の成せる業か、廊下に掲げられている静物画がいくらするのか、ついつい考えてしまう。
応接間に通されて、革張りのソファーに座る。しばらくすると、台所から紅茶とシュークリームを乗せたお盆を持って、圭一君のお父さんがやってきた。
「圭一も母さんもいないから、好みがわからなかったけど、これでいいかな?」
目の前に並べられたのは上等なアッサムの紅茶と、エンジェル・モートのアーモンド入りシュークリームだった。これはまた高級なシロモノである。
「はぁ~ぅ~♪お、おいしそぅ~!いっただきまぁ~す☆」
早速かぶりつくと、濃厚なクリームと刻みアーモンドの香りが私の舌を楽しませ、柔らかく、それでいて歯ごたえのある皮の部分が口中で踊った。
流石はエンジェル・モート。制服だけでなく、味にも妥協を許さない!
「気に入ったかぃ?まだまだあるから、持って帰ると良いよ。」
「えぇっ、本当ですかぁ~!?お、お。お~持ち帰りぃぃ~☆☆」
紅茶を噴出す勢いで、私は喜びに身を捩った。おやつの時間はしばらく幸福なものになりそうだ。
「あぁ。お父さんにも食べさせてあげればいいよ。」
その言葉に、一瞬私の顔が歪む。

そう、お父さん。

圭一君がいないのに私がこの家に来た理由は、私のお父さんにあるのだ。
とてもお人よしで、女性に免疫のないナイーブな少年がそのまま大きくなったような私のお父さんに・・・。



「う、嘘だッ!」
父から告げられた真実を受け入れられず、私は叫び声を思わず漏らしていた。
「すまない、礼奈。父さんは、父さんはァァァッ!!」
リナがいなくなった。
父を惑わせていたあの悪党がその姿を消したということは、本来私にとって喜ばしいことのはずだった。
しかし、悪党という狩人は、収穫のためにはどんな残酷なことでも平気なことで行う。手を変え、品を変え、獲物を手に入れるためには時と場所を問わないッッ!!
その連中が姿を消したということは、狩りの終了。つまり狩りに見合うだけの収穫があったことを意味する。
拭い切れぬ悪寒を感じて、私は父からひったくるようにして通帳講座を奪い取っていた。
「何、これ・・・。」
残高ゼロ。
あれほどあった慰謝料も、これまで父が貯めていた蓄えも、全てが無くなっていた。
「お父さん!これは、どういうことっ!?」
涙ながらにお父さんが語った真実は、聞くのに大変な苦痛が伴うものだった。
リナの甘言に乗せられて、無理な買い物をしたこと、背伸びをして羽振りが良い所を見せていたこと。
てっきり自分との新居だと思い、リナがマンションを買う時に費用の半分を出したということ、そして鉄っちゃんとかいうレナの情夫に凄まれて、泣く泣く手切れ金を支払ったこと・・・。
しかし、私が最も心を傷つけられたのは、手切れ金の中にリナの堕胎費用が含まれていたことだったのだ。
私も年相応の性知識はあるから、お父さんとリナの関係はそういうものだと知っていた。だが、それを受け入れたくなくて私はゴミ山に篭り、二人の関係に目を瞑り、耳を塞いでいたつもりでいた。
殻に閉じこもって甘い夢を見ていたかった。じっと耐えていれば嫌なことは台風のように過ぎ去るものだとも思っていた。
だから、「堕胎」という言葉には残酷な鋭さがあった。非情な現実に引き戻す、得体の知れない凶器のような言葉だった。
「嘘だ・・・。嘘だぁ・・・。」
涙を流すお父さんの横で、私も泣いた。
こんな性欲に溺れた馬鹿たれは、鉈か斧で脳天を一撃で叩き割ってやろうかとも考えたが、母に捨てられた父の姿を知っている私に、それ以上父を責めることは出来なかった。

そんなことよりも、私達親子の当面の問題は、明日の食事と化した。
父は再就職を目指すと言っていたが、愛していた女性に裏切られたショックは本人が思うほど強い。しばらくはまともな思考すら出来ないだろう。
そうなればお金がほとんど尽きた今、私たちは干上がってしまう。
誰かに無心するという手段も考えたが、収入源の無い今では返済する方法がない。これは本当の本当に最後の手段として残しておきたかった。
と、なると私がお金を稼ぐことしか方法は無くなっていた。「細腕繁盛記」ではないが、竜宮家の命運は、私一人の双肩に掛かったのである!

・・・が、学生の身で、しかも女の子の身でお金を稼ぐ方法は、限りなく少ない。
アルバイトという方法があるが、校則では無論、禁止されているのが実情だ。魅ぃちゃん達は親戚の手伝いという理由で何とか許可されている状況だから、私ではとても無理だ。
古典的な手では新聞や牛乳の配達というものがあるが、これも人口の少ない雛見沢では募集がないというのが現状だ。もう少し人の多い興宮では募集もあるというが、そこでは配達後の登校が間に合わない。

私は途方に暮れていた。

その私に手を差し伸べてくれたのは、圭一君だった。
「よくぞ俺に相談してくれたぜ!レナ!!」
無理を言って魅ぃちゃんにエンジェル・モートでのバイトを頼もうとした矢先のこと、誰かから聞いたのか、放課後に私を呼び出すといつもの調子で私の肩を掴んできた。
・・・正直、父のこともあったせいで、掴まれた肩にわずかな嫌悪感を感じて、頬が歪んだ。
「俺に任せておけ!実は、俺に良いバイトのツテがあるんだ!」
その前日の帰り道、私はポツリと圭一君に、最近自分の家がお金関係で困っていることを伝えたのだった。
騒がしい圭一君の前では冷静な思考が出来なくなり、どのように伝えてしまったのか覚えていない。しかし、圭一君は上の空で「そっか、大変だなあ」と無責任に呟いていた気がする。
「え、何のことかな、かな?」
「ふふふ、レナ。あるんだよ、短期間でワリの良いバイトがっ!」
大石さんのように不気味な笑顔を浮かべ、圭一君が紹介したそのバイトとは・・・。



「さて、レナちゃん。そろそろいいかな?」
紅茶を飲み干した頃を見計らい、圭一君のお父さんが私に「バイト」の開始を促してきた。
「あ、はい。」
私は食器を台所に片付け、その後を付いていく。廊下に出て圭一君の部屋に通じる階段を過ぎ、「書斎」と書かれた扉の前で、私達は立ち止まった。
「さ、どうぞ。」
圭一君のお父さんが、重そうな両開きの扉を開ける。
中に入ると、そこは二十畳はありそうなフローリング製の部屋となっており、南向きの窓以外の壁は、全て本棚で埋め尽くされていた。
その中に原稿らしきかみや絵の具が置かれた仕事机や、写生用の人体模型、それに仮眠用のベッドが無造作に置かれていた。
「うわぁ~。凄いですねぇ。」 
「ああ、トイレやお風呂も用意してあってね。仕事が煮詰まっているときには、ここに篭ることも多いよ。」
カンヅメになる時も大丈夫ということか・・・。私はそっとベッドに目をやった。
『ワリの良いバイト』
その内容が分かる気がする。
圭一君は『親父がレナを作品のモデルにしたいって言っていたから話をつけてやったぜ!』と善意丸出しの表情で私にこのバイトを紹介してくれたようだが、その依頼主が何を考えているのか理解出来ているのだろうか?
芸術家のモデルになるということは、その作家の要求する姿を求められれば、それに答えならなければならないということだ。
際どい格好をしろと言われれば従う必要があるし、脱げと言われれば脱がねばならない。反抗すれば契約不履行で、報酬はナシということだ。
知識を並べ立てた上で結論を下すと、それは愛人契約に等しい。現にピカソだとかダリだとか夢二とか、芸術家のモデルとなった女性はそういう関係になっているのがほとんどではないか・・・。
私は絶望に目を伏せた。
憎からず思っている男の子の父親とそういう関係になる。誰にも体を許していない乙女にしては、無念の極みだ。
お父さんが子供のころ、戦中戦後の混乱の中で、家族を養うために身売りをした女性達がいたというが、その気持ちが痛いほど分かった。
「さぁ、レナちゃん。」
圭一君のお父さんが振り返る。今までとは違う、少し怖い雰囲気。
「そこに、『資料室』と書いてある部屋があるね。君に合うものがあればいいんだが、そこから私の指定する服に着替えて出てきてくれないか?」
書斎の本棚の片隅にその部屋はあった。わずかに開いた隙間が私を戻れない世界に手招いているようで、不気味だ。
「まずは・・・。」
私をどう料理するのかを考えているのだろうか、腕組みをして圭一君のお父さんが私を睨んでいる。
その視線が痛くて、私はため息を付いた。



「は、はぅぅ~。お、おじさまぁ~。」
「どうしたんだ、レナちゃん。まだ、入ったばかりだよ・・・。」
「こ、こんな、初めてで・・・。ひゃうっ・・・!!」
「最初は、誰も・・・。ふぅ。戸惑うものさ・・・。おぉっ!」
「レナ、レナぁ。恥ずか、しい・・・。」
「ふふふ、直に慣れてくるよ。さぁ、それじゃあレナちゃん。そろそろ『快感』って言ってみようか・・・。」
「い、嫌・・・。そんな、初めてで、無理ですぅ!!」
「初々しいなぁ・・・。藍子も最初はそうだったよ。くぅ~♪いいなぁ~。未経験の女の子を開発するこの感触ゥ!」

俺は買い物鞄を落としそうになるのを必死にこらえて、聞き耳を続けた。
異変に気付いたのは、買い物から帰った後、レナのバイトの様子を見ようと書斎のドアノブに手を伸ばした直後。扉の奥からレナの「ひゃうんっ!!」という声が聞こえた時のことだ。
その声に手を引っ込め、扉に耳を当ててから現在に至るまで、俺はこうして007の真似事をしている。
扉の奥から聞こえるのは、紛れも無いレナと親父の声だ。
しかも、その内容を聞く限り、とてもじゃないがマトモなことでは無いことが分かる。
「ひゃっ、これ?本物!?」
「あぁ、正真正銘。本物さ・・・。」
「す、すごく硬い・・・。黒光りしてる・・・。」
ま、まさか・・・!
信じたくない。信じたくないが、扉の向こうで繰り広げられているのは、桃色の世界らしい。
ば、馬鹿なっ!現段階でもお袋と恋愛中みたいな親父と、俺を憎からず思っていそうなレナが!? 
「でも、おじさま。だ、駄目ですよ、こんなこと・・・。」
「大丈夫だよ。圭一にも、藍子にも内緒だから・・・。」
畜生。
畜生、畜生、畜生、畜生!ちっくしょぉぉぉぉっ!!
いつの間にそんな関係に!?。
落ち着け、COOLになれ、前原圭一。
多分、そう。親父とレナは緊張を解きほぐすためにマッサージでもしているのさ。
『おや、肩がこっているねぇ。そんなんじゃモデルになんてなれないぞ~♪』
ってな感じで。あのセクハラ大魔王な親父ならやりかねないことさ・・・。
しかし、レナが発した次の言葉が、そんな俺の考えをどこかへ吹き飛ばした。
「・・・!!駄目ッ!おじさま!!発射は、発射だけはだめぇぇぇっ!!」
体が踊る。俺はもう、何も考えなかった。
馬鹿おやじっ、手前っ、何をしてやがるんだぁぁぁ!!



物凄い音がして、書斎の扉が開いた。
「圭一君!?」
脱兎の勢いで現れたのは、見慣れた前原圭一君の姿だった。
「親父ィィィ!!覚悟せえやぁぁぁっ!!」
今にもバットを振り回しかねない勢いで、圭一君のお父さんに飛び掛る・・・。
つもりのようだったが、圭一君は私達、特に私の姿を見て目を丸くした。
「ど、どうしたんだよ、レナ。その格好・・・。」
ぼんっ!と湯気が立ち上るのが分かる。自分の顔を鏡で見たら何とも赤くなっていることだろう。
私は、セーラー服を着ていた。
いつもの水色のセーラーではない、紺色をした裾が長めのセーラー服。
そして、圭一君は私の両手に持たれた円筒状の物体を見て、再び目を丸くした。
「お、おいっ!それって・・・。」
正式名称はM3短機関銃だったろうか。ベトナム戦争で鹵獲されていた物を裏のルートで手に入れたらしい。ちなみに実弾入りだ。
つまり、私はセーラー服を身に着けて機関銃を持っている姿をしているわけで・・・。

「薬○丸かよ・・・。」

力の抜けた圭一君の声が、静かな書斎の中に響いた・・・。



別れの挨拶をして外に出ると、それまで聞こえていなかったひぐらしの声が一斉に聞こえた。
送って行くよという圭一君の申し出を受けて、私は帰宅するまでの間、圭一君との短い逢瀬を楽しむ事にした。
「ったく、びっくりしたぜ。あんなのが聞こえたから、俺はてっきり・・・。」
結局私も圭一君も、圭一君のお父さんのことを誤解していたのだ。
「くすくす。盗み聞きをしてちゃ駄目ってことかな、かな?」
圭一君のお父さんは作品構想のために沢山の衣装を購入し、させたいシチュエーションをモデルに取らせる作風らしい。
普段はお母様がモデルをされているそうだが、今回は「セーラー服と短機関銃」がテーマのために、実際の女子学生である私をモデルに選んだということだ。
「『発射はらめぇぇっ!!』だっけ、何を発射すると思ったのかな、かな?」
「台詞に若干萌えが入っているような・・・。さ、さぁ。知らないな。」
少し、圭一君に意地悪をしてみる。やはり反応が素直ではない。
あーぁ。やっぱり圭一君が相手だと、頭がクールにならない。そう、冷静ではいられなくなるのだ。
最初はこの感覚を不快だと思っていた。しかし、いつの間にかこの感触が無いと不安になってしまう。
全く、困ったものだ。こんな子供っぽい男の子ではなく、もう少しクールで知的な人が私の好みだったというのに、すっかり私の好みが変わってしまったではないか・・・。
「まあ、でも良かったぜ。俺はてっきり親父がレナ相手に、その、援助交際でもしてないかと思ったから。」
「援助、交際・・・?それって、なにかな、かな?」
「う。な、何でもないよ・・・。」
援助交際。確か引越し前の学校で、隠語のように使われていた言葉だ。
大人が少女に援助と言う形でお金を渡し、性的な意味でその見返りを求めること。略してエンコー。
「ね~ぇ、教えてよ。どういう意味なの、かな、かな?」
困った圭一君の反応が見たくて意地悪を繰り返す私も、リナに負けないほどの悪党だなと思う。
そう考えると、間宮リナという女性も、最初は私と同じように少し意地悪なだけの女の子だっただけなのかもしれない。
それが周りの人間に恵まれなかったせいで、その意地悪が本物の悪になり、心根を病んでしまったのではないのだろうか。
私も、彼女のことを笑えない。バイトに行く前、圭一君を信じることが出来なくて深い絶望に陥ってしまった。
今考えれば、仲間が私のために紹介してくれたバイトだ。しかも自分の父親という、その人の人となりを良く知っている上での紹介だよ。
私も自分のお父さんが女の人に弱くて、頼りない人だと良く知っている。私だってお父さんがそういう人だということを知っているんだから、圭一君も同じなんだよね。
もし、逆の立場で、魅ぃちゃんがお父さんのモデルをしたいと言ったら、私は絶対に許さないだろう。弱い心の持ったお父さんのせいで、友達を傷つけたくないから。
でも、圭一君は私にバイトを紹介してくれた。それはつまり、全てを考えた上で私のためになると考えたから。

あははは、あっははははは。

リナさん。あなたにはそういう人はいる?
私には、いるよ。私のためにとことんまで力を尽くしてくれる人が。
あなたとは違って、見返りなしに力を尽くしてくれる「友達」という存在が。
リナさん。私はあなたを許せないけど、あなたを可哀相だとは思うよ。
あなたのために力を尽くしてくれる人を裏切って、乗り換えていく人生なんて、悲しい人生とは思わない・・・?

「あ、そうだ。これ、親父から。」
分かれ道まで来たとき、圭一君は思い出したようにポケットから封筒を取り出した。
「これからのバイト代を先払いするって。また、お願いするってよ。」
差し出された封筒を受け取ると、少なくない厚みがあった。
「へへ、これじゃ本当にエンコーみたいだな・・・。」
照れ隠しなのか、圭一君が茶化して笑う。
圭一君も、圭一君のお父さんも、こういうところを茶化す癖があるようだ。あぁ、これではまた眠れないではないか。
だから私も、照れ隠しに茶化して答えた。

「圭一君は、しないよね?援交・・・。」


終わり

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最終更新:2007年10月09日 10:37