――体が重い。節々が痛む。

「う、うう……」

 鎖をつけられたか囚人のように、よろよろとその身を引きずり起こす緑髪の少女、詩音。
 辺りを見回すが、その視界にはなにも映らない。見えないのではない……なにも無いのだ。四方八方、いずれを見回しても眼に映るものは漆黒の闇ばかり。痛む体を抑えて、あちこちへ歩いてみても、やはり何もない。自分がどこを歩いたかすらも分からない。
 だんだんと心細くなってきて、ふと手の中に握っているものがあることを思い出す。わが手を見やる詩音。……光源もないのに、自分の姿と物だけは見える。だが、今の彼女にその意味を問う余裕などあるはずもない。

「!!」

 そこには、血に塗れた包丁があった。

 ――なに、これ……何故、私がこんなものを持っているの……?

 そこまで考えた時、彼女の脳裏にフラッシュバックが起きる。自分のしてきた事が、ひとつひとつ、スクラップブックに貼り付けられた写真を見るかの様に蘇ってくる。

「あ……あ……」

 後ずさり、頭を振りかぶり顔には恐怖の色を浮かべる詩音。 

「そう……そうだ、私は魅音を、おじいちゃんを……沙都子を、鬼婆を、梨花を、圭一を……」

 黒目が、まるで猫の様に細くなる。

「殺した!! この手で!! ……あいつらが、あいつらが悟史くんを不幸にしたから!! 復讐した!! 殺したんだ!!!!」

 そう叫ぶと同時に、なぜだか今度は急に可笑しくなってきた詩音は奇声に近い笑い声をあげる。頭をもたげ、体はぶらりと脱力したまま。

「そうだそうだそうだそうだそうだ!! やったんだ、許してくれるよね、笑ってくれるよね、あなたのために、あなたのためにやったんだから! 悟史くん!! くく、くくく、くけけけけけけけけけけけけけケケけけけけけけけけけけけけケケケけけけ!!」

 狂ったような……いや、狂った顔で延々と笑い転げる詩音。その脳裏を様々な思い出が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。あたかも、それまで蓄えた自分のデータを削除していくかのように。

 だが、次の瞬間詩音は笑いを止める。聞こえたのだ。

「あしおと……?」

後ろからだ。振り向く詩音。すると、そこには……

「詩音……」
「み、魅音……!?」

 と、自分の名をつぶやく人影が。いつの間に自分へ近づいたのだろうか……表情は見えないが、しかしその声を自分が聞き間違えるはずもない。この女は、魅音だ。
 詩音の顔が今度は憤怒の表情に変わる。手の中の包丁の柄を握りしめ、怒声と共に魅音へ向かって突進していく。

「また私の前に現れやがってぇぇえええええええ!! 消えろ! 消えろ! 消えろぉおおおおおおおおおおッ!!!」

 一度、血を啜った包丁が再び血肉へと突き入れられた。手ごたえがあった……そのまま中で包丁を回し、一気に力に任せて肉を引き千切っていく詩音。
 真っ黒な血が噴出して魅音が倒れる。すかさず馬乗りになって、今度はその表情の見えない顔をめった刺しにする。何度も、何度も何度も。

「ひゃっひゃひゃっひゃひゃひゃ!! 死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!!」
「詩音、どうして……」
「!?」

 また、魅音の声が聞こえる。それも後ろからだ。

 ――おかしい、今自分は目の前の魅音を引き裂いているはずなのに……。

 さび付いた機械のごとく、ぎりぎりと後ろを振り返る詩音。すると、いた――。

「許して、詩音……」
「ひ……!」

「お願い、詩音……」
「謝るから……」
「許して」
「許して」
「許して」

 気が付けば、詩音は何人もの表情が見えない魅音に取り囲まれていた。魅音たちは口々に詩音への謝罪の言葉をつぶやきながら、自分の方へとゆっくり迫ってくる。

「な、なんなのよ……どうして魅音が何人も!!」

 何度も頭を振り回して怯える詩音。しかし、今度は下から何かが自分の腕を掴んでくる。今、下にあるものといえば……。

「どうすれば許してくれるの……」

 臓物が腹から飛び出し、血まみれになった魅音が詩音の腕を掴んでいた。

「ぎ……ぎゃああぁぁぁぁぁあああぁぁあぁあああぁあああああぁあぁああぁあああッ!!」

 そこで詩音の恐怖は極限に達した。自分を掴む魅音を再び包丁でめった斬りにすると、自分を取り囲む魅音の群れを跳ね飛ばし、一目散に何も無い方へと逃げる。ひたすらに逃げる。

 しかし……それまで何もなかったと思っていた方向からも、何かが来る。人だ……魅音ではない。だけれども、見知った人だった。

「沙……都子、あ、あぁ……梨花……!? け、圭一……鬼婆! お、おじいちゃんまで……!!」

 前から、横から、今まで自分が殺して命を奪った人物が、皆、表情の見えないままに自分へ向かってくる。
 後ろには魅音たちがいる。もう逃げ場がない。これだけの人数から逃げるなんて、とうていできやしない。へなへなとその場に崩れ落ちる詩音。すると、妙に思考が冷静になってくる。ここがどこだかも、なんとなく見当がついてきた。

 ――ああ、そうだ。今度は自分がこいつらに復讐されるのだ。そう、きっとここは地獄。私は私の犯した罪を償わされるんだ。

 そう覚悟して、じっとする詩音。自分に復讐の手が伸びるを目をぎゅっとつむってじっと待つ。

「……………………」

 だが、いつまで経っても自分に触れるモノがない。どういう事だろう……うっすらと目を開けて様子を伺うとした。すると……

「え……」

 時が止まったように、自分を取り囲む魅音たちの動きがとまっている。待っているようには見えない……あきらかに、ビデオを停止したかのように止まっていた。だが、今度はその中央に赤い柱が建っていた。

「な、何、なんなの、なんなのよ!!」

 いい加減に恐怖を通り越し、またも怒りがもたげてくる。髪を振り乱して絶叫する詩音。だが、その絶叫に罵声が飛んだ。

「さっきからギャアギャアうるせぇんだ、てめえ!! 黙りやがれ!!」
「な……」

 声は上の方から響いてくる。あの柱の上からだ。なんだろうと思ってそれを見上げる……すると、柱と思っていた物体が巨大な人型をしている事がわかった。柱だと思っていたものは、丸太の様な足。
 そういえば二本ある。さらに、いかつく張り出した肩の上に、六角形の頭があり、そこから斜め左右に角が生えていた。そして全体が赤く彩れている……。

 ――そうだ、これは……鬼!! やっぱりここは地獄なんだ!

 呆気に取られる詩音。だが、次の瞬間さらに彼女は飛び上がらんばかりに驚愕する。

 鬼の口から、人が降ってきたのだ。見事に着地して、詩音に近づくそれは、ぼろぼろのロングコートと血の色をしたマフラーのようなものを身にまとい、わずかに露出した手には包帯が幾重にも巻かれている長身の男性的な人型。
 そして、これだけは表情が見えた。太い眉に、釣り上がった目。しかし鼻筋はと顎は細く、凶悪ながらに端整な顔。

「子鬼……?」
「誰が鬼だと!?」
「ひぃぃ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」

 腹の底に響くような声で怒鳴られる。本能が恐れる様な声だ。さきほどまでの怒りはどこかへ吹き飛び、あっという間に萎縮する詩音。しかしそんな彼女に構わずさらにずいっと近づく「誰か」は、詩音を見下ろして言った。

「お前……どっから来た?」
「え……?」
「俺の質問に答えろ」
「ひ、雛見沢……から……です」
「ヒナミザワ? 聞いた事がねぇな……言葉が通じるってこたあ、日本人の様だが」
「そ、そうですけれど……」
「どうやって来た。何の目的で来た」
「わ、わかりません」

「なんだと……?」

 嘘をついていないだろうな、といった感じでぎろりと睨みつけられる。悲鳴がまた出そうになるが、ぐっと飲み込んでそれにも必死に答える詩音。

「ほ、本当です! だって、私は……」


 詩音は、ここにまで至った記憶の洗いざらいを目の前の「誰か」に語った。自分が双子として生まれてから、悟史に恋をして、そして惨劇を引き起こして自らもこの世から消え去った事を。

「ほぉ……と、すりゃあ、お前は・・・・に選ばれてここに来たって事かね。しかし、可愛い顔してやること派手じゃねえか」

 詩音の話を聞き終わるった「誰か」がニヤリと凄みの効いた笑みを浮かべる。とにもかくにも、会話できる相手のようだ……そこで詩音は勇気を振りしぼって、今度は自分の質問をぶつけてみる事にした。

「あ、あの……ここはどこでしょう。あなたが鬼じゃないなら……地獄でもないんですか」

「へっ地獄か。おもしれえ事言いやがる。だがな……ここは地獄よりもっと残酷な場所よ。・・・・・・・・・・・だ」

 聞き取れない。この「誰か」の声ははっきりとよく聞こえるのに、最後のくだりだけなぜか聞き取れかった。
 だが、その雰囲気は聞き返す事を許してもらえる様ではなく、詩音は諦める。

「そうすると……この大量にいるのは、お前が殺った連中って事か。こんだけ数があるってこたあ、念は相当だな……で、まだ憎いか? こいつらが。力があったら、もう一度ぶっ殺してやりたいか?」

「……」

 「誰か」が予想をはるかに超えて、とんでもない事を聞いてきた。詩音自身、もう自分がなにを喋って、なにを聞いているのか分からなくなりそうだったが、殺してやりたいか? のくだりで、また意識が覚醒する。その黒目が、猫の眼の様に細くなる。

「……ええ、憎い。何度でも、何度でも、何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも」
「何度でも?」
「殺してやりたいよ!! そうだ、何度でも蘇るなら、何でも殺してやる!! あは、あはははははは、あはははははは!!!!」

「そうか」

 「誰か」は無表情のまま、どこから取り出したのか、ごとんと大きな斧を詩音の目の前に落とす。妙な形をしているが、間違いなく斧だ。光源もないのに、ぎらりと刃を光らせるそれは、心なしか緑色の「もや」の様なものが掛かっている様にもみえた。

「それを貸してやる」
「え?」
「てめえの力で、いくらでも殺れる。時間を動かしてやる。好きなだけ殺ってこい」

それだけ言い残すと、「誰か」と巨大な鬼は、暗闇の中へと溶けて消えてしまった。あとには大きく妙な形をした斧だけが残された……
 そして、止まっていた魅音たちが動きだした!

「け……けけけ、殺ってやる殺ってやる。ぐぎゃぎゃぎゃああああああ!!」

 斧を拾うと、詩音もまた腹の底に響くような雄叫びを上げて再び魅音たちへ突進していく。猪突猛進し、全力で斧を横に払った。

 一閃。何十人という数の魅音たちが、一瞬で胴と脚を切り離され、大量の血飛沫を撒き散らして倒れていく。あまりの威力に、しばらく呆気にとられる魅音。そして少しずつ、笑いがこみあげてくる。

「! す、すごい。すごいすごい!! ひゃひゃひゃ、みんな真っ二つだぁ!! ざまあみろ! 全員ぶった斬ってやる……そうだ、もひとつ思い出した! 私が鬼だったんだよねぇ……だから誰にも容赦しない! みんな滅ぼしてやる!!!!」

 そんな詩音の狂気に反応するかの様に、斧が形を変えた。刃が両刃になり、さらに柄がぐんと伸びる。まるで死神の鎌のようだ。なのに力の無い詩音にも軽々と扱える。上機嫌になった詩音は斧を振り回して次々と魅音たちを惨殺していく。

「死ね、死ね、死ね、ハハハハッ! みんな死んでしまえぇえ!!」

 数え切れないほどにいた魅音たちも斧の壮絶な威力の前に、あっという間にの血と肉の塊と化していく。そしていよいよ最後に残った魅音に、真上からその凶刃が振り下ろされる。

「どうして、詩音……」

 頭部から股までばっくりと割られて、絶命する最後の魅音。よく見れば、表情が見えるようになっており、その瞳からはとめどない涙が溢れ、こぼれていた。
 そして、気づけば自分にも……。その自らの涙に気が付いた時、彼方からまた一人、少年が歩いてきた。金髪で、優しげな顔をしたその美しい少年の姿を捉える詩音。

「さ、悟史……くん。悟史くん!!」

 詩音が叫ぶが、悟史は何も反応しなかった。ただ、悲しげな表情を浮かべてこちらを見つめているのみ。

「どうして!? どうして、何も言ってくれないの!! 私、悟史くんのためにここまでやったんだよ。全部捨てて、人としての私を捨ててまで!! ねぇ、喋ってよ! なでてよ! 笑ってよ! 昔みたいに!! お願い、お願いだからぁ……!」

 しかし、それでも悟史はなにも喋らない。じっと詩音を見つめているだけだった。いくら泣き喚いても、悟史は何の反応も示さない。
 しばらく泣き続けた詩音だったが、やがて憑き物が落ちたかのように涙を引っ込めると、持っていた斧を放り出してぺたんと座りこむ。斧は、もう最初の形に戻っていた。


「……はは、そ、そうだよね。そりゃ、そうだよね。誰も人を捨てた鬼を好きになんかなるはずがないよね……ハハ……馬鹿みたい。私、何やってたんだろ……血を分けた姉妹にまで手をかけて、その大切な人まで無惨に殺して。

 ……ここ、どこだろ。ああ、そっか……きっと私は死ぬことすら許されないんだね。永遠に、罪の意識を背負っていろってことなんだろうね。それが私に与えられた、罰……そうだよね、悟史くん……もし、やり直せたらどんなにいいかなぁ……もう、疲れちゃった……」


「……るよ」


 がっくりとうな垂れた詩音に、声がかけられた。そうだ、忘れるはずもない。あの優しげな声。

「さ、悟史くん……」
「やり直せるよ」
「え?」
「やり直せる。もう一度……いや、何度でも」

 そう言って、ふっと笑う悟史。その笑顔と共に、彼もまた闇に溶けて消えていく。詩音は待って、と必死に哀願して彼のもとへ駆けていくが、手を伸ばしかけた所で彼の姿は完全に掻き消えてしまった。
 気が付けば、今まで詩音が虐殺した、幾重の死体も消えさっていた。完全な孤独に取り残され、後には止まらない詩音の嗚咽だけが残った……。








 体がだるい。なんだかひんやりとする。でも、下が柔らかい……ここは。

「あ……」

 がばっと覚醒する詩音。寒いと思ったら、かけていた布団が全て剥がれていた。だが、今の詩音にとってそんな事はどうでもよかった。ベッドから飛び降りてカレンダーを確認する。

「昭和……五八年。全部、夢だったのかな……恐ろしい夢、だった……?」

 そこまでつぶやくと、なにか手の中に違和感を感じた。恐る恐る手を開いてみると、そこには……

「あ、赤い布……!! 夢じゃ、なかったんだ……じゃあ、本当に……やり直せた? そ、そうだ!!」

 すぐに電話にとびつくと、自分の実家に電話をかける。もし、本当に過去に戻れたとしたなら。

「……はい、園崎ですが」
「お、お姉!! あ……あぁぁ……ああああああぁッ……」
「……ど、どうしたっての!?」

 全ての束縛から解放されたかのごとく、詩音がその場に崩れおちる。どたっという音が電話の先にも聞こえて、驚いた魅音が何度も呼びかける。

「いや、なんでもないよ。なんでもないって……あはは、もう、二度と間違いは起こさないから……」
「さっきからあんた何いってんのさ?」
「なんでもないよ。お姉。ねぇ! 今度、会えないかな」
「? いいけど……珍しいね」

「じゃあ頼むねっ。今度こそ……楽しく生きるから」





終わり

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最終更新:2007年03月16日 00:39