ところてん

日記

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100円のアプリが買えない僕たち



スマートフォンの有料アプリを買うのはハードルがとても高い。
僕らは缶ジュースに120円が出せて、昼食に800円を出せるのに、有料アプリに100円や800円を支払うことがなかなかに出来ないでいる。
これは何でだろうか?

結論から言ってしまえば、「騙されたくない」からであると考えている。
10の利益を得たときと、100の利益を得たときでは、利益は10倍になるが、人間が感じる効用は10倍にはならない。
逆に1の損失を出したときは、人間が感じる効用は-1よりももっともっと大きくなる。
簡単に言えば、人間は損をしたときは、損をした額以上に落ち込むということである。
これはさまざまな知見から言われているので、気になる人は「行動経済学」で調べてみよう。

ジュースに120円が出せて、昼食に800円が出せる。
これはジュースや昼食から得られる効用が明らかであるからだ。
少なくとも腹を満たしてくれる。よっぽどひどいものを出されない限り、騙されたとは感じないだろう。

しかしスマートフォンの有料アプリは異なる。
どのような効用が得られるか明らかではないため、騙される可能性が存在する。
そのため「騙されたくない」ため、人はスマートフォンの有料アプリを倦厭する。
(ここでは決済がメンドクサイという話はおいておく)

一方でそんなスマートフォンのアプリの世界でも効用を明らかにしたことで成功したものもある。
ソーシャルゲームのアプリ内課金がそれだ。
アプリ内課金はどのような効用が生まれるか明らかになっている。
「騙されたくない」というユーザの心理の壁を越えることが出来る。
飯屋で定食を頼むのと同じノリで頼むことが出来る。
ゲーム内のコインが追加で買えるのであれば、お金を払うことで何がえら得るかは一目瞭然だ。
新しい武器がもらえる、新しいカードがもらえる、これらはいつも行っているゲームの延長線上にある。
そのため、ユーザは「騙されたくない」と身構えることなく気軽にアイテムを購入することが出来る。
こいつはちょっと前にはやったフリーミアムモデルにも通じる。

ゲームソフトは効用が明らかじゃないのに、みんな高い金を出していたじゃないか、という人もいるだろう。
確かにゲームソフトはクソゲーをつかむと痛いが、中古屋にうっぱらうことで被害を最小限にできた。
現物が伴っていた時代は、中古屋にうっぱらうことで被害の抑制ができ、騙された場合の被害を最小限に抑えることができた。

PSPやPSPVitaではフルプライスのゲームのダウンロード販売が盛んだが、今ひとつ盛り上がっていない。
パッケージ版で出されるゲームのほうが圧倒的に多い。
これは前述のように中古屋によるリスク回避が働いているためだと考えられる。

また、WiiやPSNでは過去のハードのゲーム(FC,SFC,PCE,PS,etc)が盛んに売れている。
これはユーザが過去のゲームの面白さを知っているため、騙されることなく買っているためだと考えられる。

「騙されたくない」を解消したことで出来たサービスとしては、Amazonや楽天がある。
Amazonのマーケットプレイスでは詐欺られた場合、Amazonが保障してくれる。
同様に楽天も出店していた店舗に詐欺られた場合、楽天が保障してくれる。
そのため、ユーザの「騙されたくない」をストレートに保障したAmazonや楽天には、多くの店舗がその下について多様な商品を提供するようになった。
2000年代には「これからはネットショップの時代だ、知名度なんか関係ない、小売店でも世界にうっていける」と言われていたわけだけど、
気づいたら百貨店方式だけが生き残って、現実の世界と同じように知名度と保障が勝負の世界になってしまった。

さて、スマートフォンから話がそれてしまったので元に戻そう。
僕たちは「騙されたくない」をという強い行動原理がある。
これが120円の缶ジュースは買えるのに、100円のアプリが買えない本質だと考えている。
そしてこの「騙されたくない」という壁を突破することで、新しいビジネスが花開いた。
それは、Amazonであり、楽天であり、アプリ内課金だ。
アプリ内課金はスマートフォンアプリにおける「騙されたくない」の壁を突破したと思う。
現在はゲームばかりだが、今後はゲーム以外のアプリケーションでもアプリ内課金が盛んに行われるだろう。

最近は、無意識のうちに「騙されたくない」と避けてしまっているものが無数にあるのではないかと考えている。
そんな「騙されたくない」を発見できたら、次の飯の種になるんじゃないのかな。


カテゴリ: [日記] - TrackBack(0) - 2012年01月17日 19:50:42
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50年後の車



某所に寄稿する予定で結局しなかった原稿を再構成してポスト。
ringoさんのパケットヴィークルの記事を元にしています。


私は10年後の車は、通信インフラの一種になっていると考えている。今後の車のインテリジェンス化は余剰メモリを生み出すことはまちがいない。現在でもスマートフォンは主記憶で数百メガバイト、二次記憶ならば数ギガバイトの余剰メモリをもっている。そしてスマートフォンを持った人々は何キロも移動して学校や会社に通っている。同様のことが車でも起こると考えている。数ギガバイトの余剰メモリを持った車が、毎日何十キロも移動する社会が近づいている。このような社会が実現されると、車は人やモノだけではなく、情報も運ぶ通信路となる。

車による通信路は、車が入り込める場所であればどこでも通信路になるという特徴がある。そのため通信路が整備されていない途上国において、道路さえ整備されていれば通信路を切り開くことができる。これにより、ネットワークインフラを整備することができない国でも、端末さえ持っていればインターネット上の数十億の人とつながることができる。車はある程度の裕福層から中間層以上の人が買うものであるため、車による通信路の整備により富の再分配が行われる。

コンピュータによって途上国の教育を変えようとする運動にOLPC(One Laptop Per Child、一人の子供にひとつのノートパソコン)プロジェクトがある。これは100ドルのコンピュータを作り、途上国の子供たちの教育に使うというものである。しかしこのプロジェクトは、有線による通信が構築されている都市部でしか実現できていない。そのためこのプロジェクトに参加するには、政府の大規模な投資が前提である。

車による通信路は、そのような政府による大規模な投資を必要としない。また、端末もOLPCのような豪華なものではなく、2Gの携帯電話相当のもので問題がない。SMSが読めて音声が使える端末と車が通信を行う。地方のユーザからクエリを受けった車は、インフラが整った都市部に向かった際にデータを吐き出してサーバに送り出せばよい。

ただし従来のメタルやファイバーの高信頼、低テイテンシー、小型パケットといった環境とこなり、車を通信路として利用するには、低信頼、高レイテンシー、超巨大パケット、という特殊な環境になる。そのため、セッションをベースとした現在のTCP/IPとは異なるプロトコルスタックが必要になる。このような世界では、端末に対して「○○について教えて」というと「○○」に関する答えが数日後に帰ってくる。ようなアプリケーションが必要になる。そう、最近iPhone4Sで出たSiriのようなプロトコルが必要になってくる。

さて、ここまでが今後10年で起こるであろう車の変化だ。それではここから50年先に車に起こる変化を見てみよう。

五十年後の自動車からは運転するという概念は消え去っているだろう。
アクセルペダルは自動車の発展の過程で抽象度を次々と変えてきた。初期の自動車ではアクセルペダルは燃料噴射量の調整であった。その後、エンジンの回転数を変化させることに意味が変化した。自動車がコンピュータ制御になってからはアクセルペダルは車の速度を変化させることに変化していった。

この次の50年はアクセルペダルはさらに意味を変えるだろう。

10年後にはインホイールモーターの電気自動車が実用化を迎えるだろう。この頃になるとアクセルペダルは「進む」ということだけに意味が変化しているはずだ。もはやエンジンの頃にあった回転数なんて考えも、無段変速機の標準搭載によって意味を成さなくなってしまった。
この時代はLTEによる第五世代の通信が標準搭載され、首都圏を走っている車の60%はリアルタイムに通信できるようになり、また集中的にモニタリング管理されるようになる。

20年後には車を構成する材質が大きく変わる。現代は70kgの人を運ぶのに、1000kgもある車を運転している。移動を行うのに、93%のエネルギーが車に利用されており、人間が移動に利用しているエネルギーはたった7%である。インホイールモーターの車では、エンジンとシャフトを支える必要がなくなるため、車に剛性は必要なくなる。この頃の車はインホイールモーターでかつ構造部はCFRPで作られるようになるだろう。最大の重量物はモーターとバッテリーになるはずだ。トータルとしての重量は100kgを切るようになるだろう。
この時代の車はすべての車が中央でモニタリング管理されているため、目的地に着くための最短経路は中央のクラウドで計算が行われるようになる。現代であれば経路的に最短と考えられるルートを提示するが、この時代ではすべての車の稼動を最適にすることによりスケジューリングを行う。追い越し可能な道路では、クラウドからの指示で前後の車が強調して後ろの車を抜かせる。この先にある交差点で直進車ははじめのうちに固め、右折車を後続に固めることで、効率的に交差点を通過するためだ。こうした複数の車間での協調動作により、中央高速道路の利用率は20%下がり、一般道の利用率は上昇した。しかも自動制御の恩恵と車体幅自体の減少により渋滞は起こらず、むしろスムーズに流れるようになった。この時代のアクセルの意味は「運ぶ」である。

30年後の車はインホイールモーター1輪、制御輪が2輪という三輪車に近い構成になるだろう。ボディはCFRPで作られた立った卵状の形態をした構造になる。アクセルの目的が「運ぶ」から「会う」に変化したからだ。車の本質は遠隔地の人と人との体面を実現するための手段である。そしてこの時代もコミュニケーションの必要性は未だに失われていない。立体裸眼視のビデオチャットでも、空気感の共有は未だになしえてなかった。ハンドルは駐車のときに使うものになった。もはや車をコントロールするものはコンピュータであり人間ではなくなった。車はひとつのオフィスとなり、アクセルペダルの意味は人に「会う」ことに変化した。
アクセルペダルの目的が「会う」に変化したことで、車に求められる用件は大きく変わった。目的地に向かうことではなく、目的の人物と会うことになったからだ。東京の人と静岡の人が話をしたいなら、神奈川あたりでおち会えばいい。車はひとつの作業空間となっており、作業空間ごと車が神奈川に向かっていく。アクセルペダルは、会いに行くためのトリガーに過ぎなくなっている。向かっている間は会談のための資料を使ってもいいし、リフレッシュのためのビデオを見ても良い。そして神奈川で会談をした後は中華街に繰り出して打ち上げをすればよい。
モーターが一輪になったことでパワーは下がるが、登坂路などでは車を引っ張ってくれる自動操縦の車が待ち構えているので、後ろから押してもらえばよい。
この時代の車は免許が不要になる。人間がコントロールすべき部分がなくなるからだ。小学生が小学校入学時に学習机を買ってもらえるのと同じように車も買ってもらえるようになる。

40年後の車はもはや回転軸はついていないかもしれない。アクセルペダルと呼ばれていたものは真の意味での「会う」を実現する。遠隔地にいる車との空間の共有、空気感の共有、遠隔地勤務が完全に行われる。朝起きて、家の前に止めてある車に乗り込む。そして仕事を行い、車から降りて家に帰る。その際車は何も動かないし、動く必要もない。アクセルペダルによって人と「会い」、仕事をすることができるからだ。
一方、人々が車に乗らなくなったことで空いた道路には、旧世代の自動運転の車があふれかえっている。自動運転の車の中には生鮮食品を積んだもの、コーヒーサーバを積んだもの、子供用品を積んだものなどが走っている。道路は生活消耗品とぜいたく品を流通させるためのモノになった。我々は車の中から欲しいモノを発注するだけで自宅の前まで届けてくれる。生鮮食品屋を呼ぶと、生鮮食品が詰まった車が自宅の前まで来る。あとは欲しいものを手に取るだけで手に入り、課金も終わっている。生鮮食品の入った車は、在庫が少なくなると近場にある食物工場に立ち寄り補給する。食物工場は高層ビルになっており、通常の畑に対して面積当たり100倍以上の収穫を可能にし、再生可能エネルギーとLEDによって野菜を生産する。
ある人は、セレクトショップカーを走らせている。洋服が欲しいと注文したお客さんのプロファイルから、適切な商品の詰まったセレクトショップカーを選んでお客さんのところに送り届ける。ブティック経営はいかにお客さんに合った車を手配できるかが勝負の時代になった。

50年後のアクセルペダルはもう存在しないのだろう。
家の建築時から車は家の機能として組み込まれ、1Room1Kitchin1Carというのがこの時代の一人暮らしの標準的な大きさになる。この時代の車は情報処理の基盤であり、空間を融合する仕組みである。
Car部屋による労働と、巡回している自動運転の車による必要物資の購買、自動運転のタクシーによる遠隔地への移動が生活の基本になる。
この時代の車は概念である。余暇に50年前のガソリンエンジン車を展示した博物館を見て僕らは大笑いをしている。「なんで自動的に動かないの?人間が制御とかありえない」「どこで通信しているの?この車の先っぽの円形のがアンテナ?」「らじお、って書かれたメータを動かすのがついているから、たぶんこれが空間共有の原型なんだろうな」「なんで四人も乗れるようにしているの?それとも50年前の人ってすごく大きかったの?」
そんな世界を僕は待ち望んでいる。


カテゴリ: [日記] - TrackBack(0) - 2011年12月31日 19:13:52
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正規表現を入力すると受理可能な文字列を返すプログラム



なんで対話型プログラミングはできるのに、対話型正規表現はできないんだろう?
という素朴な疑問から、正規表現を入力すると受理可能な文字列を返すプログラムを作ってみました。


実装は sre_parse というpythonの内部ライブラリを直叩きして、正規表現の構文木を生成しています。
あとは正規表現をゴリゴリと展開しています。
後方参照とかは未実装。

正規表現で入力チェックを行っている関数に対するfuzzingテストに使えるんじゃないかなー。

追記
後方参照を実装しました。


カテゴリ: [研究] - TrackBack(0) - 2011年10月22日 20:13:26
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さくテキで発表してきた



第五回さくさくテキストマイニングで発表してきました。
発表内容は以下


修士論文でやった内容を適当に発表。
ちなみに最近は仕事でTwitterのデータを機械学習に食わせたりして遊んでる。

発表メモはnokunoさんのブログがまとまっているので、適当にそちらを参照。
http://d.hatena.ne.jp/nokuno/20111015/1318688035


カテゴリ: [研究] - TrackBack(0) - 2011年10月15日 23:26:16
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C80情報



サークルのページに書いてます。
http://uecgod.jp/blog/?date=20110804



カテゴリ: [同人] - TrackBack(0) - 2011年08月04日 05:52:37
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