「なんだかレナも、本当にクラスのお母さんって感じが板に付いてきたなあ……」
休み時間になり、俺はなんとなしにレナを眺めていた。
下級生の面倒をよく見るレナは、小さな子達からも慕われ、今も彼女らと一緒におしゃべりしている。
「なんですの圭一さん。さっきからずっとレナさんの方ばかり見て……。いやらしいですわね」
「ばっ、馬鹿。沙都子……そんなんじゃねぇよ。つーか、急に話し掛けるんじゃねぇ。びっくりするだろうが」
俺は慌てて振り向き、いつの間にか横に立っていた沙都子に抗議する。
「何言ってるんですの。私、さっきからずっとここに立っていましたわよ? 全然気付かないほどレナさんに見とれていたんですの?」
「みみみ……見とれてただあ? 違うって、レナがあの子をお持ち帰りしないか気になっただけだって……」
「そういう圭一はレナをお持ち帰りしようと考えていたのです。不潔なのです」
「梨花ちゃんまで……。なぁおい羽入。お前もこいつらに何とか言ってやってくれよ……」
いつの間にか梨花ちゃんと羽入まで寄ってきた。
「あぅあぅ☆ 梨花も沙都子もそんなこと言っては駄目なのです。男の子なら仕方のないことなのですよ☆」
「だあああぁぁぁっ! おーまーえーらーはああぁぁぁっ!」
俺は天井を見上げ、があーっと吼えた。
そんな俺を見ながら、沙都子達はきゃいきゃいと笑っている。
「どうしたの圭一君? さっきから騒いで……。何か面白いことでもあったの?」
突然背後から掛けられたレナの声に、びくりと俺の体は跳ね上がった。きっと心拍数も凄いことになっていたに違いない。
「あっレナさん? 実は圭一さんがですね……もがっ! もがもが……」
俺は慌てて沙都子の口を塞いだ。こいつ、なんつー事をレナに口走ろうとしやがる。
「圭一君がどうしたの?」
「いや別に何でもないんだ。レナは気にしないでくれ」
俺はあくまでもレナには振り向かないまま、梨花ちゃんと羽入に念入りに睨みをきかせ、釘を刺しておいた。
それなのに……。
「圭ちゃんがねー。さっきからずっとじっとりねっとりとレナの体を舐め回すように見てたの。で、レナの胸って綺麗な形してるよなーとか、お尻が柔らかそうだなーとか、今日はどんなパンツ穿いてるんだろハァハァ☆ とか妄想してたんだよね? 圭ちゃん」
「え? そうなの圭一君? ……そうだったの?」
何だかショックを受けたようなレナの声。
でも、本当にショックを受けたのは俺の方で……。
「だあああっ!! 魅音、アホかあああぁぁぁぁっ!! 最近ちょっと綺麗になったなって思ってたんだよっ!!」
だから、気が付けばそんなことを大声で叫んでしまっていた。
シン と静まりかえる教室。
凍り付く空気。
俺の顔が……耳まで真っ赤になるのがこの上無く自覚出来た。
恥ずかしさで、顔を上げることが出来ない。
逃げ出したい。今すぐここから立ち去りたい。
「あっ……。ちょっ、レナっ!!」
魅音が叫ぶ声で、我に返る。
振り返ると、レナが猛ダッシュで教室を出て行くところだった。
扉を開け、廊下を走っていく……。
俺はただ、それを呆然と見送ることしかできない。
力の抜けた俺の手を振り解き、沙都子が口を開いた。
「…………圭一さん。何をしているんですの?」
「……………………え?」
「『え?』じゃありませんですわ。こういうとき追いかけるのは殿方の役目でしてよ?」
「で……でも俺……」
「でもじゃないのです。さっさと追いかけるのです。でないとレナが可哀想なのです」
「圭ちゃん。ごめん、レナを頼むよ」
「あ、ああ。……分かった」
そうだよ。俺が恥ずかしかったように、レナだって……いや、レナの方がずっと恥ずかしかったに違いない。
なら、謝るのは俺の責任だ。
レナに続いて、俺も教室の外へと駆け出していく。
「圭一」
教室の外に出る直前、不意に羽入から呼び止められた。
俺は振り返って彼女を見る。
「きっと、大丈夫なのですよ。レナはちょっとビックリしただけなのですから……。だから、頑張って下さいなのです」
俺は頷き、教室を出て行った。


校舎を出て、レナの姿を探す。
校庭には……いない。
それじゃあ、いったいどこに……? 校舎裏の物置あたりに隠れてるのか? それとも……。
見付けたっ! あの馬鹿、学校の敷地から外に出て、道路を走っていやがるっ! まだ学校の時間だってのにどうするつもりなんだよ。
どうする前原圭一。クールになれ、クールになって考えるんだ。今ここでレナを追いかけたら、俺まで知恵先生に叱られることになる。
決意するまでの所要時間は1秒。
学校? 知恵先生? そんなこと知るものかっ! 校長先生に殴られたって構わない。今の俺にとって、レナを追いかけることの方がよっぽど大切だ。こんなときにクールさなんて必要ないじゃねぇか馬鹿野郎っ!!
答えは最初から出ていた。だから俺はほとんど迷うことなく、レナを追うことを選択した。
俺も出来る限りの全速力で走っていく。
……それにしてもつくづく、なんていうスピードだよ。どんどん学校から遠ざかっていくぞおい。
「レ~~ナ~~っ。待ってくれーっ!!」
俺は叫んで、レナを止めようとした。
声が届いたのか、レナがこっちに振り返ってくれたような気がした。
……げっ。マジかよ? あいつ更にスピード上げやがった。
引き離されそうなレナの背中を必死で追いかける。
くそっ。何でこういうときに限って誰も通りかかってくれないんだよっ!
「俺が悪かったーっ! 謝るからーっ!」
学校はもう遙か遠く。俺達は二人であぜ道を疾走していた。
一体レナはどこに向かおうとしているんだか……。いや、ひょっとしたらそれはレナにも分かってないのかもしれない。
その証拠に、さっきからずっと、ほとんど一直線に走っているのだ。これだけ距離が空いていれば、脇道に入るなどすれば俺をまくことだって出来たはずなのに。
でも、どんどん周囲の風景が変わっていって……。
「頼むっ! せめて話だけでも聞いてくれーっ!!」
俺はさっきからもう汗だくで、足はもうガクガク痛いし、のどは粘っこいものがやたらと絡んで気持ち悪いし、心臓も破裂しそうだった。
そういえばここ……どこだよ? 俺もレナを追いかけることしか考えてなかった。
俺の目の前に、見覚えのある石段が見えてくる。
ひょっとしてここ……古出神社?
レナは石段を一気に駆け上がっていく。それは、学校からあれだけの距離を走ってきたとは思えないほどのスピードだった。
くそっ。負けるものかあああぁぁぁぁっ!!
俺も、2段とばしで階段を上っていく。足への負担がかなり大きいが、ここで追いつかないと、俺の体力ももう限界だ。
「はうっ!!」
「レナっ!!」
最後のところでレナが石段を踏み外し、前に転ぶ。
急いで俺もそれに続いて、一番上のところへと辿り着くと……レナはよろよろと立ち上がろうとしていた。
「レナっ!!」
「きゃふっ!!!!」
俺は背後からレナを抱き締めた。
俺の腕の中でじたばたと藻掻くレナ。
「放してっ! 放してよ圭一君っ!」
「あっ!! ごご……ごめんレナ」
俺は慌ててレナを放した。
でももうレナは、逃げようとはしなかった。
無我夢中でやってしまった行為とはいえ、抱き締めたときのレナの柔らかさとかが今さらながらに蘇って……、俺の顔が赤くなる。
レナもまた、俯いて顔を赤くしている。
「あの…………レナっ! その……ごめんっ!!」
俺は頭を下げた。
「悪かった。レナの気持ちも考えずに……。しかも教室であんなこと言って……。本当の本当にごめん。頼むから許してくれ、俺に出来ることなら何でもする」
でも、もうきっとまったくの元通りの関係には戻れない。……それがとても、寂しかった。
涼やかな風が、俺とレナの間を通り抜けた。
レナが、小さく口を開いた。
「あの……ね。圭一君が私のこと……見てたのって本当?」
「………………ああ、沙都子に言われるまで気付かなかった。つい……見とれていた」
俺も、恥ずかしさでレナの顔をまともに見ることが出来ない。
「わわ……私のこと……、綺麗になったって……本当?」
「ああ、どこがどう変わったなんて……俺には上手く言えないけど、何だか……前も可愛かったけど、最近になって……なんていうかこう、温かいっていうか、柔らかい雰囲気が増したっていうか……」
ぼむっ
俺とレナの頭から蒸気が噴き出す。
そこで、自分で言っていてようやく気付いた。沙都子の言う通り、確かに俺は竜宮レナに見とれていた。何故なら、とても綺麗になったと思ったから……。
こんなしんどい思いをしてまでレナを追いかけたのも、コイツのことが好きだからだ。
「けっ……けけ……、圭一君」
「あっ……ああ…………何だ……よ?」
もう、まともに話すことも出来ない。俺の唇も舌も、情けないほど震えていた。
「圭一君は……私のこと…………その……」
「好きだっ!! 大好きだっ!!」
もはや自暴自棄だった。そして、他に何も上手いことの言えない、心の底からの叫びだった。
ひぐらしのなく声が、妙によく聞こえた。
「ぅっ…………うぅっ」
レナの声が聞こえた。しかもそれは…………泣き声で……。
「レナ?」
俺はそこでようやく、顔を上げた。
レナは真っ赤な顔のまま、ぽろぽろと涙を流していた。
「私も……私も圭一君のことが……大好き」
「…………レナ」
「圭一君っ!!」
レナは突然、俺の胸の中に飛び込んできた。
「本当だよね? 夢じゃないんだよね? 嘘じゃないんだよね?」
「ああ……全部、本当だ」
「うっ……うううっ。うわあああぁぁぁんっ!! ふああああああああぁぁぁっ!!」
レナは俺の胸の中で泣いた。
俺も、いつのまにか涙がこぼれていた。レナのように、叫びはしなかったけれど……。
俺は、レナの頭を優しく撫でてやった。
「ごめんレナ……。今まで気付けなくて……」
俺がそう言うと、レナは首を横に振った。
そして、俺の胸に顔を埋めたまま……嗚咽を漏らしたまま、俺に言ってきた。
「圭一君……ひっく……、お願いが……あるの。さっき……っく、何でもするって……言ったよね?」
「ああ。言った」
「約束して……。朝は私におはようって言って、夜は私におやすみって言って……いっぱい私に優しくして、いっぱい私を楽しくさせて……そして……ずっと、ずっと……一緒にいてくれるって」
「ああ……分かった。約束する。絶対、絶対に守ってみせるよ」
「…………うん。ありがと、圭一君」
レナの嗚咽は続く。
そして俺は、レナを固く抱き締めた。


「知恵先生。怒ってるよな。やっぱり……」
「はぅ……。ごめんね圭一君。圭一君にまで迷惑掛けて……」
「いいんだよ。……俺が好きでやったことなんだから」
「は……はうっ☆」
学校に戻り、俺達は教室の目の前に立っていた。
二人、固く手を握り合って……。
「じゃあ、いくぞ? レナ」
「う……うん」
俺達は一緒に頷き、俺は扉に手を掛けた。
「へっ?」
扉に妙な手応え。そう……いつも沙都子のトラップが発動するときのような……。じゃない、トラップだっ!?
思わず体を強ばらせる俺達。
そして…………頭上から舞い落ちてくる紙吹雪。
パチパチパチパチパチパチ
教室中から拍手と歓声があがる。
「おめでとう。レナ、圭ちゃん」
「ええっ? ちょっと待てよ? なんで……」
「お二人は分かり易すぎですわ。帰るときにはこうなるっていうことぐらい。簡単に予測出来ましてよ?」
「端から見ていて、ずっとやきもきしっぱなしだったのです」
「圭一は、自分の気持ちにも鈍すぎなのですよ。あぅあぅ☆」
俺達はまた……この短時間の内に何度目だ? 顔を真っ赤にして俯いた。
「前原君。竜宮さん」
『はっ…………はいっ!!』
教壇から知恵先生の声が聞こえる。
「おめでとう。……二人とも仲良くね」
俺達はもう、ただ真っ赤になって、何度も何度も頷いた。
そしてそんな俺達に、みんなはいつまでも拍手を送ってくれた……そう、いつまでも……。

―END―

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最終更新:2007年03月27日 02:16