「…うう。詩ぃ、詩ぃ~」
「はいはい。泣かない、めげないの。恋に恋する乙女たるもの、これしきのことでへこたれてたら、やっていけませんよ」
「詩ぃ~っ!」
本日、学校が終わっては梨花ちゃまが私のマンションに駆け出してきて以来、ずっとこの調子で泣き止んでくれないのです。
止め処と無く梨花ちゃまの瞳から溢れる涙の供給源は、本当どこからやってきているのでしょうかね。
私も私で駆け出したいほど重要な用事があるのですが、このまま梨花ちゃまを見捨てておくと内側から干からびて、干物になってしまいそうですし…。
厚さ2ミリもない体つきで『詩ぃ、私もう希望もクソも無いから干物になってやり直すわ』だなんて馴れ馴れしく話し掛けてくる梨花ちゃま、嫌です。
頭部も例外なくぺったんこになり、当然脳みそ部分もスカスカになってしまうでしょうから、今まで以上に風狂な振る舞いを起こすようになってしまいます。
正直、ぶっちぎって変人になった梨花ちゃまも見てみたいという考えはあるのですが…。周囲の住民への迷惑を考えると到底今の梨花ちゃまを死守しなければならないため、梨花ちゃまの傍に付き添う必要があると判断したわけです。
「恋に恋をしてないのです、私は圭一が好きなのです~」
「はい、はい。わかってますよ、きちんと理解しています。100年好きなんですよね」
梨花ちゃまの感情が昂ぶり、抑えがつかなくなると必ず飛んでくる台詞がこの台詞。『100年の時を歩いた』、だそうです。
にわかには信じ難い話ですが、年端もいかない少女にしてはずば抜けて思慮が深いですし、昭和58年の6月までは、聞いている側が肝を冷やす位性格に未来を予知していましたし。
ひょっとしたら本当なのかも。
…あれ、梨花ちゃまが特殊部隊のことで騒ぎ出したのって事件の起こる2週間前くらいでしたよね?
私の記憶ではずっとずっと前から何か予見していた仕草といいますか、その様なものを感じていたのですが。
現に梨花ちゃまは私とお姉の入れ替わりを看破していた節ですし、地下室にてお姉を救ったのは実質異変に気が付いた梨花ちゃまですしあれ私は沙都子をアヤメてくけケケケ…
「駄目えっ! 詩ぃっ、それは駄目!」
「…はっ! 私は、一体何を…」
何かとてもよからぬ回想が思考に巡ってきたのですが…。
「気のせいです、気の迷いです! そうです、100年とはあくまで正式に年数を数えたことが無いから本ッッッッ当に過少の年数を言っているだけであって、本来なら1000年とかとうに過ぎてると思うのです、うう、詩ぃったら信じてない~、ああああああん…」
梨花ちゃまが洗脳してくんのかと吐露を漏らしたくなる位にこちらに詰めより弁を捲し立ててくるのですが、私が別の物事について思案していると、勝手に床へ這いつくばって空気が抜けたようになってしまいました。
現在では床面に転がり回りだだをこねている始末です。
「ねえねえ、聞いて、聞いてよ、関心もってよう~」
梨花ちゃまは自分の拗ね具合をとくと現しているつもりなのでしょうか、唇をたこさん型にでっぱらせているのですが、ひょっとこの物真似をしているようにしか見えません。
「…はあ。泣き癖はおこちゃまと負けず劣らずな癖に、下手な同年代の子供たちよりも思慮深いばかりに、こうなった梨花ちゃまは面倒臭いんですよね。ああ、圭ちゃんは梨花ちゃまをあやす私の立場になって物事を考えるべきです、その通りです! そうすれば梨花ちゃまの願いなんて二つ返事で承諾される事でしょうね…」
しかれども、お情けで実った恋慕なぞどんな女性でも喜べるはずがありません。
人一倍繊細な心をもっている梨花ちゃまに至っては自責の念に押し潰され、結果折角物にした恋情を破棄し、別れてしまうだなんてことも考えられます。
しかし別れた理由はあくまで境遇に耐えられなかったからなのであって、足首に未練のかせを引き連れたままの梨花ちゃまはそのまま恋わずらいに苦しまれるがまま…。ああ、なんと悲しいのでしょう!
最悪の事態は避けなければなりませんね。
やはり圭ちゃんが鈍感なことを利用して、こちらが画作していることを察せさせず、梨花ちゃまの横恋慕を実現させなければなりません。
そのためにはまず失敗を失敗と割り切って、梨花ちゃまに立ち向かって貰わなければならないのですが…。
「あああああ、詩ぃ、詩ぃ! 僕はもう駄目なのです~!」
「泣き止んでください、気に病むことはないですよ。…あああ~今日は悟史くんの看病に行く予定があるのに、なんだか私も涙がでてきましたよ。よよよよ…」
私たちは相互に空いている隙間を近付くことにより埋めあって、ひしりと抱き合います。
私は梨花ちゃまより体格が大きいので、梨花ちゃまの肩に目元を埋める姿勢で。梨花ちゃまは私の胸に潜り込む体勢で、お互い溜めるに溜め込んだ不満の丈をわんわんと叫び始めあいました。
「あああああん、あん、ひっぐ、私たちはきっとこのまま身寄りも出来ず、寂しく朽ちて行く運命なのよお~!」
「失礼な、私だって、私だって…! …ん、ん?」
私が袖を通しているセーターの胸部が液体でぐっしょりと濡れてしまっているのですが、そんなことはどうでもいいのです。
ふと、梨花ちゃまの様子を目に入れていて、ピンときました。これを上手に応用できれば、圭ちゃんなんて手玉にとったようなものなのでは…?
粘着性のある溶媒が飛び散って、頬にかかってきた時には流石に気にかけてしまいましたが、些細なこと。どうでもいいことです。
「ごめん。鼻すすったら鼻水飛んだ」
「んん…。…そうかっ!」
「…ほえ? 詩ぃ、詩ぃ?」
一人合点し、思案を早めて行く私ですが、私は一言も喋っていないため当然のこと梨花ちゃまは理解できていません。
むしろ梨花ちゃまの目つきは私を異端者として捉えているかの様な…。はなはだ、不服です。
まあ、概容すら分からない相手の企みを知ろうとするなんて、他人の思考を読めたりしないと不可能ですからね。
またもやいじけてそっぽを向いてしまっている梨花ちゃまに面を合わせ、順を追って説明していくことにしました。
「梨花ちゃま。男のツボとは、ギャップです」
「ナイキ?」
梨花ちゃまは私の話のでばなをへし折りたいと考えているのでしょうか。
「はいはい、つまらないです。ギャップとは元となる物事と対照の物事の差、普段ツンケンしている人がこちらに親しくしようと踏み寄ってくる様は、なんかこう、悦といいますか…。悦といっても偉ぶっているわけではありませんが、こう、いいでしょう?」
「いいわね。普段勝ち気な圭一が家に帰って一人になると、殊勝な振る舞いになってしまう事に通ずるものがあるわ」
「…なんで知っているのですか?」
「えっ! あっと、その、…覗き、見」
少々ドギマギしていますがさも息をするかの様、平然にどきついことをのたまう梨花ちゃまに、少なからず頭痛を憶えます。
私だってれっきとした一般人、地域の皆さんと同じ感性を持っていますから、
梨花ちゃまの将来がかなり心配になってきたので、釘を刺す意味合いで、私は梨花ちゃまに忠告をします。聞く耳を持たないとは思いますけど。
「幾ら憎からず思う相手の行動観察とはいえ、人の家での私生活まで覗くというのはとてもよろしくないことだと思いますよ」
「愛が成せる業だわ。業と言ったら忍者。にんにん」
梨花ちゃまは両手を体の前に置いて、右手は右手の人差し指だけ伸ばして拳を握り、左手の掌でピンと反り身になった人差しを包み込むように指を握り、やはり左手の人差し指を伸ばす仕草をとりはじめました。
その素振りはあたかも、いや、想像を巡らせなくてもわかります。忍者ですね…。
会話が一段落したところで冷静に状況を分析すると、やっぱり私の忠告はどことやら流れてしまっています。
ちょっとくらい心に留めてください。
「江戸時代まで飛ばしますよ。それに業という単語、忍者とは関連がないと思いますが…」
「知ったこっちゃない、私の発言が正義なのよ」
「もう好きにしてください…」
観念が肝心、諦めも肝心、諦めとは観念。
今の私の御心の深さは観音様も仰天するでしょう。
それ程往生際がよく、何もかもを甘んじて受けいれた覚悟なのです。
「それじゃあ私は、圭一をドキッとさせるためにギャップのついた性格を練習して、習得すればいいのね?」
目を瞑り神々と対話していた私は、梨花ちゃまの比較的まともな言明により現世へ引き戻されました。
そりゃ、元を辿れば梨花ちゃまのための会議なのですから、梨花ちゃまが行うことの確認をとる行為はいたって適切なのですが、違和感といいますか…。
通例にはみ出してる梨花ちゃまこそが、なんか、梨花ちゃまって感じがするんですよね。
「…失礼なこと思ってない? 実際、私を古出梨花として感想をくだしてるんだったら、的外れよ。私はリカであって梨花では…、…いや、なんでもない。で、どう?」
「『ドキッ』って、表現が古いですね」
「表現のことなんてどうでもいいじゃない!」
梨花ちゃまが鬼の見幕で私に食ってかかるものですから、思わず一歩引いて、謝ってしまいました。
心なしか、梨花ちゃまの目尻に光るものが溜まっているような…。…そっとしておいてあげましょう。
「案の内容は悪くないですが…。その作戦は次の機会にやりましょう。今はそれよりも有効な手段がありますからね…」
「内容?」
なんとか修羅から人間へ戻り得た梨花ちゃまが、私がずっと話したかった、本題に食いついてきます。
元々、最初にギャップをおさえることが男のツボをおさえることになると話を持ちかけたのも、このテーマを梨花ちゃまに伝えたいがため。
少々遠回りしてしまいましたが、ようやく声高らかに、宣言する時がきたのです…!
「…そうです。その名も、ずばりッ!」
「…ずばりっ!?」
『泣き落としですっ!』
☆
(…ふう、放課後になって、やっと30分が経過したわ。私たち以外の部活メンバーを始めとしたクラスの皆も下校したし、後は教室に待機している圭一に、話し掛けるだけ…)
(そうやって躊躇して、何分経ってるんですか。軽く20分、踏ん切りつかない体勢のまま、入り口でもたもたしてて。はたから見ていてとても怪しいです)
(なっ、何を言うの! この私が不審者だなんて、公由も大激怒よ!)
(ばっちゃに頭が上がらないような村長さんなんて、目じゃありませーん。まあ、冗談ですけど。公由さんのことは、きちんと敬ってますよ?)
(私の挙動不審ってことはどうなの…?)
「…圭一っ!」
「…ん、うおっ、この手紙で俺を呼び出したのは梨花ちゃんだったのか! いやあ、可愛らしいシールや封に包まれた手紙だったもんだから、ラブレターだと思ってたよ」
「ラブレターなのですっ!」
「…。…、へっ!?」
「僕は圭一が好きですっ! 他の誰より、レナより魅音より沙都子よりいっ! 好き好き大好きなのです、なんで、圭一は僕がこんな、好きだって…、えぐ、好き、…わからな、いの」
「…梨花ちゃん」
「わからないのよ、おかしいわよ、ずっと圭一のこと考えてて、離れなくなって、いつしか圭一のことで思案を巡らせることが日課になって…! な゛ん゛で気゛が付゛いてくれ゛な゛い゛の゛…?」
「梨花ちゃん!」
「大゛好゛き゛っ゛!!」
「…泣かないでくれ、ほら、ハンカチ」
「うう、拭゛いたって、ま゛た゛涙がでちゃうっ」
「なら、梨花ちゃんが楽になるまで、拭き続けるさ。なんたって、梨花ちゃんと俺は、仲間…、…いや」
「…」
「…落ち着いたかい? …そう。梨花ちゃんと俺は、恋人じゃないか」
「…! 圭゛一゛い゛っ!」
「なんというか、泣いてくれるまで俺のことを好きで居てくれる女性を、ないがしろにできないから…。凄く、嬉しいよ。これからの人生、傍に居てくれないか」
「喜んでっ! じゃあ、早速棒と玉を使って穴に入れる楽しい遊びをしましょっ!」
「へっ!?」
「遊びなんてものじゃないわ、これはお互いの人生の岐路を固める大切な儀式! 2人で乗り越えましょ、さあさ横になってあら圭一ったらこんなに固くしてウフフフフフ…!」
「…梨花ちゃん。俺、俺ッ!」
「きゃっ! ううん、圭一ったら激しい! そう、そこよ! 刺激がいいのお、もっとやって~!」
※続きはこの計画が達成、成就されたら行われます
「ムフ、ムフフフ。ウフフフフフ…」
ミッション2 放課後の学校に圭一を呼び出し、泣き落としで圭一を落とせ!
作戦内容:昼休み終了後、あらかじめ圭一の下駄箱に手紙を用意して放課後教室に残ってもらう!
その後作戦班Aがターゲットに接近、熱心に口説け!
ポイント:泣き落としに崩れない男なんて居ない!
この日の天気は小雨で、天井やら内壁、学校全体からしとしとと物静かな水の打ちつける音がこだまする。
私たちと圭一以外の全校生徒が家に帰宅した分、余計に静まり返ってるのだろう。
キーンとした振動数の多い音波に耳を澄ませていると、いつしか職員室で勤務している知恵先生と校長先生の息だって、今だけは止まっている錯覚に囚われる。
学校という空間に詩音と私、圭一の3人だけしかいない気がしてくるのだ。
やがてそれは圭一と私の2人きりになるのだろう。
…私は教室のロッカー側の入り口手前に居て、圭一は自分の席に座って何やら本を読んでいる。
この状態のまま、もうすぐ40分が経過しようとしていた。
なんでだか今日の雨の反響音が、私には安らぎの場を醸し出すバックサウンドの様に思えてきて、ことさら感謝している始末だった。
普段日頃だったら帰りに衣類が汚れるし傘さすのが面倒なんて、愚痴をこぼしてしまうのにね。
「…雨の音には、人を癒しつけるヒーリング効果があるそうです。アルファ波でしたっけね。このことを、話の種にしてみてはいかが」
「…ありがとう、詩音。たまにはいいこと言うわね」
「たまに、は余計ですっ」
…余裕ぶっこいて詩音と会話の応対してるけれど、わたくし、古出梨花。ゆとりなんて都会住居の隙間ほどありません。
これからする事、すべき事を考えているだけで全身ガッチガチにこわばってしまい、今にも逃げ出したい所存です。
ヒーリングとか知ったこっちゃありません。
何より、詩音が提案した腹づもりって、ばっさり言っちゃえば告白って事ですよね。
泣き落としがどーのこーの言ってるけどまずはアタックアタック! って強制してるわけですよね。
私に胸内を打ち明ける勇気がほんの一滴すら振り絞れなくて、困り果てて詩音に相談した訳だというのに、こりゃおかしいですよね。
そりゃ、思いの丈を暴露することが可能な位積極的なら、恋慕くらいちょちょいのホイで実りますよね。
(…そうですよね、梨花ちゃまだって、りっぱな乙女。幼少であるだとか、くだらないことなぞ関係ないのです。
沙都子。ねーねー、あなたに悪いことするけれど。…ねーねーは梨花ちゃまを応援します。沙都子も圭ちゃんに心を寄せているだなんて事は十分承知しているけれど、…。
梨花ちゃまの様子を窺っている内に、手助けしてあげたいと思うようになったのです…)
何を勘違いしたか詩音が私の背中を押してきたんだけど、どういうこと。
詩音だって来年は高校生、成人に近付いてきた体格の力というのはいくら女性でも子供の私の体には十分な圧力がかかり、圧力から逃げ出そうと体が教室方面へ二歩ほど動いてしまう。
無用心で抵抗できるはずもなかったから、尚更ただ押された力に従ってしまうだけで、かなりピンチ。
入り口付近でじっと圭一の素振りを窺っていた私はされるがまま、とうとう圭一の居る室内へ侵入してしまった。
押されて歩いた際にペタ・ペタと上履きの音を立ててしまうあまりよろしくない失態を犯してしまい、即効で圭一に私の存在が割れ、面と面が向かい合う態様に。
最悪。
残念ながら私は漫画の主人公とかにありがちな『よーし思い切って私の気持ちをぶちまけるか!』とかそんなんにならなくて一層緊張しちゃうタイプなんですよね。
もう本当どうしようもない、このまま溶けてしまいたい、できるならとんずらしちゃいたい。
私には叶わぬ淡い羨望だったのよ…、とか心の片隅で思うわけでもなく、気持ちに決別をつけるために言い訳のかざりをつける訳でもなく、単純に逃げたい。
「…もしかしてこの手紙、梨花ちゃんか? 放課後になってから、40分過ぎてるけど。どうしたんだ」
声の主がゆっくりとした手付きにて現在開いている本のページにしおりを挟み、片手にて本を閉じ、席を立ってこちらに近付いてくる。
ガラガラとした男子特有の勝り声の持ち主は、もちろん圭一だ。
待ちくたびれたからだろう、うんざりとした声色にて、手紙の送り出し人の真偽を尋ねてくる圭一。
不幸中の幸いで、現在の私がまともに呼吸すら行えない状態だということは、圭一に計られなかった模様だ。
されども圭一の投げかけてくる疑問の眼差しに、そこまで不快に思われていないだろうなとはタカをくくりつつも、無言が続くにつれやっぱり不愉快なのだろうかと当惑してしまう。
不相応なのだろうか…。私はまだ、一般に思春期と言われる年頃すら迎えていないのだから。
こんなことなら100年の記憶なんて引き継ぎたくなかった。
…これについては本音ではないが、万が一私の記憶がまっさらな状態であれば、幼少時に抱いた淡い恋慕なぞ全く悩まぬ問題に成り下がっていただろう。
負の要素を自覚してしまうから、心を暴け出す行為っていうのは、嫌なのよ。
こんなことならホイホイ詩音の申し出に乗らなければよかった。
乗ってもいいが、きちんと内訳を理解し、極端に追い詰められる惨状にはならないことを確認した上で臨むべきだったのだ。
「そ、その、圭一」
ほら、情けない。圭一と接見し、数分が経った後、やっと喉から放出できたかすり声ですらこれだ。
圭一はあっけからんというか、キョトンと放心している挙措をとっている。
…当然だ。私ですら、何をどうしたいかわからない。
「…。…ううう~っ」
途端、なんだか呼吸における吐き出す行為だけ金縛りが解けたように行えるようになり、息を吐き出した瞬間、目頭やら胸やら背中に熱みが伝導してきて、…地面が視野にぐっと近付いてきた。
ついでに両足の膝小僧が痛い。
痛みがお腹までじわじわと登ってきて、へそに到達したむしゃくしゃが突如弾けるよう四肢に飛び散り、後悔が波となって襲い掛かってくる。
…津波を真っ向から浴びた後は、その場に泣き崩れてしまうだけだった。
「…!? どうしたんだ、梨花ちゃんっ!? 何か、悲しい出来事があったのか!?」
圭一は気をかけてくれるが、今はその優しさが、傷口に染みる。
「みぃ、違うのです、違うのですう、うううう~」
精一杯の拒否だった。
圭一に嫌われたくなく、かつ今の一時期だけ構って欲しくないために使った、あえて理由をひた隠しにする受け答えだ。
当然私の突っぱねる返事に、圭一は言葉を詰まらせてしまい、ただ雨の無常な響きが取り残される。
…圭一が無言になったのはある種の優しさで、私を想ってくれたからこそなのだろうが…。
本音を言うと圭一には私が張った拒みの壁を打ち破って、話し掛けて欲しかった。
顔面が焼ける様に熱く感じるし、同時に液体窒素の冷気を詰め込んだのかと誤解を持つくらい、顔面やら背中が寒い。
手首の脈活動も破裂してしまうのではないかと心配をよぎらせるほど活発で、指先に、ジンジンとした鈍い痺れを憶える。
ただ動かないことだけが私にとって唯一の安穏で、逃げ道だったし、本能の警鐘が私に行動させることを許さなかった。
今、何か振る舞いを行おうなら、息苦しさで死んでしまうように思えたのだ。
「…? みぃ」
背後越しから、ゴツゴツしていて、汗臭くて、あたたかい感覚が纏わりつく。
それはとても心地よい感触で、…いつまでも味わっていたかったから、硬いけれども柔らかい、圭一の胸へさらに体重を預ける。
ぼやけてよく見えなかった視界も、すっきりと晴れ渡っている。
泣き出した直後だからか、教室急が普段よりもくっきりと広がっていた。
そして、背後からの一呼吸を襟元に感じた後に乱雑な、ごしゃごしゃと指や手の腹を当ててくる手触りが頭部全体に伝わってきた。
五箇所と追加一箇所に渡って押さえつけられる力の一つ一つの場所が、とてもあたたかかい。
特に追加の一箇所が当たる場所は他のどの場所をとろうにも物足りない位、くすぐったくて思わず笑みをこぼしてしまう、お気に入りの個所なのだ。
「梨花ちゃん」
私はまだ圭一に頭を撫でて欲しいものだから、特に振り向かず、首だけ縦に振った。
「梨花ちゃん。よければ、俺の膝に座るかい?」
言い終わった圭一は一度私の頭を撫でる行為を止めて、私の眼前に姿を現す。
その場に座り込んではあぐらをかき、分厚い甲の右手にて自身の太ももを『パンパン』とならし、私の向かうべき場所を指図してきた。
私の頭部を撫でる行為を断りも無く止めてしまった身ごなしには不服だが…、好意を寄せる圭一の提案を断る理由などあるはずもなく、甘んじて圭一の体全体にお邪魔する。
圭一にとって、譲歩に近い進言なのだろうが、私は圭一を感じれたらそれでいい。
私が好きになったのは、無理に優しさを取り繕った圭一でなく、圭一である圭一本人だからだ。
…告白のタイミングは完全に逃してしまったが、今ならつもり積もった想いを、きちんと吐けそうな気がする。
なんとなく自信が湧いてくるのだ。
乱れたコントロールの暴投になってしまうだろうが、投げつけようとすれば、渾身の一投を圭一に決められる。
されどもながら、この温もりと告白、二者択一をするというなら…。
やはり温もりの方が捨てがたい。
(梨花ちゃまはうまいこと圭ちゃんに涙を見せることに成功したわけですが、多分、あの涙は素でしたね)
詩音は教壇がある側の教室入り口陰より私を見守ってくれてはいるが、なにやらよからぬ考えをめぐらせている表情をしていて、不愉快だ。
ミッション2 失敗
原因:圭一が優しすぎるが故、告白にもっていけなかった…
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最終更新:2010年04月11日 03:14