[S1]
西に傾いた日がカーテンを透かして、辺りを青く染め上げる。
微風に揺れるカーテンは波のよう。丁度人通りが絶える時刻なのか、自動車のエンジン音も人の声もここまでは届かない。
部屋の空気は水の気配に満ち満ち、深い海底にいるようだ。気分は人魚姫といったところか。
「なかなかメルヘンチックですね」
我ながら照れてしまう空想に、一人でツッコミを入れていた。

昭和57年6月。
聖ルチーア学園から脱走した私は葛西の助けを借り、興宮に独り隠れ住んでいた。
時々お姉と入れ替わり、バイトや買い物に出かけるとはいえ、基本は逃亡者としての生活。
外で行動する時にも魅音として考え行動しなくてはならない生活は、時々息苦しさを感じる。

でも……。昨夜の事を想い出し、胸が暖かいものに満たされる。
「…悟史くん……」
王子様のことを想う人魚姫って、こんな気持ちだったのかな?らしくない考え。でも幸せ。
その時、チャイムが鳴った。
どうせ生命保険か新聞の勧誘だろうと、無視を決め込む。
ピンポン、ピンポン、ピンポン。
チャイムが連打される。
ったく、人が乙女の気分に浸っているというのに。
寝返りを打ちながら、足元に掛けていたタオルケットを頭から被る。
さっさと帰れ、帰れ、帰れ。呪文のように呟く。
コンコン、コンコン、コンコン。
相手はドアをノックし始めた。
ドンドン、ドンドン、ドンドン。
クレッシェンドの記号付き、だんだん音が大きくなる。
「なかなか粘り強い人ですね」
自分でも、目が据わってくるのが分かる。
「詩音、いるんでしょ?」
「…お姉……」
よりによって今最も会いたくない相手だった。
「話があるんだ、開けて」
とっさに居留守を使おうかとも思ったが、そんなバレバレな嘘は通用しまい。
何気なく壁に掛けた時計を見上げる。今日は平日。学校の終業と同時に飛び出し、自転車を全速で漕いできた、そんな時刻だ。
お姉の声からは、扉を開いてもらうまではテコでも動かないという強い意志も感じられる。
仕方がない。溜息を一つ。重い腰を上げた。



[M1]
目から火花が散った。
応答の無いドアを再度叩こうと拳を振り上げた時、ふいにドアが開いたのだ。
ドアにへばり付いていた魅音は、当然顔面を強打することとなった。
「あたたたたた」
あまりの痛さに、全力で自転車を漕いだ身体に篭る熱も、滝の汗によって貼り付く制服の気持ち悪さも、慌てて此処へ飛んで来た本来の目的も忘れ、その場にしゃがみ込む。目には涙が滲む。
「いったい何事ですか?」
頭上から降ってきた詩音の声に、はっと我に返る。
「あんた悟史に、何したの!?」
勢いよくがばっと立ち上がると同時に、吐き出す。
「な、何って……」
いきなりな台詞に面食らったようで、詩音にしては珍しく言い澱む。
「あれ? 昨日、電話で言いませんでしたっけ? ずいぶん落ち込んでいるようだったので、励ましただけですよ。」
何でもないような口調だが、目が泳いだ。
「それだけじゃないでしょっ!」
声に力が篭る。そうだよ、そんなはずはない!!
「いやに、力を込めてはっきり言いますね」
「だって今朝、悟史が……」
そう、今朝、悟史が、言ったのだ。
「悟史くんが?」
赤く染まった頬を見られたくなくて、下を向いた。別に私が赤くなる必要はないんだ。悟史が言ったのは、私にじゃないんだし。
「とにかく部屋に入ってください。こんな所で騒がれたら近所迷惑です」
しぶしぶという態ではあったが、詩音は私を部屋に入れてくれた。



[S2]
さて、どうしますか。
歓迎する気が無いことを示す為にも、お茶は出さなかった。お姉もご馳走になろうという気持ちは無いようだ。全身ずぶ濡れになる程の汗をかいているのに、喉の渇きを意識していないのか。
適当にお茶を濁して帰らそうかとも思ったが、テーブルに肘を突いた姿勢のお姉は、私をじっと凝視している。何があっても誤魔化されるもんかという意思表示のようだ。

「悟史くんがどうかしたんですか?」
お姉の向かいに座りながら、何気なく言う。言えたはず。
「悟史が、今朝、言ったんだよ」
ずいっと身を乗り出し、私の目を睨んだまま迫ってくる。 
「何をです?」
平然と受け流す。なかなかいい線いってますが、私に対抗するにはまだまだ迫力不足ですね。
「だから、あの、その……」
しどろもどろで下向いちゃいましたか。
「いくら双子でも、それじゃ分かりませんよ」
しばらく思案をする風に目をきょときょと動かしている。言葉を選んでいるようだ。
「昨日はありがとう、お陰で元気が出たよって」
「なんだ。普通じゃないですか」
お姉の気迫から悟史くんがどんな失言をしたのかと案じていたが、何でもないじゃないか。
「それだけじゃないんだ」
意を決したようにコッチを向いた。
「昨夜の魅音は素敵だったって。ゴメン、二人だけの秘密だったねって。でも、どうしてもお礼が言っておきたくてって。顔真っ赤にしながら、それも耳元に囁くようにして言ったんだよ」
茹蛸のように真っ赤になりつつ言い切った。頭から湯気が立ち上っている。あらー。悟史くん、そこまで言っちゃいましたか。
「二人は雛見沢のロミジュリだから、誰にも秘密だと言ったんですけどねー」
まあ悟史くんにとっては、昨夜も今朝も同じ魅音だったわけですから、仕方ないんですけど。
「どういうこと!?」
苦笑混じりの私にお姉はぎょっとしたようだ。仕方がない。もう居直るしかありませんね。
「どうもこうも、そういうことです。昨夜、雛見沢のロミジュリはめでたく身も心も結ばれたわけです。」
「えっ? えっ! えっ!?」
混乱したお姉は、全く異なる3つの「えっ」を見事に発音してくれる。まったく、悟史くんの台詞から予想できたことだろうに。
「昨夜の悟史くんはいつも以上に落ち込んでましてね。だから思ったんですよ。これは私の全身全霊でもって慰めるしかないって」
「だ、だからって、そんな、あんな、こんな。いや、だから、その、まさか」
言語中枢が壊れちゃったようです。
「だめだよ! そんなこと!!」
どうにか結論に達したようです。
「どうしてですか?」
「だって、私たちまだ子供じゃない」
「なんだそんなことですか。お姉も古いタイプですね。今時都会じゃ普通ですよ、これくらい」
そう、大したことじゃない。大したことじゃ。
「悟史くんは相手が私だと思ってるし……」
「大丈夫ですよ。今すぐは無理ですが、その内ちゃんと悟史くんに実は詩音だったって、白状しますから。」
「第一、北条の者となんて……」
「……結局、そういうことなんですね」
いつかは言われることだと知っていた。誰かから諭されることだとも思っていた。でも、お姉の口からは聞きたくなかった。
「どうして? 悟史くんは何も悪いことなんてしてないのにっ! 唯、両親がダム推進派だっただけなのにっ!!」
それまで押し留めていた感情が言葉となって溢れ出た。
「だって、他の人達ならまだしも、私たちは園崎本家の人間なんだよ。それに、こんなこと婆っちゃに知れたりしたら……」
「ふふん、笑っちゃいますね」
私は涙を零さぬように耐えながらも、笑いの形に口を歪めた。園崎が何だ、北条が何だ、雛見沢が何だ。私は詩音だ、生れ落ちたその時に、実の祖母に捻り殺されそうになった忌み子だ。今更、園崎本家の人間だと言われてもちゃんちゃら可笑しくて、笑うしかない。
「常日頃、自分が園崎本家の次期頭首だと偉そうな口を叩いている割に、たかが鬼婆一人にびくつくなんて情けない。」
挑発的な私の口調にムッとした顔をする。
「詩音は知らないんだよ、婆っちゃの怖さを」
「それに知ってるんですよ、私」
お姉の反論を無視し、傍らに膝で擦り寄って行く。そう私は知っている。
「お姉だって、悟史くんのことが好きなくせに」
お姉の肩を抱き、耳に吹き込むように囁いた。
「ばっ! 馬鹿なこと言わないでよ!」
相変わらず、初心ですね。顔が真っ赤に熟したトマトですよ。
「今朝、悟史くんに素敵だったって言われて、どう思いました? 耳元で囁かれたんでしょ? こんな風に肩を抱かれて。その時、どうでした? 感じました?」
「どどどどどどうって?」
熱暴走しているお姉を、更に加熱する。
「知ってます? 悟史くんって、意外にテクニシャンなんですよ~」
「ててててててくにしゃん~~~っっっっ!?」
このまま私のペースで進めてやる。



[M2]
「最初はね、本当に励ましてるだけだったんですよ」
そう言うと、詩音が自分の肩に私の頭を凭せ掛けるようにした。
「こうやって悟史くんの話を聞いていたんです。叔父に愛人ができて帰って来なくなったこと、その所為で叔母の機嫌が一段と悪くなったこと、沙都子への風当たりが益々酷くなっていること……そんなことをポツリポツリと話してくれました。」
詩音は遠く見つめる目をして話し始めた。今の内に沸騰した頭を冷まさなくちゃ。
「私は何も喋りませんでした。だって、何を言えばいいんです? どう話せばいいんです? 何も言えなかった。唯、相槌を打って聞くことしかできなかった」
昨夜の事を思い出したのか、私の肩に回した詩音の腕に力が入る。
「それで思ったんです。言葉で慰められないのなら、せめて身体でって」
そう言うと、私の顔を覗き込んだ。
「だからって、どう言えばいいのか分からないのは同じですけどね。まさか『やろう』って言うわけにもいかないし、『抱いて』っていうのもなんか違うし」
真剣な表情でじっと私の顔を見つめる。
「どうしていいのか分からないまま、こうしてジッと悟史くんを見詰めてたわけですよ」
天下の園崎詩音さまともあろうものが、と自嘲気味に続けた。
「そしたらね、悟史くんが気付いてくれたわけですよ。あの、ドの付く鈍感に輪をかけた上に煮詰めて濃縮したような悟史くんがですよ!?」
照れたようにニコッと微笑した詩音。こんな無邪気な表情もできるんだと驚かされる。
その隙を突くように、詩音が唇を重ねてきた。触れるか触れないかの軽いキス。触れては離れ、離れては戻り、何度も何度も繰り返される。無意識の内に驚きの声が漏れ、開いた私の唇から詩音の舌がするりと侵入する。パニックに陥った私は身体が硬直し、抵抗することも思いつかなかった。徐々に激しくなる詩音の動きに翻弄され、息が上がる。柔らかい粘膜同士の接触が、こんなに気持ちいいものだとは思わなかった。口の端から唾液が垂れ、いやらしい音が漏れる。
いつの間にか詩音の両手がTシャツの裾から潜り込み、円を描くように私の肌を撫で摩っていた。緊張で凝り固まった私の脇腹や背中を優しくマッサージするような動きに、身も心も溶かされていくようだ。
「可愛いよ、魅音」
熱い吐息とともに耳の中に注ぎ込まれる自分の名前が、こんなに甘い響きを帯びているのは初めてだった。その熱さ、甘さに脳が痺れる。それは詩音の声なのに、私の脳内で悟史のものに変換される。
「さ、悟史…」
淀みなく流れるような動きのままブラのホックが外され、胸に風を感じた。
「えっ?」
首筋や胸元に口付けていた詩音が、両手で掬い上げるようにしながら乳房を弄び、赤子のように乳首に吸い付く。舌先で転がされる度に漏れそうになる声を、口に拳を当て必死で堪える。身体の中心にもやもやした不思議な感覚が集まってくる気がする。
悟史がしたの? こんなことを?
詩音の手が、内腿から脚の付け根にかけて行き来する。ジーパンの上からの刺激に、恥ずかしくもあり、もどかしい気もする。
肝心な所を触ってくれない。焦れてきた自分に気付き、唖然とした。
そんな私の戸惑いを感じ取ったように、詩音はジーパンのボタンに手を掛けた。チャックを下ろす音が、いやに大きく響く。嫌だ、恥ずかしい。
尻の丸みに沿うようにして、下着もろとも一気に脱がされた。躊躇う間もなく、詩音の頭が下腹部に向かう。
「だ、駄目だよ」
咄嗟のことに抵抗もできず、両脚を開かれた。慌てて閉じようとするが、既に割り込まれた詩音の身体に阻まれ適わない。
「ひっ!!!」
詩音がそこを舐め始めた。丁寧にゆっくりと、形をなぞるようにして。わざとらしく音までたてて。
「やめて! お願い!!」
快感以外の何物でもなかった。初めての感覚、初めての感触、初めての刺激。こんなの知らない。こんな私は知らない。
「きれいだよ、魅音」
舌だけでなく指先での愛撫も加わった。反射的に背筋が弓なりに反る。自分でもイヤなのかイイのか分からなくなってきた。こんな自分は嫌だと思いつつも、更なる刺激を求めている自分がいる。気がつけば、詩音に合わせるようにして自分の腰が動いていた。
浅く深く緩急をつけ、詩音は私を追い詰める。どんどんどんどん高みへと追い遣る。一縷の理性が私を押し留めようとするが、性感の大波に攫われる。
とうとう全身を覆う白い光に包まれて、私は果てた。



[S3]
不思議な感覚だった。
最初は、単にお姉をからかって、適当な所でおしまいにするつもりだった。
それが途中から変わった。
昨夜の悟史くんの動きを思い返しながらお姉を愛撫している内に、自分が悟史くんになった気がした。なったと言うか、乗り移られたというか……。悟史くんの行動だけでなく、精神まで追体験していた。悟史くんの優しさや愛情が感じられた。どれだけ悟史くんが愛しく思っていてくれたか、どれだけ悟史くんが大切に扱っていてくれたか。執拗なまでに丁寧な悟史くんの愛撫や、なるたけ私を傷つけないようにしようとする慎重さに、私は溢れる暖かさを感じていた。そして、もう一つ……。
だから、キッチンに向かった。冷蔵庫を開けた。目的の品を持ち、お姉の元へ戻った。
殊更見せびらかすようにして、お姉の顔の前に突き出した。
「こんなものに悟史くんの代わりをさせるのは心苦しいですが、仕方がありませんね」
お姉は目にした物の意味が分からず、きょとんとしていた。日頃おじさんぶって下ネタを飛ばすわりには、鈍いですね。
「…きゅうり?……」
「なかなか良い型でしょ? この反りなんか悟史くんに似てるし」
本当はそこまで観察していたわけではないが、意味深に指を沿わせ、ひとつ、かましておく。
まだ自体を把握していないお姉の腰を固定し、きゅうりを陰部に当てた。
「え? えっ? ちょっ、ちょっと待ってよ、詩音!!」
「だ~~~め。」
語尾にはハートマークとウインク付き。悪魔の微笑もサービスしちゃう。今どこに当たっているのか、存在を誇示するようにゆっくりと当てて、這わせる。
「お願い。それだけは…」
やめてと続ける前に軽く押し込んだ。
「ひっ!!!」
初めての異物の感触に怯え、お姉は腰を引く。でも逃がさない。
急がず、慌てず、慎重に。悟史くんがしてくれたことそのままを、お姉にやらなきゃいけないんだから。
あくまでもお姉の反応を見ながら、無理をさせず、できるだけ傷つけないように。ゆっくり進め、時には退く。でも、やめない。
そう、悟史くんは傷つけることを恐れる優しさを持ちながら、止めることができない程の情動も感じてくれていたんだから。
「全部入りましたよ、お姉。どうです、感想は?」
「うう……」
今は感想どころでは無いらしい。涙が溢れる切なげな目で、早く抜いてくれと訴える。
「もうちょっと我慢してくださいね~。もうすぐ終わりますから」
予防接種を受ける子ども相手の看護婦さんの気分。お姉はそれどころでは無いでしょうけど。
「分かります? 今、悟史くんがお姉の中に入っているんですよ」
絡み付く肉壁の抵抗を感じながら、ゆっくりと動かす。時々、お姉が呻いたり、身体をびくつかせたりするが、そんなことを気にしてはいられない。私は今、悟史くんなんだ。欲望のままに行動する、男としての悟史くんなんだから。
「魅音、好きだ」
恥ずかしさと痛みと、理不尽なことへの怒り、悲しみ、戸惑い。それらに支配され、振り回され、相手が誰かも分からなくなっているお姉。
「ん、くっ。さ、悟史…私、も……うっ」
少しずつ速度を上げ、動きを大きくしていく。何故だか私の息も荒くなる。
「もういくよ。」
「…うん…」
容赦の無い最後の一押しで、お姉は意識を手放した。



[M3]
ゆっくりと身体の感覚が戻ってきた。倦怠感が全身を覆い、身体の中心が熱を持った鈍い痛みを発している。なんとなく目も腫れぼったい。
「私、どうしたんだっけ?」
誰かの存在を感じた。私の上に被さるようにしていた。ぼやけていた目の焦点が合ってくる。
詩音だった。
「ひっ!!」
途端に詩音にされた所業を思い出し、身を硬くする。
だが、詩音は何も言わず、ただ黙々と私の身体を清めていた。濡れタオルを用意し、自分の愛液と血で汚れた部分を丁寧に拭き取ってくれていた。愛情を込めて丁寧に作業するその姿からは、先刻の無慈悲さは感じ取れない。
清拭を終え、身支度を整えてくれた後、詩音が私をぎゅっと抱き締めた。
「魅音…、ありがとう」
胸の内を温かくしてくれる声音だった。優しく頭を撫でてくれる手が悟史のそれと重なる。
心なしか、詩音の肩が震えているような気がした。
「以上が昨夜の顛末です」
あっさり言ってのけると、突き放すようにして詩音が離れた。
「後は、魅音と悟史は雛見沢に於けるロミオとジュリエットなんだから、このことは二人だけの秘密。何処で誰が聞いているかもわからないから、二人きりの時でも話さないでおこう、とそう約束して別れました。それでおしまいです。」
あまりの落差に同一人物だとは思えない。
ぽかんと詩音の顔を眺めていると、
「お姉が訊いたんでしょ? 悟史くんに何をしたんだって。だから教えてあげたんじゃないですか」
「へ???」
つまり、何? 私が昨夜のことを尋ねたから、詩音はそれを再現してみせたってわけ???
それで私は喪失しちゃったってわけ???…その……操ってやつをですか?
「お姉には、口で言うより身体で教えた方が確実でしょ?」
ケロリとした表情でそんなことまで言ってくれる。
「それに、次に悟史くんが押し倒した相手がお姉だったら、バージンだと拙いし、結果オーライじゃないですか。」
終いにはそんなことまで言い出す始末。
反論したいのに何を言っていいのか分からない。反撃したいのにどう攻撃していいのか分からない。
うーうー唸っていると、冷酷に詩音は言った。
「それじゃ、帰ってもらえます? もう用事は済んだでしょ?」
「え?」
有無を言わさぬ強さで私の二の腕を掴み、無理矢理立たせる。
「私もちょっと疲れました。もう休みます」
「ちょ、ちょっと、詩音?」
そのまま玄関口まで連行され、靴を履く間さえも惜しいようにして外へと押し出された。
「詩音…」
私は鼻先で閉じられた扉を、ただ見詰めることしかできなかった。



[S4]
こんなつもりじゃなかった。
初めは、ただ悟史くんを慰められればそれでよかった。その相手が魅音だろうと詩音だろうと関係ない、そう思っていた。
でも違った。悟史くんに抱かれ愛されているうちに、詩音を愛して欲しいと思うようになった。詩音が愛されていると勘違いしてしまった。
雛見沢のロミジュリは北条悟史と園崎魅音。
園崎詩音は雛見沢という舞台に上がることもできず、ただ観客席から芝居を眺めるだけ。台詞の無い通行人Aよりも無価値な存在。
ちょっとした手違いで、舞台に紛れ込んでしまった観客。それが、たまたま主役のジュリエットに瓜二つだっただけの話。
世間では、ロミオとジュリエットは悲恋だと言われているが、そんなの私は認めない。相思相愛で、やることやって、二人揃って天国にまで行けちゃうんだから、立派なハッピーエンドじゃないですか。結ばれるのが、地上か天上かの違いがあるだけで。
薔薇をキャベツと呼ぼうとも、薔薇であることに変わりがないとかいう台詞があるそうだけど、それはあくまで薔薇を薔薇として見てもらえる場合の話。
キャベツにきっちり包まれた薔薇は、誰にも薔薇と認めてもらえない。薔薇の甘い香りを嗅いでもらったり、ベルベットのような感触の花びらを触ってもらったり、鋭い棘で軽く突付いてみたりして、初めて認識してもらえる存在。
キャベツの匂いや手触りやシャキシャキした食感だけじゃ、決して薔薇とは呼ばれない。
そう、魅音という皮に包まれた詩音の存在そのもの。
「何で詩音が薔薇で、私がキャベツなのよ~」
口を尖らせてぶーぶー言うお姉の姿が、目に浮かぶ。
「いいじゃないですか、それくらい。キャベツとしてでも存在を認知してもらえてるんだから」

一方、私はまるで人魚姫。魅音という名の両脚を与えられたけれど、代償に詩音の声を取り上げられた人魚姫。魅音の脚で歩けば痛み、自分は詩音だと告げる声を持たない。
「ロミオに恋する人魚姫というのも斬新でいいですね」
茶化してみても痛みは消えない。

どうして私は詩音なの? どうして私は魅音じゃないの?
問うても詮無いこととは知りつつ、訊かずにはいられない。
いっそ御伽噺の人魚のように海の泡と化して消えてしまえれば、どれほど嬉しいことか。 
それさえも適わぬ身ゆえ、私はただただ涙を流す。潮の香りのする涙を流す。

     -END-

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年02月11日 13:54