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「おはよう、悟史!」
 学校に登校した私は机に着いていた悟史に声を掛けた。
「おはよう魅音、今日も元気だね……」
「ふっふっふ……おじさんは元気だけが取り柄だからね」
私に変わらないその優しい笑顔を携えて悟史は言った。柔らかい微笑を見ているとこっちのほうが元気を貰ってしまう。屈託の無い瞳に見つめられてしまうとなんだか胸がどきどきして仕方ない。
「あのさ、悟史。ちょっと宿題見せて……くんない?」
「えっ、またかい……魅音……」

私と悟史はこの雛見沢に生まれ育った、俗に言う幼馴染というやつだ。幼い頃からの友達であり、一緒に雛見沢を駆け回っていた日々を思い返す。分校にも同級生として通い共に学んでいる。
悟史はとても仲間思いの優しい男子でどちらかというとおっとりとした性格をしている。
むうっと言うのが口癖で、何か困った事が起きるといつも眉をひそめている。その表情を見ると、こっちから何か手助けしてあげないという気持ちを起こさせてしまう。悟史は私の親友の一人だ。いや、それ以上の感情がもう芽生え始めていたのかもしれない。心の中に悟史の居場所が、ぼんやりとした心地よさを含むその場所が私の中にあったのだから。
でもそんな優しい悟史の顔が曇り始めてきたのは、いつの頃からだっただろう。ただ蝉の鳴き声が険しく聞こえ始めていた事だけが私の頭の中で反芻されていった。



悟史の妹の沙都子の体調が優れない日々が続いた。同調するように悟史も徐々に不調が襲っていった。
「……ごめん魅音、ちょっと一人にさせてくれないか……」
そんな言葉が毎日のように繰り返された。優しい笑顔が段々と蝕まれていくような感覚が私を支配した。
北条の、悟史の叔母から虐待を受けている。そんな話を聞いたのはそれから少したった頃だ。妹の沙都子とのそりが合わないらしく、沙都子と悟史に強く当たっているらしい。
それを聞いたときには、居ても立ってもいられずに、悟史の叔母の行為を止めさせようと考えた。
しかし、頭に浮かぶだけでそれはできなかった。家柄の都合上、園崎と北条には確執があったから。
ダム戦争の澱だった。北条家の人間は裏切り者として村の除け者にされていた。私は園崎の頭首代行を務めている。だから無闇に動こうとすると園崎の信頼を失墜させてしまう。
裏切り者を村の総意の権化が救うことは村の誰も望んでいない。私が悟史の友人であった事に村の人はいい顔をしなかったほどだ。悟史への想いと家柄に挟まれ、私は無力な存在だった。
そんな悟史と沙都子の心痛を少しでも和らげようと私は部活を開いた。感じているストレスを少しでも発散できればいい。当時の私にできた未来の見えない二人への最低限の罪滅ぼしだった。
そんな二人への施しも実を結び、悟史と沙都子に笑顔を見ることができた。あの優しい顔をうかがい知ることができただけで私の心に光が燈った。
「ありがとう魅音。沙都子もとても楽しがっていたよ」
「あはは、いいんだって。このぐらい。喜んでもらえて部長名利に尽きるねぇ」
突然ふわりとした優しい感触が頭の上にあった。
「ふぁ……」
「本当にありがとう、魅音」
暖かった。心の底から包まれるような温もりを感じる。胸の高鳴りが止まらずに鼓動が直接聞こえてきた。悟史への想いが一層強くなった瞬間だった。



「ねぇ……お姉。お姉の同級生に男の子がいますよね。名前はなんて言うんですか?」
突然、詩音の口から悟史のことが出て来て、少し困惑した。
「そう……悟史、君って言うんですね……」
昭和57年、興宮に住んでいた私の妹の詩音はこれもまた園崎家の都合上、私と離れて暮らしていた。拘束される生活に嫌気が差したという妹のために私は双子の特性を活かして詩音と時々入れ替わりを行っていた。
私が詩音と入れ替わっている時に詩音は悟史と出会ったのだろう。それからというもの詩音は悟史の事を私に頻繁に尋ねてきた。詩音の様子から見て、悟史に恋を抱いたのだろうと私は感じ取ってしまった。双子の妹の事だったから薄々思ってはいたのだが。
詩音は頻繁に入れ替わりを求めるようになり、悟史と会う機会が増えていた。代わりに私が悟史に会う機会は少なくなっていた。悟史を焦がれる気持ちが溢れ出始めたのも、この頃からだった。
「魅音、この間は差し入れありがとう。とっても美味しかったよ。どうやって作ったんだい?」
私にはまったく記憶に無い事を悟史から聞くことが多くなった。魅音として過ごしている詩音との思い出を聞かされることが多くなったのだ。それを聞くたびに悟史を詩音に取られてるような感じがして悲しくなった。でも詩音に対して私が悟史に好意を持っているなんて口が裂けても言えない。妹を興宮に追いやってしまったのには私にも責任があったから。
悟史への想いと詩音への思いに挟まれた私は身動きが取れなかった。ただ二人の仲を見つめるだけの孤独な時間が増えていくだけだった。



「お姉、ごめんなさい。私ちょっと、悟史君にひどい事を……」
悟史が相当精神的にまいっていた頃だと思う。詩音の言葉に心が痛んだ。詩音は悟史を思うあまりに沙都子に手を出してしまったという。悟史にも相当咎めを食らったことを詩音は涙ながらに訴えてきた。
「……大丈夫、詩音。私が明日悟史に会って謝って来るから……ねっ、もう泣かないで……」
詩音のためなのか私の悟史への想いのためなのか、複雑に入り混じった気持ちを持ちつつ私は泣いていた詩音をなだめていた。迷惑なことをしてくれたという詩音への気持ちが無かったと言う訳ではない。その一方で悟史に嫌われてしまったのではないかという気持ちが私を取り巻いていた。

翌日私は悟史の家に向かった。息を大きく吸い、気持ちを落ち着かせた後に言葉を発した。
「……ごめんください」
「はい……。……魅音……」
私の顔を見て複雑そうな顔をした悟史が私を出迎えた。
「それで……何の用」
悟史の言葉に少し棘が含まれていた。心に刺さってくるそれを堪えながら私は言った。
「昨日の事なんだけど、その……謝りたくて……さ」
身に覚えの無い事を、しかも悟史に謝らなくてはならなかった。詩音のためだったのか、私のこれ以上嫌われたくないという気持ちがあったからなのだろうか。押し潰されそうな心を震わせて私は謝罪の言葉を述べた。
「ごめんなさい、悟史。私あの時、気が動転しちゃってて……悟史と沙都子に迷惑を……本当にごめんなさい」
しばしの逡巡の後に悟史が答えた。
「正直、魅音がどうしてあんなことをしたのか……理解ができない。もしかして僕らの事をもっと深くに陥れようとしてやったんじゃないのかと……思ったよ」
「そんな……事、微塵も思っていないよ、悟史。そう思ってしまったんなら、本当にごめん。謝って済む問題じゃないかもしれないけど……」
悟史の心痛がくっきりと私に刻み込まれた。私は謝罪を繰り返すしかなかった。
「ねぇ、魅音。もう沙都子も精神的にまずい所まで追い込まれてるんだ……誰も助けてはくれない、ただみんな見ているだけで……」
つらつらと悟史は凝り固まった心の内を吐露していった。こんなにも悟史は追い詰められていたなんて思いもしなかった。いたたまれなかった。
「悟史……あの、こんなこと言われるのは心外かもしれないけど……私は悟史の味方だから。もう悟史を追い詰めることなんて絶対しない。できることがあるなら私、何でも手伝う」
気が付いたら私の想いを悟史に吐いていた。悟史とこうやって向かい合う機会はもう無いだろうと感じていたからなのかもしれない。
「……」
悟史は押し黙ったままうつむいていた。
「私が言いたかったのは……それだけなの……ごめん、邪魔したね。私帰るね……」
席を立ち、悟史に背中を向けたときだった。
「待ってよ!」
私の体をぎゅっと悟史が後ろから抱きとめていた。初めて感じる悟史の体温とにおいが私の体を包んだ。すっと頬が熱くなっていくのが分かった。
「……助けてくれよ……魅音。僕を見捨てないでくれ……」
「悟史……」
悟史の手をやさしくとって私は悟史と向き合った。悟史の顔がこんなにも近くにあったのは初めての事だった。
「大丈夫、悟史……私は……」
高鳴る鼓動を必死に抑えつつ、私は想いを初めて打ち明けた。
「私は悟史の事が……好きだから」
涙に濡れていた悟史の瞳を見詰める。永遠に思える時間が過ぎた後にどちらからともなく唇を重ねた。その柔らかな感触は今でも憶えている。忘れることなんてできない。
「魅音……」
唇を離した後に私は言葉を紡いだ。
「来て……悟史……」
悟史の少し硬い指が私の乳房に触れた。アルバイトをしていると聞いたからその苦労をうかがい知る事ができた。心身ともに疲弊している悟史がたまらなくいとおしかった。
「すごく……柔らかいんだね……女の子の……」
「ん……」
悟史のその言葉を聞いたとき、私は悟史の初めてになるんだろうと思った。
───詩音とはまだ関係を持っていないんだ……
そんな考えを持ったときに私の体に電気が走る。
悟史が私の乳房にむしゃぶりついていたからだった。悟史の舌から感じられる生ぬるい感触に私は包み込まれる。敏感になった突起からくすぐったさに似た心地よさが襲ってきた。
悟史の濡れた光沢のある舌の、その艶めかしい動きを見て思わず吐息が漏れる。
「んん! さ……とし、そんなに……強く……」
「あ、ああ……ごめんよ、魅音」
はっと悟史が顔を上げ私から口を離す。私の片側の乳房だけが悟史の唾で濡れて、その中心で突起が恥ずかしいぐらいに起立していた。
「……今度は悟史のを……」
体勢を変えて私は悟史のものに目をやった。初めて見る男性の、天を衝くかのごとく隆起しているそれを見て私は驚きを隠せなかった。
「これが……悟史の……」
「むうっ……あまり……見ないでくれよ……」
悟史の困惑を聞きながら私は恐る恐るそれに両手で触れた。触れる瞬間に悟史から小さな声が漏れる。
───大きい……そしてかたい。これが私の中に……
そう思うと若干の恐さが湧き出てきたが悟史のものだと思うと、いとおしさが溢れてきた。
脈打つそれの熱さを感じながら、私は悟史に伝えた。
「悟史……来て……悟史のが欲しいの」
「……魅音」
悟史のものが私の入り口にあてがわれた。
「いくよ……魅音」
悟史が前屈みになってぐっと力を入れた。同時に裂かれるような痛みが込みあがってくる。
「……あっ……く……はぁ……いっ!」
「うう……く、大丈夫……かい……魅音?」
「はぁ……はぁ、だ、大丈夫……だよ、悟史」
痛みはあったのだが虚勢を張り悟史に伝えた。
「動くよ……魅音」
「う、うん……うぁ」
悟史がそのまま腰を突き動かしてきた。大きな痛みに体が支配されていくが、悟史の熱さが感じられて私の心が満ちていった。詩音には手に入れることの無い悟史の初めての熱さを感じた。
妹に対して最低の優越感を覚えてしまった私がいた。
───ごめんね、詩音。でも……
悟史と繋がって少しの間が経ち悟史から声が漏れた。
「はぁ…うくっ…魅音、もう僕は……!!」
 感じていた悟史の熱さが離れる。同時に別の水気をはらんだ熱い塊を私のふとももに感じた。
「……はぁ……はぁ……悟史……」
悟史の出した汗と精液のにおいが私の鼻腔を突き抜けて行った。



昭和57年の綿流しの祭りの日が徐々に近づいていった。相変わらず詩音は悟史と会うために私と入れ替わりを求めてきた。詩音は悟史と過ごした事について引っ切り無しに私に報告してきた。
楽しそうな詩音の声を聞かされる度に私の心は複雑に揺らいだ。悟史との関係を深めていく詩音に対して私はあの日、悟史に抱かれた日以来、向かい合って話をする機会が無くなっていったのだ。
悟史から聞かされるのも私に化けた詩音との思い出だけだった。さらに綿流しの祭りの会合によって、私の時間も割かれてしまった事もそれに拍車を掛けていた。
悟史と詩音の関係の間に決して立ち入ることのできない、透明の壁を感じる日々を私は過ごしていた。

そんな憂いを感じていた私に悟史から電話が掛かってくる。久々に悟史と二人で話せる機会ができて、嬉々として受話器を握った。
「魅音、この間はありがとう。また魅音に色々と助けてもらったね」
また詩音との思い出だった。
「……ううん、いいの」
先ほどまで感じていた嬉々とした気持ちが冷めていくのを感じた。
「……最近さ魅音に助けてもらうばかりでとても感謝してるよ。色んな所に行って、二人で遊んだよね……近頃、なんか今までの事が全部思い返されてくるよ……」
「そうなんだ……」
悟史は私の記憶に無い思い出をたくさん伝えてきた。そこに私との思い出は一切無い。私はもう感じ取ってしまった。もう悟史の中に自分はいない。詩音しかいないのだと。それぐらいこの悟史との会話は決定的な物だった。
「……魅音? 聞いてる?」
「…………聞こえてるよ。悟史の話した私との思い出……全部……」
こみ上げる悲しみを忍び、声を震わせないように言った。
「それでさ、魅音。また一つだけお願いがあるんだ」
「……待って悟史」
私は悟史の言葉を止めた。
「……私の事……好き?」
「……うん、……好きだよ。どうしたんだい魅音? このまえ興宮で何度も聞いてきたのに……」
そんなことを聞いて私はどうするつもりだったのだろうか。悟史から聞くことのできた好きという言葉。好きという言葉を、悟史の声を私は聞きたかったのかもしれない。それが私ではなく詩音に向けられていた物だったとしても。
「あのさ……今ちょっと、急用あってさ、後で掛け直させてくんない? 5分後ぐらいには、またこっちから掛けるからさ」
「5分だね……できるだけ急いでくれないかな。物を頼みながらこんな事言って申し訳ないけど」



「もしもし、詩音?」
私は詩音に電話を掛けた。悟史のことを話すと声色を変えて飛び付いてきた。
「悟史君がどうかしたんですか? もしもし、お姉?」
「……うん。悟史から電話があって私に話したいことがあるって。多分詩音に向けての頼み事だと思ったから掛け直すって悟史に伝えた」
詩音に悟史の家の電話番号を言い掛け直すように伝える。
「わかりました、今から電話します」
「待って……あのさ……詩音……」
私の瞳に涙が溜まっていくのがわかる。唇をくっと噛み締め、震える声と体を必死に抑えながら私は言葉を紡いだ。
「もう、私の言葉は……もう」
───嫌だ……言いたくない。これを伝えたらもう……悟史とは……
悟史の笑顔が姿を結ぶ。幼い頃から過ごしてきた悟史の思い出が頭の中で浮かんでは消えていった。

「私の……言葉はもう悟史には……通じないから……さ……詩音の言葉ならきっと通じると思う……だから悟史の話を聞いてあげて……」

電話を終え受話器を置いた。同時に瞳からこらえていた涙が溢れるように流れてきた。そのまま地面に崩れ落ち嗚咽を漏らした。悟史への想いを自ら絶ってしまった私は、ただむせび泣く事しかできなかった。



突然だった。綿流しの祭りが終わって数日も経たずに悟史が消えた。
急な失踪に私はただ困惑するしかなかった。もちろん家族や組の者に行方を聞いたが誰も悟史の失踪について関わりを持つ者はいなかった。必死になって私も調べたのだが行方は今でも知れない。オヤシロ様の崇りに遭ったからと村の人間は言っていた。
そんな中で詩音の荒れ様は凄まじかった。自棄になって何度も私に当たってきた。
「あんたたち園崎家が悟史君を疎ましく思って消したんでしょう!! 何とか答えなさいよ、悟史君を返しなさいよ。ねえ、お姉!!」
私の気持ちなど微塵も考えない詩音に対して私は気付くと声を荒げていた。初めて妹に憎しみを抱いた瞬間だった。
「詩音のバカ!! 私だって悟史を……悟史のことを……」
涙を隠すためその場から逃げるように私は疾走した。
───悟史……どうして……いなくなったの……?
いなくなった悟史を追い求めるように涙を流しながら私は懸命に地面を駆けていた。私の心の中にあった悟史の居場所には、ただ空っぽの宙空が広がっているだけだった。



「よう! 魅音。今日も元気か?」
教室にいた私に向かって元気な声が響く。
「おはよう! 圭ちゃん。今日も朝から元気だねえ」
圭ちゃんの活発な姿を見るとこっちまで元気付けられてしまう。
前原圭一こと圭ちゃんは雛見沢に最近引っ越してきた男子で快活で明るい性格の持ち主で悟史とは違ったベクトルで場を和ませる面白いやつだ。

「ねえ圭ちゃん、今日の宿題ってこれであってるかな」
圭ちゃんに今日の宿題の答え合わせをしてもらう。
「おお、全部合ってるぜ、魅音。よくがんばったな」
圭ちゃんが私の頭を撫でた。悟史とは違って髪形が崩れてしまうぐらいに強く撫でてくれる。
荒々しさの中に長い間感じていなかった温もりがあった。
「……圭ちゃん……」
私は圭ちゃんに好意を抱いているのではないかと思う。

でも違う。それは違う。多分私は、悟史の代わりを圭ちゃんに見出しているのだ。
消えることの無い悟史の気持ちを圭ちゃんにダブらせて求めようとしていた。
悟史の代わりを求めるために好意を抱いたことを口に出せば、最悪の人間だと誰もが私を罵っていくだろう。そんなことは無いと、必死に自分に言い聞かせて圭ちゃんに振舞うことを何度も試みた。でも駄目だった。悟史の代わりとしか考えることができないのだ。
悟史から抱かれたときに感じた熱さと痛みを、圭ちゃんに追い求めようとしている自分がいる。

空っぽになった心の中の宙空。かつて悟史のいたその場所に圭ちゃんを重ね合わせようとしている。屈託のない圭ちゃんの笑顔を私は見つめた。
「圭ちゃん……ごめんね」
やっぱり悟史への思いが忘れられそうにないんだ

fin
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最終更新:2023年10月18日 13:07