祭りの始末
待ちかねた夕暮れを喜ぶかのように、ひぐらしが鳴いている。
一日の終わりを寂しがっているのか、それとも夜の帳を待ちかねているのか。どちらにせよ、彼らの声を聞くと、言い知れぬ寂寥感が込み上げてくる。
入江診療所の前に自転車を停めた富竹は、ふと思った。
入り口のガラス戸を開けて中に入ると、扇風機の風が身を包む。キンキンに冷えた都会の病院の冷房よりも、この優しい風の方が心地良い。
「もう、診察の時間は終わりですよ。」
受付に座っていた年配の女性が、渋い顔をしてこちらを覗く。しかし、富竹の顔を見て
「ああ、富竹さんですかあぃ。」
と、笑みを浮かべた。
医療スタッフ以外の受付や事務員、清掃員などはほとんどが地元の出身で、富竹の正体を知らない。
入江所長の学生時代の友人というのが、病院内での富竹の立場だった。
「綿流しが終わったんというに、今年はまだおるんですね。先生呼んでこようか?」
「いえ、こちらから出向きますよ。」
席を立とうとした女性を制して、富竹は所長室に向かった。
「ああ、富竹さん。」
所長室へ向かう途中、診察室へ入ろうとする入江とばったり出会った。
カルテだろうか、何冊もある書類の束を脇に抱えていた。
「お久しぶりです。」
富竹は挨拶をして、入江の後に付いて診察室に入っていった。
仕事の途中なのだろうか、机の上には書類が乱雑に散らばり、飲みかけの珈琲が置かれている。
「すいませんね。私も筆が遅いので・・・。」
「いえ、気にしないで下さい。僕も報告書は遅いクチですから。」
患者席の丸椅子に座り、富竹は入江の机にある書類に目をやった。
一週間前に発生したあの事件。
「東京」の内部抗争から端を発した、雛見沢村の壊滅作戦のことである。
結局は「番犬」部隊の投入と公安の秘密裏の介入により事無きを得たが、名目上でも責任者である入江京介に対し、各種の報告義務が課せられたのであった。
「情けないですね。ここのトップでありながら、あんな陰謀に気づかなかったとは。」
「それは私も同罪です。予算を司る立場でありながら、慣れ合いになっていて、直前まで不透明なカネの流れに気づかなかった。」
お飾りの頭と、一介の連絡員。
二人に出来る事は限られていたし、活動したとしても消されていたのかもしれない。現に富竹は消されそうになった。
それでも、二人の心には大きな罪悪感があった。
共に過ごした仲間の絶望に気付かず、心中の狂気を見逃し、凶行に走らせてしまったという罪悪感が。
「鷹野さんは、どうですか?」
富竹が、ポツリと言った。
「変わりません。食事や、ちょっとした会話はしますが、後はずっと窓の外を見ていますね。」
逮捕直前に富竹の胸で泣き明かした後、鷹野三四は入江診療所に運ばれた。
症候群の検査とトラップで負った傷の治療のため、今は隔離病棟で過ごしている。
「そうですか。」
富竹は顔をしかめた。あの後、自分は「東京」本部への報告と後始末のため、しばらく雛見沢を離れた。
そのため、事件後に鷹野の姿を見ていないのだが、その憔悴の様子は容易に想像できた。
「先生。」
「ええ、3階の角部屋ですよ。」
面会したいのですが。と言いかけた富竹の表情を察してか、入江は鷹野の病室の番号を告げた。
「多分、いえ、必ず鷹野さんも会いたがっている筈ですよ。」
「先生・・・。」
「医者の私が言うことではないのですが、人の心に一番効く薬というのは、やはり人の心そのものだと思うんですよ。」
入江は恥ずかしそうに、頭を掻いた。
「行ってあげて下さい。夕食も終わったころです。」
「ありがとうございます。」
言うが早いが、富竹は立ち上がり、機関車のように走り去っていった。
その背中を見送りつつ、入江は誰にともなく呟いた。
「・・・人に想われるということは、素敵ですね。」
鷹野三四は、病室の寝台の上に居た。
包帯は未だ巻かれているが、治療の甲斐あって痛みは殆どない。
「東京」による本格的な尋問は来週からというが、明日からでも答えることはできるだろう。
三四は穏やかな気持ちであった。今なら何を聞かれたとしても、淡々と正直に答えることが出来る。
「憑き物が落ちた」という表現があるが、今はまさにその心境であった。
父母との死別・地獄のような施設の日々・祖父との出会いと別れ・「東京」への参加・狂気ともいえる復讐劇・・・。
全てが心の中に等しくあり、まるで自分が観客であるかのように、今までの事実を冷静に見て取れた。
その中で、唯一冷静に見て取れない事実。思い出せば心の奥底に火種を灯し、鼓動を打たずにいられない事実があった。
「ジロウさん・・・。」
ほんの少し、頬に紅が灯る。
自分にとっては、野望のために付き合ってきた男の中の一人に過ぎなかった。
少年ならば背中に胸を押し付けるだけで、大人ならば体を委ねることで、大抵の男は篭絡できる。
富竹もその一人だった。好意を見せる一つ一つの仕草に一喜一憂し、どの男よりも単純な反応を示した。
扱いやすい私の手駒。富竹に対する三四の評価はその程度だった。
そして、最終的に駒は使われなくなる運命になる。終わってしまったチェス版に駒は残らない。
これまでも使った駒は捨ててきた。時には激しく罵られる時もあったし、殺されそうになったこともある。
しかし、富竹は違った。
騙し、殺害を企て、目を覆いたくなるような方法で捨て去った。
それでも、絶対絶命のその時に、この自分を救ったのだった。
わからない。彼がわからない。
こんな、酷い女をどうして。
その時、まるで機関車が走ってくるような音が聞こえてきた。
音はドアの前で停まる。向こうで息を整えるような声がした。
「鷹野さん、富竹です。」
三四は息を飲んだ。富竹が、そこにいる。
「ジ、ジロウさん?」
答えて、寝台から身を起こし、布団を胸元まで引き上げる。
(え、え、え?東京に帰っていたのではないの?!は、早過ぎない?)
いけない、これでは中学生のようだ。そう思いながらも、三四は顔が赤くなるのを禁じえなかった。
「入るよ、いい?」
「え、え、はい。」
答えるのと同時に、扉が開かれる。そこには黒色のタンクトップに緑色のズボンといった富竹の姿があった。
富竹二尉ではない、自然な富竹ジロウとしての姿。見慣れているはずなのに、どこか頼もしく見えた。
「ごめん、お見舞いでも持ってくればよかったんだけど、慌しくて忘れていたよ。」
本当に忘れていたのだろう。それだけ彼の身の回りが慌しかったということだと、三四は理解した。
「気にしなくていいわ。来てくれただけで、嬉しいんだもの。」
その言葉に、富竹の顔が一気に赤くなる。本当に、嘘のつけない男だった。
「もう、来てくれないと思っていたから・・・。」
どんな理由があろうとも、彼を裏切ったのは自分だった。正直、二度と姿を見ることはできないとも思っていた。
しかし、富竹は優しい顔をして自分を見据え、備え付けのパイプ椅子に座って三四の傍らに座った。
「僕は、鷹野さんを嫌いになったことなんて、ないよ。」
「でも、私はあなたを裏切った。酷いことをした。殺そうともしたのよ。」
「・・・そうだね。僕は鷹野さんがひどいことをしたことについて、怒っているよ。」
富竹の顔は、引き締まったものに変わっていた。
いたたまれず、三四は視線を落とした。
覚悟はしていた。だが、それでも富竹の口から絶縁や罵倒の言葉を聞くことは耐えがたかった。
「御免、鷹野さん。」
ぱんっ。と、乾いた音が響いた。富竹の平手が三四の頬を打ったのである。
一瞬、三四は何が起きたか理解出来なかった。しかし、遅れて頬に走る痛みが、自分を現実に戻した。
「うう、ううあぁぁぁぁぁ・・・。」
平手といっても手加減はされてある。だが、痛い。トラップで受けた傷よりも、何よりも痛い。
自分に科せられる贖罪は生半可なものではないだろうとおもっていた。
しかし、この痛みはあまりに厳しい。心を許した人から受ける叱責が、こんなに心を穿つなんて。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんさない・・・。」
もう、届かないであろう贖罪の言葉、それを何度も繰り返した。溢れ出る涙と共に繰り返した。
その時、強い力で抱きしめられた。気が付くと、富竹の顔がすぐ側にあった。
「鷹野さんの罪は、関係のない人を巻き込んで殺そうとしたこと。それは、思うだけでとても罪深いことなんだよ。」
自分の妄想が甦る。雛見沢の住民を皆殺しにしての血の宴。
一瞬の陶酔に身を委ねたその後に、自分には何が残ったのだろうか。たとえ自分では「神」に至ったと思っても、自分以外の人間にしてみれば、狂った殺戮者でしかない。
そんな大量殺戮者の汚名が祖父と自分に着せられるのだ。祖父の名を汚すと言うことは、自分と祖父の研究を唾棄した、あの連中よりも罪深いではないか!
「もう一つの罪は、その事を一人で抱え込んだこと。閉鎖が決まった時、僕や、入江先生にその悲しみを打ち明けてくれれば、鷹野さんはここまで苦しまずに済んだのかもしれない。」
そうだった。富竹も、入江も仲間だった。
ずっと、一人で生きていた三四には、仲間という概念が欠けていた。だから、仲間に相談するという当然の選択肢が、最初からなかったのだ。
「そう、なのよね。そうだったのよね。みんなに打ち明けて入れば、ああぁ・・・。」
後悔の涙。遅かった。何もかも遅かったのだ。
自分の過ちに気付くことも、仲間というものへの接し方も、全て、全て終わってしまってから気が付いてしまったのだ。
「でも、鷹野さん。」
懺悔の渦中にいる三四に、富竹は告げた。
「僕は、誰が許さなくても、僕は許すよ。だって、鷹野さんは僕の大切な、仲間なんだから。」
三四は顔を上げて富竹の目を覗き込んだ。
力強く、決意に満ちたその瞳。
自分が、更に引き込まれていくのを感じた。
「ん・・・!」
唇と唇が、触れ合った。突然の口付け。
驚いた富竹が離れようとするが、三四の腕が、頭を押さえて離さない。
息が詰まるまで、それは続いた。終わると富竹が強く息を付く。
「ありがとう、ジロウさん。私、あなたが好きよ。」
それは、幾度の世界で告げた言葉。しかし、これまでと違って、言葉に挑発的な響きは無い。
「鷹野さん、僕も、僕も君のことが。」
言い終わる前に、再び唇が重ねられた。今度は優しく。
「嬉しい・・・。」
抱き合う二人。今度は富竹が唇を近づけた。軽い、子供のようなフレンチキス。
慎ましやかな、富竹の性格そのままで、三四はくすりと笑った。
「来て、私の全てを抱きとめてほしいの。」
「鷹野、さん・・・!」
富竹の体が三四を覆う。抱きしめたまま、寝台の上に倒れこんで、二人は唇を合わせ続けた。
寝巻きの合わせから富竹の手が伸び、豊かな三四の乳房を掴む。
「は、あっ。」
唇が今度は首筋に走り、胸へと降りた。寝巻きの前がはだけ、胸元が露になる。
「奇麗だ、とても・・・。」
唇を離して富竹が呟く。三四はされるがまま、富竹の愛撫を受けていた。
その時、三四の膝が、富竹のいきり立ったその部分に触れた。
「あ・・・。」
二人の声が重なり、沈黙が流れた。
自然と、視線がぶつかる。
「三、三四さん。これは・・・。」
富竹が恥ずかしそうに呟く。
その姿がどこか可愛げで、三四はくすくすと微笑んだ。
既に日は落ち、病室には街灯の薄明かり。
その中で、裸身の男女が体を重ねていた。
「三四さん、いいかい・・・?」
富竹は開かれたその部分に、自分の分身を重ねる。
既に潤ったその部分は、薄明かりに照らされて、妖しい色艶を輝かせていた。
「ジロウさん、三四って呼んでいいのよ。」
「う、うん、三四さん・・・。」
この遠慮が三四にとっては愛しい。こんな優しい人を一瞬でも殺そうとしたなんて、狂気に毒されていた自分の考えに、恐ろしさを感じた。
「いくよ・・・。」
徐々に富竹の分身が埋没していく。
「ん・・・。」
筋肉質の富竹のその部分は、やはり大きい。わずかな痛みを感じながら、三四は男性を受け入れる悦びを感じていた。
全ての部分が入り、富竹の吐息が漏れる。
「ジロウさん、動いて・・・。」
声と共に、富竹の腰が動く。ゆっくりと、この瞬間を1秒でも多く味わうかのように。
「三、三四さん・・・。」
「ん、あっ・・・。ジロウ、さん・・・。」
それは三四も同じだった。上体を起こして唇を重ねる。本来二つであったものが一つになるように、二人は体の触れ合いを求めた。
座位になって抱き合いながら交わる。お互いの唇を、首筋を、胸を、貪る様に、求める。
自然と律動も激しくなり、それと共に嬌声も艶を増した。
「三四さん、三四さん!三四さんっ!」
「はあぁっ!ジロウさん。凄い!わたし、わたし、ああぁあっ!」
「好きだ、三四さん。好きだ!」
「私も、ジロウさん、ジロウさんっ!」
このまま、いつまでも交わっていたい。二人の思いは同じだった。
しかし、絶頂はすぐそこに近づいていた。
「あ、三四さん・・・!も、もう!」
「うん、うん!私も、一緒にぃ・・・!」
寝台に倒れこみ、富竹は激しく腰を動かす。
同じく、三四も律動に合わせて腰を動かし、両足を愛しい人の腰に回して、しっかりと絡みついた。
三四を組み伏せた富竹の動きが一段と激しくなる。
「う、うぅっ!三四さん!」
甘い痺れと共に、富竹は全てを解き放った。
激しい勢いで濁流が三四の胎内に流れ込み、まるで吸い込まれているような錯覚を覚える。
「はぁ、あああぁぁ・・・。」
恍惚の表情を浮かべて、三四は富竹の全てを受け入れた。
自分の中に愛しい人の想いが流れてくることが、こんなにも温かいとは・・・。
この想いを伝える言葉が見つからなくて、三四は静かに富竹の唇を求めていた。
「僕が守るよ。君を。」
幾度目かの営みのあと、富竹が呟いた言葉。
眠りに付く直前に聞いたその台詞が、とても印象深かった。
富竹ジロウの奔走により、鷹野三四及び入江京介の罪が減じられ、現状維持の判断が下されるのは数週間後のことである。
終わり
最終更新:2007年09月17日 23:20