私は誰よりも美しい。

今日、私は学校を休んだ。 別に具合が悪かったわけではない。
両親が仕事で東京に行っているのをいいことに、そのままズル休みをしたのだ。

学校には風邪だと連絡した。 電話口でちょっと咳でもしたら、あの人の良い先生はコロっと騙されてくれた。
とても美人で生徒達にも尊敬されている教師、知恵留美子……。
だが所詮彼女も女としては甘いということだ。 私の嘘にあっさりと騙されるあたり、やはり浅はかだと言うほかあるまい。
まあもっとも顔だけ見れば、この雛見沢の中でも数少ない美人に入る部類だとは思うが……。
私だってあのくらいの年になればもっともっと美しくなっているはず。 別に驚嘆すべきほどでもない。
むしろ若さを兼ね備えている分、遥かに私の方が「上」なのだ。 美人教師などものの数ではない。
……そう。 たとえ「本物」ではなくとも、「本物」を越えることはできるのだ。
それを私はこの雛見沢で証明して見せるのだから……。

「ふふふふふ……♪」

現に今の私はこんなにも輝いている。 こんなにも美しいではないか。
こうして道端を歩いているだけで村人の誰もが振り返ってくる。 一人たりとも私を無視できない。
まだ年端もいかない少女、少年。 私と同い年くらいにも見える青年。 そして今真横をすれ違っていった老獪なご年配の方ですら。
「あんれまぁ~、一体どこの子だろうねぇ。 あんな可愛いらしい子、村におったっけ?」
「あ~ほれほれ、あの**さん家の娘さんじゃないかい? にしてもほんと綺麗じゃねえ……」
そんなヒソヒソ声を聞くたび、私の中にとめどない優越感が沸いてくるのだ。 胸の中を沸々と熱いものが駆け巡っていくのを感じる……。

今日は学校を休んで本当によかった。 でなければこうして「この格好」で村を歩くなどできなかっただろうから。 
さっき偶然出会った鷹野さんですら、私を見て 「あらあら可愛い子ねぇ♪ 見ない顔だけど、どこのお家の子?」 などと話かけてきたほどだ。
人口二千人にも満たないこの雛見沢では、私のような見たことのない「美少女」はさぞ珍しいのだろう。
つまり今の私は、誰の目から見ても「どこかのお家の女の子」というわけだ。

「……まあ、当然か♪」

田んぼに挟まれたあぜ道を歩きながら、私はおもわずそんなことをつぶやく。
こうなってくるとやはり、あの両親には感謝しなければならないだろう。
私をこの姿へと目覚めさせてくれた彼ら。 こんなにも素晴らしい「美少女」へと昇華してくれたお父様とお母様に……。

「……へ? 仕事の手伝いだって?」

ある日、俺は家で両親に声をかけられた。
父の仕事の資料でどうしても女の子の被写体が必要だから、「これ」を着てくれないか? と。
そうして両親が差し出してきたのはものは、生では生まれて初めて見る洋服だった。
まるでドレスのような感じのデザインで、全体に黒を基調としている洋服……というより、コスプレに近いか。
一度父の持っている雑誌で見たことがあるが、いわゆるそれは「ゴスロリ服」と呼ばれるものだった。
上下の装飾にはレースやフリルがたっぷりと使われており、いかにもお嬢様が着るものといったゴージャスな雰囲気をかもし出していた。
おまけに、手首、胸元、首などには小さな黒いリボンがいくつも備えつけられていて、少女(ロリータ)という意味を象徴する可愛らしい装飾がふんだんに盛り込まれていた。
下。 スカートの丈の方もかなり短くされていて、少しかがむだけで下着が見えてしまうんじゃないかというほどだった。
そしてその短いスカートを引き立てるように、同色のニーソックスまでもがしっかりと膝上までを覆い尽くせるほどの長さで用意してあったのだ。
部活の罰ゲームで、たしか梨花ちゃんが似たようなデザインのものを着ていたのを見た記憶があるが……。
これを男である自分に着ろ、と? この両親は息子にこれを着ろ、と言っているのだろうか?

「あ、あんたら正気かっ!? お、おおお、俺は男だぞぉーーーっ!?」

もちろん俺は即座に断わった。 二つ返事に。
いくら前原家の家計を支える父のためであっても、こんなドレスのようなものを着るのは男としてのプライドが許さなかったのだ。 何よりこんなものを自分の息子に着せようなどと、この両親は本気で変態ではないかと疑ったものだ。
そうして俺は何度も断わったのだが、彼らはそう簡単には諦めてくれなかった。
「はっはっは、照れ屋さんだなぁ圭一は~♪ ほんとは着てみたいんだろう~?」
「だ、誰が着てみたいんだよこの変態親父がっ! おふくろも何とか言ってくれよ!」
「まぁまぁそんなこと言わず、おねがいよ圭一。 お父さんを助けると思って……ね?」
そうして申し訳なさそうにするお袋は、スっと何枚かのお札を差し出してきた。 それを見た瞬間、俺の目の色が変わる。
これを着てくれたら、なんとバイト代まで出すと言っているのである。 そこまで重要な仕事なのだろうか。
その具体的な金額の提示を見て、俺の中で少しだけ心が揺らいでいったのを憶えている。

「ちょっとこれを着るだけで……そ、そんなにくれるの? むむむー……」

女装という羞恥と、その金額でできることを両天秤にかけていく。 俺は頭の中でそれをクールに判断していった。
よく考えてみれば、普段からこういった女の子の洋服は着せられているのだ。 もちろん罰ゲームで……。
魅音やレナはそういった女装系は俺を狙い撃ちしていて、メイド服やセーラー服といった恥ずかしいものはわりと頻繁に着させられていた。
おまけにその格好のまま下校までさせられるのだから、俺はすでに村中の人間に「そういった趣味」があるものと勘違いされていてもおかしくはない。
ならば今さら両親二人に見られることぐらい、どうでもいいのではないか?
もっとも血の繋がった人間に見られるのはまた別かもしれないが、それさえガマンすればこの破格のバイト代がもらえるのだから悪くないかと思った。

「…………わかった、いいぜ。 この男前原圭一、愛する両親のために人肌脱いでやるさぁぁぁぁっ!!」

そうして俺はそのゴスロリ服を着ることを承諾した。 もっとはっきり言ってしまえば、女装することを受け入れたのだ。
女の子の洋服。 おまけにこんな特殊なものを着た経験がまったくない俺は最初とまどっていた。 だがおふくろが着させてあげると、色々と世話をしてくれたのだ。 本当に色々と……。
「お、おいおふくろ! これはちょっとやりすぎじゃ……」
「いいからいいから♪ いや~こんな可愛い女の子が欲しかったのよね~♪」
その時のおふくろはとてもノリノリだった。 もうお肌テッカテカで実の息子である俺を女装させていったのだ。
写真に写るため本物の女の子に見えなければいけないらしく、なんと俺の顔に化粧まで施していったのである。
おまけにあらかじめ用意していたのか、ロングの綺麗な女性用かつらまでかぶせられ……。 もはや俺はおふくろ専用の着せ替え人形と化していたのだ。
「はい、完成♪ とっても可愛いわよ~圭一ぃ♪」
「ば、ばか、何言ってんだよ! まったく……」
「はっはっは、照れるな照れるな♪ ほんとに可愛いぞぉ圭一、お父さんもう辛抱たまらんなぁ!」
「死ね変態親父! さ、さっさと終わらせようぜっ!!」
そうして俺は親父のアトリエで写真を撮られることになった。 早く終わらせたい……その時はとにかくそれだけで頭がいっぱいだったことを覚えている。

アトリエの中はすでに撮影用に様々な装飾がなされていた。 つまり親父は、俺がこれを承諾してくれるものと決め付けていたわけだ。
壁にはしっかりと真っ白なカーテンが張られていて、その一角にはアンティークなテーブル、イスなどの家具が様々に用意されていた。 色々と指示をされ、俺はまずそのイスに腰をかけていった。
親父はこういった撮影には慣れているようで、女装した俺はそこでさまざまな要求をされていくのだ。
指を噛みながら甘えるような表情をさせられたり、下着が見えてしまうだろうという女豹のポーズをさせられたりと……。
正直、ものすごく嫌だった。 もう死んでしまいたいほど恥ずかしかったが、これもあの金額のためと黙って従っていったのを覚えている……。
そうして長い長い時間が過ぎていき、ようやく親父のフラッシュの音が止むと俺の屈辱のバイトは終わっていった。
親父は取り終わった写真をすぐに現像し、わざわざ俺とおふくろに見せてくれた。
一体どんな変態女装男が写っているのかと……恐る恐るそれを見る。 すると、そこに写っていたものは……。

「へ…………こ、これが、俺?」

そこには……生まれてこの方見たことの無いほどの「美少女」が写っていた。
ニコっと笑顔を振りまきながら、可愛くイスに座っているその女の子……。
おふくろの化粧が上手かったのか、それとも俺の「才能」のなせる技なのか……。 そこに写っている女の子にはまるで違和感が無かったのである。 それどころかもう完璧な美少女だった。
着ている服がそうなせいもあり、どこか深窓のお嬢様といった雰囲気も感じられる。 こんな可愛い女の子が道を歩いていたら俺は間違いなくナンパするだろう。 ……いや、逆にレベルが高すぎて手が出せないか?
それくらいに思えるほど「俺」は美しかった。 「女装した俺」は美しかったのだ。
そしてその女の子を見たとき、同時に俺の中でいままで感じたことのない感情が芽生えていた。
優越感や高揚感といったような、そんなドクドクとした感情が胸の中で混ざり合っていく感じ……。
その感情が一体何だったのか、その時の俺にはまだわからなかったが……とりあえず一つだけ確信したことがあった。

「この女の子……あいつらより可愛いな……」

魅音。 レナ。 沙都子。 梨花。 俺が愛する部活メンバーよりも断然可愛い。 美しかったのだ。
この時はまだこの少女は覚醒しきっていない。 冷静に考えればそんなことは有り得ないのだが、その時の俺にはなぜかそう思える確固たる自信があったのだ……。

それ以来、「私」はそのゴスロリ服を頻繁に着るようになった。 
父に部活の罰ゲームで使えそうだからと譲ってもらい、ほぼ毎日自分の部屋で身に着けるようになった。
鏡で自分の女装した姿を見ると、私はますますこの少女に見惚れていった。 そしてその魅力をもっともっと引き出したくなっていった。
何も姿形だけでなく、立ち振る舞いや雰囲気も完璧な女の子になりたいと思うようになったのだ。
まずお化粧の仕方。 これは母のしているところを見て学んだり、興宮でそっち系の女性雑誌をたくさん買いあさった。
女性特有の歩き方、仕草も雑誌や母を観察して身につけるようにした。 思ったよりも簡単だった。
手伝いたいからという理由でお料理も教わるようになったし、洗濯や掃除も率先して自分でこなすようになった。
突然の息子の「親孝行」に母はとても喜んでいるようだったが、はっきりいってそれは的外れと言う他ない。
私は女の子になるため。 より完璧なそれになるためにそうしていただけだ。
ある意味母を騙していたとも言えるかもしれない。 だが特に罪悪感などは感じなかった。
母だって娘が欲しいとは言っていたし、そもそも私はこんなにも可愛い「女の子」なのだから、それをより完璧にすることの何がいけないというのか。
こんな山奥の田舎に、こんなにも素晴らしい「美少女」がいる。
それを世間に知らしめないなんてことは、この雛見沢にとって何よりの損失だろう。 もったいない! 
そう思うようになっていた。
そうして日々女の子の格好をし、女の子の仕草を勉強していく私……。 もうすっかり心まで女に染まっていた。
もはや女装しているという考え方自体がなくなっていったし、むしろ普段はあの前原圭一という姿に「男装」しているのだと言えるまでの考えに至っていたのである。

「だけど……だけど、まだ足りない……まだ……」

学校へと続く並木道を歩きながら、私はそう呟く。
こうして身も心も女になると、女の子の気持ちがより一層身近に感じられるようになったのだ。
ずっと一緒に過ごしてきたあの子達のこと。 あの四人のことが気になるようになったのである。 ……悪い意味で。
園崎魅音。 竜宮レナ。 北条沙都子。 古手梨花。
今ならあの部活メンバー四人がどれほど素敵な女の子であったのかがよくわかる。
それぞれが女の子としてとても魅力的な部分を持っていて、それでいてそれに驕るような仕草を微塵もみせない。
だがそれが私には鼻についた。 憎たらしかったのだ。
学校にしろ自宅にしろ、一緒に過ごしている時は常に嫌味を言われているような気分だった。
特に努力もせずにあの可愛さを保っているあの子達に嫉妬していったのだ。
男であったときは性的な欲望を感じることすらあったというのに、今の私はむしろ彼女達を疎ましいとすら思うようになっていた……。

「魅音……レナ……沙都子……梨花ぁっ!!!」

四人の顔を思い浮かべ、ギュっと唇を噛み締める。
あの子達さえいなければ、この雛見沢でもっとも美しいのは私なのだ。 
村で権力のある家系だかなんだか知らないが、こんなにも美しい私なら村中の人間の心を掌握することなど容易いはず。
たとえ人の嘘がわかる女だろうがなんだろうが、この私の本当の姿までは見破れるはずもない。
トラップ? 罠だとぉ? そんなチンケなもので、このクールな頭を持った私を止められるものか。
たかが高貴な家系に生まれ出でたというだけで、村人にチヤホヤされまくっているあの女もそう……。
オヤシロ様の巫女? 生まれ変わりだぁ?
馬鹿を言うな……オヤシロ様はこの私だっ!!! あんな女が神などであってたまるものかっ!!!
あー憎い憎い憎いあの女達が憎いっ!! 存在すら消し去ってやりたいっ!!!
あいつらさえいなければあいつらさえいなければ……。
アノコタチサエイナケレバ……ワタシガイチバンカワイイノニ……。

「………………!?」

その時、私の心臓がドクンっと大きく高鳴った。
歩いてきた道がちょうど長い田んぼ道にさしかかったところ。 その遥か遠くに見えてきた人影に、私の胸の中をドクドクとした熱いものが駆け抜けていったのだ。

「まさか……あれは……?」

見覚えのある四つの人影。 色彩にすると、緑、茶、金、青、といったところか。
私にとってもっとも忌むべき、あの部活メンバーのカラーを示すものがあぜ道の遠くに見えてきたのだ。
先頭にまず、魅音とレナ。 そしてそれに少し遅れて、沙都子、梨花と……。
ご丁寧にも四人揃い、私のいるこちらの道に歩いてきていたのである。
腕に付けていた時計をチラっと確認すると、たしかにいつもの下校時刻になっている。しかしだからといって、あの四人が揃って下校というのは少々おかしい。
魅音とレナがこちらの道に来るのはわかるが、沙都子と梨花は家への方向がまるで反対方向のはずなのである。
つまり本来なら、あの四人が揃って下校しているなどとは有り得ない光景。 有り得ない状況……。
そうなると考えられる答えは一つ……それしかなかった。
「私の家に向かっているのか……?」
私が今日学校を休んだことは当然知っているはず。 風邪で、というのも知恵から聞いているだろう。
そうなると、四人でお見舞いに行ってあげよう! となるのはごく自然に考えられる流れだった。
思ったとおり、先頭を歩いている魅音の手にはどこかの青果店で買ったと思われる見舞い用のフルーツ籠がブランブランと揺れている。 まさしく私の考えはドンぴしゃりで当たっていたわけだが……。
「……ちっ。 どうする……?」
だんだんとこちらに近づいてきている彼女達を見ながら、私はおもわず舌打ちしていた。
周りを田んぼや森に囲まれている一本道。 他には道がない。 つまり逃げ道がないのだ。
もちろんその田んぼや森をむりやり突き進んでいくはできなくもないが、そんなことをしたらこのお気に入りのドレスが醜く汚れてしまう。 それだけは私にとって耐え難い苦痛。
このままだとどうしてもあの子達とすれちがうことになってしまう。
あまり面識のない村人達ならともかく、毎日一緒に過ごしている部活メンバーなら私の「正体」に気づく恐れがあるのだ。
仮にバレなかったとする。 それでも彼女達は生まれてからずっと過ごしている雛見沢に、まさかこんな見知らぬ女の子がいるなんて…と少なからずの興味を抱くだろう。
魅音あたりは鷹野さん以上につっこんで話かけてくるかもしれないし、レナなどはいきなり「はぅ~お持ち帰り~♪」などと抱きついてくる危険性もある。
そうなったら私にとって……非常にまずい状況になる。
声など出せば途端にバレてしまうだろうし、抱きつかれでもしたら感触でわかってしまうかもしれない。
私にとってその二つは最大の弱点。 唯一無二の弁慶の泣き所なのだ。
もちろんいずれは完全に女となってその欠点すら克服するつもりだが、やはり今はまずい。 
蝶のサナギはその身が美しく変わるまで殻をまとい、美しく羽ばたける瞬間を日陰でじっと耐えるのだ。
だからこそ、今はまだあの子達の目に触れるべきではない。 逃げるしか、ない……。

そう決心した私はクルっとその身をひるがえし、元来た道を戻ることにした。
だが、その時……。

(ニゲルヒツヨウナンテ……ナイ)

もう一人の自分がそう語りかけてきた。
この格好をするようになってから、私の中にずっと潜んでいる「そいつ」。 それは逃げの行動にでようとした私の身体をせき止めた。
そして頭の中で繰り返し繰り返し、そのまま進め、突き進め、と命令してくる。
この美しい姿を見せてやれ。 あの女達に見せつけてやれ、と……。
「そうだ……そうだ、そうだ、そうだ……」
自らに自信をつけさせるようにそうつぶやき、私はグっと顔をあげた。
もう何も怖くなかった。 さっきまでの恐れの感情などまったくなくなっていた。
いまだ道の遠くに見える憎っくき女達。 そこに向かって私はゆっくりと歩みを進めていったのだ。
ゴスロリ服と合うよう、自前で買った厚底のブーツで道に転がっている小石をジャリジャリと踏みしめていく。
その小気味良い音が私の行動を正しいと言ってくれているような気がした。
「私は可愛い……私は美しい……あの子達よりも……!」
そうだ。 たとえまだ完璧ではなかろうと、すでに私はこんなにも美しいと確信したではないか。
私には叶わないとはいえ、あれだけの美貌を持つ。 用心深い鷹野ですら容易に騙せたのだ。
たとえ最強の部活メンバーですら、この私の美貌の前にただただ呆然とするにちがいない。

魅音は自らの心の底にある「女」を刺激され、それでもなお自分よりも美しい私にため息を漏らすだろう。
自分は女であるのにあまりそれらしく振舞えない。 なのに、生物学的には男である私に嫉妬の念すら抱くのだ。
そして人の嘘を見抜くレナは、私の正体になんらかの疑問は抱くかもしれない。
だが所詮そこまでだ。 どうせおまえは、はぅ~あの子かぁいいよぅ♪で終わりだろう?
「くっくっく……♪」
徐々に近づいてくる先頭の二人を見ながら、私はどうしても抑えきれない愉悦に笑みをこらえた。
本当ならこのまま走って行ってあの前でポーズでもしてやりたいところだが、さすがにそれはやりすぎだろう。
あくまで自然に、優雅に、だ。
いままでに会得した女らしい仕草や雰囲気をたっぷりと放ちながら、奴らに私の美貌を見せ付けてやるのだ。

……そう。 これはいわばいつも私達がやっている「部活」となんら変わりない。
私とお前達がすれ違い、そして四人の中の誰か一人でも私の正体に気づくか。
私の中身が前原圭一だと気付けるかどうかのゲームなのだ。
「もっとも、無理だろうけどね? ふふふふ♪」
そう、無理だ。 なぜかというと、このゲームはあきらかに私に分があるからだ。
常識的に考えて、道でたまたますれ違っただけの女の子が実は知り合いの男の子だった。 などと考えるものはそうそういないだろう。
おまけに私の化粧はほぼ完璧に仕上がっている。 母のそれで習い、伊達に父がそういった仕事に従事しているわけではないほどの「才能」があったのだ。
しかも今の私の服装は、こんな田舎では見ることもできないであろうゴシック&ロリータ。
大抵の人間はこのめずらしい服の方に目がいってしまい、この美少女が男であるという「ありえない想像」まで気が回らないだろう。 目立つ方に目がいってしまうのだ。
「勝てる……私は勝てる、あの女達にっ!」
そうして自らの勝利がより確信に変わっていくと、はっきりと視認できる距離にまで近づいてきた彼女達が小さな存在に見えた。
まずは先頭を歩いている、あの二人だ……。
さあ……魅音、レナ!

見 抜 い て み る が い い。

この私が、普段お前達が淡い恋心を抱いているあの男だと看破してみるがいい!
できるものならねぇ? くっくっくっく……♪

「はぅ~♪ 圭一くん、そんなこと言ったの?」
「そうなんだよ~、まったく圭ちゃんったらほんとにデリカシーがないんだから……さ……?」

隣のレナとちょうど私の話をしていたらしいところに、まず魅音がこちらに気がついた。
まだすれ違うほどは近づいていないのだが、この派手な服装なら嫌でも目につくのだろう。
やはりまず魅音は、私の着ているこのめずらしい服に目がいったようだ。
「へ? なんだろあの服、見たことないなぁ……って……」
その瞬間、さっきまでおじさんモードでだらしなく笑っていた魅音の表情が……真っ赤に染まっていった。
まるで「お人形」を貰った時のような、ポーっと見惚れるような目。 それで私のことを見つめてきたのである。
「うわ……すごく……か、かわいい……♪」
そうしてまるでレナのような言葉をつぶやきながら、魅音は完全に私の姿に目を奪われた。
まあ、当然だろうか。
魅音は一見女らしくないように振舞ってはいるが、その中にとてつもない乙女心を秘めていることを私は知っている。
というより、気が付いたといったほうが正しいか。 女になって初めて女のきもちがよくわかったということだ。
目の前にまるでおとぎ話に出てくるような美少女。 それも人形のような可愛いドレスを身に着けて現れたとあっては、彼女が目を奪われるのも至極当然というものだ……。
「………………」
「……? はぅ、魅ぃちゃんどうしたの? 急に黙っちゃって……」
隣で顔を真っ赤にしている魅音を見て、レナも同様に私の方に視線を向けてくる。
すると彼女もまた、マッチに一瞬で火が点くようにボっと顔を赤くさせた。
「う、うあぁぁぁあああぁぁぁっ!? な、なにあれなにあれ! なにあれぇぇぇぇっ!!!」
すかさずいつものかぁいいモードに切り替わるレナ。 両手をスっと胸の前にかかげるあのファイティングポーズをとる。
それに一瞬身の危険を感じたが、ここで怯むわけにはいかない。
私は澄ました表情のまま、しゃなりしゃなりと二人に近づいていった……。

「み、みみみ、魅ぃちゃん! あ、あああの子すっごくかぁいいよぉ~♪ お持ち帰りしていい? ねぇいい?」
「………………」
興奮するレナの問いに魅音は答えない。 答えられない。
きっと私の可愛さに声も出ないのだろう。 すっかり見惚れていた。
それをいいことにレナは驚くような速度で走り出す。 私にものすごい勢いで近づいてくるのだ。
「い、いいんだねー? お返事ないからこの子レナがもらっちゃうよーっ!? はぅ~お持ち帰りぃぃ~♪」
「……へ? あ、あああ!? ダ、ダメだってレナぁぁぁ!!!」
あっちの世界にいっていた魅音が、ようやく暴走しようとするレナを止めに入ろうと走ってくる。
もはや私の眼前にまでグイーっと迫っている魔の手。 それが寸でのところで魅音にガシっと掴まれる。
「はぅっ!? なんで邪魔するの魅ぃちゃん、離してぇ離してよぉ~!?」
「ば、馬鹿! 知らない子を持ち帰っちゃいけないって、いつもあれほど言ってるでしょうが!」
「そんなの関係ないよぉ!このかぁいい子レナがお持ち帰りすーるーのーはぅぅぅぅ~!!!」
「ちょっ、や、やめなってレナぁっ! ……あ、ご、ごめんね? この子ちょっとアレでさ、あ、あはははは♪」
手をバタバタとさせながら暴れまわるレナを抑えながら、魅音が気まずいといった表情で私に笑いかけてきた。
きっと何も喋らない私が、このかぁいい星人に怯えているとでも思ったのだろう。
私がその道を通れるよう、魅音はレナの体をむりやり脇へ脇へと押しやってくれた。
「…………ふふ♪」
それを愉快に思いながら、私はありがとうっといった意味を返すように……ニコっと満面の笑顔を返してやった。
「!?……あ……」
「!?……は、はぅ~♪」
瞬間、またもや魅音とレナの顔からボっと火が噴き出した。
何度も何度も鏡の前で練習した、この美貌で男を殺すための笑みだ。
女に使うのは計算していなかったが、この反応を見れば分かる。 効果テキメンらしい。 このタイミングでこれを使えば、この二人とてたまらないらしかった。
最早何も怖がることはない。 私は優雅にスっと長い髪をかきあげながら、二人の脇をゆっくりと通り抜けてやるのだった……。

「……はぅ~。 み、魅ぃちゃん、あんなかぁいい子雛見沢にいたっけ?」
「いや、わ、わかんないけど……」
目の前を毎日会っている男が通り抜けていったというのに、魅音とレナはまるで「見知らぬ美少女」がすれ違ったかのように呆けていた。
私は思わずその場で笑い出したくなる衝動を必死に抑えながら、背後のメス二匹に堪らない優越感を感じていく。

そう……私 の 勝 ち だ。

思ったよりも簡単だった。 そして容易かった。
いや、やはり私の美貌が素晴らしすぎるということか……?
魅音は最初に私と目が合った瞬間に「堕ちた」と確信できたし、レナにいたっては説明すら不要だろう。
最強のかぁいいモードなどと言われているが、逆にそれにしか目がいかなくなるのがアレの最大の弱点。
私の正体を見破るどころか、ただの色欲に堕ちたメス犬に成り下がっていたのは明白だ。

「くっくっく、馬鹿な子達……♪」

まずは半分。 そして次はあの二人。
レナが暴走して走ってきたせいで少し離れた位置になった。 遠くに見える、あの小娘二匹との勝負だ。
ちょうど私の胸ほどの位置で揺れている金髪と青髪……沙都子と梨花だ。
道の向こうで何やらキャピキャピと盛り上がっているが、どうせくだらないおしゃべりでもしているにちがいない。
沙都子。 お前の愛するに~に~が目の前にいるというのに呑気なものだな。
そして梨花。 おまえもそんなに油断していていいのか?
オヤシロ様の生まれ変わりと噂されるお前には、どうも何か不思議な神通力があるなどともてはやされているようだが……。この私の美しさにまでそれが通用するかな?
お前達より遥かに人生経験を重ねている魅音とレナはすでに陥落した。
お前達がせいぜい有利といえる点は、まだ世俗の毒に汚されていないその純真な心くらいだろう。
経験や知識で判断できないならば、動物的なカンともいえる「感覚」で私を見抜くしかないのだ……。
「あんな乳臭い小娘共に、私が負けるはずがないっ!」
もはや揺るぎない自信に、私は不敵な笑みを浮かべていった。
そしていまだ黄色い声をあげて会話をしている沙都子と梨花に、自らの存在を見せ付けてやるように躍進していくのだ。

「み~。 沙都子はほんとに圭一大好きさんなのですね~♪」
「な……だ、だからちがうと言っているでしょう! いいかげんにしないとわたくしも怒りますわよー!」
「くすくす♪ 沙都子は照れ屋さんなのです。 かぁいいかぁいいなのですよー♪」
「り、梨花ぁぁぁ~!!!」

二人の小さな体がはっきりと視認できるようになってくると、私のことを話しているらしい会話が聞こえてくる。
どうやら沙都子が何やら意味ありげなことでも言ったらしく、それに梨花が冷やかすようにしながらその頭をナデナデと撫でてやっていた。
もしかしたらこの私に対するお見舞いも、元は沙都子が言い出したことなのかもしれない。
部活メンバーではツンデレに属するタイプのこの子ならば、
「布団でウンウン唸っている圭一さんを、みんなでからかいに行きましょうですわー!」
などとはいかにも言いそうである。
そんなすでに顔を真っ赤にしている沙都子を見ながら、私は少し考えていた。 まずいかもしれない、と。
もはや私とあの二人の距離は4~5メートルといったところまで近づいている。 本当ならもうこちらを見ていてもおかしくない距離だ。
だがあの小娘共は……気づいていないのだ。
魅音とレナは今の距離ですでに私に近寄って来ていたが、沙都子と梨花はおしゃべりに夢中のようでこちらに顔すら向けていない。
このままだと、ただ私が二人の横を通り抜けるだけ。 それではこの勝負は成立しない。
あくまでもこの美しい姿を見せつけ、それによって彼女らが前原圭一だと気づかないという「結果」がなければならない。
まったく世話のかかる子達だ……あいかわらず。
しかなたく私は歩いている方向を微調整し、沙都子と梨花のちょうど真ん中を通るように歩んでいった。
二人はまだこちらに気がついていない。 つまりこのままだと間違いなく彼女達の体と正面から「ぶつかる」ことになる。
そしてそれでいい。 それ「が」いいのだ。 むしろそれこそ本気の勝負といえるのかもしれない。
私の正体を見抜けるかどうかの勝負なら、お互いに体を触れ合わせるくらいがフェアな戦いというもの。 さっきの魅音とレナのは少し卑怯だったかもしれない。
なによりもこの幼いメス二匹には、私が誰よりも女らしいということを感触で知らしめてやりたい。
将来この子達は絶対にいい女になる。 それはもう私の類われなる女のカンが告げている。
だからこそ知らしめてやりたい。 ここにそれ以上の存在がいることを。
私はただまっすぐ。 微塵も怯まずに沙都子と梨花の体へと向かっていった……。

「ま、まったく梨花は。 ぶつぶつぶつぶつ……」
「あ……さ、沙都子、あぶないのです!」
「……え? きゃっ!?」
ドンっとした音をさせ、よそ見をしていた沙都子の頭が私にぶつかる。
一足先に気づいた梨花が声をかけたようだが、私はそもそもそれが目的で近づいたのだ。 ちょうど沙都子が前を向いたところに、その可愛らしい顔がムギュっと胸に押し付けられてきた。
その時、綺麗な金髪から流れてくるシャンプーの香りがほんのりと鼻腔をくすぐった。 それが少し憎たらしかった。
「あ、も、申し訳ありませんわ! よそ見をしてて……あああ、ご、ごめんなさい!」
沙都子はすぐに頭を下げる。 ペコリペコリと何度もお辞儀をしていった。
小さな頭がピョコンピョコンと上下する仕草が可愛らしい。 と、同時にまたもや憎らしかった。
年齢が幼いということはそれだけでこんなにも「萌え」を演出できるものなのか。 憎たらしい……。
私はおもわずその頭を掴んでやりたい衝動を抑えながら、ゆっくりと彼女の頭に手を置いていった。
「ふぇ……あ、あの?」
突然頭に置かれてきた手の感触に、沙都子がポーっと顔を赤くする。 悟史に触られた時のことでも思い出したのだろうか。
それを見ながら私は、ぶつかったことを気にしてないよ、という返事を返す意味でその頭を撫でてやった。
別におかしなことでもないだろう。 たとえ見知らぬ人間でも、こんなにも幼い少女を見れば可愛がってやりたくなる。
私は可愛いらしいおもちゃでも愛でるように、沙都子の頭をナデナデと撫でてやるのだった。
「あ、あう……え、えと、えっと……」
沙都子はらしくない声をあげ、私の行動にモジモジと体を揺らせる。
指にまったく絡まない、サラサラとした髪の感触が伝わってくる。
とてもスベスベしたそれに、おもわず一体どこのシャンプー使ってるの? と聞きたくなった。
「う……あ、あの本当に申し訳ありませんでしたわ! それじゃあ!」
あまりに私が頭を撫でるため照れくさくなったのか、沙都子は私の手から逃れるようにもう一度深くお辞儀した。
そして顔をゆでだこのように真っ赤にしながら、あたふたと私の隣を走り抜けていく。
その彼女とすれ違う瞬間、私の中にまたもやとめどない優越感がドクドクと溢れていった……。

…………あ ま り に 容 易 す ぎ る。

自分の頭を撫でた相手があのに~に~だと疑問にすら思わず、トラップの天才といわれている少女が逆に私の「罠」にはまった瞬間だった。
普段あれだけ高飛車ぶっている小娘がこの美貌にひれ伏し、恐れすら抱いたのを私はこの目でしかと確認した。
おまけにすれ違う瞬間、素敵なレディーになるなどと言っていたあの口で……「綺麗な人」と呟いたのをこの耳でたしかに聞いた。
それはつまり、北条沙都子の陥落を意味するものだった……。

「ふふふふふ……♪」

これで残す部活メンバーはあと一人。 メンバーの中でマスコット的な存在とも言われている、古手梨花のみだ。
だが今の私にもはや敵などいない。 誰が来ようがやはりこの美貌に叶うものなどいないのだ。
一見男勝りとみせて、溢れる乙女モードをその内に秘めている園崎魅音。
正統派なお嫁さんタイプであり、更にサドッ気までをも併せ持っている竜宮礼奈。
に~に~大好きっ娘、ツンデレ幼女の北条沙都子。
雛見沢を代表するといっても過言ではない三人の美少女。 それが揃ってあっさりと陥落していった。
私の存在をすぐ目の前で確認したにもかかわらず、それでいてその美しさにため息まで漏らしていた。
誰一人私を前原圭一と気づかず、それどころかその中身が男と想像すらしなかったのだ。
たとえ最後の相手がこの古手梨花。 「オヤシロ様」の生まれ変わりだろうと言われている小娘ですら同じこ……と……。

「………………っ!?」

その瞬間、私は全身が身の毛がよだつような感覚に包まれた。
沙都子を余裕で見送り、さあいよいよ梨花だ……と顔を前に向けた、その時。
なんと梨花は、私の顔のすぐ目の前にまで顔を近づけていたのである。
それも唇が触れ合ってしまいそうなほどの超至近距離。 もうキス寸前の距離。
グ~ンとつま先立ちをして、生意気にも私の顔と同じ位置にまで顔をグググっと伸ばしていたのだ。
「……み~。 み~み~、みぃ~?」
お得意の鳴き声を出しながら、梨花はそのまま私の顔をまじまじと見つめてくる。
まん丸とした愛くるしい瞳で、この完璧な姿に何か疑問でも抱くような……そんな視線を向けてくるのだ。
「う~んう~ん。 みぃ……みぃみぃ、み~?」
そうしてジーっと向けられてくる無垢な瞳に、私はおもわず目を反らしたくなるような衝動に駆られる。
だがそれはまずい。 間違いなく失策だ。
そんなことをすれば、自らに後ろめたいことがあると認めているようなもの。 絶対にダメな一手だ。
落ち着け。 クールに、あくまでクールに考えるんだ。
たしかにこの小娘は何か感づいているかもしれない。 いや、もうそれは間違いないことだろう。
だがだからといって、それが私を前原圭一だと看破したものだとはかぎらないのだ。
ただ興味本位で見つめてきているのかもしれないし、このめずらしい服装と合わせてつい夢中になって見ているだけとも考えられる。
たとえそれは私が彼女にとって知らない人物であっても同じこと。
この古手梨花という少女は、昔から誰にでも好かれるという特殊な環境に身を置いている。
初対面の人間の顔をジロジロと見つめても、それが相手に失礼だなどとは一切考えない。 甘ったれた性格に育っているのだ。
オヤシロ様の生まれ変わりというだけで、何の努力もせずにチヤホヤされて生きてきた小娘。 そんな女にこの私が負けるわけがない!

「…………ふっ♪」

うっすらと笑みを浮かべると、私は動揺しかけていた心をむりやり押さえつけた。
そして目の前の梨花の瞳をまっすぐ見つめ返し、魅音とレナを殺したあの笑顔をもう一度繰り出す。
この村一番の美少女と言われている小娘に、ニコっとしたそれを突きつけたのだ。
「……みぃ? にぱ~☆」
すると梨花も私に合わせるように、天使のような笑顔をにぱ~と返してきた。 そして何が嬉しいのか、その場でピョンピョンと飛び跳ねていくのだ。
「みぃ♪ みぃみぃみぃ~♪」
……抱っこして、とでも言っているのだろうか。
梨花は私に向かって大きく手を伸ばし、まるで抱きしめてくれといわんばかりに飛び跳ねていくのだ。
……憎ったらしい。 この女は普段から一挙一動がいちいち可愛らしい。
おもわず抱きしめてやりたくなるようなその仕草、計算でやっているならたいしたものだ……。
もっともそれは私には通じない。
今までそうして何人の人間を虜にしてきたかは知らないが、この私だけにはその笑顔は通じないぞ古手梨花。
そうやってにぱ~とやれば可愛がってくれると思ったか。 ピョンピョン跳ねれば抱きしめてもらえると思ったか?
……甘いな。 昔の私ならいざ知らず、今の私には通用しない。
「おまえよりも」断然可愛いこの私が、なぜ自分より劣る存在などを可愛がらなければならないのか……。
「……みぃ。 みーみーみー!」
梨花は更に飛び跳ねていく。 私に大きく両手を広げてくるのだ。
だが私は無視する。 もっとも笑顔は崩さずに、あくまで可愛い子だな~というふうを気取りながらだ。
私はあくまでお姉さん。 美人のお姉さんであることを崩してはいけないのだ。
そうしてすましたまま、私はスっと梨花の横を通り過ぎる。 ……通り過ぎようとした。

「……………っ!?」
私はおもわず身の毛がよだつ思いがした。 梨花が突然……私の身体に抱きついてきたのだ。
「みぃみぃ。 ダメなのですよ~、にぱー♪」
どうやら私にとても興味を持ってしまったらしい。 にぱ~と笑顔を振りまきながら抱きついてくる梨花。 その笑顔に若干の不安を感じた。
……まずい。 さすがにここまで密着されるのはまずすぎる。 
普段から梨花にはこうして抱きついてこられることが多かった。 もちろん前原圭一であるときの話だが、こうして今も同じことをされると体型などでバレる恐れがあるのだ。
私はすぐに振りほどこうと思った。 最早なりふりなどかまっていられない、梨花の身体を半ば乱暴にでも引き剥がそうと思った。 
「みぃ~! ダメなのですダメなのです。 逃がさないのですよ~♪」
……だが、離れない。 離れてくれないのだ。
梨花は大きく広げた両手を背中にまで回してきて、まるでヘビが巻きついてくるように私の身体を抱きしめてくるのだ。
しかもこの小娘、今なんて言った。 逃がさない……だと?
それは一体どういう意味なのか。 獲物を、と前に付ければちょうどしっくりくるが……。
私の中である仮説が浮かび上がる。 だがそんなことは有り得ない。 ありえないありえない。
魅音も気づかなかった。 レナももちろん、沙都子にも気づかれなかった。
この女がいかに特殊であろうとも、私のこの美貌を見破れるはずがないのだ。 こんな小娘になど……。
私はキっと睨みつけてやった。 もちろん抱きついている梨花をだ。 まるで親の敵とばかりに見てやった。
……だが、今考えるとそれがいけなかったのかもしれない。 悪手だった。
悪意を向ける、という一手。 梨花にとっては自分にそんなことをする人間はそうはいないのだから、それはつまり……。
「……ふふふ。 くすくすくす……♪」
梨花が笑った。 まるで鷹野のような大人の女性の雰囲気で口を歪ませたのだ。
いや、これは梨花か? 少なくとも私の知っている「梨花ちゃん」ではなかったかもしれない。
それはある種私に似ていた。 前原圭一でありながらそうでない「私」。 同じ人物でありながらちがう面を併せ持った人間のそれに思えた。
そして梨花は口をゆっくりと開いていった。 あいかわらず私の身体をギュッと抱きしめながら、その恐ろしい言葉。 私が今この場でもっとも聞きたくない「単語」を口にしていったのだ……。

「捕まえたのですよ。  圭 一 ♪」

笑顔。 梨花はあいかわらずあのにぱ~とした表情だった。 まさに天使のそれといった比喩すらできる可愛らしい笑顔だ。
だがその時の私にとって、それは悪魔の微笑みとしか表現出来ないものに思えるのだった……。

続く

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最終更新:2008年02月28日 10:06