オトナレナの憂鬱

 肩で切りそろえた髪が揺れる。
 砂利道を歩くたびにパンプスのヒールが小石にひっかかった。どうしてこんな靴を
履いているんだろう。学校に通うには少し派手すぎる靴だった。
 でも今から帰って履きなおしていたら遅刻しちゃう。早く圭一くんを迎えに行かなくちゃ、ね。
 そしていつもの水車小屋の前で魅ぃちゃんと合流して、誰かがふざけて、笑って、
学校へと走り出す。

 日差しから逃れていつもの木陰へ忍び込む。その横を、前を、少年と少女が
ふざけながら通り過ぎていった。
 途端に空気の質量が私を襲う。
 ざわざわとした葉擦れの音も虫の音も変わらないのに、少年と少女はあっという間に
掻き消える。そして私だけが異世界から迷い込んでしまったように成長していた。

「……ううん。自分を誤魔化すのはやめよう、レナ」
 私は竜宮レナ。
 二十年前に校舎爆破未遂事件を起こし、そのくせ数日後に起きた雛見沢大災害を
生き残ってしまった愚かな女。

 呟いた声はあの日と同じ蝉時雨にかき消された。

 まるで変わらない、少しだけ自然の濃くなった通学路を通って私はかつての学び
舎にたどり着く。
 ……。
 何も考えたくない。愛した学び舎が朽ちかけていることをいくらわかっていても
耐えられない。私は早く視界から「それ」を消したくて足早に校舎へ踏み入った。
覚悟していたよりもずっと原型をとどめていたのが幸いし、私は足をただ動かす。
湿気と木の腐る匂い。抜けた廊下や滴る雨垂れ。
 それらを必死で五感の外に追い出しながら、私は教室の扉を開いた。

「……っ!!」

 全身があわ立つ。
 それは例えるならありえない所にありえないものを見たことによる混乱。けれど

 …あぁ、この雛見沢じゃ「ありえない」ことなんて「ありえない」……!


 どれほど教室の入り口で硬直していたのだろう。やがてじくりと脳を融かす痛み
がして、私は我に返った。教室に残された雑多なものが、まるで転がされた人のよ
うに見えた、だなんて。
 自責の念による幻覚と言うのはたやすい。
 でもあれは。
 共に学んだ仲間達だけじゃなく、この雛身沢の別の――――。
 ……考えるのはやめよう、レナ。
 どうせ私には何もできない。女1人なんのツテもなく何ができるというのか。す
べてを救えると考えた小娘の愚かさは、幾度も私を苛んだじゃないか。
 私は大丈夫。私は大丈夫。私は大丈夫。
 私は……。

 ふらりと視線を動かすと、ポツンと取り残された机が眼に入った。
「ふふ…懐かしいな。こうやって机が寄せられてると、お掃除の時間みたい」
 教室はほこりまみれだ。そうだ、掃除してみるのもいいかもしれない。私はふら
ふらと教室の後ろへ向かい、掃除用具入れを開ける。
 その途端あふれでる砂埃。
「っ!けふ、けふ!」
 私は思わずむせて口元を手で覆った。
 そのまま少しむせていると背後から笑い声。
「ははは!何やってんだよレナ。お前でもドジるんだなぁ」
「何笑ってんのさ圭ちゃん!レナ、大丈夫?
 もしなんならおじさんの服貸すよ?」
「やめとけやめとけ!魅音の出す服なんてどうせ部活用の罰ゲーム衣装に決まって
らー!」
「何をー!?」

「え……?」
 これは、いったいなんだろう。魅ぃちゃんが圭一くんに怒ってる。圭一くんは茶

化すような笑みを浮かべて騒いでる。
 どうして。魅ぃちゃんと圭一くんが。
 また幻覚か、私は何度もまばたく。
 でも、消えてくれない。
 どうして……!?

 きょとんとしていると、誰かが私の頭をなでた。この小さな感触は…。
「みー。なにがなんだかわからなくて、かわいそかわいそなのですよ」
「梨花、ちゃん…」
 記憶にあるいつもの笑顔。よくみれば教室内の光景だって懐かしい、お掃除前の

ごちゃごちゃした教室だった。
 黒板には知恵先生の文字が残り、みんなのお習字や今月の目標、
机のラクガキまで鮮明に――っ!

 そんなはずはない、そんなはずはない!
 だってこの教室は私が爆破しようとして、みんなが転がっていて、それでそれで

それで!


「レナ。深く考えてはダメなのです。」
「りか、ちゃ…ん……」
「ここは時のカケラのはざま。
 少し忘れ物をしてしまった神様がレナにくれた、たった一度きりの夢なのですよ。」
「そうか…レナは夢を見ているんだ」
 梨花ちゃんにいつもの笑顔で説明されると妙に納得できた。だってこれは私が幾
度となく望んだ世界。私が壊してしまった世界になる前の、平和な日常に戻れたら
って何度だって思った。願った。
夢の世界に逃げ込みたいと何度も。何度も。何度も。
 その願いに、やっと、応えてくれたんだ。

 オヤシロ様が。

「そっか、夢なんだ」
 私は妙にサッパリした頭で納得する。オヤシロ様ゆかりの地で、オヤシロ様の巫

女から告げられたのだ。疑う必要などない。
 ……これが自分の罪に溺れた異常者の夢だというならば、それでもいい。
そう思えるぐらい鮮やかな夢。

 私が納得したことに気づいたのだろう。梨花ちゃんは安堵して少し大げさに笑った。
「そうなのです。だから、遣り残したことがあったら
今やっておくことをオススメするのですよ。にぱー☆」
「やりのこしたこと……。」
 私は顔を上げる。にぎやかな教室、みんなが動かす机。
下級生がはたきを取り落とし、他の人が拾い、沙都子ちゃんは黒板消しクリーナーをいじって、
魅ぃちゃんは指示をしながらちりとりでゴミを集めている。
 ぼんやりしているのは私とそばにいる梨花ちゃんだけだった。
「こらー!ふたりとも、何サボってんの!働く働く!
会則第十六条!ちょこっと学び多く戦う我が部において何事も手を抜いてはならない!」
「みー。ごめんなさい、なのですよ」
 梨花ちゃんは怒られて沙都子ちゃんを手伝いに向かった。
 そしていちどだけ振り返る。

『あとは、あなた次第。』

 瞳がそう語っていた。
 あの時は『宇宙人』だなんて言ってしまったけど、あながち間違いでもないよう
な深い瞳の色。梨花ちゃんはもう私に構うことなく他のクラスメイトにうもれていった。
 そう、これが一度きりの夢ならば。
 勇気をふりしぼって、『やりのこしたこと』をしよう。
 今も私の胸に残っているこの思いを。


「け…圭一くん。魅ぃちゃん。ちょっといいかな」
「お?なんだなんだ?」
「遊びの誘いかい?そんなら梨花ちゃんと沙都子も呼ばないと」
「は、はぅ、違うよ~!」
 かぁいいモードも久しぶりだ。うまくできているか自信が無かったが、二人とも
気にせず微笑んでいてくれた。
「で、なんだ?ヤバい話だってんなら場所うつそうか?」「ん、大丈夫…。」
 私はまず魅ぃちゃんに視線をうつす。

「魅ぃちゃん。今日の部活、無しにしてもらってもいいかな」
「へ?家庭の事情かなんかかい?」
「違うの。
 圭一くんと、お話がしたいの」
「………」
 いつになく真剣な表情で魅ぃちゃんは固まる。
 それはきっと……私もおなじ表情をしているから。
 そしてすぐにいつもの気が抜けていて、それでも優しい苦笑に変わる。
「あー…っ。そっかぁ……。
 レナ、するつもりなんだね?」
「うん。……ごめん」
「何言ってんのさ、レナが謝る道理はないよ。
 わかった、今日の部活は無しにしよう。
 しっかりね!」
「うん。ありがとう、魅ぃちゃん…」
 魅ぃちゃんはさっぱりした表情で私の肩をたたいた。その笑顔は記憶にあるもの
と寸分たがわず…むしろ、記憶よりもずっと、健気でかわいくて強い笑顔だった。
 当時の私が魅ぃちゃんと同じ立場だったら、こんなに強く笑えない。大人になって
から見る魅ぃちゃんは……やっぱり、ずっとオトナだった。

「お…おいおい。何の話だ?」
「圭ちゃん。レナを泣かせたら承知しないかんね!」
「は?な、何言ってんだよ魅音!別に俺とレナはそんなんじゃ…!」
「照れない照れない!
 そうと決まったら、早いほうがいいよねレナ?」
「は、はぅっ?」
 ついぼんやり圭一くんと魅ぃちゃんのやりとりを見ていた私は現実に戻された。
 ……いや、夢か。
 魅ぃちゃんは下品なギャグを言う時のにくめない笑顔を浮かべる。

「くっくっくっ、親友の門出を応援しようじゃないの。
 今日の掃除はレナと圭ちゃんの二人が後片付けということで!
 あ。今日は校長先生、興宮の方で会議あるらしいからもういないよ。あと知恵先生は
セブンスマートのカレー特売日らしくて朝からうずうずしてるから、鍵すでに預かってある」

「はぁ!?」
「は、はぅ、魅ぃちゃんそれって…!」
「照れない照れない!
 後はよろしくやんなよお二人さん!」
 魅ぃちゃんはむりやり圭一くんに鍵をおしつけるとみんなに
「今日は片づけはこっちがやるからいいよー!お疲れー!」
 と号令をかける。いつもは知恵先生が最後の確認をするけれど、今日ばかりは
魅ぃちゃんが報告次第先生は帰る予定らしい。
 みんながよろこんで帰り支度をする。梨花ちゃん沙都子ちゃんはなんらかの説明を
聞いたらしく、手早く荷物をまとめて楽しげに帰っていった。
「それではお先に失礼しますわね!早く行かないと知恵先生にレトルトが買い占められて
しまいますので」
「みぃ、さようならなのですよ。にぱー☆」

 着々と帰ってしまうみんなの様子に、圭一くんは大慌てする。
「お、おいおいおい!?なんだってんだみんな!」
「くっくっくっ、ちゃんとお家には帰るんだよ~!じゃあね!」
「あ……魅ぃちゃん!」

「ん?どうかした、レナ」
 思わず呼び止めてしまって、私は口元をおさえる。振り向きざまの優しい包容力のある笑顔。
それは、もう見ることができない……かけがえのないものだ。
 魅ぃちゃんが教室を去ろうとした瞬間、私は学校に入った一番最初の光景を思い出す。
ほこりまみれの床。砕けたチョーク。風化した木造建築は歪んできしんで、
おいてけぼりをくらってしまったようだった。同じように、魅ぃちゃんのこの笑顔も
記憶の中ではゆがんでしまっているのかもしれない。

 そんなふうに考えてしまったら、どうしても別れがたくて。
その未練から魅ぃちゃんを呼び止めてしまったようだった。
 魅ぃちゃんから見たら、告白にとまどっているように見えたのかもしれない。
「レナ。しっかりね!」
「……うん!」
 ぐっと親指をたてる魅ぃちゃんに、私もとびっきりの笑顔をかえす。
 そうだ。『この』魅ぃちゃんは私の見てる夢。
 だからもとからいないんだ…。

 ふっと沈みかけた気分が私をつつむ。すべては夢。夢だというのに、なぜこんな
にも現実感にあふれているのか!騒げば声が反響してくるような錯覚がかえってくるのか!
 これならいっそ、半端な夢なんて見ないほうが…!

「あーくそ、なんなんだよ魅音のやつ…。
 体よく押し付けられちまったみたいだな、レナ。
 ……レナ?」
「……はぅ?ど、どうかしたのかな、圭一くん」
 失敗した。また夢のなかで考え込んでしまった。
 圭一くんは時々鋭い。だから私は極力いつもどおりに答えよう。
 でも。


「……どうか、したのか?
 話があるから魅音に頼んでふたりきりにしてもらったんだよな。
 俺でよければいくらだって力になるぜ」

 あ。
 この目だ。
 私を救ってくれた、手をさしのべてくれた、あの目。
 夕陽がながれこむ放課後の教室で、圭一くんはわらっていた。ひぐらしの泣き声
がする。そう、雛身沢にはひぐらしがたくさん住んでいた。そして圭一くんがいた。
魅ぃちゃんがいた。沙都子ちゃんが梨花ちゃんがお父さんが監督が知恵先生が。
 他にも他にも……!

「お、おいレナ…!だいじょうぶか!?」
 圭一くんがうろたえた声で私をゆさぶる。
「レナが泣くなんて…いったい何があった!?レナを泣かせるだなんて……ゆるさねえ!」
 あはは、肩に指がくいこんでちょっと痛いかな、かな。でもそれは圭一くんの怒りを
あらわしている。私のことで、そんなに怒ってくれるだなんて。夢の中でも圭一くんは
圭一くんだった。
 だから私は圭一くんを困らせないように、笑ってその誤解を解いた。

「あはは、圭一くん、違うよ。悲しくて泣いてるんじゃないの」
「本当か…?じゃあなんで」
「圭一くんが好きすぎて、好きすぎて泣けてきちゃうの」

「へ……?」

 あはは、予想通りだ。
 圭一くんは私の肩をつかんでいることも忘れたまま、ぽかぁんとした顔を
している。そんなことじゃ部活で勝てないよ、圭一くん。
 でも私もおなじぐらい驚いている。
 こんなにあっさり想いを口に出せるだなんて思わなかった。夢だから、だよね。

 夢だから。
 私はその言葉を免罪符にして、言葉を重ねた。

「レナは圭一くんのことが、好きです。
 他の誰にもあげたくないし、ずっと一緒にいてほしいです。」

「ちょっ……レ、レナちょっと待っ」

 ごめんね圭一くん。
 考える余裕なんて、あげない。

「私をあなたの物にしてください。」

 年頃の男の子は、こういう言葉に弱いと聞いたことがある。
でも本からの受け売りだけじゃない。私は、圭一くんと結ばれたかった。
 それが、私の『やりのこしたこと』。

 圭一くんは完全に思考が停止してしまったようで、顔を夕陽より赤く染めて
固まっている。いつも考えていることを口にだしてしまうから、よくわかる。
 やがて圭一くんはぷるぷる震えだした。
「け、圭一くん…?」
「おおおおお落ち着いて考えるんだ前原圭一!これは何かの間違いだ夢だ妄想だ
思春期における意識の混濁とかちょっと目があっただけであいつは俺に気があるんじゃ?
とか勝手に勘違いしちまう勝手な男の性が見せている幻だ
そうに違いない違いない違いない違いない」
 圭一くんは頭から煙を出して完全に暴走しだす。

「圭一くんごめんねごめんね!突然こんなことを言われたって困るよね…!
 レナの冗談だから!」
 私は慌てて圭一くんを抱きしめた。
幸いなんの抵抗もうけなかったので、そのまま背中をそっとなでてあげる。
 抱きしめていると圭一くんの体温がよくわかる。
服越しでもわかるぐらい、すごく暖かくなっていた。
考えすぎて熱がでちゃったのかもしれない。私は安心してほしくて、
よりぎゅっとだきしめる。

「ごめんね!ごめん…!」
 伝えなければ良かった。
 ひとりよがりに一方的に私を押しつけるだなんて、すごく身勝手。圭一くんがもとに
もどったらこの告白は無かったことにしよう。それがいい。私は後悔しながら、
それでも……ほんのちょっぴりだけ、この状態を喜んでいた。

 圭一くんに抱きつくだなんて、もうできない。
 最初で最後。
 だから私はよりつよく、強く彼を抱きしめた。

 少し時間がたって、圭一くんが小さく口を開いた。
「レナ……」
「ん、圭一くん、何かな?」
「今の…」
「じょ、冗談なんだよ、だよ。ごめんね圭一くん。
 ……だから、離してくれないかな?」
「いやだ」
 なんてことだろう。
 ぎゅっと抱きしめていたはずの圭一くんは、いつの間にか私の背に、手を、回していた。

「冗談だなんて、嘘だろ?」
 心臓を掴まれたような気がした。私は笑う。
「う、うそじゃな」
「嘘だッ!!」
「!」

 私はつとめて冷静に返す。
「圭一くん。言うと思ったけど、この体勢で怒鳴られると耳が。」
「……すまん、つい」
 圭一くんはおずおずと気まずげな顔をして腕の力をゆるめた。
 私と圭一くんの体が離れる。でも私はそこから動かなかった。

「どうして…嘘だなんて思うのかな」
「ふふん、甘いぜレナ。お前はああいう系の嘘はつかない。部活での勝負は別にして、
誰かの心をもてあそぶような奴じゃないからな」
 つくづく圭一くんは眩しい人だ。
 とても嬉しい言葉を、無意識に言ってくれる。
「は、はぅ…信用してくれて嬉しいけど、レナはそんなに良い子じゃないんだよ?だよ?」
「それこそ甘いぜ、レナ。」
「?」
 誤魔化そうとした私の手を、圭一くんはぎゅっとにぎる。大きな、大人になりきれて
いない男の子の手。でも、とても暖か。

「レナは自分のことを低く見すぎてる…いや、違うな。自分に対する妥協をしない。
それはすごく良いことだけど、自分のがんばりを認めてやらないと疲れちまうぞ」
「……そんなこと」
 人からいきなり言われても、わからない。目を逸らそうとした瞬間、圭一くんの手が
より強く私の手を握りしめる。
 まるであのゴミ山の時のように。

「でもな、自分の価値観なんてそうそう簡単に変えられるもんじゃねえ!
 それはレナも俺もよくわかってるはずだ。
 だからこそ人は寄り添うんだよ。
 他の人の価値観を理解しあって、互いを認め合う。

 ……俺から見たら、レナはすごく頑張り屋の良い子だ。」

 ああ。
 私は、彼のこういうところが好きなんだ。
 乱暴になでられる頭をそのまま預ける。
 無意識のうちに人を救ってしまう。そして人を認め自分の暖かさをわけて
あげられる人。そんな人の隣にいたいと思った。

「だから、言わせてくれ」
「……なに、かな」
 圭一くんはまっすぐ私を見る。
 私も圭一くんをまっすぐ見る。
 西日が私達を照らす。

「俺はレナのことが好きです。
 他の誰にも渡したくないし、ずっと一緒にいてほしいです」
「け、圭一くん…!?」
「悪いなレナ。考える時間はやらねぇぞ」
 圭一くんの真面目な、瞳だけが見える。

「だから、
 俺の彼女になってください。」

 なんだろう。
 どうしてだろう。

「あーっ、ホントは先に言うつもりだったんだぜ!?
 部活だけじゃなくこういうことまで先を越されちまうとはなぁ…」

 圭一くんの呟きが耳を素通りしていく。
 でも恥ずかしそうな笑顔は私に染み渡って。
 感情が零れる。

「レナ?」
 不安そうに、彼が私を覗き込んだ。

 さぁ言おう。
 今が私の想いを告げるとき。

「喜んで!」


 とても幸せな日々だった。その輝きに目が慣れてしまいそうになるほどに
素晴らしかった。だからそれが崩れそうになった時、あんなにも私は取り乱し守ろうとし
たんだ……。
「圭一、くん」
「お、なんだ?」
 どれぐらい抱きしめ合っていたのだろう。
西日が届かなくなりはじめた教室は涼しげな空気をまとっていた。
「少し…寒くないかな、かな」
「そうだな……」
「……」
「……」
 ふたりとも何も言わない。ただ強く抱きしめあっているだけ。
 離れがたくて、別れの言葉を口にしたくなんかなかった。

 でも、時間は刻々ときざまれる。この私の体にも。

「お願いがあるの…」
「なんだぁ?今ならなんだって聞いてやるぜ!」

「私を、離さないで」

「えっ……?」
 予想通り、圭一くんは硬直した。私はその隙を逃さず、足に、力を入れて。体を
押し付けるようにしながら、ゆっくりと、床にしゃがみこんだ。
 圭一くんを下に敷いて。

「レ……ナ……」
「お願い。圭一くん……」

 ほうけている圭一くんの鼻に、そっとくちづける。
 すごく大胆なことをしていると思う。体が震えるし手足は痺れているような感覚
があるし、頭はぼーっとしている。それでも、圭一くんのぬくもりを、感じたかった。
 もう一度、キス。今度は頬に、まぶたに、そして…
「レナ。……いいんだな?勢いにまかせてとか、じゃなんだな?」
「はぅ……そんなこと言わせたいだなんて、おじさんみたいなんだよ、だよ」
「……レナ。」
 誤魔化そうとしたのに、圭一くんはそれを見抜いて。しっかりと私の目を見て問
いかける。
 改めて自分のしていたことやしようとしていたこと、これからすることに考えが
いって全身が熱くなる!

 戸惑っていると、圭一くんは気まずげに目をそらした。
「……ちゃんと覚悟ができないなら、やめようぜ。女の子の体は大事だし、
もし“彼女”って言葉がレナを責めるんなら友達に戻ったっていい。」
「圭一くん…っ」
「あ、勘違いすんなよ?こういうことができなくったって俺がレナを好きなのは
変わらない。いつかレナの覚悟が決まったらでいいんだ。焦るな。
 俺はレナの恥ずかしい面をいっぱい見られたってだけで幸せだぜー!」

 そうやって笑い飛ばしてくれる。
 男の子にとって、彼女が上に乗ってキスを降らせてくるというのは、そういう
欲を煽ることだろうに。そんな自分の欲よりも、私のことを優先してくれる。
 本当に……本当に圭一くんは、優しくて、とても素敵な人、だった。
 だからこそ余計に、彼のことを。

 私は笑う彼の口をふさぐ。
「んっ……」
 覚悟ができた、という意思をこめて。
 頬や鼻やまぶたじゃない。それらのキスに素敵な意味がこめられていることは
知っているけれど、今の私に、私達に必要なのは。

「……っ。
 彼女に、して、ください。」
 改めてもう一度。
 唇を離して。彼を見つめて。

 圭一くんはあっけに取られて、それから。
 笑ってくれた。
「……わかった。
 レナ、今度はお前が根負けする番だからな!」




 目覚めた時、いちばん最初に目に入ったのは腐り落ちる寸前のドアだった。頬が痛い。
私は体を起こす。いつの間にか眠ってしまったようで、ここに来たときよりもずっと太陽が昇っていた。
「…………。」
 あれは、夢だったんだろうか。
 今でも少し覚えている。汗といろんなものの交じり合った匂い。体の奥深くに
染みこむ熱さ、痛み。
 私は無意識に下腹部をさすった。

 ……ばかばかしい。
 私はひとりだ。
 この教室にいるのがひとりというだけではなく。
この終わった雛身沢という世界に取り残されたひとり。
なのに夢の中で自分の幸せを手に入れようとするだなんて、おこがましい。
私は多くの失敗をしてきたのだから。

 それでも。
「圭一、くん……」
 口にだしたその名前は未だに私の舌を痺れさせる。
 中天をこえた太陽が下り道をすべりだして、一台の車が分校前に停車した。確認
するまでもなく、中から見覚えのある体型の男性が出てくる。他にふたり。
約束した人数だ。
 ほんとうに、ばかばかしい。
 大石さんがもっと若く、あの綿流し翌日の姿に見えただなんて。


 それでも私は、少しだけあの夢を心にとどめておこうと思う。
 私はあなたの物になりたかった。
 この気持ちはあの時からずっと、真実なのだから。




「ふぅ、なんとかなったみたいね…」
「あぅあぅ、出歯亀なんていけないのです」
「何言ってるのよ。あんたも指のすきまからしっかり見てたじゃない」
「あぅあぅあぅあぅ…!で、でもこれで
レナが圭一と結ばれなかった未来を思い出すことはなくなったのですよ」
「話をそらしたわね…まぁいいわ。これも平和の礎と思えば。
 ……あの時は酷かったものね。」
「さすがのボクでもレナを筆頭にみんなが発情するとは思わなかったのですよ。
 しかも梨花まで」
「うるさいわね、あそこまできたらヤケになるしかないでしょ!?
 雛身沢村分校乱交事件だなんて報道されかけた上で生き延びたくなんかないわよ!」
「お魎のおかげで騒がれすぎずにすんだのです☆
 ボクはあの世界も好きでしたよ?みんなが裸のオツキアイなのです」
「何うまいこと言ってるのよ!」
「ボクは何か意図を持った発言をしましたか?」
「……っ!羽入!あんた調子乗りすぎよ!
 いいわ、次の世界ではまっさきに懲罰用キムチを食べてやるから!」
「ひ、ひどいのです梨花~っ!」
「邪魔しないでッ!」

 そうしてボクたちはひとつのエロフラグのカケラを叩き割って新しい世界に挑戦
するのでした。先は長いだろうけど、ふぁいと、おーなのです☆

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最終更新:2007年08月19日 08:50