バラバラと、破裂するような爆発音を響かせる真っ赤なバイクが、高速道路の広い道を、矢の如き勢いで加速する。
 先端に丸いヘッドライトが張り出し、車体中央に鎮座するガソリンタンクが両脇から優雅な網目状になったフレームに支えられ、その手前にシートが置かれ、それが流れるように後尾へと続くようなバイクだった。

 上に跨るライダーは、まるでレーサーのようにバイクのガソリンタンクの上に腹を乗せるような形で伏せ、前方から襲い来る猛烈な突風をしのぐ。

 だいぶ運転に慣れているのであろうか、マナーはともかく、そのバイクは周囲の車が歩いているかの様に感じられる速度で、間を縫って駆け抜ける。
 稲妻のごとき勢いで進んでいき、やがて進路を最左車線に寄せると、ぽかりと口を開けた出口へ吸い込まれて消えていくのだった。


 バイクは街に出ると、いくつかの交差点を曲がると細い路地へと入り込み、その先は舗装もろくにされていない、でこぼこした道へと進入していく。

 気づけばバイク以外に車両は見あたらなくなり、周囲の風景からも人工物が消えさり、いよいよ舗装路も途絶える。
 砂利や砂・埃ばかりの不整地が現れると、その上を回るタイヤが小石を拾い上げてはまき散らし、それが車体に当たってカンカンと響く。

 道を間違えたのであろうか? しかし、それにしてはバイクを操っているライダーにためらいが見られなかった。
 普通、こういう整地向けのバイクでガレた道を走れば、激しい振動が襲うし、タイヤを砂に取られ、ずるずると滑って極めて不安定にならざるを得ない。

 それでも時々落ちている巨大な木の枝をひょいと避けながら、どんどん突き進むのだから、やはり相当に習熟しているのであろう。


 そうしてしばらく獣道のようなところを走っていくと、やがて、だいぶ朽ち果ててはいるものの、再び舗装された道へと乗り上げる。
 一旦停止して、ライダーは首を回して、道を思い出すかのように周囲を見渡した。

 すると、ちゅん、と一羽の小鳥が誘うかのように真上を通過して、そのまま道の上を飛んでいった。
 追いかけるようにして、バイクは軽く砂塵を巻き上げて発進する。

 すぐに小鳥は見えなくなってしまうが、だんだんと人工物が多くなってくる道を往く。
 しかし人工物とはいえ、そのどれもが道と同じくして朽ち果てているところを見ると、この周辺から生活を営む人間が既に去って久しいのは確実であろう。

 ある程度進むと行き止まりのようになっていたが、そこには一台の車が止まっていた。
 どうも周りの朽ち果てた物とは違って、真新しいようだった。

 それを認めたライダーは、ヘルメットのシールドを片手で上げるとバイクを車に寄せるようにして停車する。
 サイドスタンドを蹴り出して地面に固定すると、右足を振り上げてバイクから飛び降り、ヘルメットを脱ぎ去った。
 汗で少しへばりついていた髪の毛が、そよかぜに乗せられてふわりとたなびく。

「ふう」

 ヘルメットから現れたのは三〇代前半ほどに見える男性であった。
 線が細く、やや儚げだったが、眉から鼻筋にかけてくっきりとした造形と、爛と輝いた瞳の奥からは、秘められた熱い意志が感じられる。

 それは成熟した男の色気を感じさせる顔立ちで、皮のライディングスーツを身にまとった姿は、すらりと流れるかの様だ。
 相当の美形といっていいだろう。
 男はその目を泳がせて、車を見やった。すると、

「お待ちしてましたよ、前原さぁん
……おんや、ずいぶん高価そうなオートバイに乗っておいでじゃないですか! それ、イタリィの奴でしょう?」

 助手席側から、間延びした声ではやし立てながら、よく太った老人が這い出てくる。彼は男の事を前原と呼んだが……

「もっとジジイになってると思ったが……変わってねぇな、大石さんよ」

 そう、ライダーの正体は前原圭一であった。
 雛見沢大災害が発生し、村民のほとんどが死に絶えた中の、数少ない生き残りである。

「なっはっはっは。私は不変・不滅ですからねぇ!」
「まるでジェームズ・ボンドだな」

 そして圭一に親しげに話しかけるこの老人こそ、かつて雛見沢連続殺人事件を追った刑事、大石蔵人そのひとであったのだ。
 その大石が有名な映画のイギリス諜報員の例えに「そりゃあ光栄ですねえ」と喜ぶと、こほんと咳払いをひとつ、態度を改めた。

「今日あなたを呼びつけたのは他でもない、この雛見沢の生き残り、前原圭一さんとコンタクトを取りたかったからでして」
「ああ、何度も聞いてるぜ……もう二度とこの地を踏むことは無いと思っていたんだがな」

 圭一はいう。
 もっとも多感な少年時代に、自分を形作る環境の全て――それこそ人から虫まで――を失った彼は、それからしばらくの時間、心を閉ざして雛見沢の事も忘却の彼方へと追いやっていた。
 しかし、心も体も社会的にも大人となるにつれる過程で筋肉のように痛んだ分だけ精神力を鍛えた彼は、治らない傷を抱えつつも一人前の男として生きてきた。

 無論、それは彼一人だけで成し遂げたものではない。
 全てを失った圭一を支えたものは行政による援助でもあったが、それ以上に目の前の大石が存外に彼を助けたのだ。
 その理由だが、

「私ゃ死ぬまで、あの事件は追い続けるんですよ」

 と、雛見沢との最後の繋がりである圭一を失うのは避けたかった事にある。無論、感情をもつ一己の人間として彼を見放せなかったのもあるが。

 そしてもう一人。

 今度は運転席側から、圭一よりも一回り年上と見える男がゆっくりと現れる……ラフな服装をしているが、その体は服の上からでもしなやかな筋肉に覆われているのが解るほどで、顔は戦士と表現したくなるほどに精悍さが溢れ出ているものだった。
 その男は、やかましい大石とは対照的に、静かに口を開いた。

「やあ、前原君。突然すまないね」
「赤坂さん。どうもお久しぶりです。いや……良いんすよ」

 赤坂衛。彼もまた、大石と共に刑事として雛見沢に深く関わった人間の一人であった。
 彼は大石が圭一の後見人的役割を果たしていることを知ると、時々ではあるが仕事の手を休めて時間を共有していたのだった。

「それで……いまさら俺への用事って一体なんなんです」
「君に会ってもらいたい人物がいるんだ」

 赤坂は問いにそう答えた。

「俺に? こんなところで?」

 怪訝な表情になり、聞き返す圭一。

「なに、人目のつかないところの方が都合がよくてね」
「一体、誰なんです」
「会えばわかるさ」

 赤坂はそこまで言うと、車に戻ってエンジンをかける。反応して大石も同じように助手席へ座り込むと「付いてらしてください」と、圭一を誘う。
 その言葉を残して車は後退していく。
 二人の意図がつかめない圭一は釈然としなかったが、黙っていても進展しないので、仕方なくバイクへ跨ってヘルメットを装着すると、アクセルを吹かして砂利の上をくるりと回って大石達を追う。

 やがて、いつか見た記憶のあるバス停を過ぎ去り、どんどん村の深部へと入り込んでいく。
 懐かしい空気が圭一の体に当たり、様々な記憶を思い起こさせる。

「……」

 ハンドルグリップを持つ手に力が入った。
 だが、想いを払うかのように頭をぶんぶんと振るうと、運転に集中する。
 すると、目の前を走っていた車はウインカーを出して路地へと入っていくので、それに従って続くと……

「あ、学校……」

 そこには、朽ち果てた校舎があった。しかしその姿を圭一は忘れもしない。彼が雛見沢においてもっとも記憶に残る場所、雛見沢分校。
 大石と赤坂が圭一を導いた場所は、その廃墟だった。
 大災害から全ての時が止まったままの校舎は、長く人の手を離れて、色褪せ風化していた。
 その姿は、退廃的ながらも精霊がいるのではないかと思わせるほどに神秘的なだったが、それは同時に、もはや現世の者が住まう場所では無い事を静かに物語っていた……。

 大石達は校庭に車を停めると、降りて圭一を手招きする。
 従って、再びヘルメットを脱いでサイドスタンドを蹴り出すとバイクから降りて二人へ続く。
 どうやら校舎の中へ入っていくようだった。

「ごめんくださぁい」

 一行は廃墟となった学校へ足を踏み入れる。古い木造の校舎は長い年月の経過によってあちらこちらが腐食しており、一歩あるくごとに、ぎしぎしと苦しげな音をたてる。
 内部に立ちこめる空気はしん、と冷たく、ところどころに木やコンクリートを突き破って生えた草木が茂っていた。
 まるで建物全体が、侵入者を拒んでいるかのようだった。

 しかし構わず奥へと進むと、もともとそれほど広くはない建物である。すぐに行き止まり近くへと達してしまう。
 だが、そこは、

「俺たちが居た教室だ……」
「ええ、この中で待ち合わせている人がいるんですよ」

 そういうと、大石は教室の中へと目をやる。
 その視線の先に、ガラスが砕け散り、枠だけとなった窓際の椅子に腰掛けている人影があった。
 三人が来たことに気づかないのか、こちらに背を向けている。
 ゆえに顔を覗くことは叶わなかったが、朱色のレディーススーツをまとった細い背から、女である事はうかがわれた。

 あまりにもおぼろげに見えたその背に、かつての教師だった知恵の亡霊でも見ているのではないかと、圭一は一瞬戦慄を覚えたが、栗色の長く伸びた後ろ髪が風にそよぐのを見てすぐにその考えを打ち消す。
 それと同時に、その髪の色に見覚えがあるのを思い出した。

「まさか」

 思わず独りでに声が出てしまう。
 それに大石がちらりと目配せすると、赤坂が応じた。

「ええ、そうです。彼女は竜宮礼奈……君の」
「レナ!!」

 赤坂の言葉を遮って圭一が叫ぶ。その声色に反応したレナが、ふっと後ろに顔を向ける。すれば、その先の映像を捉えた彼女の表情が、みるみる内に驚愕の色へ染まっていく。
 鈴のような眼はかっと見開かれ、小さな口にはぽっかりと大きな穴が開いた。

「……まさか」

 つぶやいたレナが陽炎のように立ち上がると、触れれば崩れ去ってしまう砂の城を扱うかのごとく、そっと細い腕を伸ばしていく。

「レナ」

 その腕を、圭一がはっきりと力強く手に取った。
 目の前の映像が信じられないというふうに、触れる手をきょとんと見つめるレナ。それに圭一が柔らかく話しかける。

「どうしたよ、レナ。まさか俺を忘れたとか言うんじゃねえだろーな」

 その話しぶりに、レナがぶるりと震えた。おずおずと頭ひとつ高くなった圭一の顔を見上げて、

「……圭一くんなの?」

 と、問う。

「これなら信じるだろ」

 そういうと、圭一はふわりと彼女の頭に手を乗せて軽くなでてやった。彼が親しくなった相手に見せる、昔からの癖である。
 かつてレナも同様に頭をなでられたものだった。
 これではっきりと圭一であると認識したのであろう、レナはまた震えると、声もなくその瞳からぼろぼろと大粒の涙をこぼした。

 彼女は、圭一が死んだものと思っていたのだ。圭一ですら、同様にレナが死んだものと思っていたのだから。
 思いもよらぬ再会のショックに感情のコントロールが効かなくなる。

「……二〇年ぶりだな」
「け、圭一くん! 圭一くんっ!!」

 圭一の言葉に、それまで蜃気楼のような儚さをまとわせていたレナが堰を切ったかのごとくして彼へ抱きつく。
 雛見沢での思い出が一気に噴きだしてきたのか、彼女は目の前に大石と赤坂がいるのも構わず、圭一の胸へ顔を埋めてわっと号泣する。
 そんなレナを圭一がまた、やさしく撫でた。

「あのぅ……」

 そのように完全に二人の世界になっていた空間に、大石がおずおずと割って入る。
 頭をぽりぽりとかきながら、

「感動の再会のお邪魔をしては申し訳ないんですがぁね、ちょっとよろしいでしょうかぁ?」

 といった。
 圭一はレナの頭を撫でながら、振り向かずに答える。

「その前に……あんたら、最初からレナの行方を知っていて今まで隠してたんじゃねえだろうな。もしそうだったら」

 そこまで言って振り向き、ぎろりと鋭い眼光で大石達を射貫く。

「い、いやいや! 竜宮さんが生存していたのを知ったのは、つい最近の事です、本当です!」

 修羅の様な迫力にあわてて見繕う大石。
 その言葉を圭一はいまいち信用できなかったが、レナが助け船を出した。

「圭一くん、大石さんは嘘をいってないよ」
「そうか」

 うなずく圭一を見て、大石はやれやれといった感じで肩を降ろす。

「んっふっふぅ……ふぅ。信用ありませんねぇ」

 そう言う肩に、ぽんと赤坂の手が乗る。大石に目配せして「この先はまかせてください」と伝えたのだ。
 ずい、と一歩出て口をひらく。

「前原君、驚かしてすまなかった。あまり先に彼女の事をいうと、君の性格だから、突っ走って事故でも起こしかねないと思って言わなかったんだ。その逆もまた然りって事で。許してほしい」

「それ謝罪になってませんよ赤坂さん……まあ、確かにそうでしょうけど」

「すまない。まあ、少し説明しよう……彼女が事件のあと退院してから、行方をくらませていたのは君も知って通りだ」
「ええ」
「それが、たった一ヶ月前の事だ。ふらりと骨ヶ鹿市に帰ってきたんだよ。どうやら私たちが出版した、例の本を見かけたのが原因らしいが……」

 そこまでいうと、赤坂はいったん区切った。そのもったいぶる様な仕草に、苛立った圭一が急かすようにいった。

「らしいが、なんです」
「彼女は失踪前、輿宮で鷹野三四を見たというんだ」
「なんだって」


 鷹野三四。雛見沢の綿流しの夜、行方不明になった後に焼死体で発見された村の看護婦であった。
 だが、生前において彼女の言動は不可解きわまることが多く、また、三四号文書といわれる遺されたノートには、雛見沢大災害の予言と真相ともいうべき内容が、オカルト的な記述で記されていた。

 たとえば宇宙人の仕業だとか、寄生虫の仕業だとか、およそ非科学的なものばかりであったがロジックを読み解いていくと、どれもが大災害は「人為的な何かによって起こるもの」と、予言する内容だったのだ。

 加えて、後年になって彼女の勤めていた入江診療所がただの医療機関ではなく、なんらかの研究機関も兼ねていた場所であった事が、明らかになっている。

 そこで赤坂は仮説を立てた。

「三四号文書にあった「研究」が、御三家ではなくあの診療所によるものだったとしたら、どうだろうか?」

 大災害を事故でなく事件とみなす向きは、なにも赤坂たちだけでなく、当時に興味のある人間たちにもあった。
 しかし彼らは、多少の意見の相違はあれども、黒幕を雛見沢の支配者たる御三家に求めた。

 というのも御三家の内に、その筆頭の園崎が極道の家柄にあり、それにつづく公由、古手も当然、園崎と深い繋がりがあったからだった。
 海外マフィアと結びついた兵器研究の事故によって、あの大災害は起こったというのだ。

 しかし。
 その後になって赤坂達は当時の雛見沢の状況をくまなく調べていったが、とうとう御三家に奇妙な研究の形跡は発見できなかった。

 家柄のため、大災害とは関係の無いであろう、殺人から武器や薬、果ては人身売買などはいくらでも浮かび上がったが、いくら調べても、雛見沢の御三家が未知の研究に手を出していたという証拠はつかめなかった。

 それに対して、大災害の直前、所長が服毒自殺という謎の死をとげた、研究機関としての役目も備えていた入江診療所である。
 そのわりにはほとんどの記録が残っておらず、謎が多かった。

「外面で怪しく見える御三家を、隠れミノに使ったんじゃないでしょうねぇ。三四号文書は、そのミノがばれないよう、かく乱するため真実を含めたかのように見せかけたトラップだったんじゃあ……」

 と、大石も仮説を立てた。

「新種の生物兵器か何かの研究だったのでは……雛見沢村は、その実験場にされた……」

 雛見沢以外にも、近年ではSARSなどで同様の噂がささやかれたものである。
 いずれにせよ、ガスの噴出跡が見られないのに政府が発表した
「大災害は火山性ガスによるもの」とする説明よりも、つじつまが合った。

 そして、いよいよである。
 レナによれば、災害発生の数日前には死亡しているはずの鷹野を見かけたというのだ。
 本物の死人が歩き回るのは、ゾンビ映画の中の世界だけである。
 ならば、

「この鷹野って女、医師免許があってなお、看護婦に甘んじていたそうじゃないですか。こりゃあ絶対に何かあります。もし本当に竜宮さんが見かけたのが鷹野だったとしたら……クロか、それに近い存在だと思いますね」

 赤坂が大石に言った事だった。
 実際、かつて焼死体で見つかった鷹野は鑑識の誤認だったという事が明らかになっており、さすがに一般公開はされていないものの、極秘に鷹野は内乱罪の被疑をかけられて、公安にマークされる存在となっていた。

 公安としても、表向きはともかく、実際はかつての雛見沢大災害を自然災害とは見なしていないのだ。

「しかし、仮に鷹野がクロだったとしても、今も生きているのかどうかすら、わからないんですからねぇ。下手をすりゃ竜宮さんが幻覚を見たって可能性も……」

 少しでも情報の欲しい彼らは、そこでレナに詳しく記憶をたどってもらおうとしたが……

「やめて!!」

 深く踏み入ろうとすれば、心に傷を負ったせいか彼女は激しく拒否反応をしめした。
 精神科などにカウンセリングを受けさせたが、どうにもならない。

「埒があかないな。彼女の心の鎖を解く事のできる人間がいれば……」
「……そうだ赤坂さん、うってつけの人物がいるじゃあないですか!!」

 それが、前原圭一であった。
 大災害の当日、誤って河原へ落ちて気絶していたことで、運良くか、はたまた悪くか、ともかくも生きながらえた雛見沢の数少ない生き残りだ。
 彼と竜宮礼奈を接触させることで彼女の錆び付いた心の錠前を外してもらおうという算段である。

「と、まあ……そんなところだね」
「結局全部、あんたらの都合じゃねえか」
「身も蓋もない言い方だが、そうなる」
「……ま、生きてレナと再会できただけでも、あんたらには感謝しなきゃならないか。その頼みも、今の説明でよおく解った」

 そこまで言うと、控えていた大石がぱっと明るく笑う。

「いやあ、そうですかぁ! そりゃあよかった……」

 と、そこまで言いかけたが圭一は、その先は聞き飽きたと遮るかのように、

「しばらくレナは預からさせてもらうぜ。あんたらの監視がついてたら、とてもじゃないが落ち着けねえ」

 と、啖呵を切るように言い放つ。
 相変わらずの気性に大石はまた、やれやれと肩をすくめると頭をかいて、

「当初からそのつもりでしたから、もちろん構いません……が、しかし、国内からは出ないでいただけると我々も安心できるんですがねぇ」

 と、冗談めいて言う。
 しかし圭一には冗談に聞こえなかったのか、あえて気づかないふりをしたのか、「そんなつもりはねえよ」とだけつっけんどんに返す。

「ともかく、あんたらの頼みは承知した。なんか判明したら連絡する……どれぐらい掛かるかは保証できないがな」

 そういって、そっとレナの腰に手を回すと、

「行こうぜ」

 柔らかくいった。
 眼前で彼らの企みを聞かされたレナだったが、圭一には拒絶反応をしめす事もなく素直に導きに従い、朽ちた教室を後にするのだった。
 その後ろ姿をみつめる二人の刑事は頭をぽりぽりとやりながら、なんとも表現しにくいような顔をつくって見合う。

「大丈夫でしょうか」
「なぁに……ああ見えても、前原さんはこの二〇年で、すばらしく成長しました。もう一人前の立派な男ですよ、大丈夫」
「そうですか……しかし、あてつけてくれますね」
「ロミオとジュリエットみたいなものですからねぇ」
「まったく、妻に先立たれた男には酷な光景ですよ」
「……久しぶりに飲みにでも行きましょうか。おごりますよ」

 赤坂がふと歪んだ窓枠から見上げると、既に空は紅く染まっていた。

・・・

 圭一は愛車の背にレナを乗せて、雛見沢を飛び出した。
 後ろに聞こえた大石の「レナさんのヘルメットを買ってくださいねぇ」の声にしぶしぶ従ってバイクショップで適当なものを見繕った後は、そのまま道を飛ばしはじめると、すぐに陽も落ちて、世界はとっぷりと闇に浸かってしまう。
 道を通過していくバイクを、今度は美しく輝くネオンが照らす。圭一には、それがいやにまぶかった。

 やがて街の繁華街に入ると適当な駐輪場所を見つけて、バイクを駐める。
 ひょいとレナが飛び降りると、つづけて圭一がひらりとまたいで降りた。

 案外にうるさいバイクのエンジン音が消えると、すぐに夜の街の喧噪が二人を包む。圭一はさっさとヘルメットを脱ぐと、さっきやったのと同じように、レナの細い腰に手を回す。
 レナも艶やかに顔を赤らめて、じんわりとした期待の視線を圭一におくる。

 密着したバイクでの二人乗車の間に、すでにお互いの体温を肢体で感じあっていた二人である。
 同じ場所で、同じ時間を深く過ごしたつながりを持ちながら別れ、永い時間を経て再開した男女が、肉欲の猛りを感じずにいられないのは、自然のことであろう。
 そして寄り添って歩くかたわら、圭一が前を見たまま口を開く。

「レナぁ」

 と、甘えるような調子で呼びかけるのだ。
 ガラは悪くとも、こういう気取らぬところが変わらぬ純朴さであった。

「ん、なに」

 対するレナは、案外に冷静である。
 冷静ではあるが圭一の純朴さに応えるように、かつてのように優しく、そして今は多分に官能的な響きも含めている。

 両者とも心の奥底は激情的であり人情的なのだが、しかし表面に出てくる、この普段の姿は、まさに陰と陽であるといえた。
 共感しあえるものと、お互いに無いものを、両方持っている二人が惹かれあうのは必然のことといってよかったかもしれない。
 それだけに……

「二〇年ぶりだよなぁ、こうして歩くのも」
「そうだね……」
「それにしても、うーん。ちょっと太ったか?」
「け、圭一くん、それはちょっとひどいなぁ。圭一くんだって、すっかりおじさんだよ?」
「お互いさまかぁ」
「お互いさまだよ」

 などと、他愛もないが久しくしていなかった、人間的な会話を交わすうちに二人を包む雰囲気は、いよいよに柔らかく、そして艶を帯びたものになっていった。
 そうして街をゆるゆると歩いていったが、ひときわ毒々しく輝くネオン看板
の前に立つと、ひたと足を止める。

 その看板を圭一がちらりと見やった。
 するとホテル・ドラゴンナイトと妙にファンタジックな施設名と、休憩が五〇〇〇円、宿泊が八〇〇〇円とする案内が施されていたが、しかしこのホテルを休憩にしても宿泊にしても、文字通りの利用をする人間は少ないだろう。

「あ」
「うん……」

 ふと、レナと目があった。
 二人とも、目の前の施設がどういうものか解らぬ様な年齢ではない。いや、今時はかつての彼らの年齢くらいの子供であっても、よく知っているほどだ。

 そのまま何も言わぬまま入り口へ足をかける。いまだ人混みの耐えぬ通りからは幾多の好奇の視線が飛びかかるが、そんなものがはじめから無いかのように、二人は通路の奥へ溶けていくのだった。

 やがて、宿帳を無視して部屋へたどり着いた二人を出迎えたのは、外の看板にも負けず劣らずの妙に毒々しい内装を施された部屋だった。
 なにやら西洋の宮殿をイメージしたもののようではあったが、しょせんはコストを可能な限り抑えてあつらえられた部屋で、見た目と質感のギャップが異様なまでの貧相さを生み出している。

 しかし事に及ぶには十分だろう。
 圭一は備え付けられたベッドに寄ると、シャワーも浴びぬままレナを押し倒す。
 記憶の中の恋人が現世に再び舞い降りたのであるから、肉欲の衝動を抑えきれないのも仕方のないところではあったが……。

「圭一くん、ふく、服だけは……」

 と、あわや朱色のスーツをめちゃくちゃにされかけたレナが弱々しく抗議する。

「す、すまねぇ」

 あわてて手を離した圭一が、今度はゆっくりと手を掛けて一枚一枚、丁寧にはぎとっていく。

 さきほど彼が太ったとレナをからかったが、確かに二〇年前の記憶の中のレナに比べれば肉がついた肢体が現れる。
 しかし醜く肥えているのではなく女の色気を、最大限に押し出すような形でほどよくついた肉は、圭一の劣情をむわりと誘うのだ。

 後はその肉欲にまかせてレナを貪るだけだった。
 レナの艶めかしい声色が部屋を包むと、圭一は興奮に身を任せて勢いのたけを彼女にぶつけていく。
 一度引き裂かれた絆が今になって再び、肉と肉の交わりという形で結ばれていくのだった。

「ねぇ」
「なんだ」
「なにも聞かないの?」
「野暮な事いうもんじゃない、今は今だ」
「ふふ、さすが圭一くん……」

 やがてお互いを味わい尽くした後は、ゆっくりとシャワーを浴びて湯船につかると何事も無かったかのようにホテルを後にする。
 しかし、どちらも美丈夫であるし、美女である。
 レナを連れ添って出てくる圭一を舐めるように見つめる視線がまとわりつくが、気にせずバイクの駐めてあったところへ戻ろうとする。

 そのまま歩を進めたが、しかし、

「け、圭一くん……あ、あれ、あれっ……!」
「なんだよレナ……うっ」

 しきりに腕を引っ張るレナが視線を送る先に、見覚えのある人間が車へ乗り込もうとしていた。

「あいつは、まさかっ」
「鷹野三四……だよね」
「歳くっちゃいるが、間違いねえ。なんでこんなところに……いや生きていたのか!? レナ、お前の言ってた事は……」
「そんなことより圭一くん、追いかけなくていいの!?」
「あっ……く、くそ、レナ、バイクの後ろに乗れ! 悪いが、飛ばすぞ」
「う、うん!」

 走り去った車を追いかけるため、圭一のバイクが始動する。エンジンが掛かると共に灯るヘッドライトが、獲物を射貫く眼のように輝いた。
 アクセルを捻り、クラッチを乱暴につなぐとフロントタイヤを高々と上げて急発進する。
 レナが振り落とされまい、と必死に圭一にしがみつく。

「待ちやがれぇっ!!」

 爆音を上げて圭一のバイクが加速していく。
 重さにしてわずか二〇〇キロ前後の車体をリットル級排気量のエンジンが押し出す力はすさまじく、まるでレーシングカーのごとき勢いで飛ぶ。

 タイヤを横に滑らせて躍り出た道は、空いた幹線道路だった。遠くに見える鷹野の乗った車の方も相当なスピードが出ていたが、圭一のバイクはその倍近い速度で走り、あっという間に追いついてしまう。

 だが、走っている以上はこちらよりも体の巨大な車を止める事はできない。ハリウッド映画のヒーローの様には、いかないのだ。
 しかし圭一はあきらめることなく追走を続けると、やがて四方に他の車が増えてきて大きな交差点へと差し掛かる。
 赤信号だった。

 きちんと停車するのを見届けると同時に、圭一はバイクのサイドスタンドを蹴り出して停まると、ひらりと舞い降りた。レナがそれに続く。

 もし、人違いだったらどうするか――。

 その考えは圭一にも、レナにもなかった。車に乗り込む姿を見た瞬間、それが鷹野であると根拠もない確信があったのだ。
 なんとも頼りない確信であったが、ほどなくして、それは実証されることになる。

 鷹野の車に駆け寄った圭一は、運転席のドアをばっと開く。ロックは掛かっていなかったようだ。
 いきなりドアを開けられて運転席の金髪の女は驚愕するが、圭一はそれを許す間もなく、彼女の胸ぐらを掴んで引きずり降ろし、べしゃりと地面に叩きつけてしまう。
 辺りが騒然となった。それもそうであろう、傍目から見ればバイクに乗った男が突然、車のドアを開けてドライバーの女に暴挙に及んだようにしか見えない。

「おい、ちょっとあんた、何やってんだ!!」

 多くの他のドライバー達は見て見ぬふりをしていたようだが、一人、勇気のある男が車から降りて圭一に抗議へ向かう。
 だが、この勇気が逆目に出てしまう。後ろから、レナがひたひたと近づいていく。

「邪魔したら許さない……」
「あんた何だ……ウッ」

 レナはポケットから取り出したナイフを、男の背に突きつけて脅しかけた。
 圭一と交わしていた時とは一八〇度回って氷のような冷たさを含んだ声色は、男を硬直させるに十分であった。

 そして圭一。

「鷹野三四だな……」
「ど、どうして私の名前を」
「やっぱりそうか……雛見沢の恨み、忘れやしねえ」
「まさか、あなた」
「そうよ、俺は前原圭一だ。あの晩以来だなぁ……!?」
「わ、私は何も悪い事はしてないわ! 誰かっ助けてちょうだい!!」

 そう鷹野が叫んだ時、誰かが通報したのであろう。交差点の向こう側から御用提灯ならぬ、パトランプを十重二十重と光らせた緊急車両が現れると、こちらへ向かってきた。
 そして瞬く間に警官が数人降りてくると、圭一達を取りかこむ。

「くそっ……!」

 これだけの大通りで騒ぎを起こしたのだから自業自得なのだが、圭一が毒づく。その様を見てほくそ笑む鷹野。
 しかし、すぐにその笑いはかき消されることになる。

「待て」

 圭一を取り囲む警官たちの前に、ベージュの背広を着た中年の男と、それにつづいてよく太った老人が現れる。

「なんですか、公務執行妨害になりますよ!」
「私は……」

 といって、警察手帳を見せる。

「公安部外事第二課の者だ。その連中は我々が確保する……すまんが、退いてもらいたい。苦情は公安部長が受け付ける」
「は……はっ、了解いたしました」

 そういうと、警官の中のリーダーが「だから公安の連中は嫌いなんだ」といった表情を隠しもせず、しぶしぶ音頭を取って撤収作業に入る。
 公安警察は、国民よりも国家の治安を維持するという性質上、一般市民はもとより、一般警察に対しても情報的に隔離されており、その構成員から扱う事件の内容にかけてまで、情報がやりとりされない事が多い。

 ゆえに共同戦線が張られなかったり、場合によってはお互いが脚を引っ張ってしまう事もあり、一般警察の人間が公安部や公安課に対して、良い感情を抱いていない事は少なくない。

 交通整理のために残った一部の警官達以外が撤収すると、公安の刑事……すなわち赤坂が組み合ったままの圭一と鷹野に近づいていく。

「赤坂さん……あんた、俺たちをつけてたな」
「……」

 赤坂は答えなかった。

「ちっ、まあいいさ。しかし釣れた魚はでかかったな」
「放してちょうだい、私はただの一般市民よ」
「鷹野三四さんですね……あなたには内乱罪の被疑がかけられている。任意同行をお願いしたい」

 赤坂はその細い両眼をかっと見開き、らんらんと輝かせて鷹野の瞳をのぞき込む。その迫力はまるで仁王のようであり、鷹野のような女でも萎縮させるに十分であった。
 任意同行というが、事実上の無令状逮捕のようなものである。とはいえ一応は被疑者の同意が必要であるし、鷹野のような相手の場合、多少の脅迫めいた演技は必要であっただろう。

 結局鷹野は折れて、赤坂と大石に連れられて用意されていた車に乗り込んでいく。
 圭一たちはその後ろ姿をただ見つめているしかなかったが、途中で大石がふりむくと彼はにこやかに笑って見せた。

「いやぁ、ついに積年の執念が実りましたよ。まさか前原さんと竜宮さんが再会した夜に成るとは思いませんでしたがねぇ……ご協力、感謝しますよ」
「あんたも今は警官じゃねえだろ」
「ああ、そうですねぇ!! 私も単なる善意の協力者ってことで。はっはっは……しかし、今夜はちょっと、出来すぎているような気もしますがね」
「え?」
「いやなに、独り言ですよ……また、なにかあったら連絡します。竜宮さんを大切にしてあげてくださいよ? さっ、行きましょうか赤坂さん」

 それだけいうと、赤坂と大石はさっさと車に乗り込んで行ってしまった。
 後に残された圭一とレナに、夜の生暖かい風が吹きすさぶ。

「これで、終わったのか……?」
「私は難しい事は解らないけど……もしかしたら、鷹野さんも被害者なのかもしれないよ」
「なんだって?」
「仮にあの悪夢を引き起こした犯人なら、許せないけど……大石さんも言ってたでしょ、出来すぎてるって」
「ああ……」
「大災害が人為的なものなら、彼女のバックにはもっと大きな組織がついている可能性が高いもの。魅ぃちゃんや、みんなの本当のカタキがいるとしたら、たぶん、そいつらだと思うな。鷹野さんはその操り人形に過ぎなかった……」
「レナ……おまえ」
「ふふ、なんてね。私たちが今更あがいても、どうになる事じゃないよね。後は大石さんたちに任せよ」

 そこまでいって、レナが一呼吸おいた。
 そして、ふっと圭一に振り向いて微笑む。

「こんな事いったらあの世のみんなに恨まれるだろうけど……私は圭一くんが生きていてくれただけでも、幸せ……かな、かな」
「例えこれが間違った未来だったとしても、俺たちはそこに生きている、か」
「……うん」
「行こうぜ」
「行こうか」

 圭一はエンジンが掛かってアイドリングのままだった愛車に跨って、レナを後ろに乗せた。
 軽くアクセルを吹かすと、ウワァン……と、バイクは咆吼のようなエンジン音をあげて、闇夜に紅いテールランプの灯火を残して消えていく。
 バイクが見えなくなっても未だ聞こえるそれは、さながら戦場で孤立した兵士をも奮い立たせる、勇壮な唄のようであった。
 それが奏でられ続ける間、二人も強く有るはずであろう。


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最終更新:2023年03月01日 21:33