前のお話



圭ちゃんが乱暴に私の身体に触れる。
「魅音」
私の名前を呼びながら、私の首や鎖骨の辺りに噛み付く。赤い痕を点々と残す。
ああ、体育の着替えの時に困るな。沙都子や梨花ちゃんには分からないだろうけど、レナなら気付くかもしれない。
そう心の隅っこで思ったけれど、口には出さなかった。
圭ちゃんの唇が徐々に位置をずらす。そしてそれは胸に辿り着く。
不意に、圭ちゃんが私の乳首に、がりっ、と歯を立てた。
「ひっ!…ぐぅ…」
思わず悲鳴を上げて身体を強張らせる。圭ちゃんは面白がるように言う。
「痛かったか?ごめんな魅音。俺慣れてないからさ」
そして指で、ぴん、と私の乳首を弾く。痛みに似た痺れが走って、私は羞恥に唇を噛んだ。
「うっわ、びしょびしょ。こりゃあもう履けねえな」
圭ちゃんが手をスカートの中に突っ込む。そしてパンツ越しに私の股間を触る。
「うあっ…」
「こんなの履いてたら気持ち悪いだろ」
圭ちゃんの指パンツの端を掴んでずり下ろした。スカートの中がすうすうする。
つぷ、と圭ちゃんの指が股間に入り込んだ。
「ああ?何だこれ。小便じゃねえよな」
笑みを含んだ声でぐちゅぐちゅと指をかき回す。私のそこは濡れていた。
「あっ…ひゃ、あぁあ…」
「気持ち良さそうだな、魅音」
圭ちゃんが指を増やして、私の中に突き入れる。その感覚にびくんびくんと腰が跳ねる。
「ん、や、あうっ…」
「すっげえ。とろとろしてる」
指でぬるぬるとその感触を確かめると、圭ちゃんはずるりと指を抜いた。
やがて、ジーッというチャックを下ろす音が耳に届く。
ああ、いれるんだ。
ぼんやりと思う。視界に入ってくる、赤黒くて大きなそれ。
圭ちゃんの手が私の太ももを押さえる。不意に、ずん、と身体の中心に衝撃が走った。
「うああぁああっ…!!」
「んっ…」
私の中心目指して、圭ちゃんの重量のあるそれが容赦無く抉り込む。
ぐちゅぐちゅという水音が、私と圭ちゃんが繋がるその時だと知らせる。
痛いのか苦しいのか熱いのか気持ちいいのか、もうよく分からない。脳みそが溶けてしまう。
やがて私の中に全てを納めてしまうと、圭ちゃんがはを伏せて、気持ち良さそうにはあ……と息を吐いた。
その吐息さえもが、繋がった部分から振動になって伝わってきそうに思える。
圭ちゃんはしばらくじっとしていたが、やがて動き出した。
ぐちゃぐちゃと音を立てて、出し入れが繰り返される。
「はあ…はあ、はあ」
「んあっ、やっ、ふわああっ」
息が荒い。熱い。苦痛と快感がごちゃまぜになって、ぞくぞくする。
下半身が揺さぶられる。結合部分がたまらなく熱い。お腹の底から圧迫される感覚が頭の後ろを痺れさせる。
ぐずぐずと、熱でその部分からとろけてしまいそうだ。
私と圭ちゃんの身体がひとつになり、別の物体になってしまうのではないかと、ありえない想像が浮かぶ。
別の物体?何それ。知らない。ありえない。
じゃあこれは何?これは汗。汗が飛び散る。ぐしょぐしょできもちいい。
どこまでが汗?知らない。知るわけがない。どれが汗でどれが唾液でどれが精液かなんて、知るものか。
「んっ……魅音、魅音っ…」
「圭ちゃん…けいちゃ、ん……」
圭ちゃんが私の名前を呼ぶ。私はそれに言葉を返す。私たちはちゃんと求め合えているのだろうか。
じくじくと痛む。性器じゃない。胸の奥が軋んで、痛みを伝える。
……悲しい。どうしてこんなに悲しいんだろう。
理由は分かってる。
腕を拘束されて、身動きが取れない。私はその手を圭ちゃんの背中に回すことも、頭を寄せてキスすることも出来ない。
そして何より、圭ちゃんは私を憎んでいる。
ひとつになれそうで、ひとつになれない。憎悪の対象と溶け合えるはずはない。私はひとつになりたいのに。圭ちゃんと溶け合いたいのに。
圭ちゃんはきっと、いつまでも私を許してくれない。
「けいちゃん、けい…ちゃ……」
「魅音」
もうとっくに視界はぼやけていた。
圭ちゃんの髪が揺れる。床に広がる私の髪も揺れているんだろう。
ぽた、ぽた、と私の頬に何かが落ちる。圭ちゃんの頬が濡れているのが、うっすらと分かった。
さまざまな体液を流し合いながら、圭ちゃんと私の身体は繋がり、絡み合い、揺れている。
脳みそはとっくに使えなくなった。考えを巡らせることなんて出来やしない。
けれどこれだけは分かる。

私の眼と、圭ちゃんの眼から零れ落ちるのは、涙。


圭ちゃんが私の奥底に精液を注ぎ込んだその後も、私はさまざまな仕打ちを受けた。
圭ちゃんのものをしゃぶらされ、飲まされた。
圭ちゃんのものを触らされ、かけられた。
カーテンの隙間から差し込む光が完全に消え失せ、闇が部屋を満たす頃には、顔にも胸にもお腹にも太ももにも、圭ちゃんの精液がべっとりと付いていた。
圭ちゃんは私の身体をずっと嬲り続けながら、私の名前を呼び、私を嘘つきと罵り、私を許さないと怒鳴った。手に入らないのなら、殺してやるとも、言っていた。
いくつもの喘ぎが嘆きに変わり、嘆きが喘ぎに変わり、混沌とした感情が渦を巻き、圭ちゃんの唇から切羽詰った叫びを迸らせていた。
唯一私を犯すことで圭ちゃんの精神の均衡は保たれているかのようだった。
「魅音、誓え。自分は一生俺に背かないと。一生俺の奴隷として、俺の傍に居続けると、誓え」
それはもう何度目の挿入か分からなくなった時だ。圭ちゃんが腰を揺さぶりながら、私の髪をわし掴んで迫った。
私は言われるがままに、圭ちゃんの言葉を復唱した。呂律が回らない口調で、ただ繰り返した。私、園崎魅音は一生、前原圭一様の奴隷です、と。
そして圭ちゃんは私の奥底に、もう何度目か分からない射精をし、その行為に終止符を打った。


陵辱、と言えばいいのだろうか。
それが終わり、ずっと両手首を拘束していた手錠が外された後も、私は精液にまみれた身体をぼんやりと起こしたまま、放心していた。
変わってしまった。全てが変わってしまった。圭ちゃんは変わり、圭ちゃんと私の関係も変わり、そしてきっと私自身も変わったのだろう。
私たちは、あまりにも歪んでしまった。そして歪みの原因、諸悪の根源は、私の愚かな嘘だ。
もう涙も出て来ない。涙腺が麻痺して、悲しむという機能さえも壊れた。もう私は人間じゃない。
「……風呂、入って来いよ」
圭ちゃんはいつの間に取ってきたのか、バスタオルを私に差し出していた。
「立てるか?」
その表情は能面のようだった。
まるで感情をどこかに捨て去ったかのような、ああそうか、圭ちゃんも壊れてしまったんだ、私のせいで。
私は頷いて、のろのろとバスタオルを受け取った。
バスタオルを受け取る時に、拘束で擦れて出来た手首の傷痕が視界に入った。
圭ちゃんはそれを一瞥すると、ふいと視線を逸らした。


何とかひとりで風呂場に到着し、熱いシャワーを浴びているうちに、身体の麻痺した感覚が戻ってくるのが分かった。
石鹸で身体の隅々まで洗い、髪をシャンプーで念入りに洗う。中に出された以外の精液を全て流し落とす。
そうしているうちに、身体が恐怖を自覚し、私は今更震えが来るのを感じた。
腰が痛い。股間が痛い。乱暴に扱われたその部分が、終わった今も悲鳴を上げている。それだけじゃない。
思わず手首の傷を指でなぞる。赤くくっきりと残るその痕の痛々しさに、先ほどの行為をまざまざと思い出す。
持ち上げられた足。引きずられた髪。押し込まれた口。歯を立てられた喉。押し付けられた熱。精液の匂い。
私の身体を蹂躙した暴力が脳裏に鮮明に蘇る。恐い。恐い恐い。
裸の背中に覆いかぶさる恐怖と喪失感に、泣きそうになる。
圭ちゃん、助けてよ。
思わずそう呟きそうになった。
私はやっぱり馬鹿だ。私を陵辱した本人に、助けを求めるなんて。
けれどどうしようもない。どうしようもないほど、私の頭の中は圭ちゃんに占められていた。今までも、おそらくこれからも。
シャワーのざーっという音が風呂場に響く。この音が、この水圧が、今までのことを全て流してくれればいいのに。
もちろんそんなのは無理だ。けれど少なくとも、私の泣き声はシャワーの音にかき消される。だから私は心おきなく泣いた。
両手で自分の膝を抱え込んで、顔を歪ませて、かつての圭ちゃんの優しい笑顔を思って、ただひたすらに泣いた。


シャワーを終えて、とりあえず寝巻き代わりの浴衣を着て廊下に出た。
圭ちゃんは風呂場から出てきた私を見ると、何も言わずに風呂場に入っていった。この沈黙が心を更に抉る。
居間に戻ると、私は畳にぺたんと座り込んだ。やがて風呂場からはシャワーの音が聞こえてくる。
もう何も考えたくなかった。このまま泥のように眠ってしまいたい。
圭ちゃんは風呂場から出たら、とりあえず帰宅しようとするだろう。
その時にまだ起きている私と会うよりも、眠ってしまっている私を見る方が気が楽だろう。
そうだ、そうに決まってる。私は畳に身体を横たえて、目を閉じた。
慈悲深いまどろみが、私を包むべく近寄ってくるのを感じる…………

不意に、電話が鳴って私は飛び起きた。

婆っちゃかもしれない。もしくは青年会の用事とか。電話には必ず出なくては。
私は重い身体を何とか持ち上げ、電話を取るべく廊下に出た。

『お姉ですか?詩音です』

電話越しにその声を聞いた途端、背中が粟立つのを感じた。
圭ちゃんが知るはずのない事実を知っていたという事実に、詩音が関係していると、今更確信する。
「詩音…なの?」
思わず唇から零れた、その短い問いかけの意図をすぐに汲み取り、詩音はあっさりと肯定した。
『はい、そうです。私が圭ちゃんに教えました。お姉が悟史くんに抱かれたって。多少脚色もしましたけど』
身体中が強張る。
「……知ってたの?」
『知ったのはごく最近です。悟史くんに接触する機会がありまして。悟史くんは自分が抱いたのは私だと誤解してくれてるみたいですが』
「そっか……」
悟史は無事だったのかとか、悟史とどうやって接触したのかとか、いつから知っていたのかとか、聞きたいことは山ほどあった。
けれどそれじゃない。私が今言うべきことは、他にある。
「……ごめんね…詩音……私、詩音を裏切った…」
声に嗚咽が混じって掠れた。詩音は受話器の向こうで黙って聞いているようだった。
「本当に、ごめんなさい…ごめん……」
『もういいです。腹は立ちましたけど、許します。無事に悟史くんは帰ってきそうなことだし、それに私も圭ちゃんにバラしたし』
圭ちゃん、という言葉に身体がびくっと反応した。
『圭ちゃん、どうでしたか?怒ってました?』
詩音は興味津々といった感じで聞いてくる。けれど圭ちゃんにされたことだけは言いたくなかった。
「…ごめん、そろそろ婆っちゃが帰って来るだろうから切るね。また今度会おう」
『えっ…お姉?待っ…』
詩音の言葉を待たずに受話器を置く。
部屋に戻ろう。寝なくては。そう思い、身を翻そうとした矢先、また電話が鳴り始めた。
詩音だろうか。私はのろのろと受話器を取る。

『もしもし?魅ぃですか!?』
電話の相手は、梨花ちゃんだった。
「う、うん、私だけど…」
『よかった…殺されてはいないようですね』
「え…」
梨花ちゃんはひどく焦った口調だった。
『圭一はあの後大人しく帰りましたか?何かひどいことはされませんでしたか?』
核心を突かれて、思わず口ごもる。何で知ってるんだろう。
私は不可解に思いながらも、正直に言ってしまっていた。
「う…ううん、実はまだ家にいるんだ…」
梨花ちゃんが受話器の向こうで息を呑んだのが分かった。
『……魅ぃ、今すぐ逃げるのです。圭一は危険です。圭一は今、多分相当精神的に参っています。最悪、魅ぃを殺そうとするかもしれません』
梨花ちゃんは、知ってるんだ。
はっきりと悟る。梨花ちゃんは最初から気付いていたんだ。
放課後に告げられた、梨花ちゃんの警告が脳裏に浮かぶ。
……もし危険を感じたら、すぐに逃げるのですよ…
そうだ、梨花ちゃんはあんなにもはっきりと警告してくれたじゃないか。私を危険な目に遭わせまいとして、教えてくれた。
それを今更思い出すなんて、私は本当に馬鹿だ。
『魅ぃ、聞いてますか?一刻も早く、僕の家でもレナの家でも何でもいいから、避難するのです。圭一の傍は危険です、だから…!』
「もう、遅いよ」
自分でも驚くほど乾いた声だった。
梨花ちゃんの声が止まる。私は小さく笑って言葉を続けた。
「もう、駄目だよ。ごめんね梨花ちゃん。梨花ちゃんの警告、ちゃんと聞かなくて」
『……だ、駄目なんてことはないのです。今からでも十分間に合います』
必死に説得するように、梨花ちゃんは声の調子を強くする。けれど私は頑なに言う。
「ううん、無理なの。私、圭ちゃんを置いて逃げるなんて出来ない。だって圭ちゃんがああなったのは、全部私のせいなんだもの」
『そんな、そんなこと…』
「その様子だと、梨花ちゃんも知ってるんだ。私の罪、私の嘘」
梨花ちゃんが唾をごくりと飲み下す音が聞こえた。
『……知っています。けれどそのことに、こんなにも責任を感じる必要はありません!
 魅ぃが辛かったのは分かります。ちょっと考えれば分かることです、魅ぃの気持ち、魅ぃの苦しみ!』
梨花ちゃんのその優しい言葉に、胸が少し軽くなるのを感じた。目頭が熱くなる。
「…ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。でもね、私はたとえ今日の放課後に戻れても、圭ちゃんからは逃げないよ」
『……どうしてですか』
「だって」
私は息を吸い込んだ。身体の緊張が、緩やかにほどけてゆく。
「私は圭ちゃんを、好きなんだもの」
我ながら凛とした言葉だったと思う。これだけは、私が心から自信を持って言えるセリフだから。
梨花ちゃんは少し黙って、そして続けた。
『魅ぃの気持ちは分かりました。でも、僕は魅ぃにひどい目に遭ってほしくない。お願いしますから、どうか…』
「あのね、梨花ちゃん。私約束したんだ」
ぐちゃぐちゃになりながら、どろどろになりながら、最後に交わしたあの約束。
私はそれを決して忘れない。誓ったのだ。
「一生圭ちゃんの傍にいるって、誓ったんだ。圭ちゃんがそれを望む限り、私はずっと約束を守るよ」
声が震えた。悲しみでも恐怖でもない。圭ちゃんを好きだと思う気持ちに、身体が震えた。
「だから、だから私は…私はっ、」

不意に、後ろから強い力で肩を掴まれた。そして受話器が奪われ、がちゃん、と切られる。
振り向かなくても分かる。
圭ちゃんだ。
私は処刑台に立ち、死刑執行を待つ囚人のように、目を閉じた。


羽入から無理やり、四年目に悟史と魅音の間に起こったこと、そして最近詩音が圭一に教えたことを聞き出し、急いで魅音に電話した数分後。
唐突に電話が切れた。
きっと圭一が現れたのだろう。こうしてはいられない。魅音が危ない。すぐに助けに行かなくては。
あの調子では、きっと魅音は死の危険に晒されても抵抗しないだろう。もしかしたら魅音も発症しているのかもしれない。
ところが、走り出そうとした私の目前に、羽入が立ちはだかった。真剣な眼差しを私に向けている。私は羽入を睨み付けた。
「…何のつもり?羽入」
「行ってはいけません。こればかりは圭一と魅音の問題です。僕らが干渉してはいけません…!」
「何言ってるの!ふたりを見殺しにする気!?」
「そうではありません!これはふたりの問題なのです。助けるとか救い出すとか、そういうレベルじゃないのです!」
「っ…何言ってっ…!」
私は頭に血が上るのを感じた。
大体、こんなに事態が悪化してしまったのは、羽入にも責任がある。ちゃんと私に教えてくれれば、もっと早い段階で手が打てたかもしれないのに。
「恋愛は、どうしようもないのです!」
「はぁ?」
私は思わず素っ頓狂な声を上げた。
けれど羽入は真剣な表情で言葉を続ける。
「好きになってしまったらもうどうしようもないのです。そういうものなのです。
 きっと今圭一と魅音を引き離すことに成功しても、魅音はきっと悲しみます。
 圭一を自らの手で受け止めようとしている、魅音の気持ちを、梨花はただ応援してあげるべきなのです!」
「黙ってろって言うの…あのままふたりを放っておけと……」
羽入は頷いた。
私は唇を噛んで、羽入から視線を逸らし、電話を見つめた。
魅音が助けを求める電話をしてくれることが、唯一の望みだった。
けれど電話はじっと黙り込んだままで、結局私の望みが叶うことは無かった。


手錠によって赤く傷付いた魅音の手首を見た瞬間、ずっと沸騰しっぱなしだった俺の脳みそに、一滴の冷たい水が落ちた。
当然の報いだと、罰せられて当然だと、俺は魅音を犯しながら思っていた。
精液にまみれたうつろな魅音の姿は、思ったとおりとても扇情的で、きれいで、もっと魅音をぐちゃぐちゃに壊してやりたいという欲望を起こさせた。
罪悪感なんてこれっぽっちも湧かない。これからも時間をかけて魅音を蹂躙し続けてやろうと、そう思っていた。
にも関わらず、その手首の様子は、否応無く俺の心を揺さぶるものだった。
どうしてか分からない。シャワーを浴びている間も、ずっと魅音の手首が頭にチラついて離れなかった。
風呂場から出て、そろそろ帰らないとまずいかもしれないと思っていたら、魅音が電話しているのが見えた。
最初はどこかに助けを求めているのかと思った。やはり俺から逃げる気なのかと。
そう思ったと同時に魅音への憎悪がぶり返し、そしてその憎悪を安堵が追いかけるのを感じた。
やっぱりこいつは最低の女なのだと、憎まれて傷つけられて当然の女なのだという、自分が行ったことへの安心感。
けれど違った。魅音は逃げるつもりはないと、電話の相手に高らかに宣言していた。

「…ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ。でもね、私はたとえ今日の放課後に戻れても、圭ちゃんからは逃げないよ」
「だって」
「私は圭ちゃんを、好きなんだもの」
「あのね、梨花ちゃん。私約束したんだ」
「一生圭ちゃんの傍にいるって、誓ったんだ。圭ちゃんがそれを望む限り、私はずっと約束を守るよ」

約束。それは俺が魅音を犯しながら、言わせた言葉に違いなかった。
「魅音、誓え。自分は一生俺に背かないと。一生俺の奴隷として、俺の傍に居続けると、誓え」
もう何度目の挿入か分からなくなった時だ。俺は魅音を容赦無く揺さぶりながら、魅音の髪をわし掴んで強要した。
魅音は言われるがままに、俺の言葉を復唱した。呂律が回らない口調で、うつろな目をして、ただ繰り返した。私、園崎魅音は一生、前原圭一様の奴隷です、と。
ただ単に、魅音を辱めたい、その一心で言わせた言葉だ。約束だとか、そんなきれいなものじゃない。
馬鹿じゃないのか。
そう思った。魅音、お前は馬鹿だよ。
あんなのは、言わば強姦のうちのひとつだ。そんなくだらなくて薄っぺらい言葉を真に受けて、そんな義理立てする必要がどこにある?何のメリットも無い、ただお前が苦しいだけじゃないか。
こういう真面目なところが、かつて、俺が魅音を好きな理由のひとつでもあった。
けれど俺は、その真面目さは嘘だと思っていた。魅音はそういった純粋な真面目さを演じていたに過ぎない。俺に嘘をついていたのだから。
……いや、それとも。
ひとつの疑問が胸に浮かんだ。
こいつはずっと真面目だったのか?俺が好きだった、その真面目さを持ち続けていたのか?
その真面目さを持ち続けて、もしかしてあの嘘さえも、その真面目さから来たもので、その真面目さゆえの苦しみも、きっと抱え続けていて……
……もしかして俺は、ものすごい勘違いをしていたのではないか?
魅音の赤く傷ついた手首が、再び脳裏に浮かぶ。
…冗談じゃない。
俺はそれを力いっぱい打ち消すために、魅音に近付いていった。


魅音の肩を掴み、受話器を奪って電話を切る。
一瞬身体を震わせたものの、魅音は抵抗しなかった。
「おい魅音、こっち向けよ」
魅音は一呼吸置いて、俺を振り返った。その顔には、緊張した笑みが浮かんでいる。
少しでも、ご機嫌取ろうってのか。そうだよな、俺の機嫌損ねたら、また何されるか分からないもんな。
お前はそういう、自分の保身が第一の奴なんだろ?そうだよな、魅音。
「よくもまあ、キレイごとばっかりペラペラと言えるもんだよな」
俺は微笑んでそう言った。魅音が困惑したような表情を浮かべる。
「きれい…ごと?」
「分かってねえフリしてんじゃねえよ。俺の傍に居続ける?ふざけんな。そんなこと、出来るわけ無いだろうが!」
口調を荒げると、魅音は怯えたように「ひっ」と声を漏らして身を竦めた。
「嘘はやめろよ。本当は逃げたいんだろ?あんなことされて、まだ俺のことを好きとでも言うつもりか?お前バッカじゃねえの」
魅音は身を竦めていたが、やがて俺を真っ直ぐ見つめて、口を開いた。
「好きだよ。圭ちゃんのこと。嘘じゃないよ」
「このっ…!!」
頭に血が上る。苛立つ。胸の奥がざわざわと波立つ。不安。焦燥。俺は何でこんなに動揺してるんだ?
思わず両手を魅音の首にやった。もちろん本気じゃない。首を絞める真似だ。
魅音は微かに目を見開いたが、すぐに諦めたように目を伏せた。抵抗する様子は無かった。
「…逃げねえの?俺、本当に魅音のこと殺すかもしれねえぞ」
魅音は目を細めた。そして、口角を無理やり上げる。笑顔だった。
そしてその笑みを追いかけるように、涙がひとすじ、魅音の頬をすうっ、と伝った。
「……いいよ。圭ちゃんが殺したいのなら、殺して。私は大丈夫だから」
そして魅音は、吸い込まれるように目を閉じる。
……何だよ、それ。
どうして、殺してもいいとか言うんだよ。大丈夫って何だよ。大丈夫なわけ無いだろ。
あんなにぼろぼろに痛めつけられて、どうしてまだそんな風に振舞えるんだよ。
おかしいだろ、こんなの。俺は心の中で叫ぶ。そして気が付いた。
俺が魅音を悪役に仕立て上げたい理由。
魅音が真面目な奴じゃ、困るんだ。魅音は俺を騙した嘘つき野郎じゃないと、駄目なんだ。
だってそうじゃないと、俺がしたことの理由がつかない。
俺が魅音にしたこと。罰だと思っていた。報いだと思っていた。
けれどそれがもし、間違っていたとしたら。

……間違った俺は、どこに行けばいい?どう魅音に償えばいい?

「っ……!!」
背筋が粟立つ。俺が犯した罪。俺はどうやって罰を受けるんだ。
「嫌だっ…」
叫んで、魅音から手を放す。魅音は突然解放されて、不思議そうに目を開いて俺を見た。
こんなの、こんなの駄目だ。もう無理だ。手遅れだ。
「けい、ちゃ…」
「寄るな!俺は…俺はっ…」
罪、罪、罪、俺の罪、俺の罪、俺の罪、
「けい、ちゃん」
俺の俺の俺の罪罪罪罪罪罪罪罪、罪、罪、罪罪罪罪罪、罪!罪!罪!
「けいちゃん」
俺、俺俺俺俺おれ俺俺の俺の俺のおれの罪罪罪つみ罪罪罪罪罪罪、おれのつみおれのつみおれのつみおれのつみおれのつみ!!!!!!
「圭ちゃん!」

魅音の声が俺の声を遮った。
魅音の白い手が俺の頬を包んだ。
そして、魅音の唇が俺の唇に触れた。

それは温もりを落としたかのような、優しいキスだった。
魅音は唇を離すと、柔らかく笑った。花開くような笑顔だった。
「やっとキスできた。ずっと圭ちゃんにキスしたかったんだ」
それは魅音だった。
ありのままの、そのままの、魅音だった。



次の日、圭一と魅音は揃って学校を休んだ。
魅音の家と圭一の家に電話してみると、どちらの家にも帰ってきていないという答えが返ってきた。
突如姿を消したふたりに、村人は遅れて来たオヤシロさまの祟りとか噂していたが、何てことはない、一週間後にはふたりはけろりとした顔で戻ってきた。
聞くと、一緒に遠方までホビーショップめぐりをしに行き、ついでに温泉にも行ってきたという。
若い男女がふたりで一週間も姿を消すなんて、と先生も前原家も園崎家もふたりを問い詰めたが、圭一はあっさりと「別にいいじゃないですか。どうせ俺と魅音は結婚するんだし」と爆弾発言をしてみせ、さらに周囲を驚かせた。
もちろんその後ふたりともこってり絞られていたが、私は正直ほっとしていた。ふたりが無事戻ってきたことが嬉しかった。
羽入は「僕の言った通りなのです。オヤシロさまは縁結びの神様なのですよ」とか言っていたけれど、無視することにした。

そしてふたりが雛見沢に帰ってきた日の翌日。
体育の時間に、魅音が私に話しかけてきた。
「ごめんね梨花ちゃん。明日は皆で部活をするっていう約束、守れなかった」
「…どうでもいいのです、そんな約束」
私はため息を吐いた。空はどこまでも青い。太陽は果てしなく明るい。この下にまた皆で集まれたんだから、結果オーライというものだ。
見れば、校庭のど真ん中で圭一とレナと沙都子が遊んでいた。
一週間分のトラップご堪能あそばせ、と沙都子は嬉しそうにはしゃいでいる。圭一は既に水やらチョークの粉やらバナナの皮やらでけちょんけちょんにされていた。レナはもちろんお持ち帰りモード。
そこには拍子抜けするぐらいの、当たり前の日常が戻ってきていた。
「本当は一週間、何をやっていたのですか?」
「ん?言った通りだよ。ホビーショップめぐって新しいゲームを漁って、温泉行って浴衣着て卓球して」
魅音は楽しそうに言う。視線はもちろん、校庭の真ん中に向けられていた。
「あと、いろいろ話したりしたよ。今までのことや、これからのこと。いろんなことをね」
いろんなこと。きっとこの一週間はそれがメインだったのだろう。
どうやら私の警告は不必要だったらしい。それでいい。それがいい。
魅音が「おっ」と小さく声を上げた。どうやら校庭ど真ん中のバトルロワイヤルが面白い展開を見せているらしい。
「梨花ちゃん。そろそろ私たちも参戦した方がいいかもしれないよ。久々の部活、わくわくするねえ!」
「みー、負けないのですよ」
悪戯っぽく笑い合い、揃って駆け出した。
今日は快晴。多分明日も、あさっても。



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最終更新:2007年04月02日 23:09