夏の終わり4の続きです。



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TIPS 消えない印


人はこの世に生を受けてそれを天に返すまでにたくさんの罪を背負う。

例えば食だって。
生きていくためには食べなくてはいけない。
ものを食べるということは生命あるものの運命をそこで終わりにすること、即ち殺す事。
そして私たちは自分より弱い植物や動物を殺めて自分が生き長らえるようにと足掻く。
それは見苦しい事ではなく人が生を受けてからの「当然」の行為だ。
それが命を与えてくれた神への恩返しなのだとしたらどうだろう。
私はもっと食に対して特別な何かを見出すのだろうか。

ならば今私の手で抱かれているこの子だって。
私がこの手で彼女に傷をつけてしまう事、それは決して軽々しいものなんだというわけではなくて
もっともっと尊くて儚くて…とても重要なものだとしたら。
私はこの子に対して今まで以上の特別な何かを見出すのだろう。


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 陽も陰り外には丸い月、今日は満月だ。
 その神秘的な月光を浴びて私に覆い被さる梨花はとても綺麗で、まるでかぐや姫のようにも思えた。

「…だから沙都子も私に全てを頂戴」
「私の全て…?」
「そうよ、沙都子の全て。全部よ」

 ――今まで味わった事のない刺激で身体が熱く頭が朦朧としている。そんな中私は思う。
 梨花が私を欲してくれているのが嬉しい。私にあるものでよければなんだってあげたい。梨花がそれを望むのならきっとこの命だって神に差し出すくらいに。
 そして梨花の全てだって私は欲しい。今まで一緒に過ごして来たけれど梨花は不思議な空間を纏っていて本心を読み取らせないところがあった。だから行動が先読みできなくてトラップを仕掛けることがなかなか困難だった。
 今の今だって普通に会話しているけれど梨花の口調がいつもと違う。いつもは私が言うのもなんだけど少し変というか少し子供っぽい(そういう私も少し感化されているところはあるけれど)。
 それが悪いというわけではないし、それが梨花らしさでもあるけれど私が感じる不思議な空間と関係しているのかもしれない。だからそれが今の梨花を見ていつもある違和感がない事から、これが「不思議な空間」の正体だったのではないかと思う。
 …もしかしてさっき梨花が衝動に任せた言葉の中にあった"100年"という年月に何か関係があるのかもしれないんだとしたら、今まで出したくても出せなかった本当の梨花を今他でもない私に出してくれているって事でつまり私は今この目の前にいる親友…いえ身を焦がすまでの愛しい人を受け入れるしか選択肢はない。

「ええ、梨花が欲しいものが私なら差し出さないワケありませんわ。」
「優しくなんか、しないんだから」
「いいですわ受けて立ちますわよ? 梨花が望む事は即ち私の望む事、拒絶なんてするわけありませんわ」
「…その言葉ちゃんと聞いたわよ」
「どうにも梨花は忘れっぽいので、ちゃぁんと心に刻み付けておいてくださいまし」

 月の光に照らされる梨花は口元だけで妖しく笑い、私の下腹部へと頭を再び沈める。それと同時に黒くて艶のある髪の毛一本一本が肌に触れ、敷かれた白い布団へと広がった。つい先刻頭を白く飛ばしてから梨花に触れられるところ全てが熱く悶える。身体の中心は梨花の唾液だけではない私からの体液も混ざりそれを蒸発させるかの如くに火照っていて、まだ膣内がびくびくと脈動していて何かを受け入れたくて動いているかのようにも感じる。その動きが内なる何かを誘っているかのようでぎゅっと力を込める。お尻の穴に力を入れるとその頼りない不安を少し紛らわすように膣内がきゅっとしまる感じがした。
 梨花の熱い吐息が濡れそぼった秘所にかかる度に言葉では言い表せない不思議な感覚が背中を走り抜ける。さっきは与えられるものをただ感じていたから、考えることなく声をあげてしまって今更ながらに少し恥ずかしさがこみ上げる。触れられる嬉しさと優しさで胸が締め付けられて涙が零れてしまったけれど、多分今からはきっと痛みが来るんだろうと理解していた。…それはねーねーを始めとする女性陣に事前学習をしてもらったからで、初めての痛みは男の人は味わったら気を失うとかなんとか…。
 私は多分、梨花に与えられる快感もこれからきっと与えられるであろう痛みも忘れる事はないから逃げずにそれを受け入れなくてはいけない。梨花を私に刻み付ける事によって今日という日を、梨花を忘れないだろう。
 ―くちゅ、という水音と共に熱い塊が身体に触れてまだ慣れない電気のような快感がほとばしる。

「っあ!」
「沙都子はここが好き?」
「…ぅあ…ぁあぁぁっ」
「聞こえないのかしら? …沙都子?」
「くぁ…! んんぅ…ッふあ」

 私の返事なんて待たずに"クリトリス"を刺激する梨花はなんだか楽しんでいる気がした。
 梨花の舌は右から左から丸く円を描くように、上下になぞるように、左右に弾くように舐める。その度に私の身体は私の意識とは関係なく跳ねて踊り、梨花から与えられる刺激から逃げようと?腰が浮いてしまうがすぐに蛇のようなしなやかな動きで私の両脚を絡め取られ、いやらしくまた…ねぶる。
 さっきの絶頂の余韻が全てなくなったわけではないのに刺激する梨花の攻めの手は衰えず、寧ろさっきよりずっと熱く激しくなっていた。その激しさは私にとって心地よく梨花の一つ一つに翻弄される自分も嫌ではなかった。

 ――と膣口に優しいだけの感覚とは違うものがあてがわれる。…指?

「少しだけ…我慢してね」
「…大丈夫ですわ、これで私は梨花のものになりますのでしょう? ―なら堪え甲斐があるというものですわ」

 申し訳なさそうな、不安そうな言葉を放つと沈ませていた顔を上げて指をあてがったまま私の身体に覆い被さるようになる。ほんの数分しか身体を離して梨花は私に触れていただけなのにやっと顔を近くで見られると思うと少し安心感があった。
 そんな梨花の顔はまだ少し不安の色が瞳の奥に隠されていて、少しでもその気持ちを拭い去りたくて優しく細い背中に両腕を回し、まるで赤子をあやすようにゆっくりと撫でてあげると梨花の顔のこわばりが少し和らいだ。
 ありがとうと声に出さず口の動きだけで私に伝え、軽く口付けをすると同時に膣口にあった指先がゆるゆると縦にラインを引き始める。くすぐったいとも気持ちいいとも言えない不思議な感覚に襲われて、自然と声にならない声が漏れてしまう。
 梨花の指がゆっくりと着実に私の中に入ってくる。―今のところまだ痛みはないけれど、やっぱり少し怖い。無意識のうちに背中に回した手に力が入っていたのか手が汗ばんできた。そんな様子に気づいたのか片方の手で頭を撫でられる。

 ―ヂク…ッ

 あるところまで来ると突然下腹部からの刺激痛というよりかは鈍痛に襲われる。これが破瓜の痛みか。
 その情報が伝達すると途端に身体に震えが走る、怖い怖い怖いイタイコワイ痛い怖い…。

「―沙都子」
「…ッッ…へ、いきですわ…続けて下さいまし」
「…痛かったら爪立ててくれていいから、無理しないで…ね?」
「大丈夫ですわ、まだ途中なんでございましょう?」
「ん、まだ入り口からちょっとしか経ってない…もうしばらく奥までいくわ」
「でしたらもったいぶらずに早く入れてくださいましな」

 もったいぶらず、だなんて強気な言葉を吐き捨てるも正直なところ早くこの痛みから逃れたかった。確かに梨花には大した事ないなんて言ってしまったものの、全然大した事なんかなくない。寧ろとんでもないくらいに痛い。しかも今これだけの痛みがまだまだ序の口だなんて…この先どれだけの痛みが私を襲うのか考えるだけでも寒気がする。だから早く、一秒でも早くこの痛みから解放されたい。

「わかったわ、沙都子…無理かもしれないけどあまり力入れないで」
「ホ…ほほほっそれは…なかなか難儀ですこと」
「良くなるまでちょっと時間がかかるから、それまでの辛抱よ」
「生憎私は痛い事には慣れてるんですのよ? そんな心配しないでよろしいのですわ」

 牽制の如くに頑張ってみるも襲い掛かる不安を拭い去れるわけではなく、余計に膨張させているだけなのかもしれない。自分は強くなるんだ、強くなったんだ、好きな人を受け入れられないわけなんかないんだ、だから怖くなんかない痛くても我慢できる、耐えられる、今までで辛い事だって耐えてこれたからきっと大丈夫!梨花を信じていれば大丈夫。

「~~~~っ」
「…大丈夫?」
「~なわけ…っありま…せんわよっっ」
「ごめん」

 ――痛い。想像を絶するくらいの痛さだ。身体が引き裂かれたように痛い。叔父に殴られた時もここまで痛い事はなかった。あの時はこんな痛みよりも痛いものなんてないと思っていたけれど、それを遥かに超える鈍痛。今指の進行度はどれくらいなんだろう?
 身体が次第に縮こまり、背中にある手に無意識のうちに力が篭る。でも梨花に傷を付けたくなくて指の腹を背中に押し込むように梨花からもたらされる下腹部の痛みを訴えた。

「沙都子力抜いて…」
「くッ、――む、りィ…」
「あとちょっとだから、頑張って」
「ふ、ぅうぅっ…!了解、です…わぁ」

 ギリギリと中心から身体を引き裂かれる痛みに奥歯をかみ締める。強く強くかみ締めて頭が痛くなるくらいに堪える。梨花を気遣い指の腹で押していた爪先ですらも気遣う余裕がなく、背中にギリリと爪を立て傷をつけてしまう。申し訳ないけどそれは今は考えられなくて後に梨花が眠った後それを見て私は後悔するのだけれど、今は本当にそれどころじゃなくてただただ早くこの痛みがいつまで続くんだろうかとそれしか考えられない。ホント痛い。
 ――今この痛みが私が梨花の所有の証、だからこの今まで体験した事のない痛みは忘れてはいけないから私は受け入れるんだ。負けるな!北条沙都子! …でも、やっぱり痛いですわ~~~~!!!!!

「――っぅうぅぅうう…ッ!!」
「…全部、入ったわよ沙都子」
「ぅぅ…で、も…まだ…痛いです、わ」
「今、解してあげるから―」

 ―ズキズキとヂクヂクが入り混じった刺激が断続的に送り込まれる。解してくれる、なんて言っているけれど一体耐える以外にどうやってこれをどうにかするというのか、正直検討もつかない。まだまだ引く気配のない痛みは私を苛ませ早く終わらないかという気持ちが先走る。まだか、まだかと思い馳せて届いたのはするりと私の両腕から抜け出た梨花の熱く濡れそぼるぬるりとした舌の感触。
 まだ破瓜の痛みはあるものの、それでも先程味わった強烈な刺激をまた味わえるのかと思うと自然と胸が震えた。

「最初は少し痛むけど、多分大丈夫だと思うわ…」
「…は、やくぅ……お願いします、わ…ぁ」

 梨花の指が私の中で前後にゆっくりと蠢く度にズクッと鈍い痛みが走る。きつく閉じた目から涙が自然と零れた。――私が泣いてしまってはまた梨花に言われてしまいますわね、なんてこんな時にそんな事を心配してしまう自分がなんだか面白くて笑いがくつくつとこみ上げてくる。苦虫を噛み潰したような顔で痛みを堪えながら突然笑っている事が不思議で梨花に変な顔をされてしまったけれど、きっと梨花の事を想って笑っているだなんて分からないんだろうなと考えるとそれすらも面白くてまた笑いが喉奥からこみ上げてくる。

「ど、どうしたの沙都子」
「ふふ…何でもありま、せんですの、よ…っ」
「??」
「さ、私…を、痛みから解放してくれるんでございましょう?ふふふ」

 痛みで頭がいかれたのかもしれない。でもそれならそれでいい、梨花に狂ってしまったんだからあながち間違いではあるまい。こんなに幸せな事なんてにーにーが帰ってくる以外何もないと思っていたから嬉しい、だからこの送り込まれる痛みも段々と愛着が沸いて来てしまう。…始めの頃よりは大分痛みも引けてきたとは思うんだけど。
 敏感な芽が熱いものに覆われて、それと同時にもたらされる抗いようのない快楽で身体が一気に熱を帯び始めた。さっきも感じたけれどこの感覚は好き。自分の身体なのにまるで他人の身体のように梨花にされる事一つ一つに反応してくれるための準備のようなもので今からまた、いかれた頭を更にいかれさせてくれる行為が始まる。
 指はまだ私の中を出入りしているけれど敏感な場所への刺激が功を奏してか先ほどよりもそっちに集中しなくなって段々と不思議な気持ちにしてくれる。それを察しているかのように蛇のように妖しく蠢く2本の指は私の中をえぐるように動いたり広げるように動いたりと新たな感覚が私を襲う。――何…これ…?ゾクゾクする。

「ふあ…ぅん、あぁっ! く、ぁん」
「少し締め付け落ち着いてきたわ…もう少しよ」
「あああ、あ、ん…は、ッ」
「沙都子の中に私を感じるかしら?」
「…ええっ、ぁ、う……くぅッ…なんだか、不思議な、感じがします…ぁ」
「……いいわ」
「ひゃ……ぁああ、何…こ、れ…」

 ちょっと前に感じた膣内の何かを受け入れようと脈動が梨花の指によって解消される事となっていた。意識的に動かしているわけではない膣の内壁の蠢きは梨花が私の中を行き来するタイミングとあわせてビクビクと動き、それが思いも寄らない快楽へと繋がる。何だろう、痛みが薄れる代わりに満足感が段々と溢れて来るようなそんな感じ。凹凸の凹の方が梨花の指によって埋めてもらえた、と言えばしっくりくるのかもしれない。ジュルジュルと音を鳴らして肉芽への刺激も相俟って、痛みが快楽へ変わるのがなんだかこそばゆくて腰がビクンッと跳ね上がる。だがその動きで指が予想外の刺激を膣内にもたらして、再度腰が跳ね上がる。私の身体が、私じゃない。

「はうっ……や、だぁ…! あっ」
「ん…ちゅ、痛くない?」
「はああっ! 気持ち、いい…ぁっ、やぁ…ッ」

 さっきも味わった腰の奥から何かがこみ上げてくる感覚が段々と濃厚と化す。目を瞑っているのに目の前がなんだかチカチカし始め頭がぼんやりと靄のかかった状態になる。全身にゾクゾクと与えられる快感の喜びを見せるかのように鳥肌が立ち体が震える。私は声をあげて啼くことしか出来ない。

「ゃ、ああっ……ダメ…あ、あはぁ!」
「…何がだめなの?」
「あぅ…ッまた…頭、白…ク」
「また、イッちゃいそうなのね?」
「ふ、んんんっッ! ぁ、あ…梨花ッ!!」

 全身の感覚という感覚が下腹部のみに集まっているかのように、梨花が蠢くたびにズンと腰や頭に気持ちよさが走る。つい先刻に声をあげるのが恥ずかしいなんて思いがどこへ言ったのか気持ちよさが増すたびに声が大きく荒くなってしまう。
 もう上り詰めそうになっていたその時不意に梨花の指が左側の奥めいた部分を擦った。

「ひゃ、ぁあああぁあぁあっ!?」
「気持ちいい?」
「あああ、ん…! やあ、やぁ…ッだめ…そこ、だ、めえ…!」
「だめなの?さっきから擦り付けるように腰が動いてるわよ」
「や…! そんな事、はあぁっ言わない、でぇ…んぅ!」
「気持ちいいんでしょ、沙都子…いいわよもっと感じて」
「くぁあああっ……や、ら……めぇ…んんんん…ッあ、んぁ」
「ここと、ここ、一緒にしたら気持ちいいわよね…」
「ふああああん!! ら、めっ…おか、ヒ…くなり…そ…あぁぅっ」
「…なら、おかしくなってもらうわ」
「ぃや、あぁ……ぁや…ッああ、あああ…―ああああああああ!」

 身体が萎縮して一気に開放される。意志なんてそっちのけで身体が弓なりに反って私の中に入っている梨花の指をぐっぐっと締め上げ、それすらも今この絶頂の快楽を長引かせる。もう何もかもが気持ちよくておかしくなる。
 けれど梨花の攻めの手はとまることはない。絶頂後の敏感な膣内や肉芽を更に攻め立てる。もう…トマラナイ。

「あああっだめ! 梨花ぁ…!も、だ…め」
「聞こえないわ、ここはもっと欲しいって言ってる」
「や、ぁあああ…はぁッ、だめ…だめだめ…だめぇ…!!」
「私の全て受け入れてもらうわよ…」
「ンああああ、あああっ!! あぁ…っ」
「壊れても、ちゃんと面倒見てあげるわよ沙都子……ふふ」
「ああっ梨花…りか、りか…ッああ、…り、か…ぁぁああああ――――ッッ」


 きっと私は梨花にコロされル。
 ――快楽という名の狂気に。


―――――


 ―ブルルッという寒気と夜鳥の羽ばたく羽音で目が覚める。時刻は丑三つ時を過ぎたころだろうか?窓の外を見れば月の輪郭がぼやけて心なしか明るい気がする。
 ゆっくりと起こさないように身体を起こすと、先ほどの攻めの余韻が腰にズンとくる。…ホントしぬかと思った。あの後私は何回”イッ”たのか、正直数えられない。泣きながら止めたんだけど梨花もおかしくなってたし…辛かったけど嬉しかったから、まあ…いいか。惚れた弱みってやつで。
 目線を下に落とすと口の淵に血がついている梨花が身体を起こす前の私に寄り添うように身を縮ませて眠っている。多分破瓜の際に出た血が舐めあげたため口の端につきそのままなんだろう。見れば掛け布団が見事に肌蹴ていてさすがにくっついて寝ているとは言え、やはりお互い裸だから外気に触れる部分は少し肌寒いものがあった。
 寝相の悪さを苦笑し蹴飛ばしてしまっていた掛け布団を足元から寝ている梨花の肩越しまで引き上げると、フと背中にある傷が目に付いた。…じんわりと血が滲んでいるのは私が爪を立ててしまったから。
 …いつの頃だったか、私が祭具殿に忍び込んでしまって梨花が濡れ衣を着せられ父親に折檻されているのを見た。私が悪かったのに梨花の父親の尋常じゃない形相を見て身体がすくみ、自分だと言い出せず私の代わりに泣きながら背中を叩かれている梨花の謝る声が、辛そうな表情が忘れられなかった。
 横に眠る梨花の背中には年月が経って折檻の跡は残ってないけれど、軽く背中をさすり口付けを落とす。

「…ごめんなさいね、梨花」

 ―梨花の唇へまた一つ、口付けを落として眠りにつくのだった。



―――――



「おはようございますなのですよ」
「おはようございますですわー」

 小さい子の声に混ざって遠くからバタバタという足音と、悩みなんてなさそうな声が聞こえる。
 ガラッという音と共に魅音、レナ、そして圭一が入ってくる。今日もいつも通りの朝だ。

「おはよー二人とも朝から元気いいねー」
「今日は珍しく沙都子のトラップがなかったな…くそ変に身構えちまったぜ」
「をーほっほっほ! トラップは忘れた頃に張られるんですのよ、いつでもどこでも油断は禁物なんですのよー!」
「くっくっく! 圭ちゃんのトラップにかかった姿はなかなか見ものだもんねえ~?」
「あらぁ魅音さんもトラップマスターとしての片鱗があるんですもの、腕を磨いたらいいのではありません?」
「おまえらオレをダシに使うなぁああー!!!」

 ―いつもと変わらない風景。
 ―いつもと変わらない笑顔。
 もう二度と戻ってこないだろうと思っていたからこそそんないつもの日常風景に戻れて改めて幸せを感じていた。
…と、その輪から少し離れたところで圭一達を見守るような笑顔で立つレナと目が合った。

「みぃ? どうしたのですかレナ?」
「ん? ううん、なんでもないよ☆ふふふ」
「気持ち悪いレナなのですよ」
「あははごめんね、……でも良かったね梨花ちゃん」
「…え?」
「信じていて正解だったでしょ?」
「ど、どうしてそう思うのですか……?」
「どうしてだろうね?ふふふ、それは梨花ちゃん自身が気づかなくちゃだめなんじゃないかな? …かな?」
「みぃ~…意地悪なのです」
「はぅ~朝から梨花ちゃんに散々言われてるよぅ~」

 私の言葉を濁すかのように圭一達の輪の中に入っていく。
 私が自分自身で気づかなくちゃいけないこと…?何かしら?沙都子の提案で圭一達には知らせないでおこうって事だったから今まで通りに過ごしているし、それはいつもと変わらない事だったからものの数分しか話してないレナに指摘されるくらいのことって一体何?こういう時のレナは勘が鋭いからもしかして当て推量で言っている……なんてレナに限ってそういうことはなさそうだし、えええ? じゃあ一体何だって言うのよ!?
 一人悶々とレナの残した言葉を噛み砕いて理解しようとするも出来ない姿を見た圭一が疑問の声をあげる。

「なあレナ、お前なんか梨花ちゃんに言ったのか?」
「レナはな~んにも知らないんだよっ! …だよっ☆」
「その割には大分楽しそうだなぁ…、それに沙都子だってなんかいつもと違うし」
「はう~っ☆ それは乙女の秘密って事であまり深く追求したりしたらダメなんだよっ」
「乙女の秘密…ねぇ」
「くっくっく! 分かってないねぇ~圭ちゃんは。梨花ちゃんと沙都子は一緒に暮らしてるんだよ?…という事は昨日の夜に言えない何か―ぐあっ!?」

 勘がいいのかただのオヤジなのか、スパパパパーンという音の後にくわんっというタライの音。RFIとタライトラップのコンボ…か、頭上ならまだしもれなぱんを食らってから仰向けに倒れた後に落ちてくる顔面のたらいはさぞ痛かろう…南無~♪

「…魅音、お前もそろそろ学べよ…」
「お、おじさんは……ただ……ぐふッ」

 魅音も、圭一も相変わらず。それを見る沙都子とレナも相変わらず。少し前と何も変わってない事が嬉しくて顔が綻ぶ。仲間が笑顔の時間を過ごしてくれるのが嬉しい。そして沙都子が笑ってくれるのが嬉しい。
 沙都子が笑うと周りにも笑顔を与えてくれる、そんな沙都子はやっぱり太陽のようなもので私はその光を少しでもあやかりたくて太陽を追いかける向日葵のようなものだな、なんて前にも思ったけど改めてそれを今感じた。

「みぃ☆沙都子はまるで太陽のようなのです」
「…どういう意味ですの?」
「言葉の通りの意味じゃないかな、かな?」
「沙都子はみんなを明るくしてくれるのですよ、にぱー☆」
「なら梨花ちゃんは月だな」
「…圭一?」
「沙都子が周りを明るくしてくれる太陽なら、梨花ちゃんは相対する月だろ?」
「わあ…なんだかロマンチックだねっ」
「え、で…でもボクは…」
「沙都子もそう思うだろ、なあ?」
「え、ええ…そうですわね暗闇に光る月の光で夜道を照らしてくれるんですわよね」
「そういう事だぜ、梨花ちゃん」
「夜に一人でも心細くないように、だねっ☆」

 ――なんて事なのかしら。また圭一に道を教えてもらえるなんて思いもしなかった…やっぱり圭一は予想もつかないことをしてくれるから面白い。

「…ありがとう、ございますなのですよ」

 思いもがけない言葉で私の心のわだかまりがすっと解けていく。実に晴れやかな気持ち。こんな想いをしたのはいつぶりだったのかと考えるのもバカらしいくらいに清々しい。
 今日からの生活は昨日よりもっともっと楽しく過ごせるだろう、ううん…過ごせるって分かっている。だってみんながいるからきっと大丈夫だって信じてる。信じなくちゃ、始まらないんだもの。私がもし沙都子を信じないでいたら今のような気持ちにはなれなかったかもしれない、沙都子が家を出て行くと言って諦めていたかもしれない。
 今の私には沙都子がいるから、幸せになれるって信じてる。

「さぁて、梨花ぁ?今日は私たちが日直ですわよ」
「みぃっ!花壇にお水をあげるのですよー」
「では皆様、お話中に申し訳ありませんけれど失礼致しますわね」
「おう、頑張って仕事を全うしてくるがいいぜ!」
「カレー菜園の方も忘れちゃだめなんだよ?…だよ☆」
「くっくっく、次回の部活でちゃんと利用できるようにやり忘れないでよ~?」
「大丈夫なのです、沙都子がきちんと見ててくれているのです」
「梨花ぁ~?先に行ってますわよー」

 気づけばドアの近くで沙都子がまだかと言わんばかりに背中を向けててくてくと先へ歩いていく。
 ――なんとなく奇妙な違和感を感じる、沙都子はこんなにも日直の仕事を進んでやるような子だった?おかしい。いつもはどんなに急いでいても私を置いて先に行こうとしたりしない…なんで?どうして突然…?
 急ぎ足で沙都子の元へと行こうとすると、教室の入り口扉のガラスに自分の上半身がぼんやりと映し出される。…レナが言うように私を見て沙都子との関係が分かったものなんて何もないのになんでレナは分かったんだろう?やはり嘘を見抜ける力は――

 ――あ。

 気づいた時には沙都子には満面の勝利の笑み。…やられた。

「沙都子ーーーーっっ!!!」
「をーほっほっほ! 昨夜の仕返しですわーっ!」
「ちょっと…いつの間にこんな…!!!」
「知らぬが仏、ですわー☆」




 バタバタと楽しげに走り去っていく下級生達。台風が立ち去ったかのように静かになる上級生達。
 先ほどのれなぱん・タライトラップのコンボで気絶していた魅音が鼻をさすりながら起き上がると、圭一がぼんやりと下級生達の出て行った扉を向いたまま問いかける。

「なあ魅音、お前知ってるか?」
「…な、何を?」

「梨花ちゃんと沙都子の首元に痣があったの」
「……え?」

 薄く茶色がかった髪を揺らしながらレナはにこにこと微笑んでるだけだった。
 遠くから渦中の人物である梨花と沙都子の戯れる声がはしゃいで聞こえた。


 ――空は雲一つない晴天で、私たちの未来を象徴しているくらい。例え多少の雲があっても吹き飛ばしてやる。
 今日は残暑が厳しい日になりそうだ。

<終>

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最終更新:2007年04月05日 18:15