「あれ? そうえいば圭一くん、エプロンどうしたのかな、かな」
「えっ?」

レナに言われて、間抜けな俺は今更気づく。

今日は学校で調理実習の日だった。
学校には生徒全員分のエプロンなどあるはずも無いので
調理実習には各自エプロンを用意してくるように言われていたのだ。
当然、俺も前の日からしっかり用意していた……
と言いたいところだが
朝俺を迎えに来たレナに指摘されるまですっかり忘れてしまっていた。
時間も危ういと言うのに、あわててお袋に用意してもらったのを覚えている。

調理実習なんてものはもちろん毎日あるわけじゃない。
当日使用すればそれを持って帰らなくてはいけないのだが

「あれ……? 置いて来ちまったかな」

置いて来ちまったかな、も何も、答えは分かりきっていた。
エプロンや三角巾なんかは、学校の鞄とは別の袋に入れて持ち歩く。
当然、レナの手には鞄とは別に袋がある。
思い返せば、さっき分かれた魅音も持っていたような気がする。
にもかかわらず、それに気づかずレナと別れる場所まで来てしまった俺は
間抜けとしか言いようがなかった。
「しかたねえな。取りに帰るとするよ」

めんどくさそうに呟く俺に、レナが不安げな表情を浮かべる。

「でも圭一くん、もう暗くなるよ。明日の帰りにした方がいいんじゃないかな、かな」

レナが空を眺めながら、言う。つられるように、俺も空を眺める。
今日の放課後は部活も大盛り上がりだった。
となると、自然と終わる時間もいつもより遅くなってしまうわけで。
長くなってきた初夏の太陽も落ちかけ、あたりは暗くなり始めている。
このあたりは街灯なんかも少ない。
先が見えないほどではないが
真っ暗といって差し支えないぐらいには暗くなってしまう
俺もできれば取りに行きたくはないのだが。

「でもほら、朝レナに言われて急いで用意しただろ?
 あれ、お袋のエプロンなんだよ。今から探してたら間に合わないからって。
 朝あれだけ騒がせて、持って帰るの忘れたんじゃ、さすがにお袋に悪いしなぁ……」

ぶつぶつとぼやく俺に、レナが小さく笑いかける。

「な、なんだよ」
「あははは。ううん。なんでもないの。
 ただ、圭一くんそういうところ律儀だなって思って」

俺にはレナが何を面白がっているのか良く分からなかったが
レナが嬉しそうなので、まぁ、いいか。

「それじゃあ、悪いけど急がないと暗くなっちまうからな。
 急いで行ってくる」
「一人で大丈夫? 圭一くん。レナも一緒に行ったほうがいいと思うな」
「そりゃあ、ありがたいけどさ。一緒に行くと、どうしても時間かかっちまうし。
 やっぱ俺ひとりで行くよ。なんか気遣いを無駄にしたみたいで悪いな」

やんわりと断った俺のことを、まだレナは少し不安げに見ていたが
不意にふっと笑うと、俺に背中を向けた。肩越しに声をかけてくる。

「うん、分かった。じゃあレナは帰るね。
 何かあったら、すぐに大声出さないとダメだよ」

からかうように笑うレナに、反射的に冗談で返したくなるが、やめた。
これ以上続けていたら本当に暗くなってしまう。
俺はレナをいじりたい衝動をこらえて別れを告げると
小さくため息をついて来た道を引き返し始めた。と、その声が聞き覚えのあるものであることに気づく。
自分のクラスメートの女の子。
ひときわ高い声で騒ぐのでよく印象に残っている。
意識して聞けばそれは間違いなくその子のもので、疑念は確信へと変わった。

だが、分からない。
こんな外も真っ暗になるような時間に、小さな女の子が一体何を?
ごくり、と喉を鳴らす。
自分の中の反響音だと分かっているが、あまりのうるささに少しばかりあせった。

あせった? どうして? 俺は忘れ物を取りに来ただけだ。なぜ焦らなくちゃならない?
分かっている。見つかるのが怖いからだ。
なぜ足音を殺す? やましいことなんて無い。
自分の中で、意味の無い自問自答を繰り返す。結局俺は、足音を殺すことを選んだ。
教室の前まで。ゆっくり、ゆっくりと。足音を鳴らさないように歩く。
ここまで来れば、もう間違いない。教室から、クラスメートの子の声がしている。
息は荒く、どこか辛そうな声だ。
再びゆっくり徒歩を進め、ようやく教室の前までたどり着く。
ドアに手をかけようとした瞬間
俺はまるで電流でも流れたかのように、慌てて手を離す。

(何やってんだ、俺)

当然電流が流れていたわけなど無い。じゃあどうして?
疑念がわいたからだ。今までこの声はうめき声かと思っていた。だが違うんじゃないか?
これ、ひょっとして

(喘ぎ声……か?)

意識した瞬間、さっきより良くその声が染み透る気がした。
見れば、まるで誘うように教室の扉は隙間を空けてる。
再び、ごくりと喉を鳴らす。
気づいてしまえば、後はもう自然だった。
俺は、まるで吸い込まれるように隙間を覗き込み……

「っ!」

まるで弾かれた様にして身をよじった。
覗いたのは一瞬。だが、その光景は一瞬にして俺の目に焼きついた!
確かに居た! 女の子が居た! 間違いなく予想と同じ子だった!
そして、そして、誰かの膝の上に乗って、股を開いていた! 全裸で!

心臓が、張り裂けそうなほど高鳴っていた。
この時にはもう、俺は欲求に対してなすすべが無かった。
食い入るように教室の中をのぞく。

俺よりもずっと小さい子が、秘裂を弄られて、悩ましい声を上げていた。
その指の主は、少女が許しを懇願するような瞳を向けているにもかかわらず
手を休める気配は無かった。
甚振る様に、焦らす様に。
どうやら少女が絶頂に達しないように、巧みに愛撫しているようだ。
わずかな反射光に照らされて見える少女の顔は、汗やら涙やらでべたべたになっていた。
よほど長い間甚振られ続けているのだろう。
暗がりで細かいところが良く分からないのが悔やまれるが……

……そういえば、この子を膝の上に乗せているのは誰だ?
弄られている子ばかり見ていたが、弄っている側が誰かを確認していなかった。
背丈から見て、間違いなく大人だ。
こんな歳が一桁か二桁かも分からない子にこんな事をするのは、犯罪じゃないのか?
俺はそれが誰なのかを確認するために、ゆっくりと視界を上に持ち上げていく。
そして顔を確認する寸前、俺は気づいた。
少女を弄ぶ、細く繊細な指。どう見ても女の指だった。
そして、この学校に出入りことが出来る人間。
どう考えても一人しか居なかった。
そして、その女は
「ひっ!」

その恐ろしい形相に圧され、俺は情けない悲鳴を上げて、ぺたりとしりもちをついた。
その女はじっと、おそらくずっと、俺が気づいていないだけでずっと!
こっちを睨んでいた!
あの女は! いや、もうあの女なんて言い方はよせ圭一!
よく知ってる人だろ! 認めたくないのは分かるがちゃんと認識しろ!
あの人は、あの人は……!

「知恵……先生?」

名前を口にした途端、全身の毛穴が開き、どうしようもない恐怖感が襲ってくるのが分かった。
あの世にも恐ろしい形相が忘れられない。怒っていた。じっと見ていた俺に怒りを感じていた!
俺は、あんな恐ろしい人の見てはいけないものを見てしまった! 気づかれた!

「う……うぅ……!!」

何も悪いことはしていないはずなのに、なぜ俺はこんなに恐れているんだ?
分かりきってる! 恐ろしいからだ! 先生が! だってあんな顔するなんて知らなかった!
あんなに怖い人だなんて知らなかった!!
ちょっと抜けてるけどしっかりした人じゃなかったのか!?
俺の勘違い……
あんな小さな女の子をもてあそんでいた! 俺を……俺を……

いや、本当に見られたのか? この暗がりで、わずかな隙間からのぞいている俺を?
ありえない。偶然目があったように見えたのかもしれない。
暗がりでそう錯覚したのかもしれない。いや、この暗さではそっちの方がよっぽど現実的だ。
そうさ、気づかれているはずが無い。

分かるはずも無い答えを求めて必死に考えをめぐらせているその時
こちらへ向かってくる足音に気づいた。
足音は二つ。俺がおびえている間に済ませることは済ましたらしい。
情けないことに脚が言うことを聞かなくなった俺は
這うようにして物陰に隠れた。
会話が聞こえる。
よく聞き取れないが、先生があの子をなじっているのが聞こえた。
断片的に聞こえるのは、家畜、変態、下らない玩具、等
とても好意的に解釈できる言葉ではなかった
やがてそれにも飽きたのか、ようやく人の歩く音が聞こえだす。

それは近づいて、近づいて

そして離れていった。
探し出されて何かをされるようなことは無かった。

「は、はぁ~~~~!!」

ようやく開放された安堵に、体の中の腐った空気を全て吐き出す。
足音はもう消えた。もうおびえることは無い。
さっさとエプロンを持って、家に帰ろう。
もう結構な時間のはずだ。急ごう。はやく帰りたい。
その帰りたいという一念に推されて、俺は妙に疲れてしまった体に活を入れる。
この異常な時間ともおさらばだ。あと一息で、今日一日も終わる……

が、立ち上がろうとした瞬間、頭の中に妙な引っ掛かりがあるのに気づく。
何か、何かがおかしい。
おかしいことだらけの、夢の中のように現実感の無い時間だったが
その中でも引っかかってどうしようもないこと。
気づかなければ良いのに、愚かな俺は気づいてしまった。
二人分の足音が聞こえてきて、俺は隠れて、その後しばらくして足音は遠ざかっていた……

一人分だけ。

俺は気づいていなかった。ずっと下を向いていたせいだろう。
俺を見下ろしている影が、いつの間にかそこにあったことを
俺は気づいていなかった。
その影の足が、まず視界に入った。
分かりきっているその人物の顔を確認するために、ゆっくりと上を見上げる。
足、脛、腿、腰、そこで、俺の首の動きは完全に止まった。
ある一点から、完全に目が離せなくなった。
だらりとぶら下げられている、その手の中にあるもの。
それから目が離せなくなっていた。
肉厚の、包丁だった。

「前原君」

そのあまりにも聞きなれた声で自分の名前を呼ばれて
自分でもおかしいほど、体がびくりと反応した。
もうどうしようもない。
返事をしようとするが、口の中がカラカラな上、喉が引きつった様になって声が出せない。

「ぁ……ぁ……」

必死で言い訳をしようと声をひねり出すが
完全に裏返った上に、意味を成さない声しか出なかった。

その影が、ゆっくりと、ゆらめいて

ガッ!

耳のすぐそばで。いや、耳のすぐそばの壁で、強烈な音。
恐る恐る音のした地点を確認すると
その壁からは、先ほどの肉厚の包丁が生えていた。
生えていた? 違う! ほ、ほ包丁が! 突き立てられてる! 俺のすぐそばに!!

「前原、君」

ゴム仕掛けのおもちゃのように、まるで弾かれたように前に顔を向ける。
少しでも不快にさせちゃいけない。呼ばれたら、すぐ聞ける体制にしなければ。
訳の分からない義務感が、俺を支配していた。
そこには、息の届きそうなほど近くに、笑顔の知恵先生の顔が有った。
恐ろしい笑顔だった。恐ろしい以外の言葉が見つからなかった。

「見ましたか?」
「な、なにを、です、か……」

反射的に聞き返してしまう。
馬鹿かよ圭一! もう完全に気づかれてる!
分かりきったこと聞き返して不快にさせてどうするよ!?
謝れ、謝らないと……!

「ぁ……ぅ……」

だが、まるでさっき馬鹿なことを聞き返してしまった口とは
別のものになってしまったように、何の言葉も出ようとはしなかった。

「聞きたいんですか? じゃあ、言います。前原君。
 さっき。私が。生徒と。まだ小さな女の子と。セックスしているのを。見ましたか」
あまりにも真っ直ぐすぎる最低の言葉に、意識が飛びかける。
今、こいつはなんていった? セックスしているのをみたか?
さっき目があったのを忘れたのか? 見ていないとでも思ってるのか!?
いや、違う。先生はこんなにも分かりやすく言っているじゃないか。
全て、忘れろ。いや、見なかったことにしろ。いや、無かったことにしろって。

俺は最初から見たかったわけじゃない!
俺が忘れ物を取に来た時に、あんなことをしているのが悪いんじゃないか!
そうさ、俺は無関係。絶対誰にも喋らない!
言うぞ……言うぞ……言って開放してもらうんだ!

「お、ぉお俺は何も見てません! 忘れ物、忘れ物を取りに来て、それで……
 ち、違う! そうじゃなくて……と、とにかく見てません!
 誰にも、絶対に言いません! 本当です! 喋りません! い、言わない! 言わない!」

必死でぶちまける。ひたすらぶちまける。
だが、ようやく言葉に出来た俺の必死の弁解を妨げるように
先生が俺の口元に手をかざす。
その表情は、笑ってはいたが、明らかに苛立っている表情だった。
つまり、俺の弁解は裏目に出てるって事で……

「言いません! 絶対! そもそも見たかったわけじゃない!
 偶然! 言う理由もないし! おれ、絶対言いません! だから……」

「前原君」

先生がぴしゃりと俺の言葉をさえぎる。
その顔には、もう隠そうともしない「不快」が張り付いていた。

「さっきから、本当にペラペラペラペラペラペラペラペラ。よく喋ることですね。
 そんな人が「言わない」なんていっても、先生安心できません」
「あっ……!!」
今更自分の口を押さえる。
最悪だ。
口外しないことを信じてもらわなきゃいけないのに、俺は何をやってるんだ……!
どんどん恐怖に歪んで行く俺とは対照的に、先生の表情はどんどん冷めていく。
やがて無表情になると、ため息をつきながら言った。

「いいですよ、もう。見ちゃったものはしょうがないですからね」

それは、あまりにも予想外の言葉。
仕方ないから、もういいって?
その言葉に、嘘はないようだった。

「じゃ、じゃあ……見逃して……」
「駄目です」

一瞬抱いた淡い期待も、あっさりと裏切られる。
先生は諦めた。見逃してもくれない。じゃあ、どうする?
決まっているじゃないか。先生が手に持っているものは何だ?
じゃあ、やっぱり、先生は俺を……!?

「前原君はおしゃべりですからね」

やる気……なのか?

「だから、前原君には喋れなくなってもらいます」

俺を……殺……

「うわああああああ!!」
叫んだ。内臓が全部口から飛び出してしまいそうなほどに、叫んだ。
もうやるしかない。毎日顔をあわせなきゃいけないんだ。
今逃げたって無駄だ。やるしかない!
俺は先生の包丁を奪い取ろうと手を伸ばす。
所詮女だ。もみ合いになれば俺の方が……
そう思った。
次の瞬間、俺の体はうつぶせにたたきつけられていた。

「ごふっ!」

訳の分からないうちに視界が廻って
胸と腹をしたたかに硬いタイルに打ち付けた。打ち付けられた。
体の中の空気が搾り出されて、漫画のような悲鳴を上げる。
抵抗しようにも、体が引きつって動かない。
それ以前に、女どころか、人間とは思えない力で押さえつけられて
抵抗すらさせてもらえそうに無い。

「ぁ……ぁ……ぅ……」

目を見開き、金魚のように口をパクパクさせて酸素を取り込もうとする。
だが、いくらでもあるはずの空気は、完全に不足している俺の体に入ってはこなかった。

「別に、死なせたりしませんよ」

耳元で、誰かがささやく。
誰か? 知恵先生に決まっているじゃないか。
答えようにも、息さえ出来ない。
だが、先生は聞かせたいだけのようだ。俺のことなど気にせず、続けてくる。

「先生はね、もう隠しませんけど、ちっちゃい女の子が大好きなんです。
 女の子を見ると、虐めたくて、辱めたくて、どうしようもなくなってしまうんです。
 だからね、少しずつ追い詰めて、追い詰めて。
 逃げられなくなったら、徹底的に虐めて、虐めて、おもちゃにしてるんですよ」

先生は、自分自身の言葉に陶酔しているようだった。
それは吐き気のする様な最低の言葉だったが、今の俺には言葉一つ返せそうに無い。
見えるはずの無い死角にある、先生のあの恐ろしい笑顔が見えたような気がした。

「前原君は男の子だけれど、先生、いつか虐めてあげたいなって思ってたんですよ。
 だから、さっき見られたときにもちょうどいい機会だと思ったんです。
 男の子の前原君を、女の子のように虐めるチャンスだなぁって。
 二度と男の子としてセックスできないように、調教してあげたいなって
 死なせたりしませんよ。でも、死ぬほど酷い目に合わされたら
 喋りたいだなんて心の底から思わなる。そう思いませんか?」
「あ……ぅ……」

ようやく呼吸が戻ってきたにもかかわらず
今度は恐怖で呼吸が出来なくなりそうだった。
先生と俺の体の接している部分から、体が凍りつくような恐怖。
それがじわじわと全身に広がりつつあった。

「前原君。今日前原君は、学校に忘れ物を取りに来て
 疲れて一息ついているうちに寝てしまいました。
 なので、私が保健室に運んで寝かせておきました。
 ご自宅には先生が電話しておきました。
 あんまり良く寝ているので、起きたらお家へ送ります。
 いえ、先生は今日は遅くまで学校に居るので心配要りません」

そこまで一気に喋ると、万力のような力で俺の腕を締め上げ
包丁の腹を頬に押し付けながら、腹の底まで響くような声で、言った。

「いいですね」

俺には、選択肢などありはしなかった。

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最終更新:2007年03月20日 11:58