夏の終わりの続きです。




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 目を覚ました時には診療所のベッドで寝ていた。過呼吸と栄養失調が重なったんだと、梨花が監督に話をしていた。
 気を失う前に私を呼ぶ梨花の声が嬉しかった、私を抱きすくめてくれた時に触れられたところがまだ熱く感じながらぼんやりしているとカーテンをあけて梨花と監督が足音が近づいてきた。

「みぃ~☆沙都子起きて大丈夫なのですか?」
「え、ええ…ご迷惑をかけてしまいましたわね…」
「いいんですよぉ~沙都子ちゃんのすべすべお肌に触れられるだけでこの入江は満足ですから」
「みぃ~沙都子、寝てても作動するトラップを仕掛けるのですよ☆」
「アハハハ診療所にトラップとはおちおち診察も出来ないですねぇ~」
「沙都子の身の危険を守るのが第一なのです」
「そうですわね…」

 そんな他愛無い話を久しぶりにするだけでも固く閉ざしてしまった心が開かれるような気になっていた。このままなら多分何事もなかったかのように振舞うことが出来る、そう安堵しかけた頃監督が席を外す。途端に口を紡ぎ、掛け布団に視線を落とす。遠くでひぐらしが鳴いている。もう夕方か。
 突然梨花の小さな手が私の頬に触れた。あわてて顔をあげると梨花が穏やかな笑顔で私を見つめる。

「沙都子、ボクに何か話があったのではないのですか?」
「え?」
「お探し猫さんだったのです、にゃーにゃー」

 ―ヒクッと身体が突っ張る感覚が走る。
 確かにあの時私は自分の梨花に対してのもやもやとしたものがあるというのを梨花に話したかった。話したらきっと梨花なら分かってくれる、あわよくば答えを教えてくれると思ったぐらいに。
 前みたいな関係に戻りたかった。隣で梨花が笑っていて欲しい、私の作ったご飯を美味しいと言って食べて欲しい。それが出来ない全ての原因である私から歩み寄る事で、すぐに実現するとなると楽しみで仕方なかった。
 そして気づいてしまった。 ―私が梨花を好きだと言う事が。

 今になって思えば梨花に対しての思いが恋心なんて誰に聞かなくたって分かるくらいに梨花と私の間に入るもの全てに嫉妬していた。そう、黒いもやもやとした感情は嫉妬という名の負の感情。だからきっと赤坂さんに対しては梨花がここぞとばかりに嬉しそうに語るからその想いが特別強かった。
 答えを知ってしまってから、なぁんだそんな簡単な事なんだと思えた。簡単な事だけどとても苦しいものなんだと気づくのに時間はかからなかった。
 ―答えは簡単。私が女で梨花も女だから。世間一般的に異端ではないかと思う。だって女の子は男の子と一緒にいるのが普通でしょ?魅音さんが圭一さんを、詩音さんがにーにーを好きになるのが普通でしょう?

 女の子が女の子を、私が梨花を好きになるという「普通」ではない想いは誰にも知られてはいけないんだと思った。
 この想いを梨花に知られて梨花に軽蔑され、冷たくされるのが、一緒にいられなくなるのが怖かった。
 雛見沢の人たちが冷たかった時、梨花がいてくれたから辛くなんかないんだって思えたし梨花が一緒にいてくれるから何だって出来たんだと思う。だからそんな梨花と一緒にいれなくなるのが怖かった。
 ――この想いは絶対梨花には悟られてはいけない!!絶対に!

「え、あぁ…ごめんなさい何を話そうとしていたのか忘れてしまいましたわ…」
「…みー?本当なのですか沙都子」
「ええ、なんだか思い出せませんの」
「沙都子、ボクの目をみるのです」

 じっと私の目の奥にある何かを知ろうと漆黒の瞳が私を射る。目が離せない。私はいつもそうだった。
 嘘をつくと梨花にこうやって目を見据えられていつもごめんなさい、と謝っていた。だからいつからか梨花には嘘をつくことをしなくなった。出来なくなったという方が正しいのかもしれないけれど。
 梨花の瞳は大きくてとても綺麗で、問い詰められている状況なのに梨花の瞳の中に困った顔をした私がいてキラキラと輝いて素敵だった。
 フと、固い表情を和らげた梨花が言う。

「沙都子…痩せてしまったのです」
「ふぇっ!?」
「自分では分からないのですか?ほら―」

 ―ふわり。視界が黒に覆われたと同時に私と同じシャンプーの匂いと梨花の匂いが混ざった甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「…こんなにも簡単に腕がまわせてしまうのですよ、にぱ~☆」
「…り、梨花」
「沙都子に触るのは久しぶりなのです…実に暖かいのです」

 鼓動がはやくなる。体中の血液という血液が一気に頭に巡ってくる。目の前の梨花の髪からは甘い匂い、耳元で私に囁やきながら聞こえる少しかすれた声、伴う吐息、私を包む梨花の柔らかい肌が…!!!!

 好きってわかっただけでこんなにもおかしくなってしまうものなのか?
 ――梨花ってこんなに柔らかかった!? どくどくと血液が流れる音がうるさい、うるさいうるさい逃げろ逃げろにげろにげろ逃げてこの想いどこかへ捨ててきてしまえ!
前の幸せな毎日に戻れるためなんだから!梨花と毎日笑って過ごせるんだから!

「…ゃ」
「沙都子?どうしたのです―」
「―めてっ!…やめてくださいまし!!!!!!」

ドン、という音と共に弾き飛ばされた梨花が床にしりもちをつき、何が起こったのか理解できない梨花は目を白黒させてうろたえていた。

「さ、…沙都子…?」
「~~っ! わ、私に触らないで下さいませんこと!?」
「………え」

 かっと瞳を見開いた梨花が私を覗く。心なしか顔が蒼ざめている。言い過ぎたと思っても時既に遅し。梨花は自分に対しての拒絶反応をなんかの発作か何かと思って私を安心させようとするためか抱きしめようとする。
 今の私は梨花に触れられてはいけない気がした。だから両腕を大きく振り被り私に近寄ってくる梨花に触れられないように一心不乱に腕を振る。

 ――こないで、ごめんなさいこないでこないでコナイデお願い梨花を傷つけたいわけじゃないノだからお願い気づいて。私が貴方を嫌いだから近寄らせたくないワケジャナイ、アナタが好きだから。触れられるのがコワイカラ…アナタに触れられてしまったら私はもう気持ちを抑えられない!ダから、お願いごめんなさい気づいてゴメンナサイゴメンナサイ

 ドタンバタンと大きな音を立てて暴れていたため、監督が注射器を持って私の元へ駆け寄った。
 ケンカは強くなさそうだけど、監督だって成人男性。だから私の抗いなんかは簡単に取り押さえられてプスリと注射をされる。多分麻酔か何かかもしれない。注射をされてすぐに眠気が襲ってきた。
 うつろいゆく意識の中で梨花と監督が話している、どうしてこんなことに?ボクが悪いのです、ボクが全部悪いのです。
 そう伝える梨花の声は泣いていたよう、に      感 じ                  た――

―――――

 自分の梨花への気持ちに気づいて以来、拭い去ることなんか出来なくて日に日に想いを増すだけだった。
 先日知った黒い感情、嫉妬の気持ちも強くなるだけで私がしたくても出来ない事を平気でしてのけてしまうレナさんや魅音さん、圭一さんや赤坂さんには悪いと分かってはいてもついつい冷たい態度をとってしまっていた。
 そしてその対象となる梨花に対しては私の気持ちを悟られたくないがために、素っ気無い態度をとるしかなかった。
 本当は梨花の髪に触れて滑らかさを知りたい、身体に触れて温かさを知りたい、目に映っている私を見てみたい…欲望は尽きないというのにそれが出来ないことが辛くて、梨花の姿を見るのも辛いくらいになっていた。
 だから出来るだけ梨花と二人きりにならないように学校から帰ったら何かしら言い訳をしながら出かけるのが日課になった。
 それでも「あの頃」決めた約束事はちゃんとこなす。一人で買い物に行くのはあまり、いや正直全然楽しくなんかなかった。以前の村とは違い、みんな優しくしてくれる。子供二人で生活してくれるから色々とおまけもしてもらえる。梨花と一緒だったらもっともっと楽しいはずなのに、もっともっと毎日が光っていたのに今の生活は何も光っているように感じられなかった。

 人を好きになるというのがどういうものか分からなかった私は、正直なところ梨花にどう接したらいいのか分からなかった。
 とりあえず自分の中のルールとして私の気持ちは絶対悟られないというのが大切だ。ポーカーフェイスは部活のおかげとトラップのおかげで得意になった。部活が始まった当初は梨花に「沙都子は思っていることがよく顔に出るから分かりやすいのです」なんて言われて罰ゲームになった事もよくあった。逆に梨花はいつでも表情を読み取るのが難しくそれを指摘したら「世の中を上手く渡るコツなのです☆」とかなんとか言ってた…あ、だから私もそうするようにしたんだっけ。

 思えば、私が何かある度に梨花は何も言わなくても私を導いてくれていた。
 そして今梨花はきっと私が何かに悩んでいることについて頭を悩ませているのかもしれない。言ってしまえば楽になるのは分かっているけれど、でもこの悩みだけはいえない。梨花にいえない事は誰にも言えない。言いたくないから多分梨花も何も言わないんだろう。でもそれがもし梨花の心に深く傷をつけているのだとしたら私は一体どうしたらいいのだろう。
 「沙都子ちゃん、今日はカボチャが安いよ!」と言う八百屋の主人の言葉ではっとなる。

「お、お気持ちは嬉しいのですけど…カボチャはまだお家にありますの。ですから今日は野菜炒めを―」
「そうなのかい?だったら安くしていくからおいで」
「ありがとうございます、ですわ」

 野菜炒めは私の得意料理でもあり、梨花の好物でもあった。
 そういえば教えてもらった野菜炒めが上手く出来なくて、悔しくて泣いたこともあった。

「今感じているものがつらいと思うのならそれを試練だと思うのがいいのです、その試練を乗り越えた時にはそれに見合うご褒美がある
のですよ。沙都子はとてもとても頑張っていますのです、だからその頑張りはちゃんとオヤシロさまがみているのですよ。」
「ご褒美…」
「はいなのです。沙都子はえらいえらいなのですよ。
 それに、沙都子の失敗したご飯も沙都子の味があって美味しいのです。みんなは沙都子の頑張っている料理を食べたことがないから
かぁいそかぁいそなのですよー☆ボクは幸せモノなのです、にぱ~☆」

 あれだけ毎日のように野菜炒めたくさん食べたら普通飽きるもんじゃないのかと思うんだけど、梨花はたくさん食べたから余計に好きになったなんて言っていた。不思議。えーっと人参、ピーマン…もやっぱり買わなくちゃいけませんわね、もやしと…ってあれ?私今何考えてたっけ…えっと梨花の好物、あぁそうそう、今夜のオカズは――。


=====


 私が部活メンバーからの心配を受けた日に、明らかな拒絶反応を沙都子から受けた。
 きっと聞こえていないだろうという甘い期待は見事に打ち砕かれたのだった。そうでもなかったら沙都子が私を拒絶するわけがないんだ、とそう自分に驕りがあったから…だけど。
 病院で暴れてからというもの、沙都子は一人で学校へ行くことがあったり放課後も一緒に帰らなかったりと今までそれが当たり前だったかのように二人一緒に住んでいるのに別々に行動することが増えた。会話もどこか余所余所しく、この光景どこかで感じたことがあるなと思い出すと笑えることに沙都子と同居を始めた頃のようだった。

 そんなぎこちない灰色の毎日が続いたある日の事だった。
 沙都子が買い物に行っている間日ごろの沙都子への気遣いと、昼間の体育で疲れがたまっていたのか気づけば眠りの体勢になっていた。カナカナカナカナとひぐらしの鳴く声をBGMにガチャリという異質な音と共に沙都子が買い物から帰宅した。今までは買い物は一緒、だったけどここ最近では一人で行くことが多くなったからどちらかが家に必ずいて一緒にただいまを言わなくなってもおかえりなさいを言う事も聞く事も出来たのだが。今日は梨花からのそれがない事に違和感を覚えたのか

「梨花?いないんですの?」

 疑問を投げかけながら買ってきたものを冷蔵庫に入れようとする沙都子のとたとたという足音がする。本当は飛び起きておかえりなさいと言ってあげたい。いつもの作り調子でもいいから少しでも沙都子と話したかった。
 だけどそれすらをも行動にうつせないくらいの身体のだるさで瞑っている瞼を開くことも辛かった。
 沙都子と過ごしているのにこんなにも辛い日々もあるのね、と今まで感じたこともない後悔とそれに伴って最近ちゃんとご飯食べてなかったからだわ、という生活感溢れる後悔を頭の中で反省した。
 梨花?と襖越しに小さく私を呼びかけスッと音をたてて襖が開く。

「梨花?電気もつけずに………寝てるんですの?」
「……」

 目を開けるのも気だるいくらいなので返答をする事も辛かった。だからここは寝たふりでいよう、そう思った。これだけ疲れているのだから目を瞑っていれば少しくらいは寝れるだろう、目を覚ました時には沙都子のちょっと失敗した料理を食べることが出来る。今日は何のご飯なんだろう、と働かない頭でぼんやりと考えていた。

「梨花、夏でも何かかけないと風邪ひいてしまいますわよ」

 寝ている私に声をかける沙都子の優しさがとても嬉しかった。最近はこんな事すらもなかったから嬉しくて心が熱くなる。
 返答がない私を見て溜息を吐き、仕方ないですわねと押入れからタオルケットと枕を取り出してくれた。
 全く困った梨花ですこと…なんて軽口叩きながら本当に怒っている様子ではない声色を聞いて、今のような生活になるちょっと前の沙都子との日々を思い出してどうしてこんな事になってしまったんだろうと嘆いた。

 お腹にはタオルケットが優しくかけられ、頭をゆっくりと抱え枕を敷いてくれた。
 夕食の準備をするんだろうと私も寝ようと意識を持っていったと同時に頭に何か触れる。この温かさと優しさをもつのは沙都子の手。

「ごめんなさいね、梨花。私が悪いのに梨花にまで気を使わせてしまって…」

 謝罪の言葉をボソボソと口にしながら私の頭を撫でる。
 沙都子が一体何に対して謝っているのか分からない、ただ沙都子から伝わる熱が嬉しくて切なくて嬉しくて眠るのが勿体無く感じた。少しでも長く味わっていたいその感触は頭から頬へと移動し、直接肌に沙都子のふにふにとした手が触れる。
 沙都子にこうして頬を触れてもらったのは一体いつだったっけ、ああ思い出せない…そんなにも前の事でもないというのに私はこんなにも沙都子の肌を忘れてしまっていたんだと思うと心が切なくて、今この場で力を振り絞って起きて沙都子に聞きたかった。どうして私を避けるの、と。でも以前の世界みたいに沙都子に嫌われたくないからそんな事聞けない。
 こんなにもこんなにも好きな人が今私のために断罪しているというのに私はそれを起きて許してあげることなんて出来ない。なんて、なんて弱虫な自分なんだろう…結局私は自分だけの事しか考えられないんだ。沙都子ならきっと私のように逃げないでいるだろうに。
 暗いからばれないだろうと唇をかみ締めようとすると、指の気配を感じて即座にやめる。唇の輪郭をおぼつかない動きでなぞる。今までそんなことをされた経験がなく、ましてや沙都子からの刺激となると身体の中心が熱く疼いた。

―ちゅ

 そんな私の唇に柔らかい感触を感じると同時に小さな水音がした。
 ――今の…って何?…くち、びる…?沙都子の?…え?なんで?私、キスされた…?

「…―になっ………って、ごめんなさい」

 私の枕元には涙声で謝る沙都子がいた。


=====


 家路へ向かう足取りは軽かった。
 ぎこちない生活とは言え、梨花の食事の量が戻ってくれた。それは私が作った時に限ってだったけど、それでも嬉しかった。きっと気を遣ってくれているんだろうとは思うけど、そうやって嘘でもいいから形を作ろうとしたら本物になるんじゃないか、そういう淡い期待を抱きながら家に着いた。
 少し遅くなってしまったかも。入り口が少し暗く感じガチャリ、と鍵を開け部屋に入るといつも聞くおかえりがない。元々防災倉庫だったのだから特別広くないこの部屋だけど、梨花がいないと思えるだけでとてつもなく広く感じる。
 もしかして…バレた?いやそんなはずはない、だって今日だって普通だったじゃないか、と自分に言い聞かせ梨花を探す。あまり立派ではないけど愛着のある襖が閉まっていた、なんとなくここにいるような気がしていたけれど開いている隙間を覗けば明かりがない。物音もしなかったから多分寝ているんだろうとは思った。

 襖を開くと案の定小さな寝息を立てて梨花は寝ていた。
 …夏も過ぎてもうそろそろ秋だというのに何もかけずに寝てしまっていてはさすがに風邪までとは言わなくても体調を崩すのではないかと思い、起こしてみるも全く起きる気配がない。一つ溜息をつくとタオルケットと枕を取り出し梨花にかける。

 布団を並べて寝る夜、最近はいつも梨花に背を向けるような形で寝ていた。たまに夜中に目を覚まして梨花を覗くと、梨花はいつも私のほうを向いて寝ていた。そしてその時私の布団はかけなおされている形跡があり、梨花がしてくれたんだと思うと涙が出た。いつでも私を見守ってくれているのに、それに応えられない自分が悲しい。

 寝ている梨花の顔を覗き込んでみるが、何分部屋に明かりがないため分かりにくかった。
でも薄暗い部屋の中には私と梨花がちゃんと存在しているのが嬉しくて、ずるいなとは思ったけど少しそれに浸ることにした。寝顔はこんなに穏やかなのに起きている時はいつも悲しそうな表情を浮かばせているのが他でもない自分だという事に正直嬉しくもあり悲しくもあった。

「こんな事になってしまって…本当に申し訳ないですわね。ごめんなさい、梨花…私が悪いのに―」

 きっと眠っていて聞こえないからいつも言いたくて仕方ない謝罪をボソボソと独り言のように口走る。頑張っている梨花を慰めるかのように頭に手を乗せ撫でる。髪は相変わらずさらさらで気持ちよかった。手を這わせ頬に触れる。肌もいつもと変わらずすべすべしていて気持ちよかった。そして私はある一点のみに意識が集中される。…微かに開き小さな吐息を吐く、唇。

 ――今なら、誰も見ていない。誰にも気づかれない。大丈夫。

 そんな声が頭の中で聞くよりも先に、私は梨花の唇を求めた。柔らかかった。
 ―血が燃えた。私の中の血が燃え滾っている。
 気づいてしまった。私はもう戻れない、と。
 上っ面だけの親友でも構わない、それで梨花の傍にいられるというのならそれだけでも構わない、好きだった気持ちは忘れられる。そんな感情はもう今は微塵にもなくただ目の前の少女を自分だけのものにしたくて堪らなかった。止まらない気持ちを抑えることなんか出来るわけがない。もうこれ以上梨花の近くにはいられない、いつ梨花を傷つけてしまうかわからないくらいに梨花が好き。

 だから私は決意した。
 ――もう、この家から出よう

 好きになって、ごめんなさい―――


=====


 沙都子のキスはどういう意味だったのか、分からない。
 好きになってしまってごめんなさい?誰が?沙都子?まさか、そんなことあるはずもない。だってあの子は私を拒絶してしまっているじゃないか。だからそんな甘い期待なんて抱かない。
裏切られた時の悲しみは果てしない、私の心はもう疲れているから出来るだけ傷つきたくない。所詮100年も生きた魔女とは言えども自分が可愛いのは当然だ。
 そして生きる糧になっていた沙都子を傷つけたくもないから、私の思いは伝わることもなく、沙都子も私を親友以上の目でなんか見たことあるわけもない。だからだから、だから…「ありえない」。

 キスをされてからというもの沙都子の行動が益々理解できなくなった。
 今までは多少余所余所しかったり、出かけたりはしていたもののあの日以来から余所余所しいどころか前のような沙都子になっていた。授業中笑いかけてきたりお昼の時間も楽しそうにしていた。何かあったのかと思っても沙都子は何もないとの一点張り。おかしすぎる。

 秋も近づいてきている頃、秋服を出そうという話になって押入れからせこせこと出していた。ついでだから、と言って押入れに入っている服を全部出してまとめていた。綺麗に畳めば少しですけど余裕も出来ますから、なんて私の服、梨花の服とちゃんと分けて畳んでいた。なんとなく違和感を感じた。
 今までそこまできちきちとやっていたわけでもないのに何で今更突然そんな事をし始めるのか、本当に分からない。沙都子は一体何をしようとしているのか、この間の事はなかったことにして前のような生活に戻ろうとしているのか。もしそれを沙都子が望むのならそれに越したことはない、今までだってそうしてきたわけだし私の気持ちが伝わらない事なんてもう何十回か前の世界を巡っている時に分かったことなんだから。
 沙都子の思うように私もいればきっと大丈夫、前のように楽しく笑いあえる日々が戻ってくると思っていた。

 だから今までより遅い時間に帰宅しても気にしない事にした、確かに親友が自分に恋心を抱いているなんて
知った日には心の整理もつけたくはなるだろう。これは、これからの明るい未来のための試練なんだから多少一人でいる時間が長くなっても我慢も出来るというもの。だって遅く帰ってきた沙都子が作ってくれる晩御飯の時間はとても楽しくて、笑顔が耐えない時間だったから。
 こうして最初は偽りかもしれない空間も、それが当たり前になればそれが日常になるというもの。

 そんな事言ってたのは…どの世界の話だったっけ…。


=====


 あのキスから数日が経った。
 丁度秋服を出す予定もあったのでそのついでに自分の荷物をまとめていた。ハタからみればただの大掃除にしか見えないからきっと梨花には気づかれていないはずだった。

 晩御飯は最後の罪滅しという事で梨花の好きなものだらけにしよう。そう決めていた。
 けれどいざ梨花に別れを切り出そうとするも、肝心なところで意気地が足りないのか二の句がいえなかった。そして延ばし延ばしになってしまっていた今日、昨日もずっと一人で考えて気持ちの整理がついたはず。だからきっと今日こそ言える。
 学校が終わると最近の日課だった一人の時間を作るために出かけようとした。いつも通りの事だった。だからいつも通りなら大丈夫、そう言い聞かせて家を出ようとする。けれどその日はいつもと違った。

「沙都子?」
「何ですの、梨花。私急いでますの」
「どこかへ出かけるのですか?」

 梨花の様子がいつもと違った。もしや私の考えがばれているのだろうか、そんなはずはない…だってこれは私が最近決めたこと。長い期間をかければ分かる事かもしれない、でもさすがに数日では分からないだろう。ましてや今日は別れを決める大切な日なんだから、そのために豪華な料理を作るなんて言えるはずもない。

「え、ええ…トラップを裏山へ確認しにいくだけですの」

 正直この言い訳は昨日と同じでさすがに無理かな、なんて思ったけどまさかここで梨花に問い詰められるとは思わなかったから言ってしまえば緊急措置、っていうやつになるわけで。

「なら、ボクも一緒にいくのです」

 ――まずい…今私が梨花と一緒になったらきっとまた言えなくなる。買い物するのにもバレてしまう。

「いっ…いえ! 梨花には危険ですし私一人で行きますからっ」
「でも沙都子、今日の夕食当番は沙都子です。だからボクは沙都子が帰って来ないと飢え死にしてしまうのです。」
「ええ、ですからトラップを確認してから買い物にいくつもりでしたのよ?」
「買い物は昨日済ませておいたのです。今日は何も買わなくてもいいのです、にぱ~☆」

 今日の梨花はどうしてこんなにも食いついてくるんだろう、何かいつもと違う様子に気づいたんだろうか。ここ最近なら気にしないで送り出してくれたというのに、なんで?

「沙都子…みー、どうしてそんなにボクから逃げるのですか?」

 ――やっぱりシラレテイル……?

「みー…沙都子はボクのこと嫌いなのですか?」
「はっ!? な、何を言ってるんですの梨花!?」
「沙都子はボクと目を合わせてくれないのです…」

 ――ばれた。私が梨花を避けているのがばれた。すなわちソレは私が梨花を好きなのが―

「そそ、そんなことないですわ! 梨花の気にしすぎなんですのよ!」
「…みぃ、沙都子。嘘は良くないのです」
「嘘なんて言ってませんわ、何なんですの梨花さっきから―」
「ボクは沙都子の親友です。だから沙都子がいつもと違うことくらい分かります」

 ――梨花に知られてしまった。

「何か悩んでることがあるのですか? どうして沙都子はボクからいつも逃げようとするのですか?」
「…親友でも、いえ親友だからこそ…知らなくてもいいことだってあるんですわ」

 どうでもいい人にならこんなに頭を悩ませない。でも梨花だから、失いたくないからいえない。
 ――もうだめだ、私は益々この家にいられなくなってしまった。今日しかない、今日言って家を出よう。
 もう怖くて梨花の顔を見ることが出来ない、きっと私に嫌悪感を抱いている顔をしているんだろう…。

 途端に走り出す。
 ――怖い怖い怖い怖い…嫌われたくない、怖い。
 その想いを振り切るために私は走った。



 道の途中に座り込んでいた。どのくらいそうしていただろうか、辺りは暗くなり始めていた。秋も近づき時間の具合が分からない…早く戻らなくては、踵を返し来た道を戻る。買い物にも行かなくちゃ。
 今日で終わる。全部終わる。明日からは楽しい毎日が迎えられる…ハズ。だから今日は梨花と楽しい晩餐にしよう、きっと圭一さんの話題を出せばそれだけで笑いが走るはず。
 最近は部活もなかったから明日からはちゃんと部活があると思うし、多分楽しいはず。圭一さんや、魅音さん、鋭いレナさんも梨花と普通に話していれば仲直りしたと思ってくれるはず。梨花とも最初はぎこちないけど、きっとまた前みたいに仲良くなれるはず。

 ――全て、上手くいく!!…はず。



「梨花ぁ? お夕食の準備が出来ましてよ~テーブルは片付いていますの?」
「みぃっ! ばっちりなのですよ」

 こんなやりとりも久しぶりだったから、素直に楽しめた。梨花も笑ってくれていたし、やっぱりこれが最善なんだ。

「みぃ!! 今日は実に豪華なのですよ?何かお祝い事なのですか?」
「ええ…まぁそんなようなものですわね」
「…み~?」
「ささっ、冷めないうちに召し上がりましょ」

 梨花の好きなものばかりのおかずで梨花も嬉しそうな顔をしている…嬉しい。
 今まで私はどれくらいの笑顔を梨花に与えられていたのか、ちょっと前は100点以上って胸を張っていえるけど今は…。でも大丈夫、明日からはちゃんと自分に100点を与えることが出来るはず!



 おかわりが出ると思って多目に作ったものの、ぺろりと平らげてしまった。
 ――梨花、無理してませんわよね。

「ご馳走様なのですよ」
「お粗末様、ですわ」
「今日はボクがお片づけするのですよ、にぱ~☆」
「いいんですよ梨花、最後くらい私が―」

 ――あ、しまった。

「…最後とはどういう意味なのですか?」
「え…っと、ですね」
「沙都子、何かを終わらせるのですか?」
「…あの」

 …ヤバイ、さっきまでの空気がなくなってしまった。でももう言ってしまったものは仕方ない。私も女だ、タカをくくっていくしかない!

「沙都子」
「………ごめんなさい、梨花。本当はちゃんと伝えるつもりだったんですけど、えっと…私が今から言う言葉は決して梨花を嫌いになったからとかそういう意味ではなくて。梨花のことを大切に思っているから、貴方を好きだから、だからそうした方がいいと―…」
「ボクのため、ですか?」
「ええ、梨花のためですわ…そして私のためでもありますの」
「それは一体何を終わらせるという事なのですか?」
「今日で終わらせようと思うのです、同居生活」
「え?」


=====


 以前感じていた違和感がなんだったのかわかった。沙都子の服が少しずつだけど減っている。本当に微妙な数で、あの違和感を感じなければ多分絶対気づかないようなもので一度それを見つけてしまってからというもの、私の中にある考えたくもない不安が頭をもたげ始めた。
 その日の沙都子はいつもとは違う空気を纏っていた。それが何かは分からない、けどその空気のせいで私の不安は更に膨張する事となる。だから沙都子に問いかけたんだ。


 私を飢え死になんかさせないと言った沙都子はちゃんと帰ってきた。
 買い物はもう既にしてあると言ったのにも関わらず買い物をして帰ってきた。手に持っているのは…私の好きなもの。今日の夕食は野菜炒めかしら、なんてこんな時にも関わらず少し嬉しくなってしまった。
料理を作っている最中の沙都子は常に上機嫌で、そんな沙都子を見るのは嬉しくて私も色々と沙都子に話しかけたり一緒に歌を歌ったり久々の穏やかな晩御飯になるだろうという事が楽しみでならなかった。

 ――…きっと、沙都子は心の整理がついたんだろう。なら私もそう接しよう。それが一番の最善手…だから。

 料理は私の好きなもののオンパレードだった。嬉しかった…けどまるで何かに対しての詫びのようにも感じた、そう感じるのは私が沙都子を信じ切れてないからと自分で自分を戒める。沙都子の荷物が少しずつ減っているのだって沙都子の気まぐれなのかもしれない。沙都子は突然不思議なことをしてくれるから、だから一緒にいて飽きない。どんなに長く生きていても沙都子のような柔軟な発想が出来ない、沙都子のように強くなろうという事が出来ない。沙都子から学ぶ事はまだまだたくさんあるからきっと今回の荷物の移動だって私の学ぶことはあるだろう。

 不安を打ち消すかのように沙都子の料理を平らげた。料理、大分上手になったな。



 ここまで腕を振るって私の好きなものを作ってくれたのだから労いも必要だろう、片づけくらいは私がしようと立った時の事。

「最後くらい、私が――」

 ……なんか今聞きなれない言葉を耳にした気がした。
 ひょっとして私が浮かれているから聞き間違えたのかもしれない、もう一度聞いてみよう。違うよね、沙都子?

「今日で終わりにしようと思いますの」

 ――ああ…聞き間違えなんかじゃなかった、今までの幸せな時間と雰囲気は一気に飛んでしまった。顔が強張ってくる。手が震えてくる。沙都子の言葉を聞きたくない、とめて欲しい…でも止めてくれない。

「私、家を出ますわ…梨花、今までありがとうございました」




夏の終わり3へ続きます。

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最終更新:2007年03月15日 13:58