カナカナカナカナカナ……
ひぐらしのなく夕べ、一人の長い髪をひっつめた女性が早歩きで寒村のあぜ道を通り過ぎていく。
手には一抱えあるふろしき包み。
夕暮れの中では分かりづらいが、わずかに顔を赤く染めて彼女は村の中心、神社へと足を速める。


「ふいー、そろそろ休憩にしましょうや、宗平」
「ああ、わかっとるよ喜一郎。さて……と」
高台の神社では、明日の祭に備えて二人の青年がいくつかの屋台じみた小屋を建て終わり、休憩に入るところだった。
まあ、所詮は片田舎の神社。時代が移ればもっと立派になるかもしれないが、こじんまりした出し物がいくつかある程度のものである。
もういくつかばかり作業を繰り返せばそれで終わり。最後の休憩と言ったところだった。
と、田舎らしく暮れる前に夕餉の匂いが漂いだす中に駆けて来る小柄な影がひとつ――――
「お兄さーん!!」
青年たちが振り返り鳥居のほうを見れば、そこに居るのは、
「おお、あきか。どうした?」

十代半ばの少女――公由あきは、はあはあと息をつきながら喜一郎ににこりと笑んで、二人に水筒と麦入りの握り飯を差し出した。
「お母さんからの差し入れ。綿流しの設営で疲れているだろうって渡すように頼まれました。
宗平さん、お疲れ様です。ご精が出ますね」
「いや、これも御三家としての勤めだからな。何せ綿流しは園崎の任ずる作業だ、それを疎かにするような真似は避けにゃな」
口端をあげながら、よく来てくれたといわんばかりに水筒のふたを開け、宗平は一気に水を流し込む。
「ああ……生き返る」
心底うれしそうな宗平に、あきはほっと一息。
「……あき。私も一応御三家で、くたくたなのだが……」
と、その声を聞き、あきがごめんなさい、と喜一郎にも水筒を渡す。
そのまま三人は石段に向かい、腰掛けて一息。
握り飯の包みを開き、何とはなしに鳥居のほうを向きながら、宗平と喜一郎はそれをぱくりと口に収める。

「ふう……」
ふと、宗平の漏らした溜息に喜一郎が気づいた。
「……まったく。お前さんも損な性分だ。
せっかく結納を済ませたばかりなのだ、もっとあいつを大切にしてやったらどうかね」
「む。そうはいってもな……」
長い縁だし、今更どう付き合い方を変えればいいんだ、と宗平。
握り飯を頬張り、顔を歪めて表情を隠す。
「うん。……旨い」
あからさまな照れ隠しに、あきがくすりと笑みを漏らす。

やれやれ、と喜一郎は吐息。そのまま正面に顔を向ける。
……すると、そこには。
「そ、宗平!」
「……ん? どうした、喜一郎?」
「前! 前見てみぃ! 早くその握り飯隠せ!!」
「前……?」
宗平が、言葉に従い前方……鳥居のほうを見ると、そこには。
「お、お魎……!?」



鳥居の影には、手には風呂敷包みを抱えたひっつめ髪の女性がうつむいていた。
距離が離れており、下を向いているため髪に隠れて眼が見えない。
表情などここから見えるはずはないのだが、こころなしか口元が引きつっているように宗平には見えた。
「う……」
宗平の脳裏に悪い予感が芽生えた。隣に居るのはいまだ若いあき。手には彼女の持ってきたらしき握り飯。
不意に、お魎が一言漏らす。
「なんね……」
「お、お魎。これは……」
宗平の頬を一筋汗が伝う。まずい、と直感が告げている。
「……なんね。なんねなんねなんねなんね!何しとるんね!
せっかく人が疲れとろうと弁当持って来ぃたら、年端もいかんこんなダラズと……」
「お魎! これは単に……」
「知らん! 勝手にしぃ!!」
ぷい、とお魎は涙目でそっぽを向く。
「う……うわぁぁぁん!!」
弁当箱を放り出したかと思うと、お魎はそのまま鳥居を抜け、坂の下に消えていってしまった。
取り残された宗平は、絶句するしかない。

「う……」
後味の悪い悔恨が、宗平を取り巻く。
はて、何が悪かったんだろうか?
悩むも、答えは出ない。
「……宗平。ここはもう私だけでやる。お前は早くお魎さんを追いかけなさい」
どうすればいいのかと途方にくれる宗平に対し、喜一郎は悩まずに解決手段を告げた。
だが、それは喜一郎に負担をかけるもの。
さすがにそれは大変だろう、と宗平はそれを気にかける。
「しかしそうすると喜一郎、お前が……」
「なあに、これくらい何とかなるさ。
そもそもお前さんはお魎さんをほっとき過ぎたくらいなのさ。いくら園崎の姓を背負っているとはいえ、お前もお魎さんも人の子だ、察してやりなさい」
にやりと笑む喜一郎。
「……恩にきる」
それだけ呟くと、宗平はそのままきびすを返し、駆け出した。
神社を出る直前ふと足を止め、お魎の置いていった風呂敷包みを掴む事も忘れない。






もはや、赤紫色となった空の下。
石壁で補強された崖の横、園崎の家に向かう道をお魎は一人でとぼとぼ歩いていた。
足取りも力なく、眼は赤くなり、時折その眼をごしごしと手で拭くことを繰り返す。
……と。不意に後ろから呼び止める声。
「お魎!」
聞きなれた声。それを聞くなり、お魎の顔にはわずかに喜びの色が浮かんだ。
……が、しかし。すぐに口を引き締め、目を細くする。
「……何しに来たんね」
告げられる声は鋭い。
けれど、その声に臆する事もなく、宗平は無言でお魎を抱きしめた。
「……な――!!」
硬直。数瞬、お魎はなにも出来ない。
「な、なななな何するん!!ここは往来やぞ!
そもそも何で私に用があるん……!! あの子とよろしくやっとりゃええのに!」
じたばたと、抜けるように、暴れるようにお魎はもがく。しかし、一向に抜け出る気配は無い。
こうなってはいくら剣の腕が立とうと無駄だ。
……いや。本当に、お魎はこの腕から抜けようとしているのか。

「決まっとるだろ。わざわざ言わすな。」
宗平の一言。たったそれだけで、お魎の顔がすべて朱に染まる。
「――――ッ!!」
先ほどまでじたばた動かしていた四肢も、はや微動だにしない。
沈黙が場を支配する。
辺りはすでに暗い。雛見沢では、わざわざこんな時間に出歩く人はそう多くはない。
心臓の音が幾つ鳴ったか。それすらも数えられそうで、実際に数えて50ばかり経った時――
不意に、お魎が、たった一言。
「……いまから、どうする……?」

対する宗平は、苦笑しながらいらえを返す。
「そうだな…… さしあたって、お前とこの弁当を食いたいと思う」
は、とお魎の呼気が聞こえる。彼女の体は、燃える様に熱い。
「……ついでにそのあと、お前におはぎを作ってもらいたい」
ぴくり、とお魎の体が震えた。
しかし、それきり返答は無い。宗平も、それ以上言の葉を紡がない。



――風が吹き抜ける。夏にはふさわしくない、冷たい風が。
宗平は、お魎をさらに強く引き寄せ、抱きしめる。
そのまま数秒。
……風が収まったとき、折れたのはお魎だった。
不機嫌そうな声で、
「……言いたいこっちゃ、それだけなん?」
ただ、それだけを言う。
「……ああ」
「……まったく。なんで私がそんなもん作っ必要があるん?」
お魎は、落ち着いた声で言葉を綴る。
「……おはぎなら、もう、そんなかにあるよってな」
告げ、宗平の手からぶら下がる風呂敷に眼を向ける。
そのまま、お魎はその手に自分の手を重ねた。
ひぐらしの声はもう聞こえない。
夜は、まだ始まったばかりなのだ。



……やれやれ、と私は思う。
本当に手がかかる一族なのだ、園崎というのは。
……この分だと、孫の代辺りでもひと悶着ありそうだ。
その頃私は何をしているのだろうか。きっと、この時代と同じく傍観者に徹しているのだろうとは思うのだけど。
……でも。可能ならば、私はその輪の中に入りたい。
きっと、それは楽しい事だろうから。
……あぅあぅあぅ、それに、さすがにこんなのを子々孫々まで見せられたら、じれったくてしょうがないのですよ。だったらいっそ自分の手でどうにかしてやりたいのです。
……ええ。きっときっと、それは楽しいと僕は思うのです。

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最終更新:2007年03月13日 14:37