茶谷シャッターとコパルスクエア(2012.5)
現在のレンズ交換式デジタルカメラの機械シャッターに広く用いられている金属製縦走りフォーカルプレーンシャッターは
1960年に開発された初代コパルスクエア(コパルスケア)に端を発する。
初代コパルスクエアは、茶谷薫重の開発した茶谷シャッターをその原型とするとされている。
ここでは、当時の特許から茶谷シャッター、初代コパルスクエアの開発過程を追いかけたいと思う。
上下二枚ずつの金属板が一対になり、それぞれ二本の平行した腕木に留められている。
チャージ時には二対の金属板が上に移動し、シャッター開放時には下側の金属板が下に移動する。
その後上側の金属板が下に移動してシャッター開口部を閉じる。
シャッターの駆動には垂直に取りつけられた歯車とカムを使用しており、棒状のカムを使用した初代コパルスクエアとは
この点が異なる。
二本のカムのうち、画面で左側のカムの回転角によりシャッター速度を変更し、右側のカムはシャッター開閉をおこなう。
この特許ののち、茶谷は1957年までマミヤ光機と共願で細部を改良したシャッター特許を出願する。
その後、出願者は茶谷のみとなる。
初代コパルスクエアは1960年に発表された。
シャッターの駆動は一本のカムに改められている。シャッターの開閉はBカム、Cカムで行う。
BカムとCカムの回転ずれ量でシャッター速度を変更する。ずれ量はA軸で調整する。
この実用新案、特許には茶谷の名前は含まれていないが、茶谷はコパルから特許ライセンス料の支払いを受けていた。
1961年に茶谷とコパルの笠井正人、前原春一、吉松明、早水湛雄、岡部克彦はコパルスクエアの開発により第四回明石記念賞を受賞する。
初代コパルスクエアは1960年にコニカFS、1962年にニコレックスFに搭載される。
茶谷がコパルを訴えたのは1966年のことだった。茶谷によれば、1965年に発売された初代コパルスクエアの改良型、
コパルスクエアSが茶谷の実用新案
実公昭35-29651を使用しているが、ライセンス料が支払われなかったためである。
1975年まで裁判は続き、結果として茶谷は敗訴する。
判決(東京地裁昭和四一年(ワ)第九二六九号 昭和五〇年一一月二六日民事第二九部判決)によると、
この実用新案のうち、
「一対の遮蔽板がそれぞれ二枚以上の摺動可能に重合せられた葉板からなり、
これ等はそれぞれ二本のレバーによって連結され、
該レバーの駆動によつて遮蔽板が走行するようになっている方式のフオーカルプレーンシヤッターにおいては、
各二本のレバーの枢着軸を結ぶ線分と各葉板における両レバーとの連結点を結ぶ線分とが等長平行であること」
の点については、出願前の公知技術に属するとした。(先行特許の例
その1、
その2、さらに茶谷自身の1952年出願特許)
その上でこの実用新案の新規性は、
単一かつ剛体性の連結部材を、連結レバーの連結点に連結し、この連結部材より一体に延長した延長部片に、
直接、中間層の葉板を固定したところ
にあるとした。
一方、コパルスクエアSについては、この部分が
連結部片と傾斜連結部材とにおいては、その連結レバーに対する連結点はいずれも分離された構造部分となっており、
したがって、長さおよび方向において可変の線分である
点が異なるため、実用新案の侵害には当たらないとする判断だった。
茶谷の実用新案 実公昭35-29651 よりシャッターの連結部材(赤丸部)
初代コパルスクエアにはコニカの技術が含まれているとする情報がある。
コパルスクエアの発売と同じ1960年にコニカは金属製縦走りフォーカルプレーンシャッターを搭載した一眼レフ、
コニカFを発売している。このシャッターの技術がコパルスクエアに影響を与えたらしいが、資料となる文献を
まだ見つけていない。ご存知の方はTwitterアカウントまで教えて頂ければ幸いである。
2012.6.11 追記
コニカFのシャッターの図をネットで見つける。
コパルスクエアとはシャッター幕の保持の仕方が異なるが、垂直の一軸のカムでシャッターを開閉する機構はよく似ている。
コニカFのシャッターに関する特許は探したが見つからなかった。捜査続行のこと。
2012.6.13 追記
発明者はコニカの松田保久、茶谷とコパルの裁判で先行実施例とされるパンタグラフシャッターを発明した人物である。
上記のコニカFのシャッターの図と見比べると構造が酷似していることが分かる。
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最終更新:2012年06月13日 14:50