純なる想いを叶える智 京太郎×衣×智紀×純 衣の人
第4局>>400~>>457


   「困った・・」 
    沢村智紀は道すがら途方にくれていた、何が理由かと言えば目の前にあるキャリーバッグで、何時もはその底についているはずの左右四つの車輪、しかし今は右の二つのみ、簡潔に言えば車輪が外れたのだ。 
   「何かにぶつかったのか・・って、今はどうでもいい」 
    それなりに丈夫なはずの物が何故壊れたのか気になった智紀だが、それよりも先に考えなければならない事があった。 
   「さて・・」 
    バッグを開けて中身を覗く智紀、当然自分の知っている中身と変化している訳も無く、そこにあるのは本、本、本、大量の本が入っていた、それは同時にこのキャリーバッグがそれなりの重さがある事を意味していた。 
   「すぅ・・はぁ・・、うっ・・」 
    深呼吸をし息を整え覚悟を決めてキャリーバッグを持ち上げる智紀、見事に持ち上がったのだが、右に左にとよろけてしまう。 
   「お、重い・・うっ、はぁぁ」 
    想像していたよりも重さに、一旦キャリーバッグを地面に下ろして智紀は大きく溜め息をついた。 
   「どうする?」 
    自問する言葉、しかし本来の引いて帰ることができないならば、キャリーバッグを抱えて帰るか、あるいは引きずって帰る選択肢しか思いつかない、とは言え持つのが辛い以上、それは選択肢と呼べる代物では無かった。 
   「はぁぁ、仕方ない・・」 
   「沢村さん?」 
   「うん・・、須賀・・京太郎?」 
    智紀が諦めて引きずって帰ろうとした、その時、名前を呼ばれたので振り返ると、そこに居たのは智紀の友達の恋人で、智紀も良く知る男性、須賀京太郎であった。  
   「こんにちは・・って、どうしたんですか、それ?」 
    挨拶もそこそこに京太郎が指差したのは、片側の車輪がなくなり不恰好になってしまったキャリーバッグだった。 
   「・・・壊れた」 
   「それはまあ・・見れば、しかし何故?」 
    智紀の答えは間違いではない、間違いではないが京太郎が聞きたかったのは何故こんな特殊な壊れ方をしたかだ、しかしそれは聞くだけ無駄なこと、なぜならば。 
   「急に車輪が外れた・・いや、割れた・・というべきか・理由は不明・・」 
    智紀自身にも理由はわからなかったからだ、分からない事を説明できるわけも無く、出来ること言えばポケットから取れた二つの車輪を取り出して京太郎に見せる位。 
   「本当だ・・見事に折れていますね」 
    問題の車輪はというと、京太郎の言う通り見事なほどに根元がぽっきりと折れていた。 
   「ここまで見事だと清々しくもある、しかもこんな日に限って大量の本を購入・・はぁぁぁ」 
    皮肉そうな笑みを浮かべながら車輪をポケットに戻す智紀は、溜め息をつきキャリーバッグに手を伸ばす、すると隣から出てきた手が智紀より早くキャリーバッグに手を掛けた。 
   「えっ?」 
    突然の事態に驚いた智紀は自然と伸びてきた手を目で追う、その先にいたのは、その手の持ち主は当然。 
   「うん、これだと重くて大変でしょう、俺が持ちます」 
    京太郎だ、京太郎はキャリーバッグを持ち上げて重さを確認し、女性の力では持ち帰るのが大変だと認識して手伝いを申し出た、その思いもよらぬ事態に智紀は黙って考え込む。 
   (悪戦苦闘していたから、正直ありがたい・・けど、須賀京太郎は衣の恋人であって、私とは・・顔見知り程度、それなのに・・手伝ってもらっていいのかな?) 
    苦労していた智紀にとって京太郎の申し出は願ったり叶ったりであったが、親しいとは言えない自分が京太郎の力を借りても良いのかという迷いもあった。 
   (もしかして俺、迷惑がられているのか?、あんまりしつこくするのもなんだよな・・よ、よし)「えっ~と、その・・迷惑なら、気にせずに言ってくれれば」 
    黙って考え込む智紀を見て、自分の行為が迷惑なのではないかと思い始める京太郎は、それなら断りやすくしようと自分から言い出すのだが。 
   「迷惑ではない!、あっ、いや・・その・・・困っていたからた、助かる」(な、なんで・・大きな声で、でも・・め、迷惑な訳ないから・・勘違いしてほしくない) 
    すぐさま京太郎の言葉を否定する智紀、思わず出てしまった大きな声に自分でも戸惑いながら、最後に小さく迷惑で無いと事を告げる。 
   「ふぅ、それなら俺が持ちますね」 
   「・・うん、お願いする」 
    迷惑で無かった事に安心して胸を撫で下ろした京太郎、智紀もあそこまで言って今更断る気にもなれず、素直に京太郎の助けを受けることにした。 
   「じゃあ行きましょうか・・って、すみません、どこまでですか?」 
    智紀にお願いされて勢いよく歩き出そうとした京太郎であったが、肝心の目的地を聞いていないことを思い出して苦笑しながら訪ねる。 
   「ぷっ・・・龍門渕家まで・・お願い」 
    そんな京太郎を見て、智紀は噴出しそうになりながらも何とか耐え切り目的地を告げた。 
   「わかりました、じゃあ行きましょうか」「うん・・」 
    そう言って歩き出した京太郎に、智紀も続いて歩き出す。 

    京太郎と智紀の間に特に会話は無く、龍門渕家に向う二人の間に流れるのは沈黙のみ、最初は特に気にしていなかった京太郎であったが、十分が過ぎようとした頃。 
   (どうしよう何か話したほうが良いかな・・・でも、何を話せば、麻雀は・・無理か、俺と沢村さんじゃレベルが違うよな、なら・・衣の事かな・・) 
    さすがに何か話した方が良いのではないかと思い始め、話題を考えるものの、あまり話しをした事の無い智紀相手に京太郎が頭を悩ませていると。 
   「一つ・・聞いても良い?」 
   「あっ、はい、なんでも聞いてください」(た、助かった・・このまま龍門渕家に付いたら何か微妙だったからな・・) 
    突然沈黙を破り問いを投げかけてきた智紀、しかし沈黙をどうするか迷っていた京太郎にとってそれはありがたいもので、すぐさま智紀の質問に答える意思を見せた。 
   「何故・・私を助けた?」 
   「えっ、何故って言われても、う~~ん・・知り合いなのもありますし、沢村さんは衣の大切な友達ですから・・」 
    まさかそんな質問が来るとは思わなかったか、少し戸惑いながらもそれらしい理由を探して答える。 
   「そう・・」(衣の友達・・嬉しいような・・そうでないような・・って、あれ・・私なにをがっかりしている?) 
    衣の友達、それは十分すぎる理由のはず、そう理解しているはずなのに智紀の心はすっきりとせず、どこか寂しい気持ちを覚えた。 
   (もしかして・・駄目だったか、でも助けた理由なんて・・そんなにないし・・あとは、う~~ん・・あっ!) 
    どことなく智紀が落ち込んだのを感じ取った京太郎は、何か他に理由になりそうなことを探し何かを思いつく。 
   「後はやっぱり・・・綺麗な人が困っていたら絶対助けなくちゃってのが・・」 
    冗談めいた口調で語る京太郎、その訳の中で智紀はある一部分に引っかかりを覚え、首をかしげて考え込む。 
   「綺麗な人が困っていたら?、綺麗な人が?・・綺麗な・・ひと・・綺麗!?」 
    引っ掛かりを覚えた部分を何度か繰り返し、今現状で『綺麗な人』を指すのが自分だと理解すると智紀の顔は火がついた様に真っ赤に染まる。 
   (き、綺麗・・須賀京太郎がわ、私を綺麗って・・・)「ええっ!?」 
    頭の中で京太郎の声がリピート再生され、改めてその意味を理解すると、智紀は心臓がドクンと大きく脈打つのを感じた。 
   (わ、私の事を・・ほ、褒めてくれた!?) 
    智紀は容姿を褒められたことなど殆ど、いや覚えが無かった、人より劣るとも勝るとも思っていない、むしろそんな事に興味が無かったというべきか、それなのに京太郎に容姿を褒められた今、鼓動が早くなり心が掻き乱されていた。 
   (・・ほ、褒めてくれた・・須賀京太郎が、私を・・あっ) 
    でも、考えたことすらなかったからだろうか、京太郎のその言葉に不安を覚えたのは。 
   (お・・お世辞かもしれない、あるいは・・社交辞令?、いや・・でも・・) 
    どちらも先ほどの綺麗という言葉を否定する意味に思える、京太郎を疑うわけではない、それでも、何故だろうか、どうしてもさっきの綺麗が、間違いでなかったのか確かめたくなってしまう智紀は口を開いた。 
   「じょ、冗談は良くない・・」(き・・きっと、冗談でお世辞・・) 
    智紀は頭の中で想像していた、こういえばきっと京太郎はああ言ってくるだろうと、そして。 
   「あっ・・やっぱり冗談ってわかりますか、あはは」 
    ある意味智紀の想像通り、京太郎は苦笑いを浮かべて少し悪びれた様子で頭を掻いていた。 
   「あ、当たり前・・わ、私が綺麗なはずが無い・・」(予想通りのはずなのに・・なぜこれほど、と言うか・・別にわかっているなら聞かなくても良かった・・筈、どうして・・) 
    予想通りの答えに呆れた口調で冷静に返したつもりの智紀だったが、声は震えていた、心もまた震えていた、そんな自分の動揺具合に驚く智紀、そして何故態々確認したのかと言う後悔を覚え始めた、その時。 
   「えっ・・沢村さん綺麗じゃないですか?」 
    そう言って首をかしげたのは、今し方それを否定したばかりのはずの京太郎であった。 
   「???・・で、でもさっき冗談って・・」 
    智紀の脳裏に浮ぶのは疑問符ばかりで、最後にようやくその疑問が形となって口から出てきた、だがそれを聞いた京太郎は再度首を傾げながら口を開いた。 
   「いや・・だから、絶対助けるって言うのが冗談ですよ、さすがに絶対は言いすぎだと思いますから」 
   「つまり・・私が考えていた冗談と、京太郎の言った冗談は別・・な、なら・・」(ど、どうする、態々確認してあっちまで冗談ですって言われたら・・で、でもあ、あの言い方なら大丈夫なはずだから・・) 
    京太郎の説明を聞いて、自分と京太郎の話のズレを理解した智紀は改めて確かめようとするが、先ほど覚えた後悔が足を引っ張ると、なんとか大丈夫だと自分自身に言い聞かせて踏み込もうとしたのだが、その問いを口に出す前に。 
   「えっ~と、よくわかりませんが、沢村さんは綺麗ですよ」 
    京太郎が笑顔で、智紀が聴きたかった言葉を口に出した。 
   「・・っっ!?」(す、すが・・須賀京太郎が・・わ、私を・・き、綺麗・・こ、今度は・・ま、間違えなく・・ど、どきどきするけ・・けど、い、嫌じゃない・・) 
    思わぬ不意打ちに焦る智紀、鼓動は先ほどよりも強く激しく脈打つ、あまりのドキドキに苦しさすら感じる智紀だが、それが嫌だとは微塵も思わなかった。 
   (この感覚は・・まさか?) 
    ネットか本、何かで得た知識の中に今の自分と類似する説明のされていた感覚、それを思い出す智紀、しかし普段は疑わないはずの知識を疑ってしまうのは、それがあまりに信じ難いが為か。 
   「黙り込んでいますけど・・どうかしましたか?」 
    黙りこんでいるのを心配した京太郎は智紀の顔を覗き込む。 
   「っっ!?・・・な、なんでもない!」(び、びっくりした・・し、心臓に悪い・・) 
    目の前に突然現れた京太郎の顔に驚く智紀、心臓が口から飛び出さんばかりにドクン!ドクン!と激しく脈打つ。 
   (お、驚いたけど・・こ、これは・・違う・・こ、これは・・おそらく・・) 
    智紀自身もわかっていた、ただ驚いただけの鼓動と今のそれが違っていることに、ちらりと京太郎の顔を見ればやはり鼓動が高鳴るのを感じる。 
   (わ・・私は・・す、須賀京太郎を・・) 
   「・・俺の顔に何かついています?」 
    智紀の視線を感じたのか、自分の顔を指差し尋ねる京太郎。 
   「うっ・・あっ、ち、違う・・ついてない、そ、その・・・・あっ、そ、そう、そのビニール袋の中身が何かと思ったから・・」 
    まともに見合うことができず、京太郎の顔から視線を逸らす智紀、ついでに話題も逸らそうと辺り見回すと、京太郎がキャリーバッグとは反対の手にビニール袋を持っているのに気付き、それを指差す。 
   「えっ・・ああ、これですか?」 
    確認するように、ビニール袋を智紀に見せる京太郎。 
   「そ、そうそれ・・少し気になった、良ければ・・だけど、何の本?」(す、少し・・踏み込みすぎ?) 
    いくら知り合いとは言え、袋の中身を訪ねたら気分を害するかもしれない、そんな些細な不安を抱きながらも、智紀はこれ以上自分の内心がばれないように必死に訪ねる。 
    だがそんな智紀の不安を余所に、京太郎は少し照れくさそうな笑みを浮かべて答えた。 
   「これは絵本ですよ」 
   「絵本・・あっ・・」 
    京太郎と絵本の組み合わせに首を捻りそうになる智紀だが、直ぐにそれが誰のために買われた物かを理解した、そして京太郎も智紀の態度から、理解したことを読み取った。 
   「ええ、この前に衣の部屋で読んだのと似た雰囲気の絵本があったんで、それで・・でも、絵本って買うのを初めてで・・衣が気に入ってくれれば良いんですが」 
    不安を口にする京太郎、それを聞いていた智紀の鼓動は徐々に落ち着きを取り戻す、でもそれは決して呆れたからでも、嫌いになったからでもない。 
    智紀は京太郎の肩に手を置いて笑う。 
   「・・・大丈夫、須賀京太郎からのプレゼント、衣が喜ばないわけが無い」 
   「ありがとうございます、沢村さんにそういわれると、自信が出てきました」 
    智紀に元気付けられた京太郎は、すっかり自信を取り戻し様子で笑みを浮かべる、そんな会話がちょうど終わろうとした時に、龍門渕家の大きな門が見えてきた。 
   「と、つきましたね」「うん、今開ける」 
    龍門渕家の正門前に着くと、智紀はインターホンを押して正門横の通用口を開けてもらい、京太郎と智紀はそこから龍門渕家の敷地内に入った。 
   「・・・ありがとう、助かった」 
   「あれ、そこまで運びますよ?」 
    敷地内に入ると直ぐに礼を言って両手を差し出す智紀、ここまでで良いと言う意味なのだろうが、建物までの距離が距離のため京太郎はもう少し運ぶ気でいたのだが、智紀はゆっくりと首を横に振った。 
   「ここまでで十分だから、早く衣のところに行って・・それをプレゼントすると良い」 
   「えっ、でも・・」 
    車輪が壊れて途方にくれていた智紀を考えれば、幾等先ほど帰り道より短いといっても、素直に渡す気に離れない京太郎だったが。 
   「私は・・私は須賀京太郎と衣の関係を応援しているから・・」 
   (沢村さん、そこまで俺と衣の仲を・・仕方ないか、あんまりしつこくしてもなんだし・・) 
    そこまで智紀に言われては、京太郎も無理に送ってゆく事も出来ず、また龍門渕家の敷地は広く送れば衣と過ごす時間が少なくなるのは事実、衣は気にしないだろうが、智紀は確実に気にしまうのは分かりきっていた。 
   「わかりました、それじゃあお言葉に甘えて衣の所に行きますね、ここに置きますね」 
    京太郎は智紀の言うことを聞いて、キャリーバッグを智紀の前に置いた。 
   「うん・・ここまでありがとう、本当助かった」 
   「どういたしまして、それじゃあ」 
    もう一度お礼を言われる智紀に見送られ、衣の住む邸に向かう京太郎、智紀は見えなくなるまでその姿を見送ると。 
   「・・・ふぅぅぅ」 
    溜め息をついた、当然京太郎と居るのが憂鬱だったわけではない、むしろその逆。 
   「・・あれ以上京太郎といたら・・まずい、私は須賀京太郎と衣の関係を応援しているのだから」 
    そう、先ほどの言葉は京太郎を説得する意味もあったが、それとは別に自分自身に言い聞かせる意味もあった。 
   (そう・・だから・・この思いは駄目、絶対に・・駄目) 
    京太郎に褒められた事を思い出すと、鼓動が少し早くなるが、それはいけない感情だと自らに言い聞かせた智紀は、自分の前に置かれたキャリーバッグの取っ手を掴む。 
   「さて・・お、重い・・やっぱり」(優しくて・・力も持ち・・それで、私を・・) 
    持ち上げてみるがやはりかなり辛い、一旦下ろして後で思い浮かべるのは平然とこれを持っていた京太郎の事、男性と女性の差はあるかもしれない、だがやはり思い出されるのは態々持ってくれた京太郎の優しさ。 
   「・・・だめ」 
    智紀が頭を振って振り払おうとするのは、再び浮びそうになる京太郎の言葉か、それとも。 
   「・・今日中に読まないと駄目・・・明日はきっと衣が自慢話をするから・・」 
    絵本の事を思い出して、それをプレゼントされた衣を想像すれば、明日にはきっと喜びに溢れた衣が麻雀部のメンバーに絵本を自慢しに来る図が智紀の脳裏に思い浮かぶ。 
   「・・ふぅ、行こう・・・」 
    衣の幸せそうな顔を思い浮かべると、智紀の鼓動は落ち着きを取り戻した、そして持ち上げることを諦め智紀はキャリーバッグを引きずって、京太郎とは違う方向に歩き出すのだった。 

   「お~~い、衣~~」 
    そう言いながら衣の住む邸の廊下を進むのは、部活が無いため暇を持て余していた井上純であった。 
   「お~い、衣~」 
    もう一度呼びかけるものの反応は返ってこず、邸に響くのは純の声のみ。 
   「暇だから・・遊んでやろうと思ったんだがな居ないのか?、それとも・・トイレか奥の部屋・・は無いか」 
    聞こえているのならば何かしら反応があっても良さそうなものだが、それが無いのは返事が出来ないところに要るのか、聞こえていないのか、それとも邸内に居ないのか。 
   「はぁぁ、ハギヨシが居ればわかるんだけどな」 
    溜め息混じりに愚痴を零す純、確かにここに世話役のハギヨシが居れば、衣がどこに居るかまでは知らなくても外出中か否か位は把握しているだろう、とは言え今はそのハギヨシも所要で出かけているため無理な話だ。 
   「虱潰しに探すのは・・無理だな、しゃあない、部屋だけ見て帰るか」 
    かくれんぼをしている訳でもあるまい、居るかどうかわからない衣を探すにはこの邸は少々広すぎるので、純は一番居る可能性の高そうな衣の部屋だけ確認しようと、部屋の戸に手を掛けた。 
   「お~い、衣さんや居ませんか~?」 
   「あっ・・やっぱり、井上さん」 
    戸を開けて声を掛けながら部屋の中に入る純、部屋の中から返ってきた衣の声ではなく京太郎の声であった、大きいソファーに腰掛けていた京太郎は立ち上がる事無く顔だけを出入り口に向けて、入ってきたのが純であると確認した。 
   「えっ・・須賀、あっ、わ、悪い邪魔した」(須賀が来ていたのか、そりゃ呼んでも出てこない訳だ、さすがに俺が居ても邪魔だろうしな・・) 
    恋人と楽しく過ごしていたのなら、自分の呼びかけに反応が無くても仕方ないと納得した純は、さすがに恋人との一時に一人で乱入する気にはなれず謝って直ぐに部屋を出ようとするのだが。 
   「あっ、井上さん、ちょっと待ってください」 
   「うん、なんだ?」 
    出てゆく直前で呼び止められた純が振り返ると、呼んだ本人である京太郎が立ち上がりもせず、ただ手招きをしてこっちにこいと呼んでいる様だった。 
   「なんだよ、邪魔したのは悪かったけど・・」(なんだ乱入したから怒っているのか?) 
    警戒しつつ京太郎に歩み寄る純、徐々に京太郎の近づいてゆき、京太郎の足、正確に言えば太ももを見て、なぜ京太郎が立てなかったのかを理解した。 
   「えっ、衣!?」 
    純の眼に飛び込んできたのは、京太郎の膝枕で規則正しいリズムで呼吸をしながら、気持ち良さそうに眠る衣の姿。 
   「寝ているのか・・なんで?」 
   「ああ、それはですね」 
    京太郎が遊びに来ていたらテンションが高まり、夜でも寝そうに無い衣が寝ていることに驚く純、京太郎はその疑問を説明するのに目の前の机に置いてある絵本を指差した。 
   「この絵本をプレゼントしたいんですけど、衣気に入ったみたいで、それで折角だから何回か読み聞かせていたら・・いつの間にか」 
   「なるほどな、そういや衣を寝かしつけるのに絵本が要るって、透華が言っていたな」 
    よく衣を寝かしつけている、龍門渕透華から聞いた話を思い出し納得する純。 
   「それで、すみませんが、ベッドの上にある・」「ああ、わかっている」 
    京太郎が頼み終える前に、純は何を頼まれるのかを理解し、ベッドの上に置かれている毛布を手に取り、衣を起こさないようにそっと上に掛けた。 
   「冷えるといけないなとは思ったんですけど立てなくて、ありがとうございます」 
   「気にするな、さすがにその状態じゃ無理だろうからな、ははは」 
    苦笑して礼を言う京太郎、純も膝枕している相手を起こさずに立ち上がるのは至難の業なのは分かっており特に気にしてはいないようだ。 
   「うっ・・きょうたろ~・・」 
   (あれ、起きちゃったか!?)(まずい、起こしちまったか!?) 
    衣が声を上げた瞬間、京太郎と純は五月蝿くして起こしたのかと思い反射的に黙り込むが。 
   「うっ・・うにゃ・・すぅぅ・・すぅぅ・・」「はぁぁぁ」「ふぅぅぅ」 
    少し体を動かし後、衣は眼を瞑ったまま規則正しい息遣いに戻り、京太郎と純は安堵の息を漏らした。 
   「たくぅ、脅かしやがって・・えい・・」「あんまりしていると、起きちゃいますよ」 
    文句を言いながらぷにぷにと衣の頬を指で軽くつつく純、京太郎は注意しながらもその手を止めようとはせず笑みを浮かべて見守っていた。 
   「わかっているって・・しかし、寝顔はまさに天使って感じだな・・頬も柔らかいな、ふふ」 
    純も衣を起こすつもりは無いので、素直に京太郎の注意を聞いて突くのを止めて見守ろうとしたが、衣の寝顔を見ているとつい触れたくなってしまし今度はそっと手を伸ばして、今度は優しく頭を撫ぜる。 
   「ふふ・・ふ・・」 
    良い夢を見ているのか眠りながら微笑む衣、それを見ていた純は、改めて目の前で眠る衣と自分の差を感じていた。 
   (本当に可愛いな・・俺もこいつみたいだったら、男扱いもされないんだろうな・・) 
    目の前に居るのは自分と同じ性別だが、自分には絶対に使われないだろう『可愛い』という言葉が良く似合う少女、透華達に男っぽいと言われるのが冗談だとはわかっているが、純も女性であり多少気にしていた。 
   (って、そんな事考えても今更どうにもならないし、それに別に女扱いされたい訳でもないからな) 
    気になっているとは言え、自分の今の性格を変えられるとも変えたいとも思わない純。 
   (そのうち・・俺を女扱いする、物好きな奴がでてくるだろう・・って、自分で言っているとさすがに・・)「はぁぁぁぁ」 
    自らを擁護する言葉を自分で想像していると、純は空しさを感じ長めの溜め息をついた。 
   「井上さん?」 
   「うん・・ああ、そうか悪い、あんまり撫でていたらさすがに起きるよな・・」 
    京太郎に声を掛けられて、思考の世界から現実に引き戻された純は、まだ衣の頭を撫ぜ続けていたことに気付き、京太郎もそれを注意しようとしたのだと思い慌てて手を引っ込めようとする、だが。 
   「あっ、違いますよ、井上さんのその中指・・怪我しているんじゃないんですか?」 
    京太郎が指摘したのは衣の頭を撫ぜ続けたことではなく、撫ぜていたのとは逆の手、その中指が切れて、その傷口から血が零れていた。 
   「あっ、確かに・・切れているな、気付かなかったぜ」 
    純も自分の指を見て初めて怪我をしている事を知り、血が出ているので少し驚いたものの痛みは無いので焦った様子は見せなかった。 
   「早目に手当てしたほうが良いんじゃないですか?」 
   「良いって、こんなの舐めて放っておけば治るだろう・・えっ?」 
    心配する京太郎を余所に、痛みも特に感じない為か純は適当に治そうと傷がついた指を口に含もうとしたが、寸前のところでその手をがっしりと掴まれ止められた、もちろん純をこんな止め方をするのはここには一人しか居ない。 
   「はぁぁ・・駄目ですよ、そんな治し方」 
   「あん・・そんなの俺の勝手だろう」 
    呆れた表情で溜め息をつく京太郎、しかし純は自分のやり方に口を挟まれるのが気に食わないのか不機嫌そうな表情で京太郎を睨め見つけた。 
   「うっ・・だって井上さん女の子なんでしょう」 
    純に睨まれ一瞬怯んだ京太郎であったが、それでも純の手は離さず傷口に唾をつけるだけの治療と呼べそうに無い治療を止める。 
   「だからほうって・・へぇ、お、女の子・・お・・俺が・・女の子!?」 
   純も聞く耳を持たないつもりであったが、その内容に・・手を、口を、思考と呼吸以外の行為を止めさせた。 
   (ままままま、まさか・・こここ、こいつがぁぁぁ!?) 
    いつか現れると思っていた自分を女性として見てくれる男性、しかし予想よりも圧倒的早く突然の登場に驚いて固まる純。 
   「そうですよ、傷ついて反射的に舐めたとか言うならまだしも、舐めて終了じゃ駄目ですよ・・男じゃないんですから」 
   「そ・・そそそ、そうだな・・うん、そうだ・・確かに・・」(そ、そういうもんなのか・・やっぱり・・) 
    珍しく女扱いされたためか、京太郎の言葉に只管頷く純、それを見て京太郎はわかってくれたのだと思い、安心した様子で胸を撫で下ろす。 
   「ふぅ・・そうですよ、だから普通に絆創膏でも貼ってください」 
   「そ・・そうしたいけどよ、絆創膏なんて持ってない・・あっ」(も、もしかして普通の女子は持ち歩くのが当たり前・・とか?) 
    そんな事は無いとは思うが、女子ならば持ち歩いているのではないかと想像してしまう純、思い出してみればクラスメイトの女子は色々な物を持ち歩いている、その中に絆創膏一つや二つ、あったところで何の不思議もなかった。 
   「ああ、そうですね、全員が全員持ち歩いているわけありませんよね、いや~今日怪我した時に咲が絆創膏をくれたんで、女子って色々持っているから持ち歩いているのかなって・・勝手に思い込んじゃって、すみません」 
   「い、いや・・気にするなって、あはは」(な、なんだ・・須賀も俺と同じこと考えていたのか、よかった当たり前じゃなくて・・) 
    京太郎が偶然自分と同じ考えをしていただけだったのに、安心して胸を撫で下ろす純。 
   「あっ、そうだ確か・・咲に予備用だってもう一枚・・ああ、あった、これよかったら使いますか?」 
   (な、なんか、須賀と居ると・・ぺ、ペースが掴めないな・・、絆創膏だけ貰っておくか) 
    話をしているうちに予備の絆創膏の存在を思い出した京太郎は、すぐさまズボンのポケットから絆創膏を取り出して純に使うどうか訪ねる、自分のペースを乱されてドキマキされっぱなしの純は早めに絆創膏を受け取り退散する事に決めた。 
   「お、おう・・ありがたく使わせてもらうぜ・・・・って、な・・何しているんだ?」 
    絆創膏を受け取ろうと手を伸ばす純、しかしその手に絆創膏が渡されることは無く、絆創膏は京太郎の手によって外紙と粘着部分についた紙が剥がされ、京太郎が何をしようとしているか分からない純は首を傾げた。 
   「何って、使うんでしょ・・さぁ、怪我した指だしてください」 
   「あっ・・ああ、って、いや、えっ?」(これって・・えっ、どういうことだ?) 
    京太郎に言われ一旦は怪我をした指だけを立てた純だが、訳がわからずすぐさま引っ込めようとしたのだが。 
   「あっ~駄目ですよ、じっとしてくれないと上手く巻けないじゃないですか」「えっ、ああ・・悪い」 
    京太郎に注意され反射的に謝ってしまう純、そのままじっとしていると直ぐに怪我をした部分が絆創膏によって覆われていった。 
   「はい、終わりましたよ」 
   「あっ、う・・うん」(・・貼ってくれたんだな・・態々・・って、そ、それどころじゃないだろ!) 
    京太郎に終了したことを告げられ、これまた反射的に返事をした純は、自分の指に貼られて絆創膏をぼうっと見つめながら何が起こったのかを少しずつ理解し、そしてある重要な事を思い出す。 
   (れ、礼だよ礼、は・・早く言わないと、け、けど・・こんな時、女ってどういうんだ、い、いや・・俺も女だけど、そ、そうじゃなくて・・折角女の子って、だから・・それらしい言い方は・・) 
    珍しく女の子扱いされたためか、なるべく女性らしい言葉と考えるが、普段使っていない言葉がそう易々と出てくる筈も無く、勉強や麻雀などよりもはるかに難しい難問に苦戦する純。 
   「あれ、もしかして俺、貼り方間違えましたか?」 
   「えっ、ああっ、ち、ちげぇよ、そ、その・・あ、あれだ、自分で貼るといつもずれるから、貼るのが上手いなって感心していただけだ、あはは!」 
    考え込んでいる純を見て心配そうに絆創膏を巻いた指を覗き込む京太郎、純もよもやそんな事態に陥るとは思わず、慌てて適当な理由をつけて誤魔化そうと笑い飛ばす。 
   「あっ~そうですね、自分で貼ると失敗することってありますよね」 
   「あっ、ああ、だから気にすることじゃねぇよ」(と、とにかく、れ、礼だ・・これ以上誤解されてもなんだしな・・、早く女性らしい言葉で・・よし!) 
    何とか誤魔化すことに成功した純は、これ以上余計な誤解を生む前に、なるべく女性らしい言葉遣いでお礼を言おうと意気込むが。 
   「あ・・ありがとな・・」(・・ち、違う、礼の言葉だが、ぜ、全然、女の子らしくない・・いや、それ以前に素っ気無さ過ぎるだろう、ううっ・・こ、これじゃあ・・須賀も・・) 
    ようやく口から捻り出したお礼の言葉、でもそれは純自身も痛感するほどの可愛らしいとは程遠い素っ気無いもの、折角女性扱いをしてくれている京太郎もこれでは・・と思いがっくりと肩を落とす純、だが。 
   「いえ・・お礼なんて良いんですよ、早く治ると良いですね」 
    別に気にした風も無い、むしろお礼を言われて恐縮しがちな様子で純の具合を心配しながら笑いかけてくる京太郎。 
   (よかった気にして無いみたいだ、それに須賀って、こんな顔して笑うんだな・・前に見た時と・・まあ、良いか・・) 
    京太郎の様子に言葉に笑みに、安心して胸を撫で下ろした純、京太郎の笑みが以前に見た時とは違うように思えたが気にしないことにし。 
   「そうだな、心配してくれてありがとう、須賀」 
    偶然かたまたまか、安心しきったからか京太郎の笑みにつられたらかは分からないが、先ほどと違いお礼を口にする純の顔には笑みが浮んでいた、ただそれは自然に浮んだものなのだろう、何故ならば。 
   「へぇ~、井上さんって笑うと結構可愛いんですね」 
   「えっ、俺笑って・・って、それよりも須賀、い、今なんて言ったんだ!?」(可愛いって・・いや、そんな馬鹿な?) 
    京太郎の言葉で純は自分が笑っていた事を理解し驚きそうになるが、それよりも信じられない部分があり聞き直す。 
   「えっ・・ですから、井上さんって、笑うと結構可愛いんですねって」 
   「やっぱり可愛いって・・・えっ、えええええええええええええええ!?」 
    京太郎が先ほどと同じ言葉繰り返した瞬間、頭をハンマーで叩かれたような衝撃が純を襲う、僅かに考える間があり、言葉に意味を理解した瞬間、信じられず叫び声を上げてしまう。 
   (ここ、こいつが・・す、須賀が、おおお、俺のこと可愛いだと・・えっ、ど、どういう・・つもりだよぉ!?) 
   「えっ~と、井上さん・・大丈夫ですか?」 
    急に叫び声を上げた純を見て心配した京太郎が、純の顔に手を伸ばそうとした、瞬間。 
   「けけけけけけけっこう、かかかかかわいいって、そそそ、そんなことかか、簡単に言うんじゃねえよ、ば、バッキャローー!!」 
    言葉だけでも混乱しきっていた純は、手を伸ばされたことに驚いて、訳の分からない文句を言い残して部屋を飛び出していってしまった。 
   「・・もしかして・・結構が余計だったとか・・」 
    衣を膝枕している京太郎は追いかけることも出来ず、出来る事と言えば自分の言葉の反省点を探すこと位であった。 

   「はぁはぁ」 
    部屋を飛び出した純、そのまま勢いで建物も飛び出して龍門渕家の広大な庭を走るが、次第に息も続かなくなり、足もそれに連れて動きが鈍くなり、やがて歩みを止めた。 
   「はぁ・・はぁ・・はぁぁぁ、まったく須賀の奴・・・俺が、か、か、可愛いなんて、何言って・・えっ、あ、あれ?」 
    息を整えながら先ほどの京太郎の言葉を思い出して、文句を口にする純であったが、そこでようやく自らの行動に疑問を感じた。 
   「ま、まてまて、べ、別に須賀は・・変なこと言って無いんじゃ・・」 
    一度落ち着いてしまえば、とことん冷静になれるのが人間という生き物か、京太郎との会話を最初から思い出すと、京太郎のした事と言えば、純を女性扱いして、怪我を手当てし、そして笑顔を褒めた、ただそれだけ。 
   「ま・・まて、な、なんで、悪態ついて飛び出してきたんだ?、も・・もう一回・・」 
    自分でとった行動であったが、何故自分がそんな行動をとってしまったのか分からず首を傾げる純、仕方なくもう一度最初から思い出してみるのだが。 
   「えっ~と、け・・怪我した指を舐めて終わらそうとしたら、あ、あいつに・・注意されて、それで・・・」 
    視線が京太郎に貼ってもらった絆創膏に行く、そこからゆっくりと貼ってもらった後の会話を思い出す胸を高鳴らせながら。
   「そ、それで・・あ、あいつ・・笑って、そ、それで・・礼を言って、そ、それで・・」 
    純の脳裏に浮ぶのは京太郎の笑顔と、『可愛い』と言うその言葉。 
   「!?」(な、なんだ、なんで・・た、確かに、褒められてう、嬉しかったけど・・それでも、なんで・・こ、こんなにドキドキするんだよ!?) 
    思い出した瞬間、強く激し胸の高鳴りを感じる純、だがその正体はよく分からず、飛び出した理由もよく分からないまま、しかしそんな純にも一つだけ分かっていることがあった。 
   「す、少なくとも、馬鹿野郎って叫んで飛び出てくることはなかったよな・」 
    純の口から出るのは反省の言葉、とは言え今更後悔したところでどうなるモノでもない、できる事と言えば謝罪位なのだが、状況が状況のため直ぐに行き気にはなれず。 
   「呆れただろうな、須賀の奴も、これで須賀も俺を女性扱いしなくなる・・よな・・」 
    京太郎が自分を女性として見えくれなくなったと思うと、純の胸にグサリと何かで刺された様な痛みが走った。 
   「うっ・・仕方ねえよな、俺が男だったらそう思うからな、はぁぁ・・・今度、謝ろう」 
    取ったしまった態度が態度だけに、自分自身で仕方ないと納得できてしまう純、今はあの場所に戻って謝る気力も無く、溜め息をついて邸とは反対方向に歩き出すのだった。

最終更新:2012年02月25日 00:57