15年戦争資料 @wiki
http://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/
15年戦争資料 @wiki
ja
2017-06-05T11:26:43+09:00
1496629603
-
VI. 参考資料一覧
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3336.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
----
*VI 参考資料一覧
#contents
**A. 海鳴り資料
目取真俊さん「海鳴りの島から」掲載資料
(順不同、著書の紹介が含まれています)
1. 資料:八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』より
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/be5a2d8980dd18a866d328a9ad16b985
2015復刊→Bその他54
2. 資料:琉球新報連載「首里城地下の沖縄戦」1
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/2a460c9b30b2097b9bfa03a8a4a04c20
3. 資料:琉球新報連載「首里城地下の沖縄戦」2
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ada7a7411bf2973ca9352925553f5587
4. 資料:濱川昌也著『第三十二軍司令部秘話 私の沖縄戦記』
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/10ee682cffcbb7f0eac57322cc02f88e
5. 資料:渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』1
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/ddaad916223db17176d1566e48535005
6. 資料:渡久山朝章著『南の巌の果までー沖縄学徒兵の記ー』2
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/404755fbd099cce75b21e9468714b7eb
7. 資料:沖縄師範学校龍潭同窓会編『傷魂を刻む』
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/a580c073bf0ecfc54e0c0ac4b0a8f466
8. 資料:上原栄子著『辻の花』
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/a21941bda4f78f3a4f2c170f1000736d
9. 資料:吉村昭著『総員起シ』
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/250c7df55bf6a3d15516402871e5162e
10. 資料:山川泰
2017-06-05T11:26:43+09:00
1496629603
-
(付録)「若藤楼のお姐さん」
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3335.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
V. 伊波証言の要約と考察
----
*(付録)「若藤楼のお姐さん」
最後に、上原栄子著『辻の華 戦後編上』の一節を、長いのですが以下引用します。戦争が終わった直後の出来事の回想で、出版は1989年です。(VI-Bその他-27)
ここに「若藤樓のお姐(ねえ)さん」と書いてあるのは、伊波苗子さんのことではないかと思います。大高未貴氏によれば、伊波さんは幼女のとき「若藤楼」ではなく「太平楽」のアンマー(抱親)に引き取られたそうですが(VI-B 25)、「太平楽」のアンマーは北部国頭に疎開してしまい、伊波さんは「若藤楼一同」として行動していたと思われます。だとしたら、伊波さんが「若藤楼のお姐さん」として見られたとしても、ごく自然なことです。
伊波さんらしい女性の姿は、八原博通『沖縄決戦』を、また大迫亘『薩摩のボッケモン』を通読しても登場していないようですが、『辻の華』だけに登場しているのです。2012年3月のチャンネル桜による伊波インタビューとは違う点もありますが、ここでも "美しい死" が細やかに語られています。スパイ視による虐殺という "不潔な死" と背中合わせの "美しい死" です。伊波証言と対照してお読みください。
> 若藤樓のお姐さんが、わが家へ訪ねて来ました。そして、私と同級生であった初ちゃんや、妹の富ちゃんが、抱親様(アンマー)ともども、沖縄戦を牛耳った最高司令官閣下、参謀長閣下その他、大幹部方のお供をして、総司令部壕の中で自決したことを、泣きながら知らせてくれました。
>
> 廓生まれの彼女たちは、辻遊郭純粋のサラブレッドで、箱入り娘の見本のように乳母日傘(おんぶひがさ)の暮らしを送ってきました。三代続いた辻遊郭生まれの純血を誇っていた初ちゃんは、遊郭生まれでは入学もできない高等教育も、抱親様がいろいろと奔走して、素人様の戸籍に養女として入れてもらい、大変な物入りをしてやっと念願の高等女学校へ入れたのです。そしてある日ある時、自分は抱親様の実の子ではなく遊女の腹に生まれた、義理ある仲と知ったのです。事実を知った初ちゃんは、自ら学校を退いて、客を迎える身となったのです。
>
> 昨年の那覇大空襲(1944年10月10日)のとき、若藤樓の一行と、私たちの一行が先を競って
2017-05-17T04:54:39+09:00
1494964479
-
V-07 伊波証言の信憑性について
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3334.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
V. 伊波証言の要約と考察
----
*V-07伊波証言の信憑性について
私が伊波苗子さんの証言を聞いてまず思ったことは、実に細かいことまでよく覚えていたなあ、ということです。人の名前や日付の間違いなどは致し方ないことです。
どれも、伊波さん自身の「体験記憶」としては、正しいのだと思います。しかし、芥川龍之介の『藪の中』(映画化されて『羅生門』)が表現したとおり、人が語る「事実」というものは、語る人の立場によって大きく異なるものです。それは、今もなお日本軍を尊敬する伊波さんにおいても、日本軍を批判する方々においても、同じように言えることではないでしょうか。
チャンネル桜の人たちはよく「今の沖縄は特殊な言論空間の中にあって、真実が見えなくなっている」といいますが、私からしますと、沖縄戦さなかの沖縄こそ歪んだ言論空間であり、第32軍地下司令部壕の中はその最たるもので、真実が見えなくなっていたであろうと思います。
私が驚いたのは、伊波証言の中の拷問の場面と処刑の場面の、あの超リアリズムです。「まるで、見てきたような…」迫力です。私は、伊波さん自身が拷問や尋問の執行者だったのではないかとすら思いました。「上原キク」の体中の焼き判をみたことを身振り手振りで語るシーンなどは、伊波さん自身が看護婦の立場で身体検査をしたのではないかと思いました。
伊波さんが警防団の分団長だったということも影響していると思います。警防団はお互いが監視しあってスパイを警戒する、民間組織です(II-07 *34a)。
しかし、暫くしてこうも考えました。人は誰でも、他人から聴いたことでも自分が体験したように話します。いや、そう話したい誘惑に駆られるものです。伊波さんも、戦後長きにわたって体験談を語っていくうちに、超リアリズムの迫力を身に着けていったのではないか…と。2番目のインタビューは2012年ですから、沖縄戦から67年が経っています。
また、伊波苗子さんたち、辻遊廓出身で32軍司令部壕にいた女性たちは、司令部の副官たちと非常に懇意でした。1944年、32軍が沖縄に創設された時、辻遊廓に「将校会議所」が出来た時、10.10空襲で辻遊廓が丸焼けになったあと「玉倶楽部」が造られた時、さらに194
2017-05-17T04:35:05+09:00
1494963305
-
V-06 スパイ話をつくったもの
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3333.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
V. 伊波証言の要約と考察
----
*V-06 スパイ話をつくったもの
戦闘開始の7~9ヶ月ほど前に沖縄にやってきた32軍は、最初から県民のなかにスパイがいるという前提で、部隊の将兵および沖縄県民にスパイ監視を奨励してきました。「怪しい」という疑念と風評が増幅して、スパイを "つくっていった" と考えられます。
>スパイ・デマ、発信元は軍当局だった
>
>(1) 私たちが洞窟へ降りるところへ、先ほどの部隊長が現れた。県庁側も軍に協力してくれというのである。なにごとかと聞くと、彼は罫紙に、赤鉛筆で書いた書面を見せた。それには次のような意味のことが書かれていた。
>
>......この付近にスパイが潜入している。沖縄出身の妙齢の婦人で、人数は4、50名と推定される。彼らは赤いハンカチと小型の手鏡をもっていて、陰毛をそり落としているのが特徴である。
>
> 部隊長はまじめな顔でその書面を私たちに見せると、スパイ逮捕にぜひ協力してくれというのである。
>
> 気が狂っているのではないかと思って、相手にならずにいると、態度は真剣である。しかも哀願の表情さえ浮かべているではないか。馬鹿馬鹿しいので、取り合わずに立ち去ろうとすると、彼の表情が俄然けわしい表情に変わった。気味悪くなった私たちは、無言のまま互いに顔を見合わせると、そうそう退却した。
>
> 洞窟を飛び出したものの、彼のけわしい表情と、赤鉛筆の書面......、赤いハンカチと小型の手鏡、それに陰毛をそり落としている......云々が頭にこびりついて離れない。
>
> こんな愚にもつかない書面を、部隊長は重要部隊情報だと、くり返し説明していたが、どう考えても正気の沙汰ではない。
>
>-島田知事と行動をともにした県人口課長の浦崎純氏『沖縄の玉砕・沖縄群島玉砕戦の真相』http://www.koubunken.co.jp/news/n11971.html
>
>(2) 6人は、朝早くこの壕に避難しました。しばらくすると、他の壕から伝令がきて『いまサイパンあたりの沖縄人捕虜が米軍のスパイとして潜水艦で上陸させられ、地方人(軍隊で軍人以外の民間人を指す用語)にまぎれて各部落に入り込んできている。これらの捕虜は飛行機と連絡
2018-12-20T09:38:46+09:00
1545266326
-
V-05(表)32軍首里司令部壕「スパイ容疑住民虐殺」目撃証言のいろいろ
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3332.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
V. 伊波証言の要約と考察
----
*V-05(表)32軍首里司令部壕「スパイ容疑住民虐殺」目撃証言のいろいろ
#image(V-05-table.jpg)
[[表のPDFはこちら>https://img.atwikiimg.com/www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/attach/3332/1432/V-05-table.pdf]]
----
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
.
2017-05-17T04:10:11+09:00
1494961811
-
V-03,04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠と考察
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3331.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
V. 伊波証言の要約と考察
----
*V-03,04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠と考察
#contents
**V-03「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の根拠
チャンネル桜は2011年11月の動画では、「司令部の付近の住民がスパイといって虐殺されましたか?」と質問して、伊波さんに「もう絶対そんな不潔なことしません」と全否定させています。
しかし、首里の司令部壕での目撃者が新聞で紹介されたのを踏まえて、2012年3月の動画では全否定を事実上撤回し、「虐殺はあった、でもスパイだった」という主張に変えました。
ここで
&bold(){(エ)}相手がスパイならリンチまがいの公開処刑をしていいのか
という問題と
&bold(){(オ)}本当にスパイだったのか
という2つの問題が生じます。
**V-04「スパイ視しての住民の虐殺はなかった」の考察
***(エ)について
沖縄の住民がスパイという口実で日本軍兵士に殺害されたことは、住民の聞き取り調査で数多く確認されています。ほとんどのケースで、スパイ容疑は十分に確かめられることなく、その場の判断で「処刑」が行なわれました。沖縄戦で軍法会議が開かれたという記録は一切見つかっていません。スパイだといえば、過剰な処断が許されてしまったのです。住民側から見れば、加害者が「友軍」だったという事で、問題は深刻です。
***(オ)について
首里司令部壕で処刑された「上原キク」という女性の容疑について、伊波苗子さんは次のように述べています。
a) サイパン生れの高校生である
b) 字港(あざ みなと)から上陸した
c) 体中のPW焼印。米軍に捉えられ焼印を押され教育され、スパイとして船で送り込まれたのだろう。
d) 手榴弾を持って司令部壕に近づいてきた
e) 拷問を加えても、米軍との関係を白状しない
これらが、伊波さんもしくは伊波さんに状況を教えた将校が、「スパイ話」を事実だと確信した根拠なのです。「疑わしきは断固処断する」、この敵国内での軍隊の論理が、自国民が住む沖縄で発揮されてしまいました。
****a) の「サイパン生れ」、
これだけでスパイ容疑者になるという
2017-05-17T11:45:57+09:00
1494989157
-
(コラム)陛下の・・・
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3330.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
V. 伊波証言の要約と考察
----
*(コラム)陛下の・・・
**『陛下の女性たちを罵るとは何事か』
もし私が沖縄戦下に生き、日本の国家と軍を尊敬する誠実な臣民だったら、最近のチャンネル桜やネット右翼の人たちのように、慰安婦の女性たちを罵倒することなど果たしてできただろうか? 慰安婦の女性たちも、武器や食糧と同じように必要な戦備として、畏れおおくも天皇陛下から下の絵のようにお預かりした、とても大切なものではなかったのか? だからこそ部隊の兵営(沖縄の場合は部隊兵士たちは民家に分宿した)の近くに慰安所を設けたのではなかったのか?
水島総さんや大高未貴さんに、是非ともお尋ねしてみたい。
**『陛下の武器に座るとは何事か』
#image(グラフィックス1.jpg,width=600)
昭和19年の10・10空襲の時、避難した那覇市楚辺の壕の中で、日本軍将校が刀を振り上げている時の様子。 嘉納さんたちが壕に避難した時、日本軍の野戦砲が奥に向けて置いてあった。嘉納さんの祖母がそこに座りなさいと言ったので、砲の台座に腰掛けた。他の3人はそのまわりに座っていた。そこに1人の日本軍将校がやって来て突然日本刀を抜いて振り上げ、「畏れおおくも天皇陛下からお預かりした武器に腰掛けるとは何事だ。叩っ切るぞ!」と大声でどなった。祖母は土下座して「悪気はありません。どうぞ命だけはお助けください」と手を合わせて謝り、嘉納さんも砲から下りて手を合わせた。その後、嘉納さんたちは壕を追い出された。 嘉納さん『同じ日本人に向かってのことだったのでびっくりし、信頼感はいっぺんにふきとんだ。私の原体験のなかでいちばん強烈なもので、死ぬまで忘れないと思う』
NHK『沖縄戦の絵―地上戦・命の記録』
http://www.nhk.or.jp/okinawa/okinawasen70/picture/detail44.html
----
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
.
2017-05-17T03:12:05+09:00
1494958325
-
V-01,02「慰安婦はいなかった」の根拠と考察
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3329.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
V. 伊波証言の要約と考察
----
*V-01,02「慰安婦はいなかった」の根拠と考察
#contents
**V-01「慰安婦はいなかった」の根拠
(ア)辻遊廓の若藤楼は、32軍司令部から指名された名誉ある「将校会議所」であって、「慰安する」ような所ではない。
(イ)看護婦になろうとして試験に落ちて、炊事や将校の世話係になったのであって慰安婦ではない。
(ウ)のちに摩文仁で「天の川でお待ちします」と死をとげた。慰安婦だったらそれまでに逃げ出していて、「自決」などしない。
伊波さんは以上3点を述べて、首里の司令部壕には慰安婦などいなかったとしていますが……。
**V-02「慰安婦はいなかった」の考察
***(ア)ですが、
「将校会議所」というニックネームからわかる「若藤楼」のイメージは、兵や下士官が列をつくって並び20分あるいは30分単位で「性」を買うという、いわゆる「慰安所」とは明らかに違うイメージです。確かに高級感があります。
しかし、若藤楼の女性たちは「将校のお世話をする」芸娼妓として、伊波さんの証言にあるとおり、招かれて(呼ばれて)首里の司令部壕に入ったのです。招かれた理由は、看護の技術でしょうか?料理の腕前だったでしょうか? 辻遊廓のきれいどころであり、おもてなしのプロだったからです。おもてなしの記述には、高級感が感じられないものもありますが。 →IV-01 *4
そのうちの何人かは、32軍司令部の高級将校の現地妻、愛人でした。「自決」した徳田ハツは坂口副官の愛人であり、徳田トミは葛野高級副官の愛人でした。伊波苗子さんも、牛島司令官を心に決めた「旦那様」としていました。
ところで、
金ウシ、徳田ハツ、徳田トミ、伊波苗子という若藤楼に関係する4人以外にも、その他からの女性が首里司令部壕にいたと推測できる証言がいくつもあります。
-「朝鮮ピー」と呼ばれていた女性らが一升ビンに詰まった玄米を棒でつついている姿を目撃している。「ピー」と言ってからかう日本兵にくってかかる女性を見た人もいる。 &br()&br() 連日連夜の司令部壕掘り作業でへとへとになっていると「仕事、ゆっくりしなさい」と優しく声をかけた。中には、かまぼこの缶詰を差し出し
2017-05-17T03:04:19+09:00
1494957859
-
IV-09<スタジオ、水島総氏、大高未貴氏によるまとめ>
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3328.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし
----
IV-09<スタジオ、水島総氏、大高未貴氏によるまとめ>
動画https://youtu.be/O6i1g0Tu6vY?t=25m43s
<スタジオ>
#image(b45.jpg,width=400)
(水島)はい。やあ、なかなか凄い証言ということで、ま2つあると思うんだけど、1つ目は、サイパンから来た人だということね。
(大高)高校三年生
(水島)これやっぱり、ま、スパイ行為を強要されたんだろうと思うね。
(大高)ずいぶん米軍がね、そのー、サイパンにいた日本人をスパイに、船の中で教育して送り込んだと、
(水島)その、焼きゴテなんかあるっていうのはね、相当強烈だったんだろうな&font(blue,89%){*85}、これねー、
(大高)ですねー
(水島)だからこれは、2つあってね、1つはその女性に対してもね、こういう、ホントにスパイやっててね、ある意味で見事にね、こう貫いてね日本女性として死んでったていうね、ことと、もう一つは、兵隊さんたちに失礼だよね、これね。
(大高)そうですねー
(水島)スパイはスパイなんだね、これね、
(大高)手りゅう弾持って、壕に近づいてきたわけですから&font(blue,89%){*86}、
(水島)うん
(大高)うん、そりゃ致し方がないことで、単なる住民ではないということですね&font(blue,89%){*87}。
(水島)そういう事実を伝えて貰いたいよね&font(blue,89%){*88}。
(大高)そうですね
(水島)勝手にレッテル貼りをやるんじゃなくてね&font(blue,89%){*89a}。
(大高)はい
(水島)こういう人だったと、こんなに大事な証言なのに、取材来てないんでしょ。
(大高)そうなんですよ、同じ那覇にいて10分車走らせれば、いつでも証言取れるのに、なぜ、こういうホントに、ねぇ、あの32軍のこと一番分かっている方に取材をしないのか、不思議でならないのですけど
(アシスタント)沖縄メディアにはジャーナリストいないんですかね。
(大高)ですかねえー!
2017-05-17T01:56:16+09:00
1494953776
-
IV-08<住民ではないんですか?>
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/3327.html
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
IV. 伊波苗子証言(2) 2012.3.1 書き起こし
----
*IV-08<住民ではないんですか?>
動画https://youtu.be/O6i1g0Tu6vY?t=24m20s
<編集カット>
(大高)付近の住民ではないんですか?
(伊波)はい、ほかの住民はやらない、はい、キクだけ。
<編集カット>
(大高)虐殺された上原キクさんは、どういう方なんですか?
(伊波)アレはね、サイパン。あの親は沖縄糸満出身でネ、生まれたのはネ、サイパンで生まれてると。サイパンの高校ネ、あの南洋サイパンの高校でてね、三年、三年生だったって、
<編集カット>
(伊波)南洋で捕まえられてね、高校生捕まえられて、船に乗せられて、船の中でね、スパイの教育を受けているから、あれはスパイ。
(大高)上原さん
(伊波)はい、上原キクはスパイ。住民じゃない。もう自分はねえ、日本女性ではあると、自分の心根は決まっているけど、もうスパイの教育を受けたからね、これだけ*84。
<編集カット>
(大高)キクさんを処刑した場所、今でも覚えていらっしゃいますか?
(伊波)はい、覚えているよ。うちの祖先のあのほんか(本家)からねえ、庭からこうして見たらよ、すごくこうして見えるサ。
(大高)分かりました
(伊波)そこの場所行ってもいいですよ
(大高)はい
(伊波)うん
<インタビュー終わり 25:43>
-*84 伊波苗子さんの話が根拠もなく成立する条件もないのに、多くのひとが納得してしまうとすれば、それがデマの恐さだ。一番信じていたのは、伊波さん自身かもしれない。あのとき32軍司令部壕にいた人たちも同じだったろう。同調圧力がうまれるべく、スパイ対策、防諜指導が効果をあげ、刃(やいば)が無辜の女性に向かった。
----
[[【沖縄戦】「美しい死」と「不潔な死」]]
.
2017-05-17T01:28:42+09:00
1494952122