15年戦争資料 @wiki

「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(8)

最終更新:

pipopipo555jp

- view
メンバー限定 登録/ログイン

「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載8回目


信頼どこにおくか

将校会議があったかなったか、赤松隊の陣地がどうだったかということは、付帯的な問題にすぎない。『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものであり、また、なかには創作的な記述があることを証明するためにそれらは持ち出されたものだが、『鉄の暴風』の記述がすべて実体験者の証言によるものであり、記述者の創作は介入していないことを言明することで答えとしたい。あとは、赤松側の言葉を信用するか、住民側の証言に信頼を置くかの選択が残されるだけである。

ありもしない「赤松神話」を崩すべく、曽野綾子氏は、新しい神話を創造しているにすぎない。そのやり方は手がこんでいる。『鉄の暴風』だけでなく渡嘉敷島に関するほかの戦記もすべて信用できないとする。なぜなら、それらの戦記にも『鉄の暴風』とおなじようなことが書かれているからで、それらすべてを否定しないと、赤松弁護の立論ができないのである。

沖縄側の渡嘉敷戦記の全面否定は、あとで曽野氏がいちばん信用できるとする赤松隊の陣中日誌なるものを持ち出すための伏線となっている。『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が、伝聞証拠によって書かれたとする判断をふまえて、曽野氏はつぎのように推理する。

曽野氏は、渡嘉敷島に関する三つの記録をあげている。沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』、渡嘉敷村遺族会編『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』、渡嘉敷村が出した『渡嘉敷島における戦争の様相』の三つである。そして、この三つの戦記は、そのうちのどれかを模写したような文章の酷似が随所にある、と曽野氏は指摘する。結論を言えば他の二つの戦記は『鉄の暴風』のひき写しであるというのである。 

「事実内容」の問題

『鉄の暴風』の文章を、他の二つの戦記がまねたようだという判断から、事実内容までもほとんど『鉄の暴風』の受け売りだとし、『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が信用できないので、その文章をまねて書かれた他の二つの戦記の事実内容まで疑わしいとする推理だが、この推理はおかしい。渡嘉敷村遺族会編の戦記も渡嘉敷村編の戦記も、直接の体験者たちの証言または編集によってまとめられたものであることは間違いない。直接の体験者たちによってまとめられたものが、いくぶん文章をまねることはともかく、事実内容まで、伝聞証拠によって書かれたとされる『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記をまねるということがありうるだろうか。

この三つの資料は、文章の類似点があるとはいえ、事実内容については、大筋において矛盾するところはないのである。それは当然のことで、『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものでないことはもちろん、むしろ、上述の他の戦記資料によって『鉄の暴風』の事実内容の信ぴょう性が立証されたといえるのである。三つの資料は、いずれも直接体験者の証言に基づくものであって、直接体験者でない者からの伝聞証拠によって三つの記録の事実内容が共通性をもたされているのではないことはあきらかである。

私製の「陣中日誌」

曽野氏が最も信用できる資料として赤松弁護の道具に使っている赤松隊の「陣中日誌」なるものは、ほんとの「陣中日誌」ではない。軍隊では、作戦要務令で規定された陣中日誌を「陣中日誌」というのだが、赤松隊の陣中日誌なるものは、戦後まとめられた(記述の年月日がある)もので、「私製陣中日誌」であることがわかった。しかも自画自賛と自己弁護の色合の強いもので、客観的資料として信用しがたいものである。

現地側の戦記資料はすべて否定し、赤松隊のこの「私製陣中日誌」に最大の信を置いて書かれたのが『ある神話の背景』である。赤松隊の「私製陣中日誌」と曽野氏の『ある神話の背景』とは、書かれた意図に似通うものがあり、赤松隊弁護の意図で重なり合っているが、『ある神話の背景』があるていど公平を装っている点だけがちがっている。


目安箱バナー