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世界日報:検定意見、事実上の撤回-文科省

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検定意見、事実上の撤回-文科省

日本軍「強制」、復活せず 関与は認め、集団自決の主因


 太平洋戦争末期の沖縄戦をめぐる高校日本史の教科書検定問題で、文部科学省は二十六日、住民が日本軍によって集団自決に「追い込まれた」などとする表現で、教科書会社六社八点の訂正申請をすべて承認した。三月に公表した検定意見を踏まえ、軍による「強制」や「強要」などの表現は認めなかったが、軍の関与が自決の主な要因と認めたことで、検定意見を事実上、修正するものとなった。


教科書6社の訂正申請承認


渡海紀三朗文科相(右)に意見報告を提出する教科用図書検定調査審議会の杉山武彦会長=26日午後、文科省

 教科用図書検定調査審議会(杉山武彦会長)の意見を基に決定し、各社に通知した。沖縄県側が求めていた「強制」記述の復活は、実現しなかった。
 渡海紀三朗文部科学相は「歴史の教訓を風化させないよう願う沖縄県民の気持ちを重く受け止め、沖縄戦に関する学習が一層充実するよう努めたい」との談話を発表した。

 「追い込まれた」は、検定意見で削除されたり、日本軍という主語が不明確になったりした表現。各社は訂正申請で、本文や側注で軍による手榴弾(しゅりゅうだん)配布や、捕虜になることを禁じる教育があったとする背景説明を加えた。

 訂正申請を受け検定審が開かれたのは初めて。日本史小委員会が十一月以降、計七回の会合で沖縄戦や軍事史の専門家九人から文書で出された意見などを基に審査を重ねた。

 この過程で、集団自決の背景として「複合的な要因」の記述が必要と判断。直接的な軍の命令は確認できないとして、強制などの単純な記述は生徒の理解が不十分になるとする見解を、教科書調査官を通じて教科書会社に伝えた。

 この結果、実教出版が申請段階の「殺しあいを強制した」を「強制的な状況のもとで、殺しあいに追い込まれた」に、三省堂が「自決を強要された」を「軍の関与によって自決に追いこまれた」などに変更して訂正を出し直し、再審査で承認された。

 側注で最近の見方として取り上げた「強制集団死」の記述も承認。年表などで検定問題自体を取り上げたり、検定意見撤回を求めた沖縄県民大会の開催を盛り込んだりした記載も認めた。

 検定では、日本軍による強制で住民が集団自決したとする記述すべてに「実態について誤解するおそれのある表現」との意見が付き、教科書会社が「日本軍により」という部分を削るなど修正した。

 この問題では、「集団自決が日本軍の強制、誘導によって起きたことは沖縄戦研究の共通認識」とする左翼陣営の主張と、「『軍の関与』を認めると、結局『軍命令説』や『軍の強制』と同じ虚構を教えることになるので反対」とする保守派の間で激しい論争が展開された。二十六日の公表内容は、「軍の強制」を認めなかったが、「軍の関与」を明記するものとなり、保守・左翼双方に不満が残る結末となった。だが、検定前の記述と比較すれば、ほぼ復活またはさらに日本軍の責任に言及した記述となっており、結果的には事実上の検定意見撤回とも言える内容となった。




藤岡信勝:「反軍イデオロギー」全面容認の愚、「パンドラの箱」開けた文科省

拓殖大学教授 藤岡信勝

 高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決」に関する検定問題で、文部科学省は事実上の検定意見の修正を行った。この内容を専門家はどう評価するか。「新しい歴史教科書をつくる会」会長で、拓殖大学教授の藤岡信勝氏に分析してもらった。

 文科省は「沖縄集団自決」に関する高校日本史教科書の記述で、「反軍イデオロギー」に基づく訂正申請をすべて受け入れる決定を下した。最悪の結末である。

 第一に、「複合的な背景・要因」を書けという文科省の指示に従って、日本軍の責任を糾弾する記述が大幅に増えた。清水書院の「日本史B」では、〈なかには集団自決に追い込まれた人もいた〉という検定後の記述に次の記述が書き足された。〈また、軍・官・民一体の戦時体制のなかで、捕虜になることは恥であり、米軍の捕虜になって悲惨な目にあうよりは自決せよ、と教育や宣伝を受けてきた住民のなかには、日本軍の関与のもと、配布された手榴弾などを用いた集団自決に追い込まれた人々もいた〉

 ここには米軍の残虐行為が実際にあったこと、直接に住民を自決に追い込んだのは米軍の猛爆であったこと、日本軍の隊長は自決を押しとどめたが村の村長や助役が住民に自決を指令したこと、などの事情・要因はすべて除外されている点で一方的であり不当な記述である。

 第二に、文科省は直接的な「軍の命令」や「強制」の記述は認めなかったとしているが、実際は「強制」記述が様々なトリックを駆使して復活した。三省堂「日本史B」は〈また最近では、集団自決について、日本軍によってひきおこされた「強制集団死」とする見方が出されている〉とぬけぬけと書いている。実教出版「日本史B」では、申請段階で〈日本軍により、県民が戦闘の妨げになるなどで集団自決に追いやられたり〉という記述の「日本軍により」が検定意見で削除された。ところが、教科書会社は文科省の誘導に従って、「学習上の支障」を理由に「主語を明確にする」と称して「日本軍により」の語句を復活させる訂正申請をおこなった。文科省はこれを承認した。

 第三に、信憑(しんぴょう)性に疑義のある資料の引用が認められた。東京書籍「日本史A」は渡嘉敷島について次のように書いた。〈日本軍はすでに三月二十日ごろには、三十名ほどの村の青年団員と役場の職員に手榴弾を二こずつ手渡し、「敵の捕虜になる危険が生じたときには、一こは敵に投げ込みあと一こで自決しなさい」と申し渡したのです〉

 これは富山真順証言と呼ばれるもので、専門家として意見聴取に応じた秦郁彦氏も意見書のなかで、三月二十日は日本軍が米軍の慶良間来攻を予測していなかったことなどを理由に資料としての信憑性に疑問を呈していたものである。専門家の指摘を無視して記述を承認した日本史小委員会の見識が疑われる。

 第四に、東京書籍「日本史A」で次の記述が認められた。〈沖縄県では、県議会・全市町村議会で検定意見の撤回を求める意見書が可決され、同年9月には大規模な県民大会が開催された〉。これはいかなる意味でも「歴史」の記述ではない。このように、直前におこったことを、事実の確定もできず、評価も定まらない時点で何でも書いてよいということになれば、およそ安定的な歴史の概念は存在しなくなり、党派性の強い個々の主張が「歴史」を僭称(せんしょう)して無際限に歴史教科書に書かれることになる。

 これらの反軍的記述はどうして可能になったのか。文科省の教科書検定審議会第二部会日本史小委員会は十二月三日の第四回会合で、「沖縄戦及び集団自決に関する日本史小委員会としての基本的とらえ方」なる文書を決定し、集団自決の「複合的背景・要因」を書くように指示した。しかし、そこで例示されていたのは、「教育訓練」、「感情の植え付け」、「軍による手榴弾の配布」、「壕の追い出し」の四点であり、これらはすべて、「軍の強制」説に立つ論者がしきりに強調してきたものだった。結論はこの「基本的とらえ方」にすべて含まれていたのだ。

 しかし、教科書に書かれた「背景・要因」のすべてが、今後は徹底的な検証にさらされるだろう。さらに、沖縄戦全体の反軍的なイメージを全面的に再検討する必要が生じる。文科省は今回の検定によって、期せずして「パンドラの箱」を開けてしまったというべきである。
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