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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か11

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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―11

太田良博
昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで
琉球新報朝刊に連載
『太田良博著作集3』p211-215
目次

11

【引用者註】トーマス・マンの誤読と利用

赤松隊の皆本少尉の話というのがある。

隊員の兵隊二人が、あるとき逃亡した。そのとき、赤松は「去る者を追うのはよそう」と言った。「赤穂も最後は四十七人しか残らなかった」とも言ったとある。兵隊の逃亡を黙認した赤松の態度は、まことに寛大といわざるをえない。陣地をはなれたという理由だけで、防召兵に「逃亡」の罪をきせ、どこまでも追いかけてさがし出し、陣地に連れもどして処刑した赤松、これが同一人の態度かとうたがわざるを得ないほど隊員に対しては寛大であったことがわかる。島の住民や、住民出身の防召兵を、同じ種類の人間とみていなかった歴然たる証拠である(赤松の逃亡隊員に対する態度は一種の逃亡帯助)。

生きるも死ぬるも戦場では、まったくの運というもので、生きているからといって非難されるいわれはない。生き残った者は、日本の再建に努力すべきだ、と赤松はいう。

戦争に対する反省がなくて、どういう日本の再建に努力するっもりなのだろうか。

宗教的視点から、究極的には、刑法思想を否定する結果におちいるような言説をなす曽野氏は、宗教の立場からの赤松弁護と、陸軍刑法などを持ち出しての刑法上の立場からの二重弁護を試みている。『ある神話の背景』は、事件関係者の証言を多く集めて、読者に判断を任す装いをとっているが、資料処理や立論の方法は演緯法をとり、赤松弁護に傾い
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ている。

『ある神話の背景』の末尾にトーマス・マンの言葉が引用されている。「非政治的人間の考察」からとった、一寸、長い引用文である。「いかにも絵にかいたような血まみれで凄愴そのもののような悲惨が、この世で最もどん底の、ほんとうに最も恐ろしい悲惨ではない」とマンはいう。つまり人間の歴史で、戦争だけが悲惨であつたのではなく、戦争以上に悲惨な人生がわれわれの日常をとりまいている、というのである。

その例として、「シチリアの硫黄坑における囚人労務者たちの生活や、ぞっとするような貧困の中で堕落し、虐待のために不具になるロンドンの東部貧民街の子供たちの生活」をあげる。そして、マンは、そういう人生の悲惨に対して、いろんな態度をとる人たちの例をあげて、それらを似而非ヒューマニストときめつけるが、彼らには何とでも言わせておけ。「だが、戦争反対という政治的・博愛主義的な悲願を得々としてうたうことだけは、やめてもらいたい」というのである。つまり「戦争反対」を叫ぶエセ・ヒューマニストに至っては、がまんができないというわけである。

「こんどの戦争で博愛主義者になった文学者は、この戦争を畜生道におちた恥辱であると感じない者はすべて反精神的人間であり、犯罪者であり、人類の敵であるなどと吹聴してまわっているが、わたしはこの宣言ほどたわけたでたらめを知らない」という。
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なるほど、「一般読者や批評家たちが修辞的政治的な人間性要請を人間性そのものと取りちがえてくれるおかげで、かろうじて生きながらえているにすぎない」「理論的愛と教条的人間性を説く人たち」に対するマンの義憤はわかるような気がする。

しかし、曽野氏の引用した部分を読んだ限りでは、それは救いのない言葉のように私にはおもわれる。では、マンのいうほんとのヒューマニストは、人生日常の悲惨や戦争に対して、実践的にどう対処すればいいのかという指針は見っからないのである。

エセ・ヒューマニストたちを鋭く冷笑するマンは、資本主義機構から派生する悲惨な人間の生活と、戦争とのかかわり合いを、どうみているか、あの引用文だけではわからない。

トーマス・マンの「非政治的人間の考察」は、第一次大戦直後、一九一八年に出版され、当初から「政治的人間たち」から袋叩きにされ、マン自身が直ちに自己のあやまちと敗北をみとめた日くつきの論文である。マンはのちに「政治的人聞」となり、ナチスに対して抵抗の姿勢をとるようになる。

曽野氏は、この「非政治的人間の考察」中の一文を、「赤松隊の事件の中に自分のいかなる姿を見るか、ということについてきわめて警告的な文章」として引用しているのである。マンの文章は、曽野氏によって次のように利用されているようにおもわれる。

世の中には戦争より悲惨な人生がいくらもある。その悲惨の原因をつくった人たちは何
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の処罰をうけることなく、常に社会の上層部を闇歩している。そのことを考えるとき、戦争のメカニズムの中で、ひとつの歯車として動いたにすぎないある軍人の罪とか責任とかを追及することは酷ではないか――。

この問題をここで論ずることはさけるが、トーマス・マンの「非政治的人間の考察」からとった引用文が、『ある神話の背景』の中では、通俗的に利用されている感じをうける。『ある神話の背景』で、現実の出来事に対する作者の解釈が思想的に昇華された高みにおいて、マンの言葉がすえられているというより、赤松弁護という次元の低い目的のために、装飾的に、あるいは一種の煙幕として、それが利用されているように、私には思える。

それから、現実社会の問題に、「絶対者」や「絶対観念」を持ちこむと、すべての問題を非現実的なものにしてしまう。現実の問題は、すべて相対的な意味しか持たないからである。殺人の罪を犯さないものが、殺人者を告発するのは、曽野氏も引用している「カルネアデスの板」(ただし、緊急避難といった単純な意味ではない)とはいえないだろうか。そうでないと社会秩序が維持できないという相対の原理が、そこでは働くのである。もし、絶対者以外は誰も裁く資格がないとなると、トーマス・マンのいう日常の悲惨事や戦争の悲惨のほかに、現実に裁きをうけて服罪している多くの囚人たちの悲惨と、不完全な人間であるにもかかわらずそれらを裁いた多くの裁判官たちの罪の問題が生じてくる。
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究極的には、曽野氏がいうように、いかなる人も殺人者を告発できないかも知れない。

告発者となりうるのは、「殺された人間」だけということになる。しかし、「殺された人間」は、つねに告発しないし、また、告発できないのである。
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(以上)

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