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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か8

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渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―8

太田良博
昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで
琉球新報朝刊に連載
『太田良博著作集3』p197-202
目次


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【引用者註】二重弁護に依って防召兵殺害は擁護できない

加害者を告発することは誰にもできない、と曽野氏はいう。そして、告発者を告発する
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形で、加害者を弁護している。

明治以来の沖縄における軍国主義教育(教育や言論の指導者たちによる)が、渡嘉敷島民の集団自決の遠因となっている、と曽野氏はいう。また、カール・メニンジャの精神分析に関する論文を引用して、集団自決者の心理分析を試みようとする。

その中で、「人間は殺されたいという意識下の願望がある」「自分自身を死刑という形で処罰されたい願い」「家族成員各人の死の願望の満足」「死への恐怖を持たなくて済むことが意識下でわかっているから、人々は死んだのだ」などの言葉が散見する。

そして、集団自決の自害行為性を立証しようとする。自決命令を否定する赤松証言に対する側面擁護射撃である。

曽野氏はいう。「あくまで職業・法律上の責任を問おうとするならば、赤松元隊長に法的解釈のまちがいがあるかどうか、ということと共に、何よりも大きな責任を持たねばならないのは、そのような軍事上の法規を、平気でそのまま日本領土内の戦場に持たせて出した軍当局である。この最大の怠慢を考えずに、渡嘉敷島の悲惨な事件の本当の原因は考えられないのである」と。

これは、赤松に対する二重弁護になっている。住民処刑に関する赤松の軍人としての刑法上の責任は、曽野氏が、元法務官だった人の意見を参考に陸軍刑法を引用して弁護して
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いる。それでも自信が持てないのか、赤松に刑法上の責任がある場合も想定して、次のように弁護する。その責任は赤松というより「軍当局」にあるのだと。

「そのような軍事上の法規」というのは、曽野氏によれば、外地を目あてに作られた作戦要務令や陸軍刑法のことで、沖縄のような日本領土内における「軍事上の法規」は用意されていなかったというわけである。だったら、阿嘉島の野田戦隊長が、住民は軍規の適用外として、その進退は住民各自の自由意志に任せ、同島では住民処刑などがなかったのは、なぜか。陣地をみたからには帰すわけにはいかないと住民を殺した赤松戦隊長と、野田戦隊長は同一条件の下におかれていたはずである。

さらに海軍司令官大田実少将は詳説はさけるが、住民に対する態度や処置において赤松とは極端に対照的であったのはなぜか。

「赤松の責任を問うというなら、もっと悪く、残忍なのは渡嘉敷島にひどい攻撃を加えた米軍であろう」というに至っては、曽野氏の論法もどうにかしている(陸軍法規については後述する)。

曽野氏によれば、集団自決は住民の自害行為だし、赤松隊による住民処刑も赤松隊の責任ではないというわけである。「全く無人格なものの責任」という表現を曽野氏は用いている。つまり、国家の責任ということである。私はあえて問う。
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ああいう殺し合いを地上で許す、曽野氏のいう「神」には責任というものはないだろうか。キリスト教によれば、人間は神の被造物であり、神は人間を最も愛しており、かつ神は万能であるはずである。なぜ、人間社会に殺し合いがあり、その殺し合いを神はただ見ているだけであり、しかも、神は殺す者の罪さえゆるしてあげるのだろうか。

「現代において、被害者と加害者は分けて考えられなくなったということであった。渡嘉敷島で、父母をナタで殺した少年は加害者であったか? (中略)、彼らはれっきとした加害者であり、被害者であった」と曽野氏はいう。この論法で、「赤松は加害者であり、かつ被害者でもあった」と弁護する。ここで集団自決と住民処刑が混同されている。

赤松は、敵に投降するおそれのある者、または投降した住民を処刑した。しかし、沖縄戦の時点で、天皇はすでに降伏を決意していたことは歴史の明らかにするところである(政府による本土決戦呼号は、国内国外向け謀略的ゼスチュアにすぎなかった)。赤松流のやり方からすれば、天皇こそ「処刑に価いする存在」だったということになる。だが、天皇は軍をみはなしていた。軍が死の道連れにしようとしていた国民の生きる道を考えていた。

投降した沖縄住民も戦いにやぶれて捕われたにすぎない。そして、戦いに敗れた責任は軍にあったのである。
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人間としての責任は他人が「感じろ!」と強いることができないものである。

感じないことを非難して悔い改めさせることもできない。どのように感じたかを表明させる権利も他人にはない。それを強いることのできるのは――たった一つの人間ではない存――私流に言えば神だけである、と曽野氏はいう。

これは宗教的視点から刑法思想を否定するものである。どんな悪いことをしても、刑罰を加えられなければ、良心の苛責をなめいやして、罪を十分に意識しなくなる弱点が、人間にはある。それは無視できない。

大城徳安氏は、家族に会いに行き、逃亡の罪で処刑された。

赤松隊のある将校が、渡嘉敷島の海岸におりて、ひとりで魚をとっていたことが『ある神話の背景』の証言の中にでてくる。

ほかの赤松隊員たちも、ときどき、海岸にでて、海中で魚をとっていたにちがいない。

防召兵が陣地からいくらもはなれていない家族のいる場所までゆくことは、死に価いする「逃亡の罪」であり、島の限界線である海岸に、赤松隊員がおりることは、逃亡でもなんでもなく、大目に見られていたわけだ。防召兵は正規兵というが、なぜ、それほど差別されたのか。防召兵が島の住民だったからか。

あの小さい島のどこからどこまでが、逃亡か、そうでないかを判断する地理的限界線だ
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ったのかと言いたい。限界線はむしろ赤松隊員の心の中にあったのではないか。
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