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「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」

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「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」―曽野綾子氏に反論する―

太田良博
昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで
琉球新報朝刊に連載
『太田良博著作集3』p167-215

  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か1
    • 疑惑の転進命令。誰が赤松を「告発」する資格があるかということではなく、どうして、赤松に住民を殺す資格があったのか、ということが問題であり、赤松を告発するのは特定の個人ではなく、社会のルールである。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か2
    • なぜ、戦闘必須の兵器である手榴弾が多数住民の手に渡っていたか。もし防衛隊員(正規兵といえない)の手から流れたというなら、一人の防衛隊員が妻に会いに行ったぐらいで処刑するような軍隊が、兵器の管理をなぜ怠ったか。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か3
    • ただ自己弁護する赤松――罰なくして罪を悟れない人間の弱さを痛感する。一方、「反省を強いることのできるのは神だけだ」という作者と、他方では、陸軍刑法など引用して赤松をかばおうとする作者に矛盾を感ずる。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か4
    • 赤松隊の候補生や兵隊は食を求めて住民のいる場所をうろうろしていたらしい(統率は乱れていた)。彼らはなんともないのに防召兵が住民に接近しただけで処刑している。そこに「差別」を感ずる。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か5
    • 『ある神話の背景』の中で、赤松隊員は、「自分たちが渡嘉敷島で持久戦をやれば、それだけ敵をひきつけ、軍全体の作戦に寄与できた」などといっているが、渡嘉敷島にひそむ日本兵など、米軍は、かゆみとおぼえないほど無視していた。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か6
    • 『ある神話の背景』の作者は、「赤松令嬢」の立場にひどく同情しているようだが、その場合、赤松に処刑された人たちの遺族の、戦後の苦しみにも思いを到すべきであろう。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か7
    • 他人に対して狂暴となるのは、生死の境にあって、生を求めるもがきがあるからであるとおもわれる。慶良間列島に配置された陸軍特攻艇は、特攻機や海軍特攻艇とちがって「必死兵器」ではなかった。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か8
    • 「渡嘉敷島で、父母をナタで殺した少年は加害者であったか? (中略)、彼らはれっきとした加害者であり、被害者であった」と曽野氏はいう。この論法で、「赤松は加害者であり、かつ被害者でもあった」と弁護する。ここで集団自決と住民処刑が混同されている。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か9
    • 集団自決という事実は、厳としてあったのである。それは赤松第三戦隊長のいた渡嘉敷島だけでなく、第一戦隊(梅沢裕少佐)のいた座間味でもあったし、第二戦隊(野田義彦少佐)の守備配下にあった慶留間島でもあったようだ。これらの事実は符節を合わしたような偶然の出来事だったのだろうか。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か10
    • 「朝鮮の人たちのことが発表されたら、それこそ大変なことになるでしょうね」と、曽野氏が真顔で語ったのは印象的だった。「それは、そうでしょうね」と私はうなずいたが、とにかく、曽野氏が、朝鮮の人たちの話は、タブーだとして回避する意向であったことがわかる。
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か11
    • 隊員の兵隊二人が、あるとき逃亡した。そのとき、赤松は「去る者を追うのはよそう」と言った。兵隊の逃亡を黙認した赤松の態度は、まことに寛大といわざるをえない。陣地をはなれたという理由だけで、防召兵に「逃亡」の罪をきせ、どこまでも追いかけてさがし出し、陣地に連れもどして処刑した赤松、これが同一人の態度かとうたがわざるを得ないほど隊員に対しては寛大であったことがわかる。


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