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「沖縄戦」とは何だったのか

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「沖縄戦」とは何だったのか


文部科学省が三月三〇日、公表した〇六年度の教科書検定で、沖縄戦において発生した「集団自決」について、「日本軍に強制された」「日本軍によって追い込まれた」などの記述を修正させたことが明らかになった。

その理由のひとつとして、〇五年、沖縄戦時、座間味島守備隊長であった梅沢裕氏および渡嘉敷島守備隊長であった故・赤松嘉次氏の遺族によって、小社及び大江健三郎氏が名誉段損で訴えられたこどが挙げられており、しかも文科省が「検定の参考資料」とした中に、原告側しか便わない「沖縄集団自決冤罪訴訟」と記していることが明らかになり、驚きと怒りを呼んでいる(四月四日、小社及び大江健三郎氏、被告弁護団は抗議の声明を発表した。全文は岩波書店ホームページ参照)。伊吹文科相は、この点について、四月一一日の文部科学委員会で「きわめて不適切であった」と答弁した。

沖縄では「歴史の事実を踏まえよ」(沖縄タイムス)、「事実打ち消せない」(琉球新報)と強い反発を引き起こし、市民団体が抗議の集会を開いたほか、仲井真弘多・県知事も「これまで明記されていたことが削除・修正されたことは遺憾である」(四月二〇日)と述べている。

一九四五年三月末から六月までの、日米最大の激戦・沖縄戦において、亡くなった日米の戦没者は総計約二〇万人、そのうち沖縄出身の軍人・軍属約二万八〇〇〇人、沖縄の一般住民は約九万四〇〇〇人である。(沖縄県援護課の推計)。軍人をはるかに超える住民が犠牲になったのは、日本軍(第三二軍)が立てた「軍官民共生共死」方針のためである。軍は住民の青年、壮年を防衛隊として動員したほか、女性、子どもや老人などの非戦闘員を保護せず、捕虜になることを禁じ、それぱかりか避難してきた住民を壕から追い出したり食料を奪い、ついには沖縄方言をしゃべっただけで住民をスパイとして処刑したりした。

こうした戦場の中で生じたのが、「集団自決」である。軍は、住民たちにあらかじめ手榴弾を渡し、「いざとなれば自決せよ」などと指示していた。軍の存在や関与なしに、「集団自決」はありよう筈もなかったのである。

上記裁判原告の主張やそれに基づいた文科省の教科書検定は、問題をきわめて狭い、具体的事象に限定し(「隊長命令があったかなかったか」)、それを否定することによって、軍命や軍の関与そのものを隠蔽しようとしているとしか考えられない。それによって戦後の沖縄戦観、日本軍観(「軍は住民を守らなかった」「命こそ宝である」)を否定し、"殉国美談"の復活を図ろうというのであろう。

問題は、沖縄戦の本質に関わる。沖縄戦とはどのような戦いだったのか、改めて検証してみなければならない。今月号は、一九歳の初年兵として、死線をくぐった外間守善・沖縄学研究所長にその経験を聞いた。次号以降でさらに問題を深く追究する予定である。
(「世界」編集部)


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