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論争点(某ブログにて)コメント欄その1

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論争点(某ブログにて)コメント欄その1



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haribode 2007/11/11 20:20
おつかれさまです。
沖縄ノートの該当箇所を読みましたが、「よくわからん!」というのが本音です。

なんとなくですが、伊達にノーベル賞とってないのかなと思わせる文学的表現は感じます。
私自身、「罪の巨塊」はこの文章では赤松氏個人にかかっていない、とは思いました(現国のテストならそう回答します)。

ただ裁判は、本書全体を通じて赤松・梅沢氏に対する事実誤認による名誉毀損があったかなので、「それは誤読だ」っていうのも違うような。

そもそもこの手の人はノンフィクション書いちゃイカンでしょうに。城山三郎くらい真剣に書いてほしい。
「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きい罪を犯しうるというのを主題にしている」のところも、
「大きな軍」を「生死に関わる極限状態」に換えるのであれば賛成です。
なんでも軍だけの責任にしようとするからこういう事態になるわけで、

結論としては、戦争はイヤですね、になるんでしょうか。そうですか。

ni0615 2007/11/11 20:21
蔵太さん
長文の引用ご苦労様です。きのうコメントした理由により、大江さんの訊問に関しては、微妙な言い回しがサンケイiza詳報では再現されているのかどうか不安ですから言及しません。

で、梅沢さんについて、
1、梅沢さんの「あの晩の戦隊長会見」場面は、どんどんと脚本が長くなっていきますね。そのとき将校会議を開いていた、なんていうのはたぶん初出でしょう。それとも「サンケイ記事」の初出かな?
2、梅沢さんが曽野本を頼りにしてたということはありませんよ。梅沢さんは長らく、オレは赤松のような人でなしでは決してない、渡嘉敷と座間味では違う、といって頑張ってきたひとです。今回の裁判で、弁護団の教導により、曽野本を信奉するようになったのではないでしょうか。

lovelovedog 2007/11/11 20:34
今日書店で『沖縄ノート』立ち読みしてみたら、「沖縄県の精神病患者は他県よりも多い」とか、いかにも時代を感じさせるアブないテキストもあったりしてとても面白いものでした

lovelovedog 2007/11/11 20:38
梅沢さんはぼくの頭の中では「愉快な人」フォルダに入っているのでした→http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060907/jiketu 「難儀な人」なのかも知れませんが

lovelovedog 2007/11/11 20:43
あっそうだ、ni0615さん、ついでなので以下のテキストは→http://ni0615.iza.ne.jp/blog/entry/383429/ 「慶良間諸島からの参加者はいた」というソース・リンクがあったほうがいいですね。ぼくが見つけたのは「沖縄タイムス」の記事ですが→http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_01.html もっとちゃんとしたものに基づいているようでしたらすみません

あさこ 2007/11/12 00:47
なんか、テレビ朝日が12日月曜深夜に、このネタでドキュメンタリーを流すらしいですね。

あさこ 2007/11/12 00:50
「沖縄県の精神病患者は他県よりも多い」って有名ですが、愛太さんは知らないのかな?その理由を知ればいいネタになるのにね。

ni0615 2007/11/12 07:55
lovelovedog 『今日書店で『沖縄ノート』立ち読みしてみたら、「沖縄県の精神病患者は他県よりも多い」とか、いかにも時代を感じさせるアブないテキストもあったりしてとても面白いものでした』
これはとても質の悪い印象操作ですね。誤解を蔓延するための貼りネタとなれば、貴方のサイトはデマ発信基地ということになりますよ。至急、ご自身のことですから善処願います。

こういう問題は立ち読みではなくきちんと座って前後を読み語幹の無い正確な紹介引用をすべきです。あなたのマナーには良い面もありますが、これは極めて酷い面です。

ソース・リンクがあったほうがいいですね。
Googleでググればすぐ見つかりますよ(笑)。蔵太さんならなおさら(笑わら)。沖縄タイムズの記事を挙げて「もっとちゃんとしたもの」というのは、この場合、どういう疑念があるのでしょうか? 「警察」の書いた文章のようなものが必要だという御主張ですか? そうした特殊ご要望には私はおこたえできませんねえ。

ni0615 2007/11/12 07:58
○誤解の無い正確な紹介引用をすべきです。
(笑わら)→○(笑)

陳謝訂正します。

lovelovedog 2007/11/12 09:25
昔の本は今と違っている、という印象操作なので、別に大江健三郎さんでなくても、その他のいろいろな人の本でも多分同じだと思います。テキスト的にアブない部分が含まれている(現代感覚で)というのは、デマでも何でもない事実なので、それの情報発信基地になってもぼくは別に問題はありません

lovelovedog 2007/11/12 09:31
ぼくは、ソースがどこから出たものであるのかが明記していない文章は信用できないのですね。信用できないテキストを載せている人で、表現が少し荒い人となるとなおさらなことであります。まぁ、ぼくが信用するかしないか、というのは瑣末な問題です。「もっとちゃんとしたもの」とは、主催者(関係者)が書いた文章を意味しています。第三者であるという意味では、警察も新聞も第三者による情報提供でしょう

ni0615 2007/11/12 23:02
ぼくは、ソースがどこから出たものであるのかが明記していない文章は信用できないのですね。
表現が少し荒い人となるとなおさらなことであります。

おうおう出ましたねオハコが。あなたも表現は負けずに荒いですよ。

1)
曽野氏の誤読を引き継いだのは梅澤氏も含めた原告2人です。自明ですがあえて私の引用の前段を再掲します。ここは、「読んでいなかった」と「曽野氏の誤解を踏襲」と2つがあきらかです。
~~~~
被告側代理人 「大江健三郎氏の『沖縄ノート』を読んだのはいつか」
梅沢さん 「去年」
※裁判が始まったのは一昨年の夏
被告側代理人 「どういう経緯で読んだのか」
梅沢さん 「念のため読んでおこうと」
被告側代理人 「あなたが自決命令を出したという記述はあるか」
梅沢さん 「ない」
被告側代理人 「訴訟を起こす前に、岩波書店や大江氏に抗議したことはあるか」
梅沢さん 「ない」
~~~~~~~
原告側代理人 「先ほど『沖縄ノート』を読んだのは去年だと話していたが、その前から、(曽野綾子さんの著書で軍命令説に疑問を示した)『ある神話の背景』は読んでいたのか」
梅沢さん 「はい」
原告側代理人 「その中に『沖縄ノート』のことが書かれていて、『沖縄ノート』に何が書いてあるかは知っていたのか」
梅沢さん 「知っていた」
~~~~~~~~~~~
2)
ソースをリンクすることは容易です。しかし無作法なアラシに晒さないような配慮も必要なときがあります。吉川教育委員長のことは、どこの新聞にも書かれていますけど(笑)。

3)『テキスト的にアブない部分が含まれている(現代感覚で)というのは、デマでも何でもない事実なので、それの情報発信基地になってもぼくは別に問題はありません』・・・感覚的であれなんであれ、どうアブナイのか少しも示さない貴方のほうがよっぽど危ない、ということになるでしょう。図書館に行って、ちゃちゃっと引用すれば済むことを、なんで? 「少し調べて」はお辞めになったのですか?

lovelovedog 2007/11/12 23:47
表現が荒く見えるようでしたらどうも申し訳ないことであります。『沖縄ノート』というソースは、比較的入手が容易だと思うので、その中の「精神障害」に言及しているテキストをそのうち引用することにします

mastacos 2007/11/13 17:52
沖縄ノートの該当部分を初めて見ましたが、これは隊長のことを言ってるんだろうなあ、と思えます。
戦後、私は命令していない。と言うのと。
「あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで~去の事実の改変にカをつくす」
これは重なって見えます。
じゃあ誰のこと言ってるんだ?と言うのを言って欲しいですね。

tai 2007/11/13 23:21
わたしにも曽野綾子氏の文章はすんなり入ります。誤読とは到底いえないと思います。

tai 2007/11/13 23:40
赤松元隊長の行為を「罪の巨塊」と書いている
これはまったく正常な理解です。
「罪の巨塊」だと思えた人物
これは「罪の巨塊(を犯した人物)」を省略した文章とすればまったく違和感ありませんし、通常の日本語の範疇だと思います。
むしろ、罪の巨塊=無数の遺体 などというのは頭の悪い言い逃れにしか見えません
「罪の巨塊」を「巨大な悪」と取り替えればまったく違和感はないと思いますが、impressionは低下しますね

人間としてそれをつぐなうには、あまりにも「巨大な悪」のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。

曽野さん

赤松元隊長の行為を「巨大な悪」と書いていることもますます私の関心を引きつけた。

作家になるくらいだから、私は女々しい性格で、人を怨みもし憎みもした。しかし「巨大な悪」だと思えた人物には会ったことがなかった。

tai 2007/11/13 23:49
原文を読まないで訴えたのか?という問いは

レイプの被害者に対して
「あなたは被告が善良な市民で、よき上司、よき父親だと言うことを知らないで、どういう人か調べもしないで訴えたんですか?」という問いにほぼ等しいと思う

lovelovedog 2007/11/14 05:25
いろいろ意見もあるようなんですが、ぼくは大江健三郎さんが法廷でどんなことを言ったのか、全文がどこかから出て来るまでちょっと意見・判断は控えようかと思います

R 2007/11/16 16:32
横からいきなりで大変失礼ですが、曽根の誤読はやはり明らかでしょうね。
手許に『沖縄ノート』の原点がないので、蔵太さんの引用に頼らざるを得ませんが、以下にまず引用します。

「人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに稀薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。」
ここには「巨塊」とありまして、これは明らかに大江の造語でしょう。曽根のいうような文脈での「キョカイ」という単語を使うのであれば「巨魁」でしょう。「悪の巨魁」なんていうようにつかうアレですね。また、曽根のいうように「かれ」を「「罪の巨塊」だと思えた人物」と読む読み方は、かなりオカシイといわざるを得ないでしょう。文頭から「てにおは」に注意して(難解なものが決して少なくない大江のテクストのなかでは、この一文はかなり判りやすいほうだと思いますので、それほど注意は要さないとおもいますが)読むなら「あまりに巨きい罪の巨塊」が「かれ」に係らないのは、明らかでしょう。

また、大江のテクストが難解かどうか、また「わたしにも曽野綾子氏の文章はすんなり入ります。誤読とは到底いえないと思います。」というようなことは、この問題、訴訟そのものや集団自決(あるいは集団強制死)そのもの責任を問うということとは、まったく無関係でしょう。そういう意味では、これは争点ずらしといわざるを得ないでしょうね。

R 2007/11/16 17:00
それともう一つ。
「レイプの被害者に対して
「あなたは被告が善良な市民で、よき上司、よき父親だと言うことを知らないで、どういう人か調べもしないで訴えたんですか?」という問いにほぼ等しいと思う」
とありますが、これは意味がまったく不明です。どういう意味ですか?

名誉棄損の比喩にレイプを持ち出すのはどうなんでしょう。もちろん「レイプに等しい」という物言いはあると思いますが、大江は『沖縄ノート』に実名を挙げてはいないわけです。
また、このことにも関連し、よく指摘されることですが、今度の訴訟で非常に奇異に感じるのは、なぜ大江と岩波書店が訴えられ、なぜ『鉄の暴風』の沖縄タイムスが訴えられていないのかということです。

繰り返しになりますが、大江の『沖縄ノート』は実名を挙げていません。つまり厳密には対象を特定していないわけですね。たしかに『鉄の暴風』をあわせて読むなら実名は容易に知ることができるわけですが、そうであるならなぜ沖縄タイムスが外されているのか、です。そういう意味で、沖縄タイムスを除いた形で名誉棄損の訴訟って成り立つんでしょうか?名誉棄損訴訟についての知識がありませんので、的外れな疑問かもしれませんが。

steelhead 2007/11/18 04:48
沖縄県の精神病患者は他県よりも多い」って有名ですが、愛太さんは知らないのかな?その理由を知ればいいネタになるのにね。

これは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の典型的な例のようです。心に加えられた衝撃的な傷が、精神病を含め、様々な障害を引き起こすとのことです。

沖縄ノートには、次のように記されています。
「その年齢が三十代, 四十代とにおいてもとも多いという事実に注意をそそぐ必要があるであろう。それらの年代の男たちは, 沖縄戦において少年期の終わり, 青年期の始めの年齢で, 絶望的な敗走の戦いに参加せしめられたものたちであった。」

steelhead 2007/11/18 05:12
「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きい罪を犯しうるというのを主題にしている」

歎異抄より--

わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじと思ふとも, 百人千人をころすこともあるべしとおほせのさふらいし。

これは, 親鸞のことばを唯円が記録したものです。

R 2007/11/20 01:16
Rです。
steelheadさんが書き込まれた、

これは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の典型的な例のようです。心に加えられた衝撃的な傷が、精神病を含め、様々な障害を引き起こすとのことです。

についてですが、済州島のことを連想させられました。ご存知の方も多いかもしれませんが、済州島では1948年「済州島4・3(チェジュド サーサム)」と呼ばれるすさまじい虐殺事件〈約30万といわれた人口のうち実に3万~8万が殺されたといいます)が起こっているのですが、それ以降、PTSD的な精神疾患に悩む人たちを多く出しているといいます。

「済州島4・3」もそうですが、沖縄での集団自決(集団強制死)もその実相をたどることは正直なところ極めて「苦痛」です。もちろんそうした現在、僕が知り得る沖縄戦の「実相」は、文章として残された証言や経験者の「語り」によるものですから、それらについて「かの人々」のようにいちいちいちゃもんをつけてゆくのであれば、何をか云わん哉ではありますが…

しかし、そうした知り得る沖縄戦の実相を前提として、沖縄に精神疾患に悩む人たちが多いということを書いた大江の書く「意思」を読むならば、steelheadさんが引用された「その年齢が三十代, 四十代とにおいてもとも多いという事実に注意をそそぐ必要があるであろう。」という部分にその「意思」は収束していると考えるべきでしょう。「昔の本は今の本と違っている」という問題では、やはりないといわざるをえないですね。このことは、ソース云々以前の史料あるいは資料の取り扱いについての不快なまでの粗雑さという、ネット上の言説の多くが陥いる穴の典型の一つとして認識すべきでしょうね。

正直不快です 2007/11/22 00:06
このことは、ソース云々以前の史料あるいは資料の取り扱いについての不快なまでの粗雑さ

そのまま大江健三郎に当て嵌まりませんか?
彼は一切取材せずに、「かれ」を告発している訳でしょう?
それから大変気になったのですが、

「かの人々」のようにいちいちいちゃもんをつけてゆくのであれば、何をか云わん哉ではありますが…

他人を集団自決を強制したかのごとく、一方的に断罪されている人がいるのに、弁護活動は「いちゃもん」呼ばわりですか?
告発されたら最後、仮に無実であっても泣き寝入りしろ、弁護活動はまかりならんと?
どんな魔女裁判ですか?

Rさん、貴方の言説こそ不快で粗雑ですよ。

R 2007/11/22 13:36
Rです。

そのまま大江健三郎に当て嵌まりませんか?
彼は一切取材せずに、「かれ」を告発している訳でしょう?
「一切取材せずに」ということの根拠は?
それに「告発」というのは、あたらないでしょう。『沖縄ノート』を通読せよとはいいませんが、少なくともこの裁判についてもう少し〈ほんの少しでけっこうですので)丹念にあたってみるべきだといわざるをえないですね。お気に召さないかもしれませんが、まさに「粗雑」な物言いといわざるをえません。

また、「取材」ということについてですが、それが集団自決(あるいは強制死)からの生還者やその遺族、赤松、梅沢両氏などの軍関係者、つまり「すべて」の関係者への直接取材ということについて、それを行っていないではないかということなら、たしかに大江はそれを行っていないかもしれませんね。残念ながら、今手もとに『沖縄ノート』の原典がありませんので、確認はできませんが。

しかし、文章を書くという行為そのものについて、直接取材がかならずしも絶対不可欠なのでしょうか。「報道」ということに限っていうなら、それはもちろん「必要不可欠」であることは間違いありません。しかし、直接取材という手段のほかにも、資料、あるいは史料をもとにしてものを書いてゆくということは、書くという手段のあり方においては、十分にありえることです。
しかし、それは読まれることによって引き起こされてゆく様々な事象を引き受けてゆくという「責任」を伴うものであることもいうまでもありません。そして、大江は少なくとも今回の裁判を引き受ける形でその責任を果たしつつあるといえるのではないでしょうか。

長くなってしまいましたので、もう一つの問題については、別に書き起こすことにします。

R 2007/11/22 13:39
Rです。連投失礼いたします。また、長文でもうしわけないです。

他人を集団自決を強制したかのごとく、一方的に断罪されている人がいるのに、弁護活動は「いちゃもん」呼ばわりですか?
告発されたら最後、仮に無実であっても泣き寝入りしろ、弁護活動はまかりならんと?
どんな魔女裁判ですか?
う~ん、これは意味不明なんですが…
誤読でしょう。(なんかはやってるんですか?)
まぁ、読みたくはないでしょうが、もう一度ちゃんと読んでいただきたいですね。
僕は弁護活動を「いちゃもん」などとはいっていません。弁護活動はたとえそれがどんな裁判であれ、正当な権利であり、それを行うことは義務であろうと思いますよ。この裁判も例外ではありません。しかし、今回の場合は「かれ」らは原告だったと思うのですが…

これは別の話になるかもしれませんが、今度の裁判のことを見ていると争点は二点になるのかなと思います。一点は大江の『沖縄ノート』における記述が名誉棄損にあたるのかどうかということ。もう一点は、この慶良間での集団自決〈強制死)が軍命によるものなのかどうか、つまり赤松、梅沢両氏はこの集団自決〈強制死)についての責任があるのかどうかということ。後者については、名誉棄損という問題には直接的に係る問題ではないかもしれませんし、訴訟として考えた場合に軍命ソノモノのあり方が問われることになるとしたら、司法的な判断ができるかどうかちょっと疑問にも思えます。文書としての命令書が残っていないとか、「そういう趣旨の発言ではなかった」などということにもなりかねませんし。

しかし、僕自身はこの慶良間の事例に限らず、沖縄での集団自決〈強制死)については、すべて軍の責任が問われるべきだと考えています。戦時下の沖縄における軍の存在の有り様について少しでも調べてみるなら、 「そんな軍命など発していない」などという発言は、いかにも底の浅いクダラナイ言い訳に過ぎないことはわかるはずです。(そう考えてみると、どうしてこんなに底の浅い言い訳ができるかが非常に不思議ですが)

大江は『沖縄ノート』において、個としての軍人の責任を問うことを避けたとしています。軍そのものの存在を問いたいのだと。

この点については、僕自身は大江とはスタンスを若干異にします。むしろ積極的に個としての軍人の責任を問うべきじゃないかと思っているのです。もちろんだからといって、軍そのものの存在を問わないということでは決してないのですが。

沖縄戦においては、虐殺も含めさまざなな非道が日本軍によって住民になされましたが、同時に当の日本軍人によって自決を思いとどまらされた、救われたという事例もあるようです。たしか、海兵隊員であったユージン・B・スレッジの書いた『泥と炎の沖縄戦』だったと思いますが〈調べ直してみますが)、壕内の民間人、兵の安全を保障するのであれば降伏すると奇麗な英語で降伏交渉を行い、民間人、兵が安全に収容されることを見届けたあと自身は「職業軍人である自分は降伏することは出来ない」と制止を振り切って自決してしまった日本陸軍将校の話が出てきます。もちろん、これが「それみたことか、日本軍はそんなにひどかったわけじゃないんだ」などいう言説の左証とはならないことはいうまでもありません。僕がいいたいのは、ギリギリの瀬戸際では「個」としての軍人の、人間としての「質」がこそ問われた、状況を左右したのではないかということです。

翻って慶良間の事例はどうなのか?「かれ」らの当時の行状をみるにつけ、「自決をとめた」などという発言をそのまま飲み込むことはとうてい出来ないわけです。また、もし仮にこの集団自決(強制死)が「かれ」らのあずかり知らぬところで起こったことだったとしても、軍としてのまたその指揮官としての責任はどうなのか、と問いたいわけです。ましてや、降伏勧告にきた伊江島(だったと思いますが、間違っていたら訂正します)の住民をスパイとして処刑までして、どの面下げて降伏するのだ?ということです。

R 2007/11/23 01:43
Rです。自分の書き込みを読み返していて、今気がつきましたが、曾野綾子氏のお名前を「曽根」としておりました。お恥ずかしい。訂正いたします。曽根ではなく「曾野」でした。



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