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沖縄戦集団自決訴訟で陳述-大阪地裁

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沖縄戦集団自決訴訟で陳述-大阪地裁


原告・梅澤氏「命令出してない」
被告・大江氏「訂正の必要ない」


 沖縄戦で起きた住民の集団自決をめぐり、軍命令で強制したとの虚偽の記述で名誉を傷つけられたとして、守備隊長だった元陸軍少佐らがノーベル賞作家の大江健三郎氏と発行元「岩波書店」(東京都千代田区)を相手に、出版差し止めや損害賠償などを求めた訴訟の口頭弁論が九日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で開かれた。原告の梅澤裕さん(90)は、「自決命令は出していない」と強く隊長命令を否定。一方、被告の大江氏は、「記述は訂正する必要はないと考える」と反論した。


【写真】本人尋問後の集会に出席した原告の梅澤裕さん(右)と赤松秀一さん(左)=9日午後、大阪市内

 梅澤さんは「自決命令は出していない。私は住民に死んではいけないと言った」「死んだのは気の毒。だが責任はない」と陳述し、改めて隊長命令を否定した。被告側の質問には「責任があると書いたあなたの書簡があるが」の問いに、「認めたわけではない」と答えた。
 また、梅澤さんは、自決命令を出したとされる宮里盛秀助役の弟、宮村幸延氏が「隊長命令説は援護法の適用を受けるためにやむを得ずつくり出されたもの」と証言した文書が、本人自身が作成・捺印したものである――と当時の細かなやりとりを再現し、酩酊(めいてい)させて無理やり書かせたという被告側の主張に反論。梅澤さんは既に提出した陳述書の中で、座間味村の老幼婦女子が軍の足手まといにならないよう、爆薬を破裂させて一気に殺してほしい、と頼んできた背景には「昭和十九年十一月三日に、那覇の波の上宮で県知事以下各町村の幹部らが集結して県民決起大会が開かれ、男子は最後の一人まで戦い、老幼婦女子は軍の戦闘で迷惑をかけぬよう自決しようと決議した経緯があったのです」と述べている。


【写真」】本人尋問のため入廷する作家の大江健三郎氏=9日午後、大阪市北区の大阪地裁

 午後からは、赤松嘉次・渡嘉敷島守備隊長の弟、赤松秀一さん(74)が証言した。秀一さんは、小さいころから優秀で尊敬していた兄、嘉次氏が沖縄タイムス編『鉄の暴風』で自決命令を発したと書かれたのを読み、「ショックでした。三百二十九人も殺した大悪人と書かれていたのですから」と、当時の驚きと苦悩を回想。やがて曽野綾子氏の『ある神話の背景』が出版され、「兄の無実が証明された。これで間違った記述のある本は廃刊または訂正されると思った」と喜んだという。しかし、その後も『鉄の暴風』『沖縄ノート』が訂正のないまま発行を続けていることを知り、裁判に踏み切った。

 赤松さんは、大江氏本人の前で、「兄に取材したこともなく、渡嘉敷島に取材にも行かずに、兄の心に踏み込むような記述に感心し、同時に憤りを感じた。まるではらわたを引き出すような書き方」と強く非難。生前、月刊誌『潮』に兄が寄せた手記の最後のくだり「ペンも凶器たりうる。『三百数十人』もの人間を殺した極悪人のことを書くとすれば、資料の質を問い、さらに多くの証言に傍証させるのが、ジャーナリストとしての最小限の良心ではないのか……」を諳(そら)んじて、兄の無念さを訴えた。被告側は赤松嘉次氏が生前、『沖縄ノート』などの修正を求めたり裁判を起こしたいと言っていたのかと質問。秀一氏は「聞いていない」「分からない」と語った。

 続く大江健三郎氏は、紺のスーツに青のネクタイ姿。幾分上気した表情で、「集団自決命令は隊長個人の資質や選択ではなく、日本軍―(沖縄駐留の)三二軍―守備隊という縦の構造の力が島民に強制した。沖縄ノートでも軍の命令と記述している」と強調した。著書には元隊長の個人名はなく、名誉棄損に当たらないとする。

 大江氏は『沖縄ノート』を片手に、被告・原告双方から尋ねられる著書の記述個所の説明・解説に多くの時間を割き、原告の質問に、「そういう意味ではない」「それは誤読である」と語った。

 また、赤松隊の元隊員が自決して亡くなった人の死を「きよらかな死」と形容したことについて、「悲惨で恐ろしい集団自決が、美しい、清らかと押し出す欺瞞(ぎまん)に反対し、否定していくのが私の仕事だ」と力を込めた。

 原告側弁護士は記者会見で、「大江氏の説明は、『沖縄ノート』には書かれていないもので、独善的だ」と批判した。

 次回十二月二十一日に双方が最終弁論をして結審、来春にも判決が言い渡される見通し。
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