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「命令あり得ぬ」/「県が2人にお礼とお詫びを」

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月刊ビューポイント ■ダイジェスト版世界日報

沖縄戦「集団自決」から62年 真実の攻防

中国戦線体験した吉武氏

「命令あり得ぬ」/「県が2人にお礼とお詫びを」

来年の高校教科書から沖縄戦における集団自決への軍の関与が削除されたことに対して地元メディアを先頭に「削除は、けしからん」

という論調があふれる中で、全く別の視点から、この動向を見詰めている一人の沖縄県民がいる。

那覇市に住む元保育園経営者、吉武進氏である。九十歳の今もワープロを前に、時局のテーマについて持論をまとめて、安倍晋三総理をはじめ関係者に送付するのが日課だ。

戦時中は陸軍獣医学校を卒業し、第三師団(名古屋)で見習士官となる。その後、第二九師団病馬廠(しょう)に配属され、獣医として参戦した。

負傷した馬を助けたりしたのですか、と記者(鴨野)が問うと「いえ。ほとんどが馬殺しでしたね」と寂しそうな表情を浮かべた。馬は骨折すれば、動けなくなってしまい、治すことは難しい。馬を敵に渡してはいけないというので、殺さざるを得なかったというのだ。

中国・広東省を縦断した時は

「周囲は敵の中国兵だらけで、包丁で水を切るようなものでした」。

終戦の知らせに、「わが軍が勝利して終わった」と勘違いした戦友もいた。

敗戦と知り、ショックのあまり自決をした者も----。

武装解除された後、しばらく中国軍の下で獣医として働いた。帰国して、中学生だった弟が、学徒隊の一員として爆弾を抱いて、米軍の戦車に突っ込んでいった、と目撃した人から聞かされた。母と弟二人、妹の四人は疎開していたため助かった。

実際に戦場を生き抜いてきた吉武氏は、沖縄戦・集団自決の隊長命令の有無について、こう明言する。

「命令するときは、まず兵士を整列させます。

『気を付け!』の掛け声で姿勢を正す。

将校が命令する場合は軍刀を抜く。

そして『集団自決始め!』と号令を掛けるのが、軍命令なのです。

しかし、渡嘉敷、座間味の当時の状況と言えば、軍人と住民が離れており、号令どころではない。

全く、あり得ない話です。

また本来、作戦命令は文書で行うものです。しかし、自決せよ、という作戦命令書など、どこにも存在しないのです」

また、彼は全く別の観点から、隊長命令というものに疑問を呈する。

「今、『隊長命令があった、あった』と叫んでいる学者、文化人に問いたい。

あなたは、命令があれば、走っている車にわが身を投げ出すことができますか。

立つこともできないのに、『命令で自決した』と言う資格はありません。重い命のことについて書くとき、自分ができないことまでも軽々に書いたり発言したりしてはいけません。頭の中だけで考えて書くのではなく、もっと常識を踏まえて書いてもらいたい」

来年から使用される高校歴史教科書から沖縄戦・集団自決に関して軍の命令・関与の記述が削除されることが決まった。吉武氏は、率直な思いを口にする。

「残された島の方々がお金をもらうために、『命令したことにしてください』とお願いしたのであれば、沖縄の県民として恥ずかしいし、淋(さみ)しいことです。

そして、虚偽の軍命令なるものを甘んじてくれることで、お二人の隊長さんが戦後、仕事、人生の中で誹謗(ひぼう)・中傷されたと聞いております。

そうであれば、お金を頂いた方々は、お二人に対して

『つらい思いをさせて申し訳ありません。

すみませんでした』

とお詫(わ)びの一言でも、申し上げたのでしょうか。

仕事を失い、家庭生活でもご苦労された、その苦しみにお詫びしたのでしょうか。

新聞には、お詫びも慰問の記事も出ていません。沖縄の一人として恥ずかしい限りです」

戦後、沖縄の地元メディアは軍関係者に対して、厳しい攻撃を続けている。教科書の検定結果を受けて、そのトーンはさらにエキサイトしている。

「日本と日本軍は沖縄の人々を守らなかった」と非難するメディアに対して、吉武氏は

「どの国で戦争になるから疎開しなさいという国があるでしょうか。それは国民のことを心配される天皇陛下の大御心が末端まで浸透していた証拠ですよ。日本を悪く言う人に言いたい。日本人の心を取り戻してもらいたい、と」

インタビューの最後を吉武氏はこう結んだ。

「沖縄県民の一人として、できれば仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)知事に、元隊長とそのご家族にお礼とお詫びをしていただきたい。

それこそが元隊長の名誉回復の最たるものであり、ご家族も救われます」

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天皇誕生日に国旗を持って与儀公園前に立つ吉武進氏(60代のころ)
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