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上洲幸子さん

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上洲幸子さん(座間味)



上洲幸子さん -上- (9月22日朝刊総合3面)
空襲で焼け出され島へ 街を襲う炎 今もはっきり

 家には毎月、女性や児童向けの教養雑誌が送られてきた。新聞や雑誌もろくになかった時代、上洲幸子(85)の家に、子どもから学校の先生まで、本を読みにやって来た。南洋へカツオ漁で出稼ぎに行った父親が、料金を支払い、座間味島の自宅に届けさせていた。「南洋は寄り合い所帯で勉強にならない。島でこれを読み勉強して」。父はそう言っていた。
 幸子の妹は本島で看護婦に、弟中村栄興も県立水産学校に通っていた。母を支えていた幸子も「とにかく勉強したくて」、いつか島を出ようと思っていた。妹は手紙で「姉さん、勉強する気持ちを忘れてはいけない。産婆だったらお金もいらず、奉公して習える」と励ました。

 カツオ漁船に乗ることを父親から期待されていた栄興も「学校を出て、必ず外国航路の船に乗り、アメリカまで行く」が口癖だった。

 戦局が悪化し、成年男子は徴兵され、女性も労働力だった。役場も若者を島から流出させない方針をとっていた。幸子も学校給仕の仕事をしながら、出征兵士の留守宅の手伝いや食糧増産と大忙しだった。

 幸子が戦争を実感したのは一九四四年に本島にいた時だった。中国戦線から復員した夫と結婚。小禄村の海軍飛行場建設現場で、夫は軍の口利きで運搬馬車の切符係に、幸子自身も会社に掛け合い芝植えの仕事に就いた。

 夫が再び召集で八重山へ行くことになり、那覇の桟橋へ行った時。「食糧難の時代なのに、米やら食糧の袋が山積みだった」。大量に保管されていた三二軍司令部の軍需物資は、戦争が近づいているのを暗示していた。

 四四年十月十日。県内の飛行場や港を米軍機が襲った。那覇市も明け方の午前六時半から五波に及ぶ空襲を受けた。幸子が間借りしていた垣花にも爆弾が雨あられのように降ってきた。人々は一斉に逃げ、命からがら高台のガジャンビラまで逃れた。

 眼下に見える那覇市市街地は、真っ赤に燃え上がっていた。「まるで、ちょうちんが溶ける時のような炎だった。あの色は頭の中に今でもはっきりある」

 垣花一帯は焼け、幸子は着の身着のまま焼け出された。当時十九歳だった弟栄興と一緒に、戦火に追われるように座間味島へ戻り、「集団自決」が起きた戦争に巻き込まれた。=敬称略(編集委員・謝花直美)




上洲幸子さん -下- (9月23日朝刊総合3面)
「斬って」兵に懇願する母 死に後れ恐れた住民たち

 軍命を受けて一緒に「集団自決」することになった産業組合の壕から、とうとう合図は来なかった。夜が明けた一九四五年三月二十六日。上洲幸子(85)は壕から、様子をうかがいに外へ出た時、上手の米兵に気付いた。みんな慌て、散り散りになった。
 幸子は家族と、段々畑のあるウガングワーノクシに造った壕に逃れた。あらかじめ家財道具も運んであった。「これを飲んで寝ておこう」。四十代だった母親が殺鼠剤ネコイラズを取り出した。

 いつの間に持ってきたのか。家族全員が飲むには足りない。幸子は「家族の分、これだけでは効かない。死なないで、飲んで苦しむだけだよ」と、思いとどまらせようとした。「死のう」「死ねない」。幸子は、やっと母親にネコイラズを捨てさせた。

 壕を出て番所山へ向かった。頂上付近には、既に住民や兵隊、朝鮮人軍夫が大勢いた。幸子は壕で捨ててきたと思ったなたを母親が持ってきているのに気付いた。「兵隊さん、これで私たちの家族を斬ってください。斬ってください」。母親は死に物狂いだった。なたを男たちの前に差し出しながら歩いた。しかし、誰も応えることはなかった。

 住民が恐れたのは「死に後れる」ことだった。さもなくば、米軍が残酷な方法で殺すと、日本軍に信じ込まされていた。だから幸子も「死なないといけない」と思い、取り乱した母親を止めることはなかった。母の姿は特別ではなく、住民そのものの気持ちを表していた。「誰も生きる見込みはないと思っていた」

 その後幸子は、島北部赤崎のため池近くへ避難した。そこには水を求めた大勢の住民がいた。一人の中尉が現れ、住民に集まるよう命令した。中尉は「米軍に見つかったら、捕まらないように舌をかみ切って死になさい」と指示した。この言葉を聞き、知的障害の青年がわーっと泣きだした。幸子は「ただ聞くしかなかった」。軍は死の指示を繰り返し住民に与えた。

 上手の人影に気付いた。慰安婦とともに戦隊長がたたずんでいた。

 幸子の弟・中村栄興は海上特攻艇マルレを運搬する防衛隊員となり、艦砲を受け死亡した。外国航路に乗り、アメリカへ行くのが夢だった弟は、あこがれた国の軍に殺された。「戦争がなければ、皆死ぬことはなかった」。幸子はつぶやいた。=敬称略(編集委員・謝花直美)

 次回は十月中旬から掲載します。


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