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岩波訴訟・本人尋問 梅澤氏、自決命令を否定

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2007年11月10日 [土]

岩波訴訟・本人尋問 梅澤氏、自決命令を否定


 沖縄戦中、渡嘉敷・座間味両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、日本軍の隊長命令で住民が自決に追い込まれたとする書籍の記述は誤りで名誉を傷つけられたとして、元戦隊長らが岩波書店と「沖縄ノート」の著者で作家の大江健三郎氏(72)を相手に出版差し止めなどを求めた訴訟で、9日午前、大阪地裁(深見敏正裁判長)で原告の本人尋問が始まった。

 当時、座間味島に駐留した海上挺進(ていしん)第一戦隊の戦隊長だった原告の梅澤裕氏(90)が出廷。「(自決命令は)絶対に出していない。(住民に対し)死んではいけないと言っており責任はない」「弾薬も渡していない」として自決命令をこれまで通り否定した。

 「集団自決」が起きた要因を「米軍が上陸し、住民は大事になると思ったのだろう。老幼婦女子は日本軍の足手まといにならないように死ねという教えを受けていたと思う」と述べ、住民が自主的に自決したとの認識を示した。

 梅澤氏は1945年3月25日夜、村幹部らが同氏のもとを訪れ「足手まといになる老幼婦女子は死ぬので、爆雷を爆破させて一気に殺すから手りゅう弾をいただきたい」と求めたと主張。「死んではいけない。住民は山中で持ちこたえてくれと伝えた」と強調し「死んではいけないと厳しく言ったのだから自決は予想せず、自決が起きたことも当時分からなかった」とした。

 座間味島の女子青年団長だった宮城初枝氏が戦後、駐屯する日本兵の1人から手りゅう弾を渡されたとの証言については「住民に手りゅう弾を渡すことについて部下に許可はしていない」と否定。さらに「初枝さんは戦後、援護法の申請のため厚生省の聞き取りに対し隊長命令だったことにするよう村側から言われたが、申し訳ないと言っていた」と語り、「隊長命令説」は援護法の適用を受けて補償を得るための方便だったとの考えを述べた。

 被告側は反対尋問で、梅澤氏が80年に宮城氏にあてた手紙で集団自決が戦隊長や軍の責任を認めていたことについて言及すると、梅澤氏は「1番の責任は米軍にあるが、われわれが島に駐屯していたからということも考えた」と述べた。

 午後の尋問には渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟で原告の秀一氏(74)も出廷、被告の大江氏も地裁入りした。

(11/9 16:03)
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