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軍命めぐり当事者主張/「集団自決」訴訟

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http://www.okinawatimes.co.jp/day/200711091700_01.html
2007年11月9日(金) 夕刊 1面

軍命めぐり当事者主張/「集団自決」訴訟


 沖縄戦時に慶良間諸島での「集団自決(強制集団死)」をめぐり、ノーベル賞作家、大江健三郎氏の「沖縄ノート」や故家永三郎氏の「太平洋戦争」で住民に自決を命じたと記され、名誉を傷つけられているとして、島に駐屯していた部隊の元戦隊長らが大江氏と書籍発行元の岩波書店に、出版の差し止めなどを求めている訴訟の本人尋問が九日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で始まった。午前は座間味島に駐屯していた元海上挺進第一戦隊長の梅澤裕氏(90)が出廷。「私は自決命令なんか絶対に出していない。村民が『集団自決』で亡くなったことは気の毒だと思うが、自決しないよう厳しく止めたし(自決用の)弾薬はやれないと言った」などと述べた。

 また梅澤氏は「手榴弾を防衛隊員に配ってはいないし、隊員に配ることを許可してもいない」と強調。梅澤氏の許可なく手榴弾が住民に渡ることはないとし、忠魂碑前で日本兵が住民に渡したとの指摘に対し「全然知らないし、あり得ないと思う」とした。

 「集団自決」については、当時はまったく予想しておらず、昭和三十三(一九五八)年ごろ、週刊誌で大々的に報じられるまで知らなかったと述べ、原因については「(多くの玉砕者が出た)サイパンの前例などもあるし、ああいう小さな島で米軍が上陸したら大変なことになると思っていたのではないか」などと述べた。「(軍ではなく)行政の上司から指示を受けていたのだと思う」とも語った。

 また座間味島で米軍の上陸を控えた一九四五年三月二十五日夜、兵事主任だった村役場の宮里盛秀助役から村民の「集団自決」のために弾薬を求められたが、梅澤氏は「何で自決する必要があるのかと厳しく言った。大事な場面で、はっきりと覚えている」とした。

 「沖縄ノート」については「去年、念のために読んだ」という。

 被告の岩波側はこれまで、梅澤氏は部隊の最高指揮官で、住民に「集団自決」を命じていたことは多くの書籍や資料の記録から明らかと反論。「沖縄ノート」については、梅澤氏ら戦隊長個人を特定して批判・論評しておらず、名誉棄損には当たらない、としている。

 また梅澤氏が、「集団自決」のための弾薬を求められたが断ったとしていることについては、その場にいた故宮城初枝氏の手記や、初枝氏の話を著作にまとめた娘の晴美氏の証言を基に、自決に追い込まれることは承知の上で、貴重な戦備を渡さなかったにすぎないと反論している。

 戦後、援護の担当者が梅澤氏に「軍命は援護法の適用を受けるためだった」として謝罪、執筆・押印したとされる書面についても、担当者の意志により作成されたものではないと指摘している。

 午後は大江氏が証言。原告側は渡嘉敷島に駐屯していた元海上挺進第三戦隊長、故赤松嘉次氏の弟秀一氏(74)も証言に立つ。
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