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被告・大江健三郎に対する証人尋問(iza版)

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pipopipo555jp

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被告・大江健三郎に対する証人尋問(iza版)


【注意】
これは、資料保存です。この記録が、"詳報"なのか、詳しい"抄録"であるのか、"要約"であるのか、原告支援団との提携によってWEBリリースしたものか、はたまた、産経新聞社の責任で為された報道記事なのか、その性格は全く不明です。記述詳細の真偽につきましては、公判記録などとの照合を待たねばなりません。引用される方は、『産経またはizaの評価未定の典拠』であることを、必ずクレジットすることをお勧めします。

(izaタイトル)
【沖縄集団自決訴訟の詳報(4)】大江氏「日本軍の命令だ」
11/09 21:45更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/99573/


《午後1時50分ごろ、大江健三郎氏が証言台に。被告側代理人の質問に答える形で、持論を展開した》

被告側代理人(以下「被」)「著書の『沖縄ノート』には3つの柱、テーマがあると聞いたが」

大江氏「はい。第1のテーマは本土の日本人と沖縄の人の関係について書いた。日本の近代化に伴う本土の日本人と沖縄の人の関係、本土でナショナリズムが強まるにつれて沖縄にも富国強兵の思想が強まったことなど。第2に、戦後の沖縄の苦境について。憲法が認められず、大きな基地を抱えている。そうした沖縄の人たちについて、本土の日本人が自分たちの生活の中で意識してこなかったので反省したいということです。第3は、戦後何年もたって沖縄の渡嘉敷島を守備隊長が訪れた際の現地と本土の人の反応に、第1と第2の柱で示したひずみがはっきり表れていると書き、これからの日本人が世界とアジアに対して普遍的な人間であるにはどうすればいいかを考えた」

「日本と沖縄の在り方、その在り方を変えることができないかがテーマか」

大江氏「はい」

「『沖縄ノート』には『大きな裂け目』という表現が出てくるが、どういう意味か」

大江氏「沖縄の人が沖縄を考えたときと、本土の人が沖縄を含む日本の歴史を考えたときにできる食い違いのことを、『大きな裂け目』と呼んだ。渡嘉敷島に行った守備隊長の態度と沖縄の反応との食い違いに、まさに象徴的に表れている」

「『沖縄ノート』では、隊長が集団自決を命じたと書いているか」

大江氏「書いていない。『日本人の軍隊が』と記して、命令の内容を書いているので『~という命令』とした」

「日本軍の命令ということか」

大江氏「はい」

「執筆にあたり参照した資料では、赤松さんが命令を出したと書いていたか」

大江氏「はい。沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』にも書いていた」

「なぜ『隊長』と書かずに『軍』としたのか」

大江氏「この大きな事件は、ひとりの隊長の選択で行われたものではなく、軍隊の行ったことと考えていた。なので、特に注意深く個人名を書かなかった」

「『責任者は(罪を)あがなっていない』と書いているが、責任者とは守備隊長のことか」

大江氏「そう」

「守備隊長に責任があると書いているのか」

大江氏「はい」

「実名を書かなかったことの趣旨は」

大江氏「繰り返しになるが、隊長の個人の資質、性格の問題ではなく、軍の行動の中のひとつであるということだから」

「渡嘉敷の守備隊長について名前を書かなかったのは」

大江氏「こういう経験をした一般的な日本人という意味であり、むしろ名前を出すのは妥当ではないと考えた」

「渡嘉敷や座間味の集団自決は軍の命令と考えて書いたのか」

大江氏「そう考えていた。『鉄の暴風』など参考資料を読んだり、執筆者に会って話を聞いた中で、軍隊の命令という結論に至った」

「陳述書では、軍隊から隊長まで縦の構造があり、命令が出されたとしているが」

大江氏「はい。なぜ、700人を超える集団自決をあったかを考えた。まず軍の強制があった。当時、『官軍民共生共死』という考え方があり、そのもとで守備隊は行動していたからだ」

「戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』という教えも、同じように浸透していたのか」

大江氏「私くらいの年の人間は、子供でもそう教えられた。男は戦車にひき殺されて、女は乱暴されて殺されると」

「沖縄でも、そういうことを聞いたか」

大江氏「参考資料の執筆者の仲間のほか、泊まったホテルの従業員らからも聞いた」

「現在のことだが、慶良間(けらま)の集団自決についても、やはり軍の命令と考えているか」

大江氏「そう考える。『沖縄ノート』の出版後も沖縄戦に関する書物を読んだし、この裁判が始まるころから新証言も発表されている。それらを読んで、私の確信は強くなっている」

「赤松さんが陳述書の中で、『沖縄ノートは極悪人と決めつけている』と書いているが」

大江氏「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きい罪を犯しうるというのを主題にしている。悪を行った人、罪を犯した人、とは書いているが、人間の属性として極悪人、などという言葉は使っていない」

「『(ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の中心人物で、死刑に処せられたアドルフ・)アイヒマンのように沖縄法廷で裁かれるべきだ』とあるのは、どういう意味か」

大江氏「沖縄の島民に対して行われてきたことは戦争犯罪で、裁かれないといけないと考えてきた」

「アイヒマンと守備隊長を対比させているが、どういうつもりか」

大江氏「アイヒマンには、ドイツの若者たちの罪障感を引き受けようという思いがあった。しかし、守備隊長には日本の青年のために罪をぬぐおうということはない。その違いを述べたいと思った」

「アイヒマンのように裁かれ、絞首刑になるべきだというのか」

大江氏「そうではない。アイヒマンは被害者であるイスラエルの法廷で裁かれた。沖縄の人も、集団自決を行わせた日本軍を裁くべきではないかと考え、そのように書いた」

「赤松さんの命令はなかったと主張する文献があるのを知っているか」

大江氏「知っている」

「軍の命令だったとか、隊長の命令としたのを訂正する考えは」

大江氏「軍の命令で強制されたという事実については、訂正する必要はない」


《被告側代理人による質問は1時間ほどで終わった》


(izaタイトル)
【沖縄集団自決訴訟の詳報(5)完】大江氏「責任を取るとはどういうことなのか」11/09 21:47更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/99545/


《5分の休憩をはさんで午後2時55分、審理再開。原告側代理人が質問を始めた》

原告側代理人(以下「原」)「集団自決の中止を命令できる立場にあったとすれば、赤松さんはどの場面で中止命令を出せたと考えているのか」

大江氏「『米軍が上陸してくる際に、軍隊のそばに島民を集めるように命令した』といくつもの書籍が示している。それは、もっとも危険な場所に島民を集めることだ。島民が自由に逃げて捕虜になる、という選択肢を与えられたはずだ」

「島民はどこに逃げられたというのか」

大江氏「実際に助かった人がいるではないか」

「それは無目的に逃げた結果、助かっただけではないか」

大江氏「逃げた場所は、そんなに珍しい場所ではない」

「集団自決を止めるべきだったのはいつの時点か」

大江氏「『そばに来るな。どこかに逃げろ』と言えばよかった」

「集団自決は予見できるものなのか」

大江氏「手榴(しゅりゅう)弾を手渡したときに(予見)できたはずだ。当日も20発渡している」

「赤松さんは集団自決について『まったく知らなかった』と述べているが」

大江氏「事実ではないと思う」

「その根拠は」

大江氏「現場にいた人の証言として、『軍のすぐ近くで手榴弾により自殺したり、棒で殴り殺したりしたが、死にきれなかったため軍隊のところに来た』というのがある。こんなことがあって、どうして集団自決が起こっていたと気づかなかったのか」

「(沖縄タイムス社社長だった上地一史の)『沖縄戦史』を引用しているが、軍の命令は事実だと考えているのか」

大江氏「事実と考えている」

「手榴弾を島民に渡したことについては、いろいろな解釈ができる。例えば、米英に捕まれば八つ裂きにされるといった風聞があったため、『1発は敵に当てて、もうひとつで死になさい』と慈悲のように言った、とも考えられないか」

大江氏「私には考えられない」

「曽野綾子さんの『ある神話の風景』は昭和48年に発行されたが、いつ読んだか」

大江氏「発刊されてすぐ。出版社の編集者から『大江さんを批判している部分が3カ所あるから読んでくれ』と発送された。それで、急いで通読した」

「本の中には『命令はなかった』という2人の証言があるが」

大江氏「私は、その証言は守備隊長を熱烈に弁護しようと行われたものだと思った。ニュートラルな証言とは考えなかった。なので、自分の『沖縄ノート』を検討する材料とはしなかった」

「ニュートラルではないと判断した根拠は」

大江氏「他の人の傍証があるということがない。突出しているという点からだ」

「しかし、この本の後に発行された沖縄県史では、集団自決の命令について訂正している。家永三郎さんの『太平洋戦争』でも、赤松命令説を削除している。歴史家が検証に堪えないと判断した、とは思わないか」

大江氏「私には(訂正や削除した)理由が分からない。今も疑問に思っている。私としては、取り除かれたものが『沖縄ノート』に書いたことに抵触するものではないと確認したので、執筆者らに疑問を呈することはしなかった」


《尋問が始まって2時間近くが経過した午後3時45分ごろ。大江氏は慣れない法廷のせいか、「ちょっとお伺いしますが、証言の間に水を飲むことはできませんか」と発言。以後、ペットボトルを傍らに置いて証言を続けた》

「赤松さんが、大江さんの本を『兄や自分を傷つけるもの』と読んだのは誤読か」

大江氏「内面は代弁できないが、赤松さんは『沖縄ノート』を読む前に曽野綾子さんの本を読むことで(『沖縄ノート』の)引用部分を読んだ。その後に『沖縄ノート』を読んだそうだが、難しいために読み飛ばしたという。それは、曽野綾子さんの書いた通りに読んだ、導きによって読んだ、といえる。極悪人とは私の本には書いていない」

「作家は、誤読によって人を傷つけるかもしれないという配慮は必要ないのか」

大江氏「(傷つけるかもしれないという)予想がつくと思いますか」

「責任はない、ということか」

大江氏「予期すれば責任も取れるが、予期できないことにどうして責任が取れるのか。責任を取るとはどういうことなのか」


《被告側、原告側双方の質問が終わり、最後に裁判官が質問した》

裁判官「1点だけお聞きします。渡嘉敷の守備隊長については具体的なエピソードが書かれているのに、座間味の隊長についてはないが」

大江氏「ありません。裁判が始まるまでに2つの島で集団自決があったことは知っていたが、座間味の守備隊長の行動については知らなかったので、書いていない」


《大江氏に対する本人尋問は午後4時前に終了。大江氏は裁判長に一礼して退き、この日の審理は終了した》




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