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友軍にやられたよ

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pipopipo555jp

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友軍にやられたよ

仲門 トキ
※糸満市真栄平

  あのときから二、三日も待たないで、すぐアメリカ軍の捕虜になったから、もう戦争の最後のころだったはずよ。私のお父さんが友軍(日本軍)に殺されたのは。

  私たちの部落真栄平(まえひら)は、東からも西からもアメリカ軍に追われて逃げてきた住民や兵隊がいっぱいで、壕どころか頭一つ隠すところでもみつかればいい方だったよ。アメリカ軍が攻めあぐねていた最後の部落だったからね。

  私は大きなおなかを抱え、長女と夫の先妻の子二人を運れて、実家の親や三人の妹と弟、それに妹たちの子どもらと、実家や隣近所の屋敷内の壕に隠れていたわけさ。

  あのとき、お父さんは別の壕で、私たちだけがその壕に入っていたら友軍がきて、
「おばさん、この防空壕になん名ぐらい入っているね」
ときいたから、私のお母さんが、
「女や子ども七、八名ですよ」
といったら、すぐ手榴弾を投げ込んできてね。入り口の方に水がめとイモを入れたザルが置いてあったおかげで破片が余り飛び散らず、私たちは大したケガもなかったけど、怖かったよ。もうダメだと思ったさ。この破片が妹の長男の額に当たり、このキズがもとでこの子、その後、死んだよ。

  ここにいたらまたやられるかもしれんと大騒ぎになって、私たちはあっちから、お母さんたちはこっちから逃げて、どこにいったらいいか、逃げ場なんかないけど、とにかくその壕から逃げ出したわけさ。

  その途中、お母さんたちは私たちの従兄(いとこ)が足を斬られて、
「おばさん、友軍にやられたよ」
と道ばたで苦しんでいるのを見たって。だけどお母さんも逃げるのに必死で、
「そうね」
といって、助けることもできないわけさ。友軍が追いかけてくるかもしれないし、空の上はアメリカ軍の飛行機がグルグル回っているでしょ。弾が雨のように落ちてくるんだから、立ち止まることもできない。こっちがやられてしまうから、かわいそうだったよ。

  この従兄も私のお父さんも、隣の家族も姉さん一人除いて全部、友軍に斬り殺されたんだからね。

  この姉さんから、
「あんたのお父さんも友軍に殺されていたよ」
と、あとで聞いたけど、現場にいってみることもできない。夜も昼もアメリカ軍の弾が雨のように落ちてくるんだから。お骨は、アメリカの捕虜になって山原(沖縄本島北部)に連れていかれ、帰ってきてから取りにいったんだよ。

  姉さんの話だと、木にもたれるように座ったまま死んでいたって。首をだらりと下げて。

  戦争だから、敵に、アメリカ軍に殺されるのはまだ仕方がない。だけど、私のお父さんや従兄は友軍に殺されたんだからね。

  友軍は、兵隊さんは、私たちを守ってくださるから大事にしなければと、実家でもイモや砂糖やいろんな食べ物をたくさんあげたよ。それがなんね。壕から追い出すつもりだったのか、追いつめられて友軍もなにがなんだかわからなくなったのか、自分たちが殺してもアメリカ軍が殺したとすればいいと思ったのか、わからないけれど、悪者さ。

  あの戦争で、私の夫も、二女、三女の夫も戦死し、私のおなかの赤ちゃんも捕虜収容所で生まれたけれども、お乳も出ないし食べものもなくて、すぐ死んでしまった。(『証言 帝国軍隊』より)


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