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沖縄集団自決・教科書から「軍命令」削除検定撤回狙うNHK報道

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沖縄集団自決・教科書から「軍命令」削除検定撤回狙うNHK報道

獨協大学名誉教授
昭和史研究所代表
中村 粲


「軍命令」を削除した検定を評価


 来春から使われる高校歴史教科書の沖縄住民集団自決に関する記述から「軍命令」が削除されることになった。文部科学省の検定意見に従って修正された記述を見ると、まだ集団自決が軍の強制によるとの誤解を与えかねない表現を使っている一部の教科書があることは遺憾であるが、軍命令や軍の強制で集団自決が行われたかの如き表現を教科書から削除するというこの度(たび)の検定方針は高く評価すべきものと考える。平成8年2月の検定をパスした7社発行の中学歴史教科書の反日偏向が余りにも甚しかったために、歴史教科書に対する世論の批判が大いに高まった結果、慰安婦問題が教科書から消え、南京事件の記述も抑制され、全体として改善されてきた中で、沖縄住民集団自決が軍命令で強制されて起こったとの記述だけは大手を振ってまかり通ってきたからである。


軍命令否定は禁忌だった


 文科省が前記のような検定方針を決定したのには、平成17年8月以来係争中の「沖縄集団自決冤罪訴訟」を通じて、軍命令のあったことを否認する数多くの事実が明かるみに出されてきたことが関係しているとみるべきであろう。曽野綾子著『ある神話の背景』以来、軍命令の存在を疑い、更には「軍命令」説と遺族年金支給との関連を推測する向きもあるにはあったが、それを公言することは沖縄では一種の禁忌なのであった。


勇気ある人々――座間味の場合


 慶良間(けらま)列島の集団自決は昭和20年3月26日座間味(ざまみ)島で、28日渡嘉敷(とかしき)島で発生した。前者については海上挺進第一戦隊長・梅沢裕少佐が、後者については同第三戦隊長・赤松嘉次大尉が隊長命令で強制したとして責任を負わされ、現地は無論、広く我国の言論界、教育界の指弾を浴びてきた。両元隊長は緘黙(かんぜん)して謂われなき非難と屈辱に耐えてきたため、自分の家族からも誤解を受けることにもなり、その苦衷はよく筆舌の盡す処ではなかった。併しながら天は決して義人を見放すことはない。

 昭和57年6月、沖縄戦当時、座間味村の女子青年団長であった宮城初江さんから、来島した梅沢元隊長に対して「今まで周囲の圧力で自決は軍命令と主張してきたが、実は自分達5人の村代表が隊長に自決を申し出た時、隊長は自決を許可せず、弾薬類の支給を断った。私がその事実を知る唯一の生証人です」との告白がなされたのであった。

 またこれと前後して、沖縄戦の事実を求めて体験者を訪ね歩いていた沖縄の反戦運動家・富村順一氏が梅沢元隊長を往訪、梅沢氏の話を聞いて一驚し、梅沢氏に無実の罪を負わせてきたのは沖縄の恥辱であるとして翻然梅沢氏弁護の活動に入った。その富村氏の街頭演説を偶々聞いたのが神戸新聞の記者・中井和久氏であった。氏は早速梅沢氏に面接取材し、昭和60年7月30日付同紙朝刊に、集団自決に「日本軍命令はなかった」との記事を大きく掲載したのである。いずれも勇気ある人々と云うべきであろう。

 そして遂に決定的な告白と謝罪がなされた。昭和62年3月28日、梅沢氏が座間味島を訪ねた折、戦後座間味村役場で援護係をしていた宮村幸延氏が梅沢氏に対し、「集団自決は当時兵事主任兼村役場助役であった宮里盛秀の命令によるもので、遺族補償受給のため、弟の自分がやむを得ず隊長命令として申請した」旨の詫証文を書いて署名捺印したのである。この証文こそ、梅沢氏無実を示す駄目押しの証拠である。この謝罪も勇気ある決断だ。

 自分が罪を背負うことで座間味の村と人が豊かになることを願い、敢えて自己弁護せず濡れ衣を着て忍苦の人生を送ってきた梅沢元隊長の潔白は、こうした人々の良心と、道義的勇気のある告白や行動の積み重ねによって漸く世間に広く認知される処となってきたのである。

隊長命令を否定する人々――渡嘉敷の場合


 他方、渡嘉敷島についてはどうであろうか。『ある神話の背景』にまとめられた曽野綾子女史の取材記録の何処を押しても隊長命令で集団自決が行われたとの結論は出て来ない。

 また赤松隊長の副官と云われていた知念朝睦本部付警戒小隊長(少尉)や、唯一人の渡嘉敷島駐在巡査であった比嘉(旧姓安里)喜順氏の証言は軍命令のなかったことを明確に語っている。更に現在、渡嘉敷村民俗歴史資料館長である金城武徳氏は、当時数え年15歳であったが、集団自決の現場に居て状況を鮮明に記憶している。集まった住民を前に自決を呼びかけ、「天皇陛下万歳」を唱えたのが古波蔵惟好村長であったこと、手榴弾不発で死に切れなかった人々が赤松隊長の処に赴いて機関銃を所望したのに対し、隊長は「早まったことをしてくれた」と残念がり、機関銃貸与を断ったことなど、金城氏は当時の現場を知る語り部として赤松氏の無実を訴え続けている。上の証言だけからでも、隊長命令のなかったことは明白であろう。タブーを怖れぬこれらの人々の勇気ある証言も道義的見地から高く評価されねばなるまい。

敢えて沈黙を通した赤松元隊長


 集団自決を軍命令によるものとしたのは『鉄の暴風』(沖縄タイムス社。初版発行は昭和25年8月15日)が最初だが、その執筆者達は戦後沖縄に帰ってきた人達で、集団自決発生について直接の知識も体験もない。彼等は住民から聞き集めた断片的な話を反日反軍思想で軍命令の話に作り上げたに違いない。その確拠のない軍命令説が動かし難い公的見解として流布し定着した事情は何であろうか。それは座間味の場合と同様、遺族補償の関係である。

 『ある神話の背景』に出てくる赤松元隊長の発言を注意深く読むならば、赤松氏自身、遺族補償のために集団自決が軍命令とされたことを昭和45年3月の段階で承知していながら、敢えて村民への配慮から沈黙を守ったらしいことが看取される筈だ。筆者自身、平成10年に昭和史研究所の調査で渡嘉敷島を訪れた際にも、軍命令説は援護金受給のために作り出されたものらしいとの風聞のあることを知った。座間味で遺族補償申請のために集団自決が軍命令とされたのと同じ事情が渡嘉敷にもあるに違いないと推断した筆者は、平成14年から翌15年にかけて再三、遺族補償申請資料の閲覧希望を渡嘉敷村役場に申し出たが、好意的な対応に接することは出来なかった。また平成15年3月には厚生労働省援護課を往訪、援護法による遺族年金支給の経緯と「軍命令」の実否に関する援護課の認識について質し、遺族補償も十分に行われてきた今(各遺族年額約200万円の年金)、軍命令が遺族補償支給のための行政的便法であったことを認めて軍と軍人の名誉回復への道を開いたならば八方円満に解決するのではないか、と見解を質したが、軍命令の実否という「歴史的事実」についての言及は得られず仕舞いであった(詳細は日本政策研究センター『教科書は間違っている』27頁。昭和史研究所『昭和史研究所會報特別版』140~142頁)

「私が軍命令を創作した」


 併しながら、座間味の場合と同じく、渡嘉敷にも決定的な証言者が出現した。那覇市の照屋昇男氏が軍命令は「創作」であったとの重大証言をしたのである(平成18年8月27日産経新聞)。

 かつて琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員であった氏は、アンケートや聞き取り調査で援護法適用の資格の有無を調べた処、聞き取り調査をした100人以上の渡嘉敷島民の中に集団自決が軍命令だと証言した者は一人もいなかったと断言する。社会局長と共に厚生省援護課に島民の窮状を訴えて援護金支給を陳情したが無理だった。だがついに厚生省は軍命令があれば援護金を支給することを認めてくれたと云う。

 喜んだ玉井喜八村長(当時)が赤松元隊長を訪ねて事情を話した処「村を救うため十字架を背負う。隊長命令とする命令書を作ってくれたら押印してサインする」と云われた。そこで照屋氏等が「住民に告ぐ」とする自決命令書を作成したと氏は語っている。

 併しさすがに赤松元隊長も余命3ヶ月となった時、玉井村長に隊長命令という部分の訂正を要請してきたと云う。赤松氏に対する誹謗を見聞するたび、照屋氏は「胸に短刀を刺される思い」だった。元隊長の苦悩を察し、良心の呵責に耐えかねて、氏は遂に軍命令否定証言を公けにしたのであり、真に勇気ある行動と称えたい。とまれ、これによって座間味の梅沢元隊長、渡嘉敷の故赤松元隊長による集団自決命令が援護金受給のための「創作」であったことの鉄証が出そろったことになる。教科書から軍命令の記述が削除されたのは当然すぎる話である。教科書は生徒達に真実を教えねばならないからだ。

「防衛隊」を「日本軍」と歪曲するNHKの詐術


 処が軍命令を削除したこの検定を面白く思わないのがNHK。6月21日放送<クローズアップ現代>「“集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~」は上検定に対するNHKの敵意の表出と云ってよい。

 番組は冒頭で云う。軍命令削除の検定に対して沖縄では強い怒りと抗議の声が上がっている。その中で「体験者からの聞き取り調査が始まって」おり、「日本軍によって住民が自決に追い込まれていった状況が浮かび上がってきた」とのナレーションが流れる。更に「なぜ文部科学省は突然書き換えを求めたのか」と尤もらしく問題提起をしながらも、それについては現在係争中の「沖縄集団自決冤罪訴訟」原告の一人である梅沢裕氏の短い発言を流すだけで、原告団に提訴を決断させた数多くの証言や事実解明の経過には全く触れない。実はそれこそが軍命令不存在の証明なのであり、また文科省が軍命令記述の修正を求めた根拠であるにも拘らず、である。それ故視聴者は、文科省は元隊長の個人的感情にのみ依拠して軍命令記述を修正したかの如く錯覚する。これは今回の検定には客観的根拠がないとの印象を視聴者に与えるための欺瞞的番組編集手法と筆者は断ずる。

 番組が、軍命令存在の“証言”として再三流すのは「日本軍から手榴弾を渡されて自決を強いられた」との言葉である。だが、この中の「日本軍」というキーワードに重大なごまかしがある。住民に手榴弾を渡して自決を勧めたのは地元出身の防衛隊員で、戦隊所属の日本軍将兵ではない。防衛隊とは兵役法による正規兵ではなく、現地在郷軍人会が結成した義勇兵で、軍装も不統一、階級章も付けていない。軍とは別に、家族と共に起居していた。村民と常時接触していたのは、この防衛隊だったのだ。

 家族や村民と生活を共にしていた防衛隊員が、戦闘用に2個ずつ支給されていた手榴弾を勝手に自決用として家族等に配布した場合もあった。防衛隊員も日本兵のうち、と単純に考える住民は、それを「日本軍」による自決の命令あるいは指示と誤解したに違いない。NHKはそのような誤解をいいことに、軍命令を示す住民の“証言”として強引に押し通してしまっている。そうではないと判っているくせに、防衛隊=日本軍という拡大解釈で日本軍による自決命令という“証言”を作り出したこのNHK番組は正に言語詐術と欺瞞の見本である。本稿で紹介した沖縄の人々の様々な軍命令否定証言、援護金目的の軍命令創作証言はただの一つも出てこない。この怖るべき偏向番組の狙いはその言論暴力で今回の検定方針を撤回させ、軍命令を復活させることにあると私は見る。

(平19・7・22)



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