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「沖縄」はなぜ歪曲、攻撃されるのか

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「沖縄」はなぜ歪曲、攻撃されるのか 2007/10/27



 10月25日、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」主催で、大城将保さん(沖縄国際大学非常勤講師・沖縄平和ネットワーク代表世話人)が「沖縄戦の真実と歪曲」と題する講演を行いました。大城将保さんは1939年沖縄県玉城村生まれの沖縄戦研究者で、『沖縄戦』(高文研)『沖縄戦を考える』(ひるぎ社)など多数の著書があります。

 お話に先立って、アニメ『かんからさんしん』(原作・脚本共に大城さん)の一部が上映されました。ガマで「集団自決」(強制集団死)する寸前だった人々が、捕虜となったお姉さんが歌う思い出の歌を聞いて、我に返って、誰からともなく一緒に歌い出し、ガマから出ていくというラストシーンでした。

 大城さん(以下、「私」)のお話を報告します。


「集団自決」問題の矮小化と真実


 大江・岩波裁判で原告は、すべて慶良間諸島の梅沢隊長、赤松隊長の命令があったかなかったか、これさえはっきりすれば解決すると言っています。しかしいわゆる「集団自決」が渡嘉敷島、座間味島だけで起こったのかといえば、そうではなく、沖縄のあちこちで起こったのです。今日、資料として「沖縄戦における『集団自決』と『住民虐殺』の事例一覧」をお配りしてあります。これは私が足で歩き、体験者、つまり生き残った方々に聞いて作ったものです。

 マスメディアは沖縄の苦労に対して、政府は冷淡すぎだとか、かわいそうだからもっと沖縄の声に耳を傾けるべきだという論調ですが、ここには落とし穴があります。ならば謝ればいいのか? そうではありません。

 梅沢隊長、赤松隊長の命令があったかなかったかということだけに問題が矮小化され、沖縄の常識が本土には伝わりません。沖縄戦ではいたるところで「集団自決」と「住民虐殺」がありました。

 2つの隠ぺいがあります。1つは「集団自決」というと慶良間のみ、梅沢・赤松のみとし、他を見えなくさせています。これは原告側の策略です。2つ目は、「集団自決」の裏には表裏一体のものとして「住民虐殺」があります。見せしめとして「処刑」と称して虐殺し、恐怖感を与え、「集団自決」に追い込むため、住民虐殺が行われていました。

 先ほどの資料は個人で拾った未完成な資料ですが、現場で聞いて確かめたもので、他にもたくさんあると思います。というのは、「集団自決」というのは一家ごと死んでしまうので、死んだら証言できないからです。沖縄本島では人口の3人に1人が亡くなっています。3分の1の人は死んで証言できない。一緒に死のうとして死ねなかった、かろうじて生き残った人が証言しているだけだからです。

 軍隊というものは目の前で命令するのではなく、口頭の命令を伝令が伝達するのです。村長や警防団長らが軍命を伝える役割を担っていました。命令文書が見つからないから命令はなかったとするのは、戦争を知らないから言えることです。戦場の現実というのは非日常なので、一般にはわからないものです。

 私は「GAMA・月桃の花」という映画の原作・脚本も書きました。モデルの1人にその映画を見てもらったら、「現実はもっとひどかったのよ」と言っていました。彼女は「ガマの中はあんなに明るくないもの」と言いました。乳飲み子を餓死させ、冷たくなった体を1週間抱いていたそうです。あかりがなかったので死に顔をみることさえできず、「覚えているのは指先だけよ」と言っていました。何も言えませんでした。

 私は5歳の時に熊本に疎開し、安全地帯に逃げたので、沖縄の人たちには引け目を持っています。亡くなった人のことを考えると、戦争で生き残った人たちは60年経っても心の傷を癒すことはできません。2年前に玉城村史を出しましたが、まだ語らない人がいます。

 各村で勤労青年団、女子青年団を組織し、女子青年団は野戦病院に行きました。「ひめゆり」や「しらうめ」だけではないのです。防衛隊はどの村からも行っていますが、みんな同じことを言っています。手榴弾を2個持たされ、1個は敵に、1個は自決用だと。住民にも強制したのです。あるおじさんは手榴弾を腰に縛り付けていた縄が切れて、手榴弾をなくしたために生き残りました。軍隊では「しゅりゅうだん」ではなく「てりゅうだん」と言い、沖縄では今も「てりゅうだん」と言っています。

沖縄を標的に


 復帰してしまうと日本軍の残虐性がうやむやにされてしまうのではないかということで、1970年代から、戦争史を作ろうという動きが始まり、「沖縄県史」を作りました。自由主義史観の人たちは、そろそろ風化しているだろうということで、60年も経ってから慶良間諸島の座間味島、渡嘉敷島に2泊3日で調査に行き、帰ってから報告会を開いて、現地に行ったら軍命はなかった、と報告しました。2005年5月に教科書を訂正すべきだと決議文をあげ、8月に梅沢隊長と赤松隊長の弟が提訴しました。2007年3月には検定結果が発表されました。

 この3つはつながっています。裁判と検定問題があって複雑ですが、どちらも全体像を表に出したくないため、隊長命令があったかなかったかの一点に絞っています。本人が「ない」と言えば重みがある、とか両論併記でいいんじゃないかと言う人もいますが、沖縄の立場は「軍命はあった」とはっきりしています。

 自由主義史観の者たちが、安倍内閣が発足して全体が右寄りになり、今なら沖縄を攻撃してもたいしたことないだろうと、一斉に沖縄を標的にしたのです。こんなに露骨に教科書につながるとは思っていませんでしたが、我々は調査研究プロジェクトを作り、分析研究していました。危機感があったので敏感に対応していました。一般県民は改憲への傾斜、教育基本法の改悪、改憲手続き法の制定などが動き出したことで、直接身に降りかかってくると思い、新聞に続々と投書が載りました。

 沖縄戦でとことんつきあたるのは、「集団自決」と「住民虐殺」です。これがなぜ起こるのかを考えることが大切です。読谷村のチビチリガマでは140名が「集団自決」をはかり、83名が死にました。反対に、すぐ近くのシムクガマには1,000名がいましたが、「集団自決」を中止しました。『かんからさんしん』をご覧になって、「最後はみんな助かったんじゃないか」とお思いになったでしょう。どうして生き残ったのか?

 それは大事なテーマです。みんな死のうと思って行動したのに、あるところで踏みとどまった。「死んだ」ではなく、虐殺や恐怖からどうやって生きるかが大事です。心の中で何が起こったのでしょうか? 『かんからさんしん』は事実をフィクション化し、象徴化しています。芸術作品です。

「生のガマ」と「死のガマ」


 「生のガマ」と「死のガマ」というテーマで考えてきましたが、遺族の気持ちを考えると、とてもできなかったです。シムクガマはチビチリガマに遠慮して、一切語らんでおこうということで、誰言うとなくタブーになりました。戦後50年にやっと記念碑ができましたが、遠慮しいしい、申し訳ないと思いつつなのです。

 軍隊がいて、米軍に包囲されていて「集団自決」が起こらなかった所は慶良間諸島の阿嘉島、中城湾の津堅島です。津堅島では軍民一体化していました。なぜ「集団自決」が起こらなかったのでしょうか。住民は一か所においつめられ、手榴弾を渡され、晴れ着に着替えて死の準備をしていました。

 その時、突如、3、4歳の女の子が猛烈に泣き出して、着物を破いたのです。鳴き声が洞窟に響き渡り、人々はそれに心を奪われました。「日本兵に殺されるよ」と言いました。泣くということは大変なことなのです。その時、おばあさんが、「神様のお告げかもしれないよ」と言いました。「どうした? どうした?」と泣いている子どものまわりに集まっている間に、死ぬことを忘れてしまったのです。「集団自決」というのは普通の精神状態ではできず、心が凍りつき、死に集中しなければできないものです。

 復帰前の1968年の防衛庁戦史には、慶良間諸島では小学生、婦女子までもが崇高な犠牲精神のため自ら命を絶つ者もあった、と書かれています。それが公式見解でした。軍責はなかったとされています。軍隊というのは組織的なもので命令だけです。住民には住民の論理があり、ぶつかりあったというのが沖縄戦の一側面です。アメリカよりも日本兵がこわくなったのです。軍と民の論理の対立があり、一般民衆の論理をどうやって残せばいいのかが大事なのです。

 チビチリガマは米軍上陸地点からわずか1kmのところにあり、数日前まで軍隊がいました。警防団と青年団は竹やりで武装していました。最後の切り込みがあり、それが引き金になって、1回バーンとなると、それが誘い水になり、自分たちだけ残ったら大変だと1発の銃声でワーっと突っ込んでしまったのです。

 シムクガマも全く同じ状況にありました。「最後だ、切り込みに行くぞ」と竹やりで機関銃に向かっていこうとした時、ハワイ移民帰りのおじいさんが「おまえら、何やってんだ、捨てろ、やめろ」と止めました。晴れ着に着替えていましたが、おじいさんに叱られてバーンと切れて、立ちすくんでしまったのです。おじいさんと甥が「アメリカと交渉してくる」と出ていって、2人が投降するように人々を説得したのです。映画に残っています。

 阿嘉島ではリーダーの人が「これから死ぬぞ」と手榴弾をやったら、音が出ない。その空白の時間に目が覚めたのです。凍りついた心が元に戻ったのです。生と死の境というのは非常に微妙なものです。頭の中は皇民化教育ですが、「生きたい」という心がある。それは普段は言えません。言ったら殺されてしまいます。何かの拍子に解放されると「生きよう」となるのです。

 沖縄市の美里では字ごとに掘り起こしをしています。これから続々と出てくるでしょう。「死ぬ前に村史に書かないと」と60年かかって「○○さんはこうして死んだ」という証言が出てきています。今、市町村、字でやっているのでどんどん出てくるでしょう。美里では飯田隊長が女子どもが邪魔だとし、地元の兵になれない年齢の人に「我々は南部に行くから、家族を殺してこい」と命令しました。手榴弾はもったいないから、家に閉じ込めて火をつけて焼けと命令しました。美里部落の青年団で伝令した人の名前もはっきりしています。

軍隊は住民を守らない


 軍と住民が混在した場合、住民は軍隊の犠牲になるのだということは、沖縄で10人に聞けば10人がそう答えます。「命どう宝」が合言葉で、軍隊は住民を守らなかったのです。今、国は徴兵制を復活させないと、もたないと思っていて、「強い国になりたい。強い軍隊を持ちたい」と思っています。だから「軍隊は住民を守らない」という沖縄が邪魔なのです。

 沖縄は今までに何度も同じ目に遭っています。博物館の銃剣も一旦撤去されたものを引き戻しました。沖縄は「かわいそう」ではありません。経験を積んできました。教科書問題は日本全体の将来に関わるので未曾有の歴史的な県民大会を成功させました。集まったのは4万5千だとか1万だったとか言っていますが、問題をそらそうとしているのです。「軍隊は住民を守らない」、これを困る人が沖縄に攻撃を向けているのです。油断していると、将来日本が「軍隊は住民を守らない」を実地に体験することになるでしょう。
(渡辺容子)

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