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死者への<しっと>

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正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社)
靖国特集 
沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
弁護士 徳永信一


死者への<しっと>


軍命令のあるなしに関わらず、慶良間列島の島々で集団自決があったことは事実である。なぜ、そのようなことが起こったのかは、わたしたち日本人の精神史上の重大事であり、予断を排してその実相に向き合う必要がある。

『沖縄県史第10巻』には、生き残った村民たちの証言が収録されているが、いずれも平和ボケした戦後の日本人の魂を揺さぶるものがある。なかでも大城昌子氏の手記『自決から捕虜へ』は衝撃的である。

「前々から、阿嘉島駐屯の野田隊長から、いざとなった時には玉砕するよう命令があったと聞いていましたが、その頃の部落民にそのような事は関係ありません。ただ、家族が顔を見合わせて早く死ななけれぱ、とあせりの色を見せるだけで、考えることといえぱ、天皇陛下の事と死ぬ手段だけでした。命令なんてものは問題ではなかったわけです。
  米軍の上陸後二時間程経った午後十時頃、追いつめられ一か所に集まった部落民は、家族単位で玉砕が決行されました。数時間前までだれ一人として想像もできなかった事が、わずかの時間でやってのけられたのです。
  私は父と一緒にお互いの首をしめあっている時に米軍に見つかり、捕虜となってしまいました。
  (中略)米軍にひきいられながら、道々、木にぶらさがって死んでいる人を見ると非常にうらやましく、英雄以上の神々しさを覚えました。それに対して、敵につれていかれる我が身を考えると情けなくて、りっぱに死んでいった人々の姿を見る度に自責にかられるため、しまいには、死人にしっとすら感じるようになり、見るのもいやになってしまいました」

《死人にしっとすら感じる》
この言葉に釘付けになった。めまいのような感覚とともに、当時の村民に横溢していたものが伝わってくる。そこに極限状態におかれた人間の狂気をみたり、皇民化教育の徹底と狂信をみて、あるいはその言葉の危険な力を直感して遠ざかる者もあるだろう。しかし、わたしは、その言葉が伝える「死」の意味に囚われた。「戦後」は個人の生命をもっとも大切なものであると教え、「死」を厭い、社会の表面から排除してきた。しかし、「死」は平等であるが同じではなく、個人の生命の終りであってもすべての終りではない。個々の「死」を貫いて活きる民族の生命があり、歴史があり、魂がある。「戦後」は、このことから敢えて目を背けてきた。強制されない限り、人が自決することはありえないという思い込みが、《軍命令による集団自決》という神話を定着させてきたように思える。集団自決の実相は、そうした「戦後」を反省する契機となるだろう。

『ある神話の背景』に収められた富野稔少尉の言葉が突き刺さる。
「あの当時としてはきわめて自然だった愛国心のために、自らの命を絶った、という面もあると思います。死ぬのが恐いから死んだなどということがあるでしょうか。むしろ、私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、死の清らかさを自らおとしめてしまうのか。私にはそのことが理解できません」



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