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大江健三郎と戦後民主主義

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正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社)
靖国特集 
沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
弁護士 徳永信一


大江健三郎と戦後民主主義


冒頭にこの裁判は「戦後」という奢った時代の偽善と欺瞞を間うものだと言った。そしてそれは「戦後民主主義者」を自称する大江健三郎氏のあり方に対する問いかけでもある。平成6年のノーベル賞を受賞し、「あいまいな日本の私」と題する受賞講演において日本の文化と歴史を卑下してみせた大江氏は、その後「民主主義に勝る価値と権威を認めない」として日本政府からの文化勲章を拒否しながら、フランスのシラク大統領からレジオン・ドヌール勲章を受け取っている。このことが象徴するように、大江氏は、すべてを「権力vs民衆」の対立図式で捉え、反民主的な権力を支えてきた日本の社会と文化を歪んだものとして非難しながら、西欧を普遍的で進歩的な文明として手放しで礼賛する。その西欧におもねるような姿勢に反撥を感じてしまうのは、そこに大江氏の捩れた特権意識がみえかくれしているからにほかならない。

あるいは大江氏は自身が私淑するサルトルに倣おうとしたのかもしれない。団塊の世代に支持されたサルトルの実存主義哲学は、西欧文明の普遍性を前提に、その西欧が生んだ史的唯物論を乗り越え難い時代の前提とし、歴史を押し進める側へのアンガジュマン(主体的関与)を主張し、進歩的文化人を自任する多くの追随者を生んだ。『沖縄ノート』が出版された昭和45年は、まだ、科学と社会の「進歩」がなんの躊躇もなく信仰されていた時代であった。日本の伝統や歴史に拘ることは、辺境の「封建主義」として切り捨てられ、その見直しの試みは「反動」だと糾弾された。

しかし、その西欧中心主義の世界観と理性的主体としての人間観は、70年代後半になると人間と文化を組み立てている無意識的な「構造」を重視するレヴィ=ストロースやフーコーらの構造主義哲学から厳しい批判を浴び、みるみる色あせていった。そしてサルトルの凋落は、サルトルが時代の公理としていたマルクス主義を奉じる共産主義社会の悲惨な失敗によって実証されることになった。時代は変わった。人々は今、未来の理想社会ではなく千数百年前の万葉集の恋歌に《普遍》を見いだそうとする。大江氏もまたすでに過去の人である。


大江氏の『沖縄ノート』は異様な書である。執拗に繰り返される「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という自問を呪文のように唸りながら、「沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生」を問うものとして沖縄の集団自決に言及する。

裁判所に提出された大江氏側の答弁書によると『沖縄ノート』は、本土の犠牲にされ続けてきた沖縄について、沖縄の民衆の怒りを向けられた本土日本人とは何かをみつめ、戦後民主主義を問い直したものであるとする。そして集団自決に関する記述もこれを本土日本人の問題としてとらえ返したものであり、集団自決の責任者個人を非難しているものではないという。

それでは『沖縄ノート』になんと書かれているかをみてみよう。

「新聞が慶良間列島の渡嘉敷島で…『命令された』集団自決をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席するべく沖縄におもむいたことを報じた」(208頁)とし、渡嘉敷島の守備隊長が、集団自決を命令したことをはっきり記載している。そしてこの守備隊長、すなわち赤松元大尉その人の内面の心理を、お得意の《倫理的想像力》を駆使しながら次のように描く。

「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう」(210頁)。続いて「ペテン」だの「屠殺者」だのといった中傷を連ねたあげく、
「かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであった」(213ぺージ)とまで書く。《かれ》すなわち赤松元大尉個人をユダヤ人虐殺の責任者として絞首刑となったナチスのアイヒマンになぞらえて断罪しているのである。集団自決の責任者個人を批判するものではないとはよく言ったものである。

前述した平成12年10月の司法制度改革審議会において曽野綾子氏は、大江氏が『沖縄ノート』で赤松元大尉を「罪の巨塊」などと《神の視点》に立って断罪したことを非難して、こう述べている。
「それは『沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物』という風評を固定し、僧悪を増幅し、『自分は平和主義者だが、世間にはこのような悪人がいる』という形で赤松元大尉を断罪し、赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけた…それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました」(同審議会議事録)。

提訴間もなく、その大江氏から意外な反応があった。8月16日付朝日新聞の連載コラム「伝える言葉」で、自分が名誉毀損のかどで訴えられたことを取り上げたのだ。大江氏は、わざわざ「原告側の弁護士たちは『靖國応援団』を自称する人たち」と書き、何やら悪しき陰謀に巻き込まれた被害者であるかのごとき口吻をもって、「私はこの裁判についてできるだけ詳しい報道がなされることをねがっています。求められれぱ、私自身、証言に立ちたいとも思います」と宣言し、
こう続ける。「私としては、なによりも慶良間諸島から沖縄列島をおおって、どのように非人間的なことが『日本軍』によって行われたか、そしてそれがいかに読み変えられようとしているかの実態を示したいのです」

居直りとはこういうのをいう。《歴史の読み変え》云々は、裁判において間われている自身の加害者としての責任についてはっきりさせてからいうべきことである。大江氏は、まず、どんな調査のもとに、何を根拠にして、赤松元大尉を「罪の巨塊」などと断定し、アイヒマンのごとく絞首刑にされるべきだと断罪したのかを弁明しなけれぱならない。やがて法廷の誕言に立つという大江氏の約束が果たされる日を待ち遠しく思う。そのとき、彼はなにをどう語るのだろうか。



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