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覆された「神話」

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正論2006年9月号(産経新聞社・扶桑社)
靖国特集 
沖縄集団自決冤罪訴訟が光を当てた日本人の真実
弁護士 徳永信一

覆された「神話」


渡嘉敷島の集団自決が赤松元大尉の自決命令によるものだとする《赤松命令説》が覆ったのは、昭和48年に曽野綾子氏が著わした『ある神話の背景』の発行による。曽野氏の徹底した現地調査と綿密な考証によって、それは、根拠のない虚構であったことが明らかにされたのだ。

平成12年10月に開かれた司法制度改革審議会において、曽野氏は、この問題を紹介し、「これほど激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決命令を出した、という証言は、ついにどこからも得られませんでした」と述べている。

例えぱ、住民の玉砕を決めた将校会議に立会ったとされている知念元少尉は、曽野氏の取材に対し、これを完全に否定し、急遼守備隊に転身し山に登った状況下で「将校会議ができるような壕など全くありえない」と証言した。また、命令があったと告発していた古波蔵村長は軍から命令を直接受けたことはないと言い、あらゆる命令は安里元巡査を通じて受け取ることになっていたと証言した。ところが命令を伝達したはずの安里元巡査はこれを完全に否定し、逆に赤松元大尉から「あんたたちは非戦闘員だから、最後まで生きてくれ、生きられる限り生きてくれ。只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから部隊の近くのどこかへ避難させておいてくれ」と言われ、住民を「生かすために」山の中に避難させたところ「村長以下、みな幹部もね、捕虜になるより死んだほうがいい」と半狂乱になった状況を証言した。村長が集団自決の音頭をとっていた様子は、『沖縄県史第10巻』に収められた村民の証言からも確認できる。

更に、その古波蔵村長や赤松隊関係者の証言から、赤松隊が自決に失敗した村民の救護のために衛生兵を派遣して治療にあたらせていたことが明らかになったのだ。自決命令を出した部隊が自決に失敗した負傷者の救護を行うことはありえない。『ある神話の背景』における曽野氏の論証は圧倒的である。

結局のところ、『鉄の暴風』の《赤松命令説》は知念元少尉、安里元巡査といった鍵を握る沖縄側の証人への取材もないまま、不確かな伝聞を頼りに執筆者の想像で書かれたものに過ぎなかった。それは創作された「神話」であった。




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