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「義勇隊」文書発見/「根こそぎ」実態示す

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沖縄タイムズ
2006年6月22日(木) 夕刊 7面
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200606221700_04.html

「義勇隊」文書発見/「根こそぎ」実態示す


 沖縄戦を控え、旧日本軍が若年者や中高年まで動員した「防衛義勇隊」の構成が二十二日までに、米国立公文書館に保管されていた文書で分かった。米軍上陸直前の今帰仁村に関するもので、連日二千人以上を動員し、その中に避難民まで含めたことを明記。発見した関東学院大学の林博史教授は「根こそぎ動員の実態を示している」と話している。青壮年層に限って召集された防衛隊などに比べ、不明な点が多かった義勇隊の研究進展に、貴重な資料になりそうだ。(阿部岳)
 文書は一九四五年三月二十一日付の「帝国防衛義勇隊の動員のための人員調査報告」で、今帰仁村の隊長から国頭郡の隊長あて。

 それによると、同村内での訓練などの動員は、労務従事者や病人を除いた村民が対象。その数は同月十七日に二千三百七人、十八日に二千二百四十六人だった。ほか避難民を各日百五十三人、百十五人動員した状況など詳細に記している。

 日本軍文書を押収した米軍が、英訳して保管していた。民間人からの聴取を基に、米軍の注釈として「動員された民間人の多数は竹やりだけ、あったとしてもナイフしか武器を与えられていない」「米軍が上陸してくるとほとんどは逃げてしまった」「今帰仁地区の人口は一万人と推定され、十六歳から六十歳の男はすべて動員された」と指摘している。

 当時十五歳だった同村運天の渡久山祐弘さん(76)は、「徴兵や防衛隊の召集が続き、地域には私たち子どもや女性、お年寄りしか残っていなかった」と証言する。自身は義勇隊には動員されなかったが、飛行場や防空壕の建設に駆り出された。

 義勇隊について、沖縄国際大学非常勤講師の津多則光さんは「この時点で法的根拠がないあいまいな存在で、実態は部分的にしか把握されていない。弾薬運搬や負傷兵後送など防衛隊の補完的な役割が強いが、戦闘参加もさせられている」と分析する。各部隊の都合で、女性や十三歳の召集もあったという。

 文書を発見した林教授は「一木一草に至るまで、使えるものはすべて利用するという日本軍の考え方が具体的な数字として表れている。人口の四分の一に当たり、文字通りの根こそぎ動員だ」と指摘した。
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