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虐殺は嘘19に対して

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pipopipo555jp

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虐殺は嘘19誰も知らなかった虐殺5毛沢東 2006/ 7/19 0:47 [ No.11126 / 12177 ]
2006/ 7/20 1:46 [ No.11141 / 12177 ]
投稿者 :
deliciousicecoffee


1938年1月、毛沢東が週刊誌『群衆』で、

「・・・9・18に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世のともに知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未嘗有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。・・・」

と述べたことを以って、毛沢東は南京大虐殺を認識していたなどというのも、やはり馬鹿な見当違いだ。


『群衆』は共産党が発行したものではあるが、第一巻第四期(1938年1月1日発行)の「短評」欄の記事は、毛沢東自身によるものではない。
当時、延安にいた毛沢東が、武漢で発行された『群衆』に、原稿を送ったなんてことは有り得ない。
そもそも、「9・18」(満州事変)において、日本軍が満州や北支で残虐な行為を行った話など聞いたこともない。
満州事変については、当時、支那人も、満州人も、蒙古人も、日本人も、日本国籍を有していた朝鮮人も、少数のロシア人も、これら満州住民の多くは、日本の支配を歓迎していたのだから、『群衆』が言う「残虐な行為」とは、単なる戦闘行為のことだったとしか考えられない。
それが1938年1月1日発行の『群衆』だったために、発行直前の南京戦のことを強調していただけのこと。

これは、蒋介石や顧維鈞と同じように、共産党も、飯を食ったり呼吸をするように相手の残虐行為の出鱈目宣伝をしまくっていたことを示す証拠である。

結局、国民党も共産党も、日本軍が関わったところ全てにおいて、何の根拠もなく「残虐な行為をはたらいた」と嘘・出鱈目を列挙していたに過ぎない。


他にも、この週刊誌『群衆』の記述については以下のような論評がある。

「中共軍の南京事件についての当時の認識を紹介するものに井上久士著『南京事件と中国共産党』(『南京事件を考える』大月書店・昭和62年刊に所収)がある。
 中共側の刊行物で南京事件に最初に言及したのは、武漢で刊行の週刊誌『群衆』(昭和13年1月1日刊)の「短評」欄の『人類のともに斥けるべき敵国の暴行』の文中に、〈南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未曾有の血なまぐさい残虐な獣行記録〉と記述している。この外3~4の記述がマスコミに記述されている。
 そして、延安方面では『新中華報』(昭和14年2月より党機関紙となる)が昭和13年6月になって始めて事件に言及している。その中で、〈本年1月までで、長江下流一帯で敵に惨殺された同胞は30万人に達した〉とある。要するに、ここに引用する代表的2例に示す如く「屠城」に伴う歴史的感覚に依存している報道である。従って、大虐殺派の井上久士の結語も、〈当時の中国共産党は、「南京大虐殺」が中国各地の日本軍による数多くの残虐事件のなかでもきわだって突出したできごとであるとの認識は希薄であった。・・・そのため、それ以後の日中戦争期間、「南京大虐殺」について直接言及されることは多くなかった。〉としている。」
http://www.history.gr.jp/~nanking/uesugi.html


結局、蒋介石も共産党も「因縁つけるために言ってみただけ」の域を出ていないということ。

毎度お決まりの荒唐無稽な逆宣伝であり、彼らに、南京大虐殺が実在の大事件であったと認識していた形跡はない。


反論・指摘

前項に同じ。

知らなかった → 知っていた証拠を出される → 本人もウソだと承知で書いていたのだ

全部この論法で通してしまう。

「本人がウソだと承知だった」という事実が明らかでない限り、「知っていた」と判断するしかないのだが、すでにそれを彼に理解させようと試みる人間はいなくなってしまった (- -;


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