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「沖縄ノート」"III-多様性にむかって"より

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「沖縄ノート」"III-多様性にむかって"より


「沖縄ノート」
著者 大江健三郎 
発行 岩波書店
岩波新書(青版)762
1970年9月21日 第1刷発行

裁判原告による切り取りは、文脈を無視したいささか歪曲の恐れもあるので、この著作の意図および文意文脈がわかる、最小限度の引用を試みます。



III-多様性にむかって


(略)

僕がとりつかれている現実的な悪夢のひとつは、沖縄を覆う核戦略体制にかかわつている。僕は核兵器について語られる言葉にふれるたびに、自分の内部の、この暗い渦巻きの深みへとひきこまれるような感覚をあじあわないわけにはゆかない。たとえぱ、かって幾つかのすぐれた短篇小説を書いた作家であり、いまは保守党随一の花やかなヒーローであるところの国会議員が、核武装しなけれぱまともな外交がおこなわれえない、というような、およそ単純ともなんとも表現しがたい政治的意見を主張する。それを新聞に、あるいは週刊誌に読んで、僕はそ
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の議員が沖縄をおとずれ、おなじ種類のことをいって民衆からうけた確実な反撃を思いだす。しかしその議員自身はいま沖縄での体験の記憶にいささかも動かされてはいないだろうことを考えると、僕を新たに把握するのは、核兵器による、恐怖のエスカレーション体制において、沖縄の核基地が、なぜ有効であるとアメリカ人が認め、エスカレーシヨンの脅迫競争の相手方もまた同じくそれを認めているのか、という命題、とくになぜ中国が沖縄を潰滅せしめうる核兵器を保有した今日において、沖縄の核基地がなお威力をそなえていると考えられるのか、という命題をめぐっての悪夢である。もともとエスカレーシヨンの軸をなす、威嚇するカと恐怖心とのからみあいが、本質的に心理の問題である以上、僕は、エスカレーションにかかわる悪夢をいだいて考えあぐねることを、まったくの無意味な暇つぶしとは見なさない権利をもつ筈であろう。

僕の凶まがしい着想は次のようだ。アメリカの国際関係の専門家が、またフランスの老練なジャーナリストが指摘するとおりに、大陸にむかっておこなわれる島国の核武装は、もっとも大がかりで効果は保障つきの、国ぐるみの自殺計画である。したがって、あの核兵器なしでは外交関係についてのいかなる政治的想像カも発揮しえない、すでに若くはない議員ならぱともかく、まともな判断力をそなえた人間ならば、日本本土が核基地化されることによって、それが核の威嚇によるエスカレーシヨンの体系において効果的な役割を果たすとは考えないであろ
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う。核のカサという宣撫工作の星台骨を支えているのは、攻撃的な意味あいにおいて日本本土の上にまで、その鷲の翼をのばしているアメリカの核兵器体系が、その翼の力によって攻撃を逆にこうむる動機となるかわりに、それをひとつずつ抑制する、という漢然たる感覚である。そこにあからさまな矛盾をあらためてつつきだすよりも、あいまいな現状維持のままに核のカサ神話を放置することで、この核時代のお先真暗なその日暮しを仮に安穏たらしめていようとするのが、宣伝を受けとめるがわの大方の態度であろう。その無力感に根ざす判断留保の態度の奥底には、アメリカという巨大な核の鷲がうちたおされるとき、自分たちもまた、その放射能にみちた黒い炎に焼きつくされるのは抵抗しようもないことだという、もっとも惨めで暗いペシミズムがひそんでいることもまた、見おとすわけにはゆかないであろう。

しかしそれでなお数発の核兵器による報復攻撃で潰滅するのが、その島国のすべての人間の確実な、近い未来図であることを意識しつつ、その狭い島国の強権が核兵器を開発して、ミサイルの尖端を広大な大陸に向けておこうとする構想は、その国の民衆の側からみれば端的に気ちがいじみている。こういう形式の威嚇は、その島国の人間が巨大な規模の自殺指向をそなえている民族だという、はっきりした診断でもくだされるのでなければ、威嚇すべき相手の国を動揺させうることはないであろう。どんな荒唐無稽も案出するアメリカの通俗小説家が、日本本土から中国にむけておこなわれる核攻撃というフィクションの心理的辻棲をどうにか合せる
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ために考えついた設定は、中禅寺湖の近くの米軍基地内で、極秘裡に、しかも狂気じみた情熱にかられた将軍が単独に、核弾頭をつけたミサイルを準備するという筋書であった。

それでいて日本木土よりなお狭く、より中国大陸に近く、ほとんど島の全域が剥きだしであるところの沖縄が、核基地として威嚇のエスカレーションに大きい役割を占めているのはなぜか、それを考えるとき僕の悪夢めいたイメージが始まるのであった。すなわち、沖縄の民衆は、そこに核基地をおいて威嚇しようとするホワイト・ハウスとペンタゴンの人々の想像力において、報復核攻撃によって殲滅されるべき者たちとして把握されているということである。この核基地が抑止力として機能しているということがもし事実であるなら、それはアメリカが沖縄の核兵器によって威嚇している相手国の政治指導者と軍部の想像力においても、沖縄の民衆が壊滅するという状況を、安い犠牲とみなす者たちが、そこに置いた核兵器で自分たちを威嚇しているのだ、という実態がはっきり了解されている、ということである。それではじめて、あの剥きだしの小さな島の核基地が、脅追の武器、恐怖の焦点として実在しはじめるのだ。

きみたちはこの大陸のどこにあるともしれぬ核基地からの報復核攻撃が、沖縄の核基地めがけておこなわれ、それはすなわち沖縄本島の全滅を意味するのだが、そのように大きい犠牲をはらって、なお、沖縄の核基地から、大陸むけに核兵器をうちだすつもりなのか? とエスカレーションの威嚇競争の勝負をかって出た片方がいうとしよう。
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それに答えるのが沖縄の民族であるか、かれらの直接に選ぴだした主席であるかするのならぱ、当然に、答は、いやそういうことはしない、ということにきまっているであろう。そこで威嚇競争は先方の十全な勝利となる。沖縄の核基地はその意味あいをはるかに限定されてしまう。しかし、いうまでもなく、この問いかけに答えるのはワシントンの声にほかならない。

そうだ、とホワイト・ハウスおよびペンタゴンはいうだろう。沖縄の核基地、ひいては沖縄全体が潰滅してなぜいけないのか? それこそが巨大な規模の「自由世界」を防衛するための棄て石の役割なのではないか。われわれはお遊びで沖縄に核兵器をおいているのではない、沖縄から発進するB52戦略爆撃機をおいているのでもないよ。そこで威嚇競争の勝敗は逆転するか、緊張したエスカレーションの平衡関係がそこにできあがり、核体系が激しく対時しあうグロテスクな恐怖の沈黙が完成することになるであろう。

沖縄の民衆の抵抗は、つきつめれば、この核兵器による恐怖の均衡の体制にたいする、恐怖する者、殲滅される危機のさなかに生きる者としての、異議申し立てにつらぬかれているのであるが、それを沖縄駐在の米軍と高等弁務官がどのように無視し、どのように抑圧してきたかはわれわれの知るところである。しかしわれわれが十分にそれを知ってきたかといえば、またそれを知ることがわれわれをつきうごかして、ひとつの方向づけにむかう様ざまな抗議の声、行動をひきおこせしめたかといえばそれがそうでないことは、僕自身が自分の沖縄とのかかわ
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りかたをかえりみつつ、根本のところで動揺させられることを憐れっぽく告白するまでもないであろう。

核のカサのあいまい主義になんとか安住しようとする、その場しのぎの意識と、沖縄における核兵器の、ほかならぬ沖縄の民衆にたいする現実的な意味あいを、はっきり考えてみようとしないわれわれ本土の日本人の意識とは、結局は同一のものである。ただ、後者には沖縄の民衆への露骨な裏切りの心情が色濃くそめあげられているということのみを、判別しうるだろう。

そこから一歩すすめて、沖縄の「核つき」返還という考え方が、本土の政府の権力者たちとワシントンの権力者たちとのあいだで、具体的な企画として考えられていた一時期をどのように理解すべきであろうか。それこそまことに凶まがしくどす黒い着想たらざるをえないが、ワシントンが、いったん沖縄の施政権を日本にかえし、沖縄の民衆をかれらの軍事支配からとき放っても、なお東京の政府は、沖縄の日本人ぐるみ、沖縄を棄て石とするであろう、という観測をたてていたことを意味するのではあるまいか。そうでなければ、すでにのべたような核基地を軸とする威嚇のエスカレーシヨンの上で、沖縄の核基地の価値は暴落し「核っき」返還の意味はうしなわれるからである。

アメリカ側に、沖縄の「核つき」返還のプランなど実際はなかったのだとする情報通の声もあるであろう。しかし、日本の保守政権の構成者たちが「核つき」返還の企画を後生大事に持
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ちまわっていたことは事実であって動かしがたい。それが揺らぎはじめたのは、とくに沖縄現地の民衆が、このプランを確実に拒否する意志を、様ざまなかたちで示したからにほかならない。

それを考えれぱ、本土の政治家が「核つき」返遼を主張していた時、かれらの心理の内部に、これまで検討してきた問題が、どのように意識されていたかを掘りおこしてみなければならないことになるであろう。かれらは沖縄の民衆が報復核攻撃で殲滅される可能性をはっきり認めたうえで、あるいはもっと端的に、核戦争の時代に沖縄という核基地をもつことが、(殲滅される百万の人間の肉体が支えているところの核基地をもつことが)、本土の、核の傘というあいまい主義の城壁をいくらかでも確かにすると勘定していたのだといわなければならない筈である。

アメリカの軍事支配のもとにあるのだから、という身勝手な弁明とともに、沖縄の民衆の、むなしく恐怖するもの、殲滅されうるもの、としての核戦略体制のもとでの存在の仕方に眼をつぷることの欺瞞をこえて、あからさまに、日本国憲法のもとの沖縄の日本人を、あらためて人身御供に出すところの「核つき」返遠が考えられていたのだ。それを沖縄の民衆にたいする根源的な差別とみなすことに、どういう留保条件がありうるだろうか?

現実的な根拠はあるのか、それはきみの悪夢にすぎないのではないか、と問いかける声があ
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るとしよう。証拠の提出はあまりに容易すぎて、その容易さ自体、本土の日本人たる僕自身につき刺さってくる燃えるトゲであるが、サンフランシスコ条約第三条で沖縄を人身御供に出したあと、核兵器による恐怖のエスカレーシヨンの棄て石に沖縄の民衆を、異議申し立てのできない沈黙した犠牲羊のような状態で縛りつけている今日までの、本土政府の態度が、(いまなおわれわれの政府は、沖縄の核基地をはっきり認める声明を出していない。しかもなお、「核つき」返還というような言葉はとびかつているのであるから厚顔無恥もきわまつている)あからさまな証拠である。そして、「国体護持」のために沖縄の民衆が犠牲になった、太平洋戦争の終幕の、いかなる積極的な意味も持たぬ沖縄戦の悲惨を、もうひとつの証拠にあげることが必要であろうか?

慶良間(けらま)列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ>という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座間味(ざまみ)村、渡嘉敷(とかしき)村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれのあい
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だに埋没している、この事件の貴任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、この個人の行動の全体は、いま本土の日本人が綜合的な規模でそのまま反復しているものなのであるから、かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を答めねばならないのかね? と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。

島袋全発(しまぶくろぜんぱつ)著『沖縄童謡集』の、鳥(がらさ)に呼びかけて、隠れろ、早く(はっくい、べー)とうながす歌は、沖縄の明治の子供たちが本土の日本人(やまとんちゆ)の脅威のまえで鳥と自己を同一化している感情をあきらかにするが、この歌によって告発される状況はいまなお続き、いわば本質的にはなにひとうつぐなわれてはいないのである。鉄砲が、核弾頭ミサイルにかわりはしたが。

イェー、がらさー、
大和人(やまとんちゆ)の、
鉄砲担(かた)めて、
汝射(やーりー)りが、
来(ち)うんどー。
阿且(あだん)の中(みー)んぢ、
蘇鉄(そてつ)の裡(みー)んぢ、
はっくい、べー。
はっくい、べーべー。

(以下 略)

―70,71―


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