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1「靖國応援団の歩みと皆様への感謝」

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2007/1/1「靖國応援団の歩みと皆様への感謝」


ご挨拶

-靖國応援団の歩みと皆様への感謝-

靖國応援団代表  南木隆治

皆様、長期にわたり、『靖國応援団』をご支援賜り、ありがとうございます。
おかげさまで、『靖國応援団』は結成して5年半を無事、皆様と共に歩んで参りました。

さて、平成18年暮れである現在においても、多くの国民は「靖國神社に対しどのような態度をとるかは、他の事柄と同じく、個々人の自由に属する問題である」と考えられ、そこに留まっておられるのではないでしょうか。国家が靖國神社をどう扱うかが、ご自身や家族の、ひいては同胞全体の運命と深く関わっているとの明確な認識を持つ方は、未だ少数派であると思われます。しかし敵意を示す外国は、靖國神社を消し去る事がいかに我が国を弱体化させ、国民のプライドの根柢を破壊し、将来の困窮と不幸を、計り知れない打撃として我が国に与えうるかを良く知っています。近代日本において、靖國神社を否定することは国旗や、国歌を否定する事と同列に捉えられるべき、国家の存立に関わる事柄であるのに、未だそう認識されていないところに問題があります。よって事の経緯を深く自覚した国民は、自身が英霊の遺族であろうとなかろうと靖國防衛のために立ち上がらなければならないと思います。

当会発足の経緯は小泉政権初期の頃に戻らねばなりません。

小泉首相は本年、平成18年8月15日に、5年越しの未実現の公約をようやく、あるいは見事に果たして、靖國神社に参拝された訳ですが、当初お考えあってか、公約の15日ではなく、2日前倒しの、平成13年8月13日に参拝されました。この2日は、もしかしたら永遠に縮める事のできなかった2日になるかも知れないところだったのを、我が国の保守陣営全体の力で外国の内政干渉を排し、首相を押し上げ、15日参拝が実現したことは東アジア政治情勢にとっては象徴的な出来事であったと思います。参拝を2日ずらす事から始めて、現在に至る6年間の国民意識の高揚までを計画されたのが首相ご自身であれば極めて偉大な首相であり、あるいは、偶然の重なりであったのなら、我が国に神仏のご加護ありと深く感謝しなければならないでしょう。

さて、ところで、その平成13年8月13日の小泉首相靖國参拝を憲法違反だと主張する人々が現れ、首相の参拝により、自分達の「宗教的人格権」、「宗教的自己決定権」等と称する彼らが勝手に作り上げた権利が侵害されたとして、一人一万円の慰謝料と今後の公式参拝の差止を、国、首相、そして靖國神社に請求する訴訟を大阪地裁に起こしました。

この訴訟は組織的なもので、韓国人多数、また台湾の高金素梅と言う特異な国会議員1名も含んで、結局原告総数2000名を超え、大阪、愛媛、福岡、東京、千葉の五箇所の裁判所に分かれて訴訟を起こす左派の大きな運動となりました。

このうち、大阪と松山の訴訟に関しては、被告に靖國神社が含まれていました。

私ども『靖國応援団』は大阪と松山で起こされたすべての裁判に『補助参加』して戦いました。

大阪地裁で始まった訴訟は、当初傍聴席を原告団が完全に制圧し、次々と野次が飛んで、裁判官がそれを制止できないような、まるで人民裁判のようなものでありました。

この事態を知り、それを深刻に受け止めた徳永信一弁護士が、この種の裁判では使われたことのない裁判への『補助参加』という手法で、一連の裁判へ保守陣営から介入してゆく作戦を立てました。徳永弁護士の呼びかけに応じて、南木から松本藤一弁護士、稲田朋美弁護士を紹介させていただきました。こうして徳永、松本、稲田の3弁護士が集まり、『靖國応援団』は産声を上げました。松本弁護士は「新しい歴史教科書をつくる会大阪」の集会においていつも南木に「何かあれば力になります。」とお声をかけてくださっていた弁護士であり、また稲田弁護士は現在衆議院議員としてご活躍中ですが、関西における自由主義史観研究会の土台をつくられた椿原泰夫先生のご令嬢として、勉強会の講師にも何度かお越し頂いていました。もし『自由主義史観研究会』や『新しい歴史教科書をつくる会』が存在しなければ、『靖國応援団』は存在せず、その延長上に発展して現在活動中の『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』も存在できなかったかも知れません。また、ご支援いただいているすべての団体とのご縁がなければ、今の当会の安定は得られなかったと思います。

私の仕事は三人の弁護士に会っていただいただけで、それ以来現在まで、『靖國応援団』においても、『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』においても、私は代表に収まっているだけで、事務局体制については、今は、副会長 黒田秀高氏、事務局長 白井恭二氏、事務局次長 柳原由起夫氏、会計責任理事 吉田康彦氏たちが寝食を惜しんで活動してくださっていますし、また、理事として山本明氏、中村元三氏・行岡豊氏のご活躍も『靖國応援団』から『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』に至るまで変わっていません。そして言うまでもなく、常にお互いの立論をつぶし合うまでの議論をしてくださっている弁護士の先生方によって、鉄壁の裁判活動が支えられています。

ところで、最近は保守陣営の伸張に伴って、逆に、特に中央で、個人や、団体間の、多少の不和が散見されるやに聞き及んでおります。しかし関西においては、私どもの活動に一切乱れや、不和など存在していないと思います。今後、我が国にとって、関西、特に大阪での人心の統一と言うことが極めて重要な、守り通さねばならない命題になってきていると、私どもは自覚すべきかもしれません。関西における『靖國応援団』と『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』の存在意義はそう言う点についても大きくなっているかも知れません。関西、特に大阪は、仮に東京が大混乱に陥ったとしても、関西だけで一国をなせるだけの底力を持つ方々が多数、相互に信頼関係で繋がっている地域であり、もしかしたら我が国の歴史に対して決定的役割を今後果たさなければならなくなるかも知れません。

私はそんな事態にならないことをもちろん願っています。しかし一朝事あらば、我々は皆捨て石である事を自覚し、志あるものは、命を超えた命の大切な使い方を考えねばならないのではないでしょうか。

話を戻し、靖國訴訟に関しては、全国ほとんどの訴訟で原告たちは惨めに訴えを棄却されましたが、福岡地裁、及び、大阪高裁にかかった二つの靖國訴訟の片方において、判決文主文ではなく、法的拘束力を持たない傍論において、首相の靖國参拝は「違憲」であると自身の所感を書き込んだ裁判官が現れました。これは主文では原告が敗訴しているのだから、被告の国や、靖國神社は判決の傍論に異議があっても上級審に訴える事ができず、そこで裁判が確定するという、まったく裁判制度を悪用した、その判決自体が憲法違反であると思われる判決であり、多方面から厳しい批判が出されました。しかし朝日新聞等一部マスコミは予想通りこれに飛びつき、「首相の靖国参拝に違憲判決」と騒ぎ立てました。そもそも原告たちの狙いは、こうした傍論をあわよくば引き出し、マスコミを使って国民をミスリードする運動へと繋げたいとの計画から出発しているのであって、その点でこの2カ所で彼らは勝利したと言わねばなりません。違憲かどうかの審査権は最高裁が最終的に下せるもので、下級審で違憲が確定する事などはじめからあり得ません。このようなばかげたことを許しておけば、司法全体の秩序が崩壊すると思われます。

とは言え、平成18年6月23日、最高裁で首相の靖国神社参拝に関する判決が下され、原告の訴えは完全に棄却され、一連の裁判に最終的な決着がつきました。

『靖國応援団』はこの一連の流れの中で、支援してくださった皆様のおかげで、ささやかな貢献ができたのではないかと自負しています。

尚、最高裁判決に前後して、今度は霊璽簿からの名前の抹消を靖國神社に求める訴訟をまた一連の人々が起こしていますが、既に最高裁判決は出ており、訴訟内容を多少変えても、パフォーマンスの域を出る事はできないと思われます。しかし油断する事なく、『靖國応援団』は、今回『補助参加』はしませんが、深くこの動きと関わってゆくことを決めています。

むしろ、それよりも、過去6年間の裁判闘争は、原告の訴えをはねのけただけで、ひたすら防衛戦を戦ったのであり、我が国の戦後の形に何か修正を付け加える事ができたわけでも、況や天皇陛下の御親拝を仰ぐ準備ができたわけでもありません。よって、防衛戦はこれで終わりとし、これから反撃に出なければなりません。

現在進行中の『沖縄集団自決冤罪訴訟』は教科書にまで載る事になってしまっていた沖縄慶良間諸島での島民の集団自決に関して、それが軍の部隊長の命令で為されたという我が国の自虐史観の一翼を担ってきた重大な史実の認識がまったく間違っていたことを、名誉毀損訴訟で明らかにする事であり、『靖國応援団』の活動の必然的な延長上に、今回は総勢36名の原告弁護士団を擁して、現在大阪地裁で第6回まで口頭弁論を戦い、圧勝の内に裁判が進行しています。第6回口頭弁論においては、当方弁護団の準備書面が50枚であったのに対し、何と、岩波書店、大江健三郎らの被告代理人弁護団はわずか3枚の準備書面しか提出できませんでした。

『靖國応援団』『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』は後者が発展形態であるだけで、先に述べましたように事務局も、弁護団も、根本は同一組織ですが、会計、理事会、弁護士会議など、当然のこととして別の会であるので、別立てで活動しています。そしてそれは非常にうまくいっていると思っています。

以上、申し述べました通り、これらの成功はひとえに、『靖國応援団』結成以来、当会を励まし、物心共に支援してくださっている皆様のおかげです。皆様に深く感謝すると共に、ますますのご支援ご鞭撻を謹んでお願い申し上げます。皆様、本当にありがとうございます。平成18年12月吉日(以上)
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