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原告準備書面(8)全文2007年05月25日その2

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原告準備書面(8)平成19年5月25日 その2

第9回口頭弁論


第2 「沖縄ノート」における「軍命令」の内容


被告らは、原告が主張している「軍命令」の不存在について、事実から目を背け、意図的に論点ズラシを行うなどして責任を免れようとしている。今一度、「軍命令」の中身について記載し、被告らが主張・立証すべき真実性・相当性の対象を明らかにしておく。

   「沖縄ノート」には、

    「慶良間列島においておこなわれた、七百人を数える老幼者の集団自決は、上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたるところによれば、生き延びようとする本土からの日本人の軍隊の《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動を妨げないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令に発するとされている。沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生、という命題は、この血なまぐさい座 間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場においてはっきり形をとり、それが核戦略体制のもとの今日に、そのままつらなり生きつづけているのである。生き延びて本土にかえりわれわれの間に埋没している、この事件の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」
とある。

   『沖縄戦史』の記述を引用する形で述べられている《部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動を妨げないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》との記載こそが、被告大江健三郎が事実として摘示した「軍命令」の内容であり、その後の「沖縄ノート」における赤松元隊長に対する諸々の人格非難は、いずれもこの「軍命令」の内容を前提とする論評なのである。

さて、この「軍命令」の内容は、定義集(甲B57)で被告大江健三郎が述べている「命令」の内容とはかなり異なる。


2 対象となる集団自決、「命令」の主体について


  まず、『沖縄ノート』において被告大江健三郎が対象としている集団自決は、

   「七百人を数える老幼者の集団自決」

「血なまぐさい座間味村、渡嘉敷村の酷たらしい現場」

との記載は、記載された七百人という犠牲者数(被告大江健三郎が対象としているという渡嘉敷島での犠牲者数よりかなり多い。)や「座間味村、渡嘉敷村」との記載があることから、「渡嘉敷島」の集団自決は勿論、「座間味村」の集団自決についても対象に含めていることは明らかである。

  この記載は、「上地一史著『沖縄戦史』の端的にかたる」と引用文献を下敷きに記載しているように、被告大江健三郎の論評(それは論評とは言い難い中傷ではあるが)とその論評の前提となった事実について、それを端的にいっているのが「上地一史著『沖縄戦史』」の記載であるとしているのである。即ち、「この事件の責任者」に対する論評(人格非難)の前提となる事実は、引用文献である「上地一史著『沖縄戦史』」とが一体化していると認められるべきである。

  『沖縄ノート』の一般読者は、『沖縄ノート』において直接記載がある上記の記載から、どの場所における集団自決のことを言っているのかを把握し、更に、一般読者は、引用文献である「上地一史著『沖縄戦史』」から、赤松大尉・原告梅澤少佐が集団自決命令の主体者として糾弾されていることも把握できる。つまり、『沖縄ノート』の一般読者は、「座間味村、渡嘉敷村」に駐留した「本土からの日本人の軍隊」の「部隊長」である「この事件の責任者」の記述につき、赤松大尉は勿論、原告梅澤少佐も含まれていることを明白に認識するのである(なお、「座間味村」「渡嘉敷島」「部隊長」という『沖縄ノート』自身の記載だけから、それが赤松大尉・原告梅澤少佐であると特定できることは、従前の主張どおりである)。

  つまり、『沖縄ノート』は、赤松大尉・原告梅澤少佐を、命令の主体者と断定していることを前提に、その後延々と続く凄まじい人格非難を展開しているのである。


3 命令の内容について


  命令の内容については、『沖縄ノート』自体に記載されており、

   「部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動を妨げないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」
とある。これこそが、本件において被告らが真実性・相当性を主張・立証すべき「命令」の内容である。

そして被告大江健三郎は、この命令の記載の直後に、

   「沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生」

と評価論評している。これこそが、「沖縄ノート」の主題でもあり、上記事実を前提にした評価評論であるが、被告大江健三郎は、その主題となった論評を超えて、峻烈な人格非難をしているのである。

例えば、被告大江健三郎は、住民に対し、

  「部隊の行動を妨げないために、また食料を部隊に提供するため」

と命令したことを指して、

  「沖縄の民衆の死を抵当」

と評価している。そして、住民に自決せよと命令しながら、本土からの軍隊だけが生き残ったことを指して、

   「本土の日本人の生」

と評価している。

  被告大江健三郎の評論の前提となった事実は、「沖縄の民衆の死を抵当」と対比される「本土の日本人の生」という評価論評を示すことができる中身を持った「命令」であり(後述する《無慈悲直接隊長命令》である。)、これとは異なる「命令」の存在についていくら主張・立証しようとしても、名誉毀損の前提となる事実の真実性を主張・立証したことにはならないのである。

   上地一史著『沖縄戦史』は、上記命令について、

  「はなはだ無慈悲な命令を与えた」

と論評しているが、被告大江健三郎は全く同じ前提事実を基に同様の、更に進んで、それ以上の辛辣な表現をもって最早論評とは言えない凄まじい人格非難をしているのである。


4 被告らの論点ズラシの手法について


  本件の争点は、上記『沖縄ノート』に記載された命令の事実の有無、すなわち、赤松大尉・原告梅澤少佐が、沖縄島民に対して直接住民を犠牲にして本土の日本人が生き延びるためだけに言ったとされる「命令」の事実の有無であるが、当該「命令」は「沖縄の民衆の死を抵当」に「本土の日本人の生」が表れる「無慈悲な命令」が内容となっていなければならない(以下、この趣旨も込めて《無慈悲直接隊長命令説》と名付ける)。

しかしながら、被告らは、この命令の事実の有無について何ら言及しようとはせず、論点ズラシの詭弁を弄するばかりである。命令の事実の有無については、「集団自決の主体者」としての事実の有無、「命令の中身」としての事実の有無とに大きく分けられるが、「集団自決の主体者」としては、赤松大尉・原告梅澤少佐は集団自決の命令をしていないと明確に否定しているにも関わらず、『沖縄ノート』はこれを断定しており、被告らとしては、赤松大尉・原告梅澤少佐の命令と断定できるという事実を主張立証する必要があることになる。また、「命令の中身」の事実についても、名誉毀損対象文書に記載された《無慈悲直接隊長命令説》に沿った命令の事実が真実か否かという点が争点になる。被告らは、主体者としての真実性、命令の中身についての真実性を一緒くたにして次の各説を弄するが、いずれも主体者としての事実の有無についても、命令の中身としての事実の有無についても主張・立証は不足していると言わざるを得ず、また、いずれも詭弁と言わざるを得ないものである。

  被告らは、

   ①「手榴弾を渡した」ことが自決の「命令」だとする「手榴弾(交付=)命令説」、
   ② 戦前の皇民化教育、「共生共死」の思想等政治体制による強制的雰囲気が、集団自決を生んだ「命令」だと評する「政治体制命令説」、
  ③ 慶良間列島での「集団自決」が日本軍の指示、強制等によりなされたことを「命令」と評する「広義の強制(広義の命令)説」

等を展開している。

まず、①手榴弾(交付=)命令説には少なくとも二つの大きな問題点が存在する。
すなわち、まず、手榴弾(交付=)命令説は、いわば解釈の問題を論じているに過ぎず、主体者としての事実を断定できるものではなく、また、《無慈悲直接隊長命令》の中身の事実の有無を立証できるものでもないことである。つまり、手榴弾(交付=)命令説は、防衛隊等が渡したとされる手榴弾交付行為を、島の軍隊の責任者である赤松大尉、原告梅澤少佐の行為であると「評価する」というもので、手榴弾交付→赤松大尉・原告梅澤少佐による《無慈悲直接隊長命令》の事実が認められるということにはならないのであり(十分条件ではない。)、事実として「手榴弾を渡したという事実」と上記無慈悲な直接的な命令を言ったということは、どこまでいっても「イコール」とはなり得ず、真実、無慈悲で直接的に命令を発したと立証できるものでは到底ないのである。繰り返すが、『沖縄ノート』は《無慈悲直接隊長命令》の命令主体者として断定した記述をしているのである。

今ひとつの大きな問題点は、仮に「手榴弾(交付=)命令説」が事実であっても、「手榴弾(交付=)命令説」は、「沖縄ノート」等本件名誉毀損文書に記載された「命令」の中身とは、大きく異なり、名誉毀損の前提となる事実の対象とは大きく異なるという点である。 本件における赤松大尉率いる赤松隊、原告梅澤少佐率いる梅澤隊は、特攻隊の役目を背負い、自ら死ぬことが予定されていた。そして、特攻の後に生き残る住民に対して、「万が一のために」手榴弾を交付することは、「沖縄の民衆の死を抵当」とはいえず、手榴弾を交付したとされる特攻隊員には「本土の日本人の生」も予定されていない。「沖縄ノート」は、「沖縄の住民の死」と、「本土の日本人の生」とを対比させることに主眼が置かれていることは間違いがない。その例として、被告大江健三郎は、赤松大尉・原告梅澤少佐による《無慈悲直接隊長命令説》を出しているのであるが、「生」を考えない若しくは予定しない特攻隊たる「本土の日本人」が、「万が一のために」、生き残っているはずの「沖縄の住民」に対し、手榴弾を交付することになれば、被告大江健三郎が予期し前提とした「沖縄の民衆の死を抵当に」「本土の日本人の生」と評価して論ずることはできないはずである。特に、アメリカ軍の非道な無差別攻撃が展開されているなかにおいて、少なくとも当時の日本人がアメリカ軍の残虐性を信じていた状況下で、将来上陸するアメリカ軍の非道な行為による苦痛と汚辱の末に殺されるか、それとも自決の途を選ぶかという究極的な選択をする場面において、「万が一のためには」として事前に手榴弾を渡したことを以て、「沖縄の民衆の死を抵当」と評価することはできないのであり、ましてや、曽野綾子が「人間の立場を超えたリンチ」と評したほどの凄まじい人格非難の言葉(「罪の巨塊」「屠殺者」「戦争犯罪者」「アイヒマン」等)を連ねることを正当化できるものでもないのである。被告ら主張の事実を前提にするとその人格非難表現の正当化ができないということは、被告らが敢えて前提としていた事実と異なることを主張しているということである。

この「手榴弾(交付=)命令説」が出現した経過としても、曽野綾子の『ある神話からの背景』等で赤松隊長による《無慈悲直接隊長命令説》の根拠がなくなった後に、突然「命令説」の根拠として広められてきたものである。被告らは、この①説を主要な根拠としているようであるが、これは事実に目を背けた詭弁と言わざるを得ないのである。被告大江健三郎は、仮に防衛隊等が自決の為に手榴弾を配ったと『沖縄ノート』に命令の内容が記載されており、これを以て「沖縄の民衆の死を抵当に」「本土の日本人の生」をそもそも論ずることができるのか、そして、その事実を以て「罪の巨塊」「屠殺者」「戦争犯罪者」「アイヒマン」等と最大限の人格非難していることが正当化できるのか考えてみるべきである。正に『沖縄ノート』は、少なくても赤松大尉が、《無慈悲直接隊長命令》を出した張本人であり、世紀の悪人であるとの誤った事実を断定していることで成り立ち得るのである。

なお、被告大江健三郎は、「定義集」(甲B57)において「両島で四百三十人を越える「集団自決」の死者があり、島民が集まって行動を起こす日、守備隊長二人が、これまで軍の命令したことは取り消す、「自決」をしてはならない、という新しい命令を出すこともなかった」という、名付ければ「命令取消・新命令不作為説」を新たに展開している。甲B57には、手榴弾を事前に渡したことも記載されており、これも、「手榴弾(交付=)命令説」の一態様と考えることができる。しかし上記の指摘、特に「手榴弾(交付=)命令説」では、「沖縄の民衆の死を抵当」に「本土の日本人の生」を論ずることができない矛盾を含むものであることについての弁解、『沖縄ノート』に記載された《無慈悲直接隊長命令説》とは異なっていることについての説明は、被告大江健三郎からは一切ない。そもそも、「命令取消・新命令不作為説」は、先行する命令において《無慈悲直接隊長命令説》と同視できるという倫理的評価がある場合にはじめて成立しうるものである。いずれにしても、「沖縄の民衆の死を抵当」に生き残った「本土の日本人の生」を論ずる前提事実とすることはできないのである。つまり、『沖縄ノート』の記載をそのままにしたままで、他の説を展開することによって正当化することはできないのである。

  続いて、②「政治体制命令説」は、これも赤松大尉・原告梅澤少佐による《無慈悲直接隊長命令》の事実の有無を立証するものではなく、解釈と評価の次元に逃げ込むものということができる。「手榴弾(交付=)命令説」より《無慈悲直接隊長命令》の立証からは、より遠くなっているともいえ、被告らの責任を免れるためだけの詭弁にすぎない。「政治体制命令説」により、当時の政治体制から《無慈悲直接隊長命令》を立証するということになれば、当時の政治体制は、軍を頂点とし軍人の命令は、その地位によらず、日本国内全ての人、沖縄の離島の島民まで含んだ範囲で、その生死まで隅々に且つ徹底的にコントロールできるような政治体制であったということが前提となるはずである。このような軍人から死ねと言われれば素直に民衆が従い自らが死ぬ(粛正等による他人による殺害ではなくである)という体制は、最も体制化されたとされるソ連や中共、北朝鮮、ポルポト体制化等でも寡聞にして聞かない。しかも「政治体制命令説」を徹底すれば、その主体は、「政治体制」を左右するような強大な権力者(例えば、スターリンや毛沢東があてはまるであろう)でなければならないはずであるが、被告らは、この者らを非難しているのではなく、赤松大尉・原告梅澤少佐を命令主体者と断定的に決めつけ非難の限りを尽くしているのである。「政治体制命令説」からは、軍隊の組織的立場として頂点とは言えない赤松大尉・原告梅澤少佐を、「沖縄の民衆の死を抵当」にした人物であると断定することはできないはずであるし、政治体制が自決を促したという側面があったとすれば、赤松大尉・原告梅澤少佐に関わらない誰でもが政治体制の故に自決を促すことがありえたということになり、それこそ赤松大尉・原告梅澤少佐による《無慈悲直接隊長命令》の根拠は薄くなる。

   このように「政治体制命令説」は、仮に事実的基礎を有するものであると措定しても、先に述べた「手榴弾(交付=)命令説」と同じ問題点を含む。例えば「共生共死」の思想であるが、正に文字通り、「共に生き」「共に死ぬ」というのであれば、「沖縄の民衆の死を抵当」に生き残った「本土の日本人の生」という評論の前提となる事実が異なることになる。「沖縄ノート」では、「抵当」という言葉を用いて、死ぬべきでない「沖縄の民衆」の死を、犠牲ないしスケープゴートにして、生き残った「本土の日本人の生」を論ずることが大きなテーマとなっているはずであるが、「共に生き」は勿論、「共に死ぬ」でも、前提となる事実が異なるのである。

最後に、③「広義の強制(広義の命令)説」は、上記被告らの説に重複して主張されるものでもあるが、本件の争点は、事実として赤松大尉・原告梅澤少佐が《無慈悲直接隊長命令》の主体者として断定できるか、そして、《無慈悲直接隊長命令》の事実の有無である。

しかし、「広義の強制(広義の命令)説」は、赤松大尉・原告梅澤少佐とは異なる者の言動、《無慈悲直接隊長命令》とは異なる内容、本件名誉毀損対象文書の記載とは異なる場所、異なる時間の言動の「命令」「指示」「誘導」「示唆」等があり、「強制」があったに違いないとして「命令」の存在を推認するものである。主体としては、何ら特定されない一般の「兵隊」からの言動を捉えたり、住民らが受け取った言動について「何らかの強制がありました」「命令があったに違いありません」等との評価を加えるものもあり、その内容としても一定しない。

「広義の強制(広義の命令)説」は、本来の主張立証対象となるべき《無慈悲直接隊長「命令」》の範囲を被告らの都合良く拡大解釈し、特定されない「命令」「指示」「誘導」「示唆」等から、何らかの「強制」(命令)があったとして、本来の立証の対象となるべく赤松大尉・原告梅澤少佐による《無慈悲直接隊長命令》の事実の有無を脇に置き、いわば広義の「命令」を主張することにより対処するものである。「広義の強制(広義の命令)説」は、到底、赤松大尉・原告梅澤少佐を命令の主体者と断定できるものでもなく、肝心の《無慈悲直接隊長命令》の事実を立証できるものでもない。これも、「手榴弾(交付=)命令説」と同じく、事実から目を背け解釈乃至評価で対処しようとするもので名誉毀損の対象となる事実の真実性・相当性判断における対象とは異なることになる。しかも、何らかの「命令」というように命令主体と命令の内容を曖昧抽象化し、その事実の有無について不明確にしたまま、何らかの「指示」等の本来の《無慈悲直接隊長命令》とは異なる事実を「命令」と強  弁し、立証対象を意図的にごまかすものでもある。

広義の「強制(命令)」を主張・立証しても、本来主張立証の対象となる赤松大尉・原告梅澤少佐の《無慈悲直接隊長命令》の事実を主張・立証したことにはならない。本来の立証対象を意図的にごまかし混乱させることにより、自己の記載の責任を免れようとする姿勢は不実である。まずは、「沖縄ノート」等が前提としている赤松大尉・原告梅澤少佐を《無慈悲直接隊長命令》の命令者と断定した根拠、そして、《無慈悲直接隊長命令》の「事実の存在」の根拠が必要となるはずである。

   これら被告らの①~③説は、分析すれば、次の2通りの方法で使われている。

   つまり、まずは、例えば①において手榴弾を渡すことを防衛隊等が黙認していたことは、赤松大尉・原告梅澤少佐が「命令」したものと推測できるとして、《無慈 悲直接隊長命令説》の間接事実的な根拠とするものである。これは、住民が自決命令が出ていたものと思っていたという被告らの主張(これは③説に近い)と同様に、これらの事実が認められたとしても、必然的に赤松大尉乃至原告梅澤少佐が、《無慈悲直接隊長命令》を出したと断定できることにはならない(必要条件・十分条件の論理の問題でもある。)。また、命令の中身の事実としても、米軍の日本人(軍人・民間人も含む)に対する非道は単なるプロパガンダではなく、少なくとも非道が民間人に対してなされると住民も兵隊も信じていたという事実があり、その事実を前提として、米軍上陸の前に自決のために「万が一のための」手榴弾を渡すことは何ら非道でも非倫理的でもないし、上記《無慈悲直接隊長命令》の内容でもない。被告らの①~③説による根拠は、被告大江健三郎が、曽野綾子が「人間の立場を超えたリンチ」と評したほどの凄まじい人格非難の言葉(「罪の巨塊」「屠殺者」「戦争犯罪者」「アイヒマン」等)を連ねることを正当化できるほどの強い根拠とは到底いえないし、①~③説が主張されたからといって、記載が変わっていない名誉毀損対象文書を、そのように読み込むものとも到底できないのである。 

   そして、今一つは、上記に見てきた論点をズラスためだけの詭弁的方法による使用である。主体、命令の具体的中身について、前提としている事実とは異なる事実を主張することにより、前提としている事実を曖昧にしたまま自己を正当化させる詭弁的方法を用いて混乱させることは、真実の発見に迫る裁判の目的としても排除されてしかるべきものである。

   本件の争点は、あくまで名誉毀損対象文書に記載されている赤松大尉・原告梅澤少佐による《無慈悲直接的隊長命令》の事実の有無であり、それ以外のなにものでもない。



第3 被告大江健三郎に対する尋問の必要性について


被告らは、被告大江健三郎に対する本人尋問を証拠申請せず、原告らによる申請につき、その必要性がないとしている。

    しかし、これまで被告大江健三郎は、『沖縄ノート』に事実として記載した「日本人の軍隊の《部隊はこれから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という命令」につき、その執筆の根拠を十分に主張・立証しているとはとてもいえないばかりか、当該記載をなんら訂正することなく、本件提訴後も50刷を新たに発行し、現在も販売し続けていることを正当化する理由については本件訴訟においては、ほとんど何も論じてこなかった。 
    そして平成19年4月17日の朝日新聞コラム「定義集」において、「私は1965年に初めて沖縄を訪れたのですが、ずっとお付き合いの続いた牧港篤三氏から、沖縄戦から五年かけての徹底的なインタビューについて聞きました。氏が執筆者のひとりである『鉄の暴風』を筆頭に、現地で手に入るすべての記録、歴史書、評論を読み、新川明氏ら、私と同世代の沖縄の知識人たちとの話し合いを重ねて、この本を書きました。」とはじめて『沖縄ノート』執筆の根拠資料等について明らかにした。 

    ところが、被告大江は、『沖縄ノート』の出版後に公表された曽野綾子著『ある神話の背景』が『鉄の暴風』における《隊長命令説》が当事者の取材を経ない伝聞に過ぎなかったことを暴露し、その信憑性を大きく揺るがした『ある神話の背景』には全く触れようとしない。『鉄の暴風』にも登場する安里喜順や知念朝睦といった直接の証人が、赤松隊長の命令を完全に否定していることについても沈黙し、その後出版された『沖縄県史第10巻』や家永三郎著『太平洋戦争』から《赤松命令説》の記述が削除されたことについても全く論及しない。ももちろんのことながら、沖縄人の立場から沖縄戦を告発してきた上原正稔が『沖縄戦ショーダウン』で赤松隊長の命令を虚偽だとして、現在も旧日本軍を厳しく糾弾する大江志乃夫や林博史が、その著作のなかで、赤松隊長命令の存在に疑問を呈していることについても何ら触れるところがないのである(甲B36、37)。

    『沖縄ノート』における赤松隊長らに対する人格非難は、『ある神話の背景』の著者である曽野綾子をして「『罪の巨塊』などと神の視点に立って断罪したことは、人間の立場を越えたリンチである」(甲B3)と言わしめるほどの激烈なものである。被告らは、かかる激烈な人格非難を含む『沖縄ノート』を本件訴訟提起後も新たに50刷を発行し、全国の書店における販売を継続し、もって原告らの心情と名誉を激しく侵害し続けているのである。

    また、かつて被告大江は、柳美里の『石に泳ぐ魚』の名誉毀損性が問われた裁判に陳述書を提出し、その作品によって傷つき苦悩する人間が生じないよう配慮して何度でも書き直す必要を説き、「その発表によって苦痛をこうむる人間の異議申し立てが、あくまでも尊重されねばなりません」と述べている(甲B50)。

かかる思想をもっているはずの被告大江が、「人間の立場を超えたリンチ」と評される表現を一切書き直さないまま、現在も販売し続けている理由について被告大江に直接問い、その倫理的根拠と矛盾の有無を明らかにする権利を原告らは有しているはずである。

    とりわけ被告らは、渡嘉敷島における赤松隊長の命令につき、当事者の赤松隊長が死去していること等をもって、原告側において単なる虚偽ではなく「全くの虚偽」であることを立証すべきだと主張しているのであるが、原告らは、その立証には、著者である被告大江に対する直接の尋問を行うことが不可欠であると考えている(単なる虚偽性であれば客観的資料に基づき決定しうるとしても、客観的な虚偽を超えて『全くの虚偽』というには、その主観性をも問題にすべき事柄である)。 

    またこのことに関して「定義集」には、現在被告大江が「軍が島民との接点で、二発あたえる手榴弾の一発で敵を殺し、もう一発で『自決』するよう命令したこと」を確信していることが述べられているが、『沖縄ノート』に記載されている《部隊はこれから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ》という軍命令ではなく、手榴弾の交付をもって「命令」と解釈することについての論拠と、それが「沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生」という『沖縄ノート』の主題とどう結びつくのか、また、その事実が「人間の立場を超えたリンチ」と評される『沖縄ノート』の本件各記述をどのように正当化するものであるかについて、著者の見解を直接確認する必要があるのである。

被告大江は、本件訴訟提起直後、同じく朝日新聞のコラム「伝える言葉」において「求められれば、私自身、証言に立ちたいとも思います。その際、私は中学生たちにもよく理解してもらえる語り方を工夫するつもりです」と約束した(甲B56)。

言葉に矛盾する行動は、その言葉を蔑ろにすることであり、なによりも言葉を発した者に対する信頼を失わせる。それが著名な作家とあれば、およそ「言葉」に対する信頼は地に墜ちる。

被告大江は、「伝える言葉」で述べた自らの言葉を裏切るべきではない。

                                  以上
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